第15話

 長い長いお風呂を終えると、まもなく日付が変わろうかという時間になっていた。

 一時間強入っていたことになる。


「長く入りすぎちゃいましたね」

「……あれだけたくさんキスをすればね」


 正直まだ、人を好きになることを分かってない。

 でも、律歌とキスをしている間はどこか満たされている気がした。


 わたしと『わたし』、全部込みで天野雅という人間を形作っているという言葉が、麗が言っていたわたしはわたしであるという言葉と重なって聞こえた。

 ……きっと麗が言いたかったことはこれなんだろうな、と思った。


「ねぇ律歌」

「ふあい、雅さん」

「……私を食べちゃいたいって、そういう意味?」

「むぐっ!? ゲホッゲホッ!!」


 どうにか水を噴き出さずに飲みのんだ律歌。


「そ、それを蒸し返します!?」

「これからお付き合いしていくにあたって、きちんと決めておきたいから」

「……そうでございますか」


 恥ずかしそうに真っ赤になる律歌。

 小さな呟きだったけど、わたしにはバッチリ聞こえていた。


「わたしは正直、今まで性欲を感じたことがないと思う。もちろん知識はあるし、興味もあるけど積極的にしてみようという気持ちにはならないの」


 今までお仕事ばかりだったから、そういう感覚は全部そっちに吸収されて無くなっていたのだと思う。

 だから普通の女の子がどうなのかを知りたいと思った。


「私は、その……人並みだと思います。好きな人とデートしたいですし、キスもしたいし、その先もしたことないですけど興味あります」

「やっぱりそうなんだ」


 でもやっぱり、好きな人と愛し合いたいという気持ちがいまいち分からない。

 わたしの微妙な表情を察したのか、律歌がぐいっと顔を近づけてきた。


「じゃもう一回キスしてみましょう? キスはいいですよね?」

「……まあ、さっきもさんざんしたし」


 悪い気はしなかったから。

 再び律歌と長い口づけをする。


「どうですか?」

「うぅん。満たされているなっていう想いはあるんだけど、それが何なのか分からない」

「そうですか……」


 今度はわたしから。


「やっぱりわからないや。……わたしに合わせてるのも大変だろうから、もし律歌がしたいならしてもいいよ」


 相手が律歌だから。そう続けると、怖い顔をして律歌が全力で拒否してきた。


「いや! それは嫌です! きちんと雅さんもしたいなって思ってくれたときじゃないと私は嫌です」

「……いつまでかかるかわからないよ? もしたらずっとこのままかもしれない」

「それでもです。雅さんが先に進みたいって思ってくれるように頑張ります」


 恋心って、難しい。

 でも、どこか嬉しいような、そんな感じがした。


 お互い寝る準備を整えて、わたしのベッドに二人で入る。

 今日たのしかったこととか、お仕事のこと、わたしのこと、律歌のことを密着しながら話しているうちに、何故か突然律歌とキスをしたときの感触を思い出して少し唇が寂しい気分になった。


「ーーそれが楽しかったんです。……って、雅さん?」

「ん、なに?」

「眠くなりました? ちょっと上の空だったから」


 ここは正直に伝えたほうがいいのだろうか。

 少し逡巡した上で、もう恋人になったんだから変に遠慮することはないと思い至ったので、ありのまま思ったことを口にした。


「……律歌とキスがしたいなって」


 律歌が固まる。


「…………ずるい」


 その言葉が聞こえたと同時に、わたしの上に律歌が馬乗りになった。

 首を挟むようにして両手をつき、わたしを上から覗き込むようにしていた。


 ……わたし、押し倒されたんだな。

 そう考える暇もなく、猛烈なキスの雨が顔中に降り注ぐ。


「ずるい。私、こんなにも我慢してるのに。雅さんったらすぐ理性を壊すようなことを言ってくるんだもん」

「……律歌」

「いまの表情だって。あれだけえっちな気持ちが分からないって言っておきながら、人を興奮させるようなか弱い表情をして……。自覚ないのが一番困っちゃう」


 このままされちゃうのかな? なんて他人事のように考える。

 この状況でもやっぱりわからない。

 ……でも律歌とするんだなって考えても、やっぱり全然嫌だとは思わなかった。


 律歌はしばらくわたしにキスをしたり、ぎゅーっと抱きしめたりした後、自分の頬を両手で思いきりパァン! と叩いて元のわたしのとなりに転がった。


「我慢、我慢よ姫咲部律歌……我慢我慢我慢」

「い、痛くない……?」

「痛くしたんです。私、約束は絶対守るので。雅さんからしたいって思ってくれるまで、何ヶ月でも、何年でも待つって決めたんです」


 ……随分長期戦を覚悟している律歌には悪いけど、正直その時がくるのはそんなに先の未来ではないのかなってわたしは思った。


 肉体的な面では段階を踏めばなんとかなるだろう。わたしだって人間たから、本能で反応してくれるはずだし。

 精神的な面でも、正直心地よかった。

 キスをしているときも、押し倒されたときも、求められて嬉しいと思ったしちょっと期待もしていた。


 だからきっとそう遠くないうちに、キス以上にもっと満たされたいって思ったとき、次に進むんじゃないかな。

 ……ちょっとだけだけど、楽しみかもしれない。


 *


 雅さんの可愛らしい寝息が私の背中の方から聞こえてくる。


 ……今日は眠れないかもしれない。

 恋人になった雅さんは心臓に悪すぎた。

 だって、ただでさえ可愛い女の子が目の前で無防備に眠っている。

 ついさっきまで私とキスをしていて、ファーストキスを捧げてくれた。恋愛初心者で、誰にも言えないアイドル同士の秘密の関係とくれば興奮しないわけない。


 恋人とはいえひとさまの家で自分自身を鎮めることはさすがにできないし。

 ……はあ、無意識に誘ってくるとか聞いてないよ。

 雅さん、ぐいぐい迫る私に引いたりしてないかな? 経験ないくせにマセてる子だって思われたりしてないかな?

 雅さんも嫌がってなかったし、むしろもっとキスしたいって言ってくれたから良かったけれど。


 画面の向こうにいる雅さんは常に表情豊かでかっこいい人だけど、今私の隣にいる雅さんは全然違う。

 妹想いの優しくて、頼りがいがあって、それでいて実はちょっと自分のことに悩んでいる、ひとつ上の普通の女の子だった。


 ついつい何でも完璧にこなす人に思われがちだけど、私と変わらない、努力をして時に挫折をしながら一歩ずつ進んで今があるすごい人だ。


 そんな人の人生に、恋人という特別な存在として関われることがすごく嬉しいし、同時にこの儚くて脆い存在を支えてあげよう。ずっと一緒にいて雅さんが自分に迷わないでいいように導いてあげよう。そう誓った。



Fin.



ここまでお読みいただきありがとうございました。

第2部を構想中ですので、気長にお待ちいただけると嬉しいです

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わたしをわたしで在り続けさせて 〜女優とアイドルのフクザツなカンケイ〜 五月雨葉月 @samidare_hazuki

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