第8話

 次の日。

 あれこれ考えるうちにソファーで寝落ちしてしまっていたようで、身体のあちこちが痛い。

 でも身体を痛めた甲斐あっていい方法を思い付いた。


「五行先輩に聞いてみよう」


 そうだよ。この前みんなが騒いでいた謎の美人ってきっと麗ちゃんと麗ちゃんのお姉さんに違いない。


「どうして昨日気付かなかったんだろう。とびきりの美少女で、ミルクティー色のミディアムヘア。どう考えても麗ちゃんのことで間違いないじゃん!」


 麗ちゃんとお姉さんを案内していたのは五行先輩だって小耳に挟んだ。

 五行先輩なら麗ちゃんの連絡先を知っていてもおかしくない。


 早速とばかり五行先輩にメッセージを送る。

 五行先輩とは以前、クラスの頭数合わせで参加させられたボランティアの時にたまたま同じグループになったのだ。


「みつけた……! よかった!」


 あの時は半分嫌な気持ちで参加していたけど、今日この時のためだったんだと考えれば当時の私も浮かばれるだろう。


「ごぎょうせんぱい、とつぜんすみません……」


 私は、五行先輩と交わしたほんの僅かな事務的な会話の履歴だけが残っているトーク画面に文字を打ち込んでいく。


『五行先輩、突然すみません。天野麗ちゃんの連絡先をしっていたりしませんか?』


 ぐるぐる眼鏡姿だけど、五行先輩ならきっと覚えてくれているはず。怪しい人だと思われませんように……。

 祈るような気持ちで送信ボタンをタップする。


 既読はすぐについた。


『麗ちゃんに?』

『はい、麗ちゃんにです』

『残念だけど私も交換してないから分からないんだ』


 ガックリと肩を落とす。

 ……そうだよね、普通案内しただけの人と連絡先交換したりしないよね。

 そう考えて答えてくれたお礼と、時間を取らせたお詫びの言葉を打とうとしたところで新しいメッセージを受信した。


『連絡先は知らないけど住所なら知ってるから教えてあげるね。ちょっとまってて』


 びっくりしてスマホを放り投げそうになってしまった。

 慌てて持ち直して食い入るように画面を見つめる。


 そして送られてきた住所と地図を三回くらい見直して完璧に頭に叩き込むと、慌てて出かける準備を始めた。


 着ていく洋服をクローゼットから取り出したところで先輩にお礼をしていなかったことに気がつき大急ぎでメッセージを送った。



 教えてもらった住所は、空の宮駅前にある「おっきー」といつも思いながら学校へ向かうバス停に並ぶときにみていた超高層ビルだった。


「ほんとにここ……?」


 駅のロータリーを出て目の前にそびえ立つビルを見上げる。

 五行先輩から送られてきたメッセージには確かにここを指していたし、地図を見れば疑いようがなかった。


 複合施設となっている建物の、ショッピングセンターの入口しか知らない私は、住民向けの入口を探して建物の周りを彷徨う。


「あっ、ここっぽい」


 レジデンスのメインエントランスは、車通りのない静かな裏道の先で、緑に囲まれた小道を少し進んだ先にあった。


 大きな自動ドアを抜けると吹き抜けの広大な空間。守衛さんが見えるだけで三人は立っている。

 そして極めつけは受付にいる微動だにしない姿勢のコンシェルジュの方だ。


 緊張した面持ちで進んで、綺麗な仕草で頭を下げたコンシェルジュさんに用件を告げる。


「あの、3202号室の天野麗さんのクラスメートなんですが……」

「かしこまりました。お名前を頂戴してもよろしいですか?」

「姫咲部律歌です」

「姫咲部さまですね。お取次ぎいたしますので少々お待ち下さい」


 友達、と言うのは憚られたのでクラスメートを名乗る。まだ新学期が始まってないから実際どうなのかは分からないけど……。一緒になれならいいなぁ。

 なんて思いながら外観はもちろん建物の中もサービスも下手な高級ホテルの受付よりもすごいかもしれない豪華で立派な様子に、一体麗ちゃんのお姉さんはどれだけすごい方なのか少し怖くなってきた。


「お待たせいたしました。こちらのカードキーをお持ちになって、あちらのドアへお進みください」

「はい、ありがとうございます」


 渡された薄い青みがかった無地のカードキーを手に、木目調の自動ドアをくぐる。

 するとそこにはまた受付があり、さっきの人とはちょっと違う制服の方がその前に立っていた。


「姫咲部さま、ご案内いたします。こちらへどうぞ」


 今日はひさかべちゃんとして来ているため、顔を隠すためにしているマスクの下で、案内の人までいるの……!? と顔が引き攣った。


 案内の方についてエレベーターに乗る。

 行き先表示はB1、1、32の三つしかなかった。


 まるで展望台に向かうエレベーターのように猛スピードで登っていく。外は見れないようになっていたけど、身体に感じるGでどれだけ早いスピードなのかが感じ取れた。

 実際に三十二階まではあっという間だった。


 エレベーターを降りて少し進んだところが目的の部屋。

 案内してくれた方は扉の前まで先導してくれたあと、一礼して去っていった。


 私はインターホンを前にして今更のように緊張してきた。


「よし」


 いつまでもうじうじしていても何も始まらない。覚悟を決めてインターホンを押した。


 事前に来客が告げられていたからだろう。インターホンを押してすぐにくぐもった声と共に鍵を開ける音がしてゆっくりと扉が開かれた。


「あの私、姫咲部律歌って言います! 麗ちゃんとお話がしたくて……って、ほえ?」


 一瞬の間に頭の中で組み立てた言葉を息継ぎもなしに一気に並び立てる。

 そしてふと感じた、どこか昨日会った麗ちゃんとは違う雰囲気を纏った人の気配につられて顔をあげると、考えていた言葉が全部吹き飛んで思わず間抜けな声が出た。


「姫咲部さんこんにちは。お久しぶり、かな?」

「あ、あ、あ、雨野みやびさんっ!?!? どうしてここにっ……!?」


 悲鳴のような声が自分から出るのをまるで他人事のように聞いていた。

 それくらい驚くことで、現実逃避したくなるような、私にとってとんでもなく高い雲の上の人。


 雨野みやびと言えば日本をはじめ海外でも有名な女優さんで、テレビに映らない日はないほどあちこちの番組や映画に引っ張りだこの今一番勢いがある人だ。

 もちろん私も大好きだし、憧れの目標でもある。


 そんな人が目の前に立っている。

 取り乱してしまう理由に十分なることだと思う。


「どうして、ってここが私の家だからよ。さ、入って? 麗もすぐ帰ってくるから」

「そ、そうだ……! 麗ちゃんに会いに来たんです。昨日のことを謝りたくて」

「麗が言ってたことね。大丈夫だよ、麗は気にしてなかったから。ペットボトルだけどお茶でいい?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 そう言いながら部屋に通してくださったみやびさん。来客用の大きなソファーに通されてグラスに注がれたお茶を出された。

 私生活が謎に包まれていた雨野みやびさんの家にお邪魔しているあげく、お茶をだして頂くなんて畏れ多いけれど、断ったりしたら末代までの恥だ。


 お茶を一口飲んで一息つくと、少し落ち着いてきた。

 みやびさんは私の目の前に座り、自然な笑みで私を見つめていた。この雰囲気で何も言わないのはおかしいと思って、私はずっと気になっていたことを口にする。


「あの……麗ちゃんのお姉さんって、みやびさんだったんですか?」

「あれ、麗ってば言ってなかったんだ。そうだよ、麗の姉の天野雅です。今年から星花の二年生に編入することになったの」

「それで五行先輩たちと学校にいらしたんですね。……すごく噂になってました。とびきりの美人が学校に来たって」


 確かに結構前だけど私はみやびさんと共演したことがある。みやびさんが主役で、私はほんの脇役だったけど。

 ……脇役にも関わらず私がみやびさんと共演したことを知っていた麗ちゃんに驚きつつも、どこか見覚えがあった気がした理由に納得する。

 女優さんのお姉さんとは言えど、さすがにみやびさんだと考えることはできない。

 みやびさんに妹さんがいるのは知っていたけど、名前までは公開されていなかったから。


「そうだったの? わたしずっとお仕事で東京にいたから知らなかったよ。こっちにも昨日帰ってきたばっかりだし」

「昨日!? ごめんなさい……お疲れでしょうに突然押しかけてしまって」

「いいよ、謝らないで? わたしも麗の友達に会えて嬉しいから」


 友達、と言われたところで私は昨日のことを思い出して複雑な顔をしてしまった。

 友達……になれるのかな? 怒ってないと良いんだけど……。


「あ、麗が帰ったみたい。ちょっと待ってて」

「はい、もちろん」


 ガチャ、という小さな音がしたと思うと、、たたたた、と軽い足取りでみやびさん――雅さんが玄関に向かう。


「おかえり、麗」

「雅、ただいま」

「姫咲部さんがいらしてるよ」

「律歌ちゃんが? わかった」


 聴こえてきた雅さんともう一つの声は、昨日会った麗ちゃんのものだ。つまり本当に麗ちゃんと雅さんが姉妹だったということ。

 疑っていた訳ではないけど、あぁやっぱり現実だったんたなという呑気な感想が思い浮かんだ。


「律歌ちゃん! 昨日ぶりだね。どうしたの?」


 昨日ぶりに再開した麗ちゃんは、昨日会って話したときと変わらない雰囲気、口調で話しかけてくれた。


「麗ちゃん……昨日は、その、ごめんなさい。帰ってから私がどんなに失礼なことをしたか我に返って、謝ろうと思って……」

「ウチは気にしてないよ。昨日の格好とかもきっと隠してたかったんだろうなって思ってたから。むしろ驚かせちゃってごめんね」

「そんな! 急に逃げ出した私が悪いんだから!」


 麗ちゃんが下げようとした頭を、全力のやめて! というアピールで止めさせて私は弁明を始めた。


「……私、中学生の頃に嫌なことがあって転校してからなるべく目立たないようにしていたの」

「……それが昨日会ったときの格好?」

「うん。学校では気配を消して、人と関わらず、あんまり印象に残らないようにしてきた」


 嫌なことを、思い出したくなかったから。


「二年くらい、みんな不思議なくらい全く私に気付かなかったんだ。名前も、髪の色も同じなのに。きっと、心のなかでは変装を見破ってくれる人を求めてたのかもしれない。私もありのままの姿で通いたかったから」

「そうだったんだ」

「うん。でも、いざ昨日変装を見破られて、あの姿の私が私だって見破られたとき、とっても怖かった。いじめられていた時のことを思い出しかけて、……それで逃げちゃった」


 だからごめんなさい。そう言うと、麗ちゃんは笑って許してくれた。


「ウチにも分かるよ。ウチも雅が有名になり始めた頃に雅と同じ学校に通っていてね? 姉妹ってことでいろんな人から声をかけられるの。紹介してほしいとか、サインがほしいとか。……やんなっちゃってさ、なんでこんな思いをしなきゃいけないのって思ったことがあるんだ」

「麗……」


 ポツリポツリと話しはじめた麗ちゃんのことを、話してくれた内容を初めて聴いたのか雅さんが驚きと怒りと申し訳なさの混じった声で呼んだ。


「うちには事情があってお父さんとお母さんが居ないんだけどね、お父さんお母さんに代わってウチを守ってくれてたのが雅なんだ。だから、何も言えなかった」


 お父様とお母様がいらっしゃらないのは、初めて聞いた。そして雅さんが女優を始めたきっかけも。

 私は何も言わなかった。何かを言う資格がなかった。


「なんでウチのために雅がしてくれてることのせいでウチが苦しまなきゃいけないのって思ったりもした。いっそ学校を辞めて違うところに通おうかとも思った。……でもそうしなかった」

「……どうして?」

「だって、どうあがいてもウチはウチで、雅は雅だから。ウチは雅の妹だけど、『雨野みやびの妹』じゃなくて天野麗っていう一人の人間だから。雅にとっては守りたい妹かもしれないしそれを否定するつもりもないけど、ウチは天野麗で、天野麗としていつも助けてくれている雅を支えたいって思ってるから」


 どうあがいても自分は自分。

 麗ちゃんの言葉が今まで悩んでいた私のぽっかり空いていた穴にぴったりはまったように感じた。


 そうだ。いくら自分の姿を偽っても、私は私だ。


 いくらオーディションに受からなくても挑戦し続けた私も私だ。

 どんなにステージで失敗してもへこたれずに練習を重ねた私も私だ。

 ひさかべちゃんとしてあらゆる困難を弾き返してきた私も私だ。


 そして、中学生の頃にいじめられたトラウマで学校で地味子を演じている私もまた、私だ。


「……ありがとう麗ちゃん。おかげで悩みが解決したかもしれない」

「それはよかった」


 動き出した歯車。

 決心したらあとは突き進むだけ。

 ひさかべちゃんはどんなことにも負けを恐れず突っ走ってきた。

 私は、ひさかべちゃんだ。

 これからは周りの目を怖れずに全力で学校生活を楽しもう。


 私は、私だから。

 トラウマには負けない。



 ***



 わたしは麗の言葉に衝撃を受けていた。


 麗が中学生のときに苦しんでいたことを知らなかったこともそうだけど、一番は麗が言った『自分はどうあがいても自分である』という部分。

 姫咲部さんに向けられた言葉のはずなのに、わたしに対して言っているように聞こえた気がした。


 わたしは、わたし……?


 そんなはずはない。

 わたしは天野雅というわたしと、『雨野みやび』という偽物の『わたし』を使い分けて生きてきた。


 嬉しい演技をするとき、悲しかった両親の死を棚にあげて喜びに集中するために『わたし』という偽物を作った。

 怒りの演技をするとき、麗を守っているという喜びの感情を利用して逆の意味に変換するために『わたし』という偽物を作った。

 悲しい演技をするとき、麗と過ごした楽しい日々の記憶に一時的に蓋をするために『わたし』という偽物を作った。

 楽しい演技をするとき、忘れたいわたしの過去から切り離すために『わたし』という偽物を作った。


 そんな偽りだらけの『わたし』もまたわたし?

 そうであってはいけない。


 わたしはわたしだ。決して『わたし』ではないんだ。


 けれど、どこか心の奥底で麗の言葉に納得しているわたしがいる気がして。


 そのうちわたしがわたしでなくなってしまいそうな気がして、そっとわたしを心の隅に閉じ込めた。

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