第14話 道筋

 森は今も昔も同じ森なんだろうか。


 森に通じる出口が塞がってないとは言い切れない。そうしたらどうするんだと考えていたら、無言になった。


 レフも考え事をしているのか、歩くことに集中しているのか、なにも言わない。


 沈黙が続くのは怖かった。闇が肌に侵食して骨にもまとわりつく感じがする。


「あのさ、レフがここに来るまで一年かかってるよな。なんでそんなに時間かかったんだ?」

「それは、協力してくれる仲間を探したし、塔の周辺を調べるのも簡単じゃなかったし、あと看守に渡りをつけるのが大変で」

「どういうこと?」


 最後の言葉が不穏で、問い返す声がきつくなってしまった。レフは看守とつながっていたのだろうか。

 

「僕が八階の部屋に入れるように手配してもらったんだよ。看守と直接やりとりしたんじゃなくて、看守の知り合いの知り合いに、って感じで遠回しに……この交渉をしたのは僕じゃないから、詳しいことはわからないんだけどね」

「看守を……買収した?」

「まあ、そういうことだろうねえ。でも頼んだのがゴゾイアの人間だってことはわからないようになってるはずだよ」

「ああ、それで遠回しに、か」


 そんなことができるとは思わなかった。たとえ完璧じゃないにしても、伝て人はやっぱりすごいんだ。だったらあの話も本当なんだろうか。


「帝国が伝て人を恐れてるっていうの、ほんと?」

「あー……それね。今の段階ではただの噂だよ。そういう見解の人たちがいるとしか僕には言えない」

「レフの考えは?」

「僕は、伝て人が目障りだからじゃなくて、皇帝の醜聞や政策の失敗から国民の目をそらすために、ゴゾイアの民を標的にしたんだと思ってる」

「え、ひどい」

「事実は知らないよ。でもここ数年の帝国はうまくいってない部分があるからね。それをゴゾイアのせいにしてしまえってことじゃないかと」

「なんにしろ理不尽だ。政策を事前に知ることはできなかったのか? 食い止められればよかったのに」

「伝て人はねえ、民を守り支えるためにいるけど、導く存在ではないんだ」

「答えになってない」

「誰も知らなかった、とは言わない。だけど、帝国の動きを止めるなんて、伝て人はやらない」

「なんだそれ……」


 知ってたのに静観してたってことか。


 手に力をこめた。どうせお仕着せの作業服だから、しわくちゃになっても構わないだろう。


「また引っ張ってるー。苦しいって」


 本当に迷惑そうだったから、服を軽く持ち上げてやった。かわりに拳骨をレフの背中に押し当てる。筋肉の動きと体温が指に伝わってきた。


「エルタンの言いたいことはわかるよ。でも帝国に干渉するなんて、伝て人の本分じゃない」

「だったら前もって逃げるように教えてまわったらよかっただろ」

「それも伝て人の役目ではない……だけど伝て人としてやるべきことは必死にやってる。隠れ家を用意したり、逃げ道を確保したり」

「それは知ってるよ。何度も助けてもらった」

「どういたしまして!」

「レフのことじゃない。まだレフにお礼は言ってない」

「あれー?」


 軽口は無視して手を緩めた。レフにぶつけても解決しないどころか、やるせなさが増すだけだ。いったん口を閉じよう。

 

 地面はすでに煉瓦ではなくなっている。たぶん、岩だ。ゴツゴツしていて歩きにくい。しかもカビ臭かった。


 それにしてもさあ、とレフが話題を変える。


「三階から八階まで使うなんて大掛かりすぎだよね。それこそ三階と四階だけでよくない? まあ、そしたらエルタンがあの通路に入ることはなかったけど……」

「六っていう数字に意味があるんだと思う」

「三階から八階までの、六?」

「六文字だよ。壁に刻まれてたやつ」

「古代文字のほうか」

「占いでは、六文字ごとに意味を分けて考えるんだって。最初の六文字は、物事を始める、挑戦するっていう共通の意味があるらしいよ」


 へえ、というレフの声を聞いたあと、はっきり言うべきだろうと思って付け足した。


「っていうのを、ニカが言ってた。偶然かなって、そのときは話してたけど。設計した人はきっと意味をわかってて、わざと六文字にしたんだと思う」

「そっかあ……」

「俺がわからないのは」


 レフの声が慰めるような調子を帯びたから、食い気味に続けた。


 自分の知識じゃないというのを伝えたかっただけで、ニカの話をしたいわけじゃない。今そんなことをすれば、いったん整理をつけた罪悪感や悔しさが溢れかえって、歩けなくなりそうだった。


「どうして三階なのかってこと。どうせ下におりるなら二階に仕掛けて一階に行くようにしたらよかったのに」

「それはもしかしたら、ひいおじいちゃんたちが三階から下には行けなかったから、かもしれない」


 レフの声に明るさが戻る。友達の噂話をするような気安い口調で答えてくれた。


「階段に鍵つきの扉があったんだって。一階と二階は見張りの人とか掃除する人とかが使ってたらしいよ」

「じゃあそれ以外は親子で使い放題……って、あの部屋数、使い切れたのかな」

「ほとんどは書庫だったって聞いたなあ。ほかには、絵を描くだけの部屋とか、踊るためだけの部屋とかもあったって」

「ええ……なんか贅沢」


 百年後の自分たちとは雲泥の差だ。しかも食事に困らないんだから、逆に幸せな気もする。


「そのいっぱいあった本はどうなったんだ」

「皇帝が没収したらしい」

「泥棒したんだな」

「大泥棒だからね、帝国は」

「王国も盗まれた」

「帝国のせいで滅んだって言ってる?」

「ちがうの? 疫病をばらまいたって」

「えっとねえ、帝国が企んだという証拠はないみたいだよ。それに、民を守るために国土を捨てさせたのは伝て人だった」

「住むところは大事だと思う。少なくとも帝国領内はだめだ」

「だったらエルタンが声をあげないと」

「はあ?」

「そしたら僕も後押しするよー」

「なんの話」

「民を導く人を支えるのも伝て人の役目。かつて民を導くのは王様だった。だから伝て人は王を支えた。でも伝て人は血筋に従うわけじゃない。だからエルタンでも問題ないんだよ」

「いや、そこまでは……」


 意外な方向に話が膨らんでたじろいだ。「エルタンならできるよー」とレフが笑う。その言い方にからかう響きがあったから、レフの服を引っ張って黙らせた。


 闇の終わりが見えた。


 ぽっかりあいた出口だ。穴のむこうも暗いけど、真っ暗ではない。青黒い闇だ。


 腰を屈めて穴をくぐると、予想していた森とは似ても似つかない無骨な場所に出た。


 岩の壁だ。


 人の背丈よりずっと大きい岩が立ち塞がり、頭上まで覆っている。地面は左右とも途切れて、おそらく断崖絶壁。その両脇にも岸壁がそそり立ち、視界を遮っていた。


 行き止まりに見える。


 レフはすぐに周囲を探りはじめた。手伝いたくてもなにをしたらいいのかわからない。レフの影を目で追いつつ、穴の前で立ち尽くした。


 闇の通路で感じていたカビ臭さがない。澄んだ匂いと囁きが顔に当たって、肺にすべりこむ。風は、生暖かかった。


「こっち、おりられるようになってるよ」


 岩の壁には切れ目があるらしい。レフが吸いこまれるように消えてしまったから、ようやく足を進めた。


 壁と壁が折り重なって隙間をつくっている。細い道を横歩きで抜けると、遮るもののない景色があった。


 眼前に見える大きな影は、山だ。あいだに横たわるのは黒い川。黒く見える川。


 川には明るい影が落ちていた。さやかな光がきらきらと揺らめいている。


 夜空にかかる月は、隠し通路から見たときよりも小さい。輪郭がぼやけているのは自分の視力のせいか、片目で見ているからか。まんまるな月をくるむ淡い光は綿のようだった。


 口を大きく開けた。


 束縛とは無縁のそよ風が吹いていた。遠い場所からやって来て、たまたまここをすり抜けていくだけの気ままな薫り。それを食べた。口からも鼻からもむさぼった。


 二年ぶりの、外だ。


 レフは不規則に突き出ている岩を器用におりて、もうすこし下の場所に立っている。水面との距離がうまくつかめないけど、建物の二階ぐらいはあるだろうか。


 じっと星空を見上げていたレフは、振り返って感嘆の声をあげた。


「こんなふうになってるんだねえ。ここ、崖の西側だよ。窓から見えた街はあっちのほうで、塔はこの上」


 向き合ったレフが左手をまっすぐ横に伸ばして指し示す。それから上を指さした。


 振り仰いだ岩の壁はとても高く、塔の姿などまったく見えない。


 すごいね、とレフが笑う。声が夜風に浸み透る。


「隠し通路は洞窟とつながってたんだね。外からじゃ隠れてて見えない。天然かなあ、この岩のかさなり。でも人が削ったような道もあるんだよね。ここ、わかる?」


 レフの足元は確かに平らで、途切れることなく横に続いていた。


 だけど狭い。踏み外したら川に落ちるのは確実で、それも岩にぶつかりながら落ちていくと思う。レフが笑顔で立っているのが信じられない。


「あっちに森がある」

 

 レフが右手で指さした。ここよりさらに西の方角。こんもりとした大きな影が遠目に見える。


「この道を辿れば森まで行けるんだと思う」

「レフのひいおじいちゃんはここを歩いたのか……」


 どれだけ勇気と根性のある人だったんだろう。道は細すぎるし、距離だってかなりある。


「でね、こっちにも道があるんだ。エルタンのところから僕のところまで階段があって、ここからさらに……」

 

 崖の真下へと続く岩場をレフが指さしていく。


 岩を削った階段だ、と思って見れば、そんなふうにも見える段差だった。周辺より傾斜も緩い。


 緩いとはいっても急勾配であることに変わりはない。ひょっとしたら百年前はもっときれいな階段だったのかもしれないけど、目の前にある岩の段差は、階段と呼ぶには崩れている。


 それに下までおりてもなにもない。真っ逆さまに川だ。岸壁が黒い水の中に浸っている。


 これが道なのかときこうとしたら、レフは急に指笛を吹き鳴らした。沈黙を挟んだあと、また指笛を吹き鳴らす。


 話しかけたらいけない気がして待つことにした。


 レフが何度目かの指笛を吹いたとき、遠くから似たような音が返ってきた。


「よかったあ、待っててくれた」

「伝て人?」

「そう。森まで歩いてみたい気はするけど、さすがに疲れたからね。ここで離脱しようかと」


 川をすべるようにして小舟が現れた。操っているのは小柄な男で、一言も発さず視線だけを向けてくる。年齢は父と同じくらいかもしれない。


「ちょっと待ってて」


 レフが岩場をおりていく。疲れていると言うわりには溜息が出るほど機敏だった。


 男が縄を投げ、受け取ったレフが近くの岩にくくりつける。岩、というか、岩壁の裂け目だ。まるで縄をかけるためにあるかのような、ちょうどいい裂け目に見えた。


 ふと、作業をするレフの背中が幻の光景とかさなった。


 川から男が降り立つ。


 長い手足と豊かな長身、ユーアノス人らしい薄い色の髪と瞳。表情には気品があり、険しい段差を力強くのぼってくる。手元ではランタンが揺れ、やわらかな光を放っている。


 森の道は遠いからと、それより楽に来られる舟でやって来たんだ。会うことを禁じられた妻のもとへ行くために。


 百年前の幻が目の前に迫り、背後へ抜けていく。その瞬間、大きな問いを、渡された気がした。


「エルタン、おりてきて」


 レフが手招いている。岸壁と舟のあいだには道ができていた。板を渡したのだ。


「エルタンなら落ちても泳げるから大丈夫だよ」


 体を端に寄せて道をあけつつレフが笑う。絶壁のわずかな出っ張りに足をかけていて、落ちそうなのはレフのほうだ。


「なんで大丈夫ってレフが決めつけるんだよ。まあ、大丈夫だけど」


 余裕ぶった言い方で不安をごまかし、一歩を踏み出した。


 挑戦することを促す六文字は、もうしっかりと覚えている。


 導かれて入った隠し通路は、闇の中にあった。闇を照らすアンバインは、ひとつひとつは小さな光だった。その光も、最初に誰かが照らさなければ生まれない。


 秘密を抱いたまま逝く姿を見たことも、謝罪ができないかわりに切実な願いを連れ出すのも、いがみあう民の血をどちらも継ぐ人が目の前にいることも。


 ここに至るまでのすべてが、百年前に遺された最大の難問を解く糸口になるのかもしれない。


 永い闇を払うにはどうしたらいい。


 それができたら、ニカに謝れる気がする。謝っても、大丈夫な気がする。


 そんな途方もない夢に背を押されて、ようやく檻を出た。



〈了〉

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アンバインの隠し通路 晴見 紘衣 @ha-rumi

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