最終契約日:最後の恋の魔法

 洋一は目を醒ますと、暖かい陽だまりの中で横になっていた。


 川に飛び込んだものの、そのまま溺れてしまったところまでは憶えている。

 もしかして自分は力尽きてしまい、ここがあの世なのだろうか――。

 ふと気づくと、彼の後頭部には柔らかな中にも少し堅くごつごつした感触。

 日頃、鍛えた両足で雪が膝枕をしてくれていた。

「どうだ、洋一? 三枝亜耶と恋仲になるのも、そろそろしんどいであろう? このまま百日を待たずに、魔女の世界に来るか?」

『えっ? 魔女の世界に行くとどうなるの?』

 すると、膝枕をされている頭を優しく撫でる別の手。

「それはもちろん、パラダイスですわよ! なんせ男はヨーイチしかいないのですから! わたくしだけではありませんわ、普段は奥手なふりをしたユキも積極的になって、ヨーイチに毎晩、股間の竹刀で打突の特訓を求めてきますわよ!」

『うっ……それはそれで、なんかいいかも……』

 次に右手を柔らかい両手でぎゅっと包まれる。

「そうそう、ヨーイチはよく頑張ったと思うよ。あたしも見てたよ。もうゆっくりと楽をしたらいいんじゃないかなぶん、クワガタ、カブトムシ。僕の虫取り夏休みは、お墓で冬休みなんて言っちゃったりなんかして」

『冗談じゃないよ! お墓で冬休みなんて、まだ亜耶と何にもできてないのに!』

「あら、そもそもアヤと付き合うなんて願いが叶う訳なかったのですわ。わたくしはヨーイチの下半身には、なんの期待もしてませんでしたわよ?」

「すまぬな、洋一。お前も所詮は、召喚主の一人でしかないのだ。本人が勝手に死ぬぶんには契約解除となり減点対象にならぬ。あきらめて次を待とうと思っている」

『なにそれ……結局、魔女なんてそんなものじゃないか! じゃあもう、お雪たちなんて知らないよ!』

 起き上がって腹を立てながら歩いていく洋一は、雪に呼び掛けられる。

「洋一よ、行く当てはあるのか?」

『もう行く当てなんてないよ……どうせ、こうやって魔女のせいで死んじゃうんだから。せめて天国に行きたいね。もしくはもっと女の子とウハウハできる異世界とか』

 だが、はるか光の先から声が届く。

『洋一!』

 その声の主を探そうと、洋一は周囲を見回した。

 雪が立ちあがると、ドロッチャとシャルロッテもその両脇に並ぶ。

「そちらではない、お前が暮らすべき世界はあちらだ、洋一。お前の大切な者が待っているぞ。早くしろ」

 魔女たちは手を振って送り出す。

 洋一は怪訝そうにその光の先へと進んでいくが、そこは周囲が霞むほどに煙が充満している。

『うわっ、先も見えないし、やたらけむたいし、ここが本当にゴールなのかよ。また騙したんじゃないのか、あの魔女たちは』

 そのうちに煙のせいで呼吸もままならなくなり、洋一は何度も大きく咳込む――。



「ぶはっ! ゴホッゴホッ……」

 水を吐き出す反動で、洋一は意識を取り戻した。

 いったい何が起きていたのか、視界が定まってくると目の前には亜耶がいた。

「洋一……良かった!」

 亜耶は彼の頭を胸元に寄せて、ぎゅっと抱きしめる。

「ホント心配したんだから……勝手にあたしを置いてかないでよ……」

 全身を濡らした彼女の前髪からしたたる水ともわからぬほどに、両目からたくさんの涙を流す。

 周囲には救急車のサイレンが響き渡り、通報した男の子の母も心配そうにスマートフォンを握っていた。

「あれ? なんか川に飛び込んだところまでは憶えてるんだけど……」

 洋一が上体を起こすと、彼の服を引っ張りながら男の子が嬉しそうに語る。

「おにいちゃんが僕を助けてくれたあと、このおねえちゃんがチューをして、おにいちゃんを助けてあげたんだよ!」

「えっ? じっ……人工呼吸?」

 目を大きく見開いて亜耶の顔に向き直ると、恥ずかしそうに彼の視線を避ける。

「……緊急事態じゃない。しょうがないでしょ」

 思わず自分の唇を触れて確認する洋一に、亜耶は彼の頬を叩いて肩を激しく揺すった。頬の痺れと同時にいったい何が起きたかと茫然と彼女の顔を見返す。

「もう、これ以上は無茶しないで、ひとりで勝手なこともしないでよ。洋一がいなくなったら、あたし……」

 すると今度は、洋一の背中に回した腕に力を込めて身体を震わせる亜耶に、洋一も彼女を力強く抱き返した。

「僕だって、嫌だよ。亜耶がいなくちゃ。ずっとだいじなんだから……」

「じゃあもっと、あたしのために自分をだいじにしてよ……バカ」

 ふたりは身体を離して互いの両目をじっと見つめる。

「小っちゃい頃からずっと洋一と一緒だし、ずっと洋一だけ見てたんだから。困ったことがあったら、もっとあたしを頼って。あたしがずっとそばにいてあげるから。あたしがずっと守ってあげるから。だって一番大切なのは洋一なんだから」

「あぁ……ありがとう。もちろん僕も亜耶が一番そばに居て欲しいし……僕を一番に守ってくれよ」

 自らの危険も顧みず助けてくれた、亜耶の潤んだ瞳に吸い込まれそうになり、思わず両手を胸の前に重ね、瞳を揺らす洋一。

 亜耶が洋一の肩を掴む。

 互いの唇が近づいてくる。

 洋一は目を瞑り、全てを受け入れ――。


 そこではっと気づいた。

『ちょっと待てよ。なんか亜耶の言ってることっておかしくないか? これって僕が亜耶の災難を引き受けるって魔法じゃなかったっけ? もしお雪の魔法のせいだとしたら……』

 これまでは単発のトラブルばかりでわからなかったが、実際には降りかかった災難を避けるために二人の行動と立場も入れ替わっていたようだった。

 我ながら男のくせに、あのまま亜耶の言葉と雰囲気に飲まれて、目を瞑っていたなんて――あやうく自分がヒロインになってしまうかのような展開に呆れていた。

『なんだよ、ホントにお雪の魔法は細かいところが雑だよな』

 洋一は頭を振って気持ちを切り替えると、肩に置かれた亜耶の両手を払う。

 亜耶もそこで魔法が切れたように、瞬きを二度、三度と繰り返す。

「ちょっと待って、亜耶。待ってくれ。これは僕から言う。ここから先は僕がちゃんと言うから。だからさ、その……もう少し後でもいい? いまは周りに人が……」

 なにせ彼らの周囲には到着した消防隊員や、救護した男の子とその母、大勢の野次馬が見守っていたからだ。

 くすっと笑った亜耶は、洋一の両手をしっかりと握り返した。

「いいよ。いまじゃなくても。あたしは洋一がいつ言ってくれてもこうだから」

 わずかに頬を染めた亜耶は彼に向けて大きく首を縦に振った。


 消防隊員から毛布をかけられ、救急車へと誘導されていくその間も、二人はしっかりと互いの手を握り合った。

 橋の上空から竹刀に乗り浮遊したまま、その様子を見守っていた雪。

「あぁ、良かったではないか……私も今回ばかりはいささか疲れたぞ」

 安堵の表情とともに橋の欄干に降りると、彼女にしては珍しくあぐらをかいて背を丸めると、自分の膝に頬杖をついて大きく息を吐いた。そしていつもの堅苦しい剣術道場の娘とは思えない、切れ長の澄んだ瞳を潤ませながら柔らかな笑みを浮かべて、洋一たちが乗り込む救急車を見守る。

 すると突然に肩を叩かれ、振り返るとそこにはシャルロッテがいた。

「おめでとう、ユキ」

 バインダーに挟んだ資料に赤ペンで大きな花丸をつけると、満面の笑顔を向ける。



「いったい、なんなのよ! バカにしてるの、こんなふざけた茶番!」

 有栖川がテーブルを強く叩くと、転がりだそうとする水晶球をドロッチャが慌てて押さえる。

「あなたの望み通り、アヤは転校するみたいですわね。でもヨーイチとアヤはさらに愛を深めて、認め合い、触れ合い、唇や肌を重ね合う仲となったのですわ!」

 恍惚こうこつとしてあらぬ方を見つめながら、自分の胸元に腕を回すドロッチャ。

 有栖川は憤怒の表情で、眼鏡とヘアゴムを外す。

「冗談じゃないわ! 三枝さんを助けるかわりに榊原くんが溺れていくって筋書きだったじゃないのよ!」

「あら、忘れたんですの? アヤの魔法は全てヨーイチに向かっていたのですわよ。『溺れた子供を助けていたらアヤが溺れる』と仕向けた時点で、入れ替わるに決まってますわ。単純なあなたのミスですわね。いずれにせよ、『子供とヨーイチ両方とも溺れてアヤに選択させる』くらいの作戦が必要でしたわね」

「知ってたならさっさと教えなさいよ! 魔女のくせに何の役にも立たないわね!」

 するとドロッチャの顔から笑みが消え、有栖川を表情で侮蔑ぶべつする。

 召喚した者が魔女より優位であることはない。

 あくまでビジネスであり、魔女と召喚主は対等な関係だ。

「あなたが望んだ通りですわ、コスモス。『三枝亜耶を転校させるまで追い込む』って。無事にアヤも転校するみたいですし、願い通り。あなたも契約達成で死なない。万々歳じゃありませんの?」

 ドロッチャの視線は温もりを失い、有栖川に氷の矢のように刺さる。

 有栖川もそれに負けじと髪を振り乱して反論する。

「ふざけないで! 三枝さんの破滅とは程遠いじゃないの! どうせこれで榊原くんとも上手くいったんでしょ? なんなのよ、どいつもこいつも!」

 ドロッチャは水晶球を黒マントの中の魔法空間にしまうと、有栖川に向けた人差し指だけで威圧していく。

「すべてコスモスの招いた結果よ。確かにどちらも魔女の力を借りたにしても、ヨーイチは自ら変わろうと努力して結果を寄せていった。では、あなたはアヤを貶める間に、いったいなんの努力をしたと言えるの? キノシタに言い寄ることも、彼に似合う女になる努力もせずに、なにを好き勝手に言ってるのかしら?」

「わたしはいつだって世間から求められるままに努力してきたのよ! 魔女のくせに御託ごたくをならべて怠慢よ! すぐに木下くんと幸せになってみせるから見てなさい!」

 その時、有栖川家のインターホンが鳴る。

 日中は両親が不在なので彼女が対応せねばならない。

 息を整えつつドロッチャを睨みつけると、眼鏡をかけなおしてドアホンを覗いた。

 カメラレンズ越しに、来訪してきたスーツ姿の男性二名が見える。

「有栖川さんのお宅でよろしいですか? こういう者ですけど……」

 胸ポケットから出したのは警察手帳。

「秋桜さんにお話をうかがいたいのですが、ご在宅でしょうか?」

 有栖川は、静かに玄関のカギを開ける。

「あなたが秋桜さんですね? これをご存知ですか?」

 数枚の紙を見せられると、有栖川は険しい目つきのまま息を呑む。

 防犯カメラらしき画像がいくつか印刷されており、彼女が通学カバンの中に書籍を入れていく一連の様子が抜粋されている。

 それは通い慣れた書店で、以前の『買い物』から、ここが店内の死角だと油断していたが新たに防犯カメラが増設されていた。

「さらに、近隣の複数の店舗で盗難の被害届が出ており、秋桜さんが重要参考人となっています。この件について、署で詳しくお話を聞きたいので、ご同行願えますか」

「……わかりました」

 ゆっくりと眼鏡をはずして靴箱に置くと、そのまま自宅そばに停まる車両に乗りこんでいった。

 ほうきに乗って上空から見下ろすドロッチャは、小さな笑みを浮かべた。

「『人を呪わば穴二つ』とはよく言ったものですわ……だから、のぞきはいけないことですのよ。でもわたくしとユキ両方の成績に貢献してくれましたわ。ひとりで二ポイントとは、あなたは本当に優秀な子ですわよ……ありがとう、コスモス。ごきげんよう」


 自宅に戻った洋一の部屋からは、雪が姿を消していた。

 待てど暮らせど彼女の帰宅はなく、ドロッチャもシャルロッテも遊びに来ない。

 ふいに窓の外やクローゼットの中を確認するも、魔女は現れない。

 本棚にしまってあった魔女を召喚する禁断の書だった、黒い革のノートも無くなっていた。

 どうやら魔女との契約は終わったようだった。

 百日以内に無事に願いが叶い命は助かったが、それよりも雪との最後のあいさつや礼を伝えるための再会を望んでいた洋一も、次第に諦めていった。

 江戸生まれの元・剣術道場の娘で和装で背は高く、生真面目で頑固で直情だが世間知らず、根は優しく恋愛に奥手で純情なポニーテールの日本人でも、魔女は魔女。

 もはや彼女は、住む世界の異なる故郷に帰ったのだろうと認めざるを得なかった。


 それからしばらくのち。

 学校のクラスから、亜耶と有栖川が転校していった。

 亜耶は家庭の都合ということで彼女を慕うクラスメイトや陸上部のメンバーから、盛大な送別会が催されたが、有栖川に関してはその実情も語られず、姿を見せることなくひっそりと去っていった。

 彼女が供述の中で、自ら学内SNSを創設し運営したことが明るみになると、電算部の休部措置は解除された。

 それでも教員からは休部解除に関する説明はない、と腹を立てる電算部長。

 だが、学内SNSも警察に『押収』されたことで、憶測や罵詈雑言を書き込む場所もなくなった。それに便乗して安易な気持ちで悪ふざけをしていた生徒も多かったのであろう、陰で噂話や疑心暗鬼が飛び交う学内の雰囲気はわずかに明るくなった。

 単に興味を失くしただけかもしれないし、他のツールを用いて他人を傷つけている者はいるかもしれないが、少なくとも書き込みをしていた者もされていた者も平静を装っていた。

 木下も亜耶がいなくなったことで、すっかり吹っ切れたのか、無難なところで有栖川に次ぐ学年ナンバーツーと評判の美人と交際しだした。

 洋一たちは少年を救助したことで消防庁から感謝状が授与されると、クラスメイトからも一目置かれるようになり、徐々に学内での会話も増えていった。

 もともと亜耶の友達だった女生徒からも少し声をかけられるようになったが、大半はいま彼女がどうしているか、などの確認程度だったが。

 そうして、洋一と亜耶。ともに出会ってから初めてバラバラとなり、ひとりずつの学園生活を送りはじめた――。



 翌年の晩秋。

 とある都内の学校。

 亜耶は放課後に校舎裏に呼び出されると、そこにひとりの男子生徒が待っていた。

 その手には、なにやら手紙を持っている。

「三枝さん、卒業前に言わせてください。転校してきた時からずっと好きです、付き合ってください!」

 ぐっと手紙を差し出されたが、しばらく間を置いてぺこりと頭を下げる亜耶。

「ごめんなさい。そういうのお断りしてるんです」

 顔を上げた男子は、涙を浮かべて亜耶の顔を見る。

「俺じゃダメですかっ? まさか他に好きな男子がいるとか……」

「うーん、そうじゃなくて……地元にもう『彼氏』がいるから。ごめんなさい」

 亜耶はまた頭を下げると、そのまま去っていく。


 自宅に向かうと、待ち合わせの時間にはご近所の洋一が玄関先にいた。

「ごめんね、お待たせ。じゃあさっそく始めよっか」

「結局、いつも通りじゃん……あの時は亜耶が転校するだけじゃなく遠くに引っ越しするのかなって、すごい焦ってたのに」

「洋一が勝手に勘違いするんだもん。公立に転校するってだけで、引っ越しするなんてひとことも言ってないでしょ? いまだって朝は駅まで一緒なんだしさ」

「おじさんとおばさんの体調は最近どう?」

「お父さんも治療後から再発もみられないし、お母さんもすっかり元気になったよ」

「そっか、よかった」

 ともに洋一の自宅に入ると、部屋の中で参考書を広げる。

「さあ、今日も勉強を頑張ろうね。わかんないとこ教えてね」

「これさぁ……教えるって言っても、この国立大って偏差値が高いんだよ。こっちも亜耶とは選択科目が違うから二人分の勉強って地味に大変だし、なんで僕まで出願させられたんだよ……」

 参考書をペンで小刻みに突きながら、洋一は大きな溜息をする。

 それに対し、亜耶は彼の鼻をぎゅっとつまむと強く引っ張った。

「いててっ! なんだよ」

「バカ……今までずっと一緒だったのに高校がバラバラになっちゃったから、せめて大学でもずっと洋一にそばにいて欲しいって意味なのに」

 照れを隠しながら視線をそらす亜耶に、洋一も気恥ずかしそうに視線を落とす。

 そうしているうちに、ふと互いの目を見つめたまま、固まった。

 徐々に二人の唇は吸い寄せられるように近づいていく。

 はっと注意を戻すと、取り繕うように慌てて亜耶が手を叩いた。

「あっ、そうそう。あたしもおまじないじゃないけど、こういうジョークグッズを買ったの。お店に行ったらひとつだけ違う商品だったけど、キレイだし面白そうだから選んだの。洋一と大学に行けたらいいなってお遊び感覚で願掛けしてるのよね」

 亜耶がカバンから取り出したのは、なにやら見覚えのある革製の黒いノート。

「ほら、見てここ。この欄に願いごとを書いて血を捧げると百日以内に叶うって、おかしいよね。ちょうど合格発表まで百日くらいじゃない?」

 そこには『洋一と一緒に目標の大学に受かる』と書かれていた。

「うわっ、ヤバいよ、亜耶! 絶対ダメだって、それは!」

「でも、あたしも自分の肌を切るの怖いから、このささくれのところをチョイっと」

 亜耶は指先の小さなささくれの傷を魔法陣の中心に押しつけた。

「うわあっ、ヤバいって!」

「きゃっ! なに!」

 すると突然にノートを放り出して、洋一の背中に隠れる亜耶。

「えっ、うそ……やだ、部屋が真っ暗! それにノートから光が出てきて……どうしよう、洋一!」

 部屋の照明は煌々と点いているし、洋一には何の変哲もない状態に見えるが、彼女の様子から察するに、魔法陣から魔女の召喚が始まったのは明らかであった。


 亜耶は洋一の背後から誰もいない室内を指差す。

「なんか女の人が急に出てきて、契約とか召喚とか言ってるんだけど!」

「だからジョークグッズじゃなくて、あのノートでホントに魔女を呼んだんだよ……ちなみにそれって、どんなひと?」

「日本人で剣道部みたいな女の人……前に学校にいた藤堂先生にすごい似てる」

 それを聞くなり、洋一は机に突っ伏して頭を抱える。

 間違いなく雪だ。

「なんか『久しぶりだな、洋一』とか、『百日後の結果発表まで努力せよ』とかって言ってるんだけど! この魔女の人と顔見知りなの? それとも親戚の藤堂先生って本物の魔女っ子だったの?」

「あぁ、そっか。学校にお雪が来た時の亜耶の記憶はそのままで……そうというか、なんというかね……その人に久しぶりって伝えて」

「『別に姿が見えぬだけで、お前の声は私には聞こえているぞ』って言ってるよ」

 今度は、誰もいない空間に向かって何度もうなずく亜耶の様子を見て、雪が彼女になんらかの話をしているのだろうと洋一も察した。

 すると、亜耶は突然に顔じゅうを紅潮させて、彼の頭を殴る。

「バカ洋一っ! この魔女の人に今までそんなお願いしてたなんて……」

「いててっ。亜耶と付き合いたいって思うのって、そんなに悪いことなのかよ?」

 全ての内幕をバラされた洋一は、参考書を頭に被せて防御した。

「もういいよ。亜耶の契約が始まったんならゴールは合格だよ。そうだろ、お雪?」

「『そうだ』ってうなずいてるよ……じゃあとりあえず、あたしたちは勉強して合格すればいいんですよね……はい、わかりました」


 気を取り直して二人は勉強に戻るが、またもペンを止める亜耶。

 なにやら雪から聞かされたようで、涙目でうろたえる。

「うそ、百日してもダメだったら死んじゃうとか言ってるよ! ねぇ、もしあたしと洋一、どっちかでも受験に落ちたら……やだ、『死ぬぞ』って言ってる!」

「そうだよ。もう出願もしたし、三月の合格発表で二人とも受かってないと死ぬよ。それに願いを『目標の大学に受かる』ことにしちゃったから滑り止めじゃダメだし、百日しかないから浪人もできないし、僕らその国立大に合格するしかないんだよ。だから入学共通テストまでは実質、五十日くらいしかないぞ」

 全てを受け入れた洋一は淡々と参考書に取り組んでいた。

「せっかく洋一と一緒になれたのに死にたくない! わかんないとこ教えて!」

「はいはい……」

 亜耶と雪との契約ではあったが、あの内容だと自分が不合格でも亜耶の命はないであろうことは彼にも容易にわかった。

 またも洋一は魔女の契約によって、百日という期限の時計の針が進みだした。


 亜耶はちらちらと中空に視線を向ける。

「ねぇ、洋一。なんか、雪さんがそばで竹刀を持って立ってて『まだ解けぬのか』ってすごい睨んでくるんだけど。あのぉ……あたしたち勉強に集中させて欲しいんですけど」

「どうせ勉強なんか古文と現国しかできないくせにさ……こっちは契約達成しないとお雪のポイントにならないんだから。いいから亜耶の邪魔しないで、ちょっと黙って鍛錬でもしてきなよ……あ、でも魔法で僕と亜耶の学力を上げてくれたら一発合格だし、すぐにお雪のポイントになるじゃん。悪くない話だと思うけど……それでも魔女との契約が切れたら入学しても苦労のないよう、独学で頑張れって言うに決まってるよね……わかってるっての」

 姿が見えなくても声が聞こえなくても、平然と会話をする風の洋一。

 その生のやり取りを見ている亜耶には、実に不思議な感覚であった。


「ねぇ、雪さんって洋一にはホントに見えてないの? あと、本物の魔女なの?」

「うん、間違いないよ。お雪こそ本物の『東洋の魔女』だよ」



 おしまい

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東洋の魔女 邑楽 じゅん @heinrich1077

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