第13話

 東京から沿岸部を千葉に入ってすぐ、日本一のテーマパークにわたしと律歌はやって来ていた。


 仕事では何度も来たことがあるけれど、天野雅として来るのは事件の前に家族で来た以来。


 昨日わたしは律歌のリクエストに応えるために日付が変わる頃までデートプランを練っていた。

 正直昔の知識しかないし、麗も仕事で忙しいわたしに遠慮して全然来たことが無かったから、ごくありふれたことしか分からず最新のアトラクションとか何のショー、パレードをやってるかを調べたりした。


「お待たせしました、雅さん」

「ううん、大丈夫だよ」

「今日めちゃくちゃ楽しみで昨日なかなか寝付けなかったんです。頼もしいリードを期待してます」


 どうやら既に設定に沿って始めているらしい。

 わたしも意識を切り替えた。


「……わたしも楽しみだった。早速だけど行こうか、律歌」

「はい!」


 わたしたちは揃って入園ゲートをくぐると、早速おしゃべりをしながらゆっくりとパークの奥へ向かっていった。


 *


 夜。夕ご飯を食べてから光あふれるパレードを鑑賞したあとわたしたちはパークを後にした。

 今日は東京のわたしの家にお泊りをする事にしていたから時間的にはもう少し遊べたけど、ちょうど区切りのいい時に帰ろうという話になった。


「今日はありがとうございました。とっても楽しかったです。ちゃんと楽しめたのは久しぶりかも」

「わたしも。お仕事じゃなくて来たのは四、五年ぶりかもしれない。誘ってくれてありがとう」


 律歌の魅力である天使のような笑みを向けられるとわたしも嬉しくなる。

 律歌の笑顔はこう……なんていうか律歌であるときも、ひさかべちゃんであるときも心からの自然な笑顔を向けてくれるから心地いい。


「雅さん、わたしたち、ほんとに付き合っちゃいません?」

「うーん、今日のわたしはあくまで『わたし』だから」

「……もし雅さん自身だったとしても、断らないんですね」


 律歌の言葉にちょっと困ってしまう。


「断るというか、いまのわたしに恋愛は必要ないから、かな」

「必要ない……ですか?」

「そう。わたしは結局、だれかを守ることでしかわたし自身を見いだせないんだ。守る相手を恋愛の意味で好きになることはできないし、好意を向けられても返せなくてごめんねっておもっちゃう」


 だから必要ないんだ。

 そう言うと律歌は何かを考え込む仕草を見せていた。


 駅のホームへ上がる。タクシーを使うにも家までちょっと遠かったから、せめて東京駅まで電車で行こうということになったのだ。


 ……このときの軽い決断が、まさか律歌をお父さんお母さんと同じ目に遭わせるきっかけになるだなんて考えもしなかった。


「あの、ひさかべちゃんですか?」

「……ぁっ」


 なるべく人がいない方へ……と先頭の方に歩いていたところ、突然知らない女性から律歌に声をかけられた。


「えっ、うそ! ひさかべちゃんって、あの?」

「ひさかべちゃんってマジ!? どこどこ?」

「きゃーっ!? 本物初めて見た!」


 帰る人が多い時間だけあって、あっという間に大騒ぎになって囲まれる。

 そして大勢の視線が律歌と一緒に歩いていたわたしに向くのは自然なことであり、いくら変装をしていようと何故か一人や二人には看破されてしまうのはいつもの事だった。


 わたし一人のときもバレるとそこそこの騒ぎになるけど、今日は律歌が一緒のこともあって収集がつかない事態に発展していた。

 どうしよう。……何か起きてしまう前に律歌を守らなくては。


「ひさかべちゃんの隣にいる人ってもしかして、雨野みやびじゃない?」

「まさか……って、雰囲気違うけどほんとじゃん!」

「写真写真! みんなに自慢しちゃお」


 一日何事もなく遊んだあとの気が緩んだときに起きた想定外の事態。

 全く考えもしていなかった事態に、わたしはすっかり立ち竦んでしまった。


「雅さん、もう無理だからタクシーで行きましょう? ……雅さん?」

「ぇ、ぁ……」

「雅さん!」


 何も考えれなくなる。

 どうした、わたし。わたしは雨野みやびだ。でも今ここにいるわたしは天野雅なのだ。

 雨野みやびならこういうとき、こういうとき……。


 …………こういうとき、どうしてたんだっけ?


 *


 表情はなんともないものの、呼吸や目の動きから雅さんがパニックになっていることを察した私は、咄嗟に雅さんの手首を掴んで人混みをかき分けながら改札へ急いだ。


 どうにかしてタクシー乗り場まで辿り着いた私たちは先頭のタクシーに飛び乗る。


「六本木までお願いします」


 念のため事前に聞いていた雅さんの家の最寄りとは少し違う駅を指定する。

 万が一追いかけられても大丈夫なように。


 六本木に着くまでも、六本木についてタクシーを乗り換えた後も、家に着くまで雅さんは一言も口を開けない様子だった。


「雅さん、おうちに着きましたよ」

「……ごめんなさい」


 タクシーを降りて、エントランスの前でぽつりと雅さんらしくないトーンで謝られる。


「気にしてないです。気を抜いちゃったのは私も同じだから。それより今の雅さんの方が心配ですよ」

「わたしは……大丈夫」

「全然大丈夫なように見えないです。部屋に上がったら一旦横になりましょう」


 こくりと雅さんが頷いたことを確認してから、鍵を受け取り部屋へ向かう。

 今度は手首じゃなくて手を繋いで。


 初めて入った東京の雅さんの家は、しばらく人の気配がなかったからか寂しそうなひんやりとした空気が漂っていた。


「雅さんの部屋ってどこですか?」

「……あの右側の扉」

「もう少し頑張ってください」


 されるがままの雅さんを引っ張っていく。

 扉を開けると空の宮でチラッとだけ見えたことのある雅さんの部屋と雰囲気が似ていた。


「……そのまま横になりますか? それとも着替えます?」

「お風呂入りたいかも」

「わかりました、入れてきますね」

「ぁ……」


 自分でやる、と言い出しそうな雅さんの肩を軽く押してベッドに座らせるとお風呂場を探してウロウロする。


 幸いすぐ見つかったので軽く浴槽に水をかけてからお湯はりのボタンを押す。

 二人くらいが入れそうな石のタイルでできた広めのお風呂に徐々に水が溜まっていく。

 それを見届けて私は雅さんのもとへ戻った。


「雅さん」

「律歌……」


 そのまま黙り込んでしまう。

 ものすごく申し訳無さそうな、そして自分を責めるかのような表情をする雅さん。演技ではない、雅さん自身が見せている自然な表情。


 ……本当に雅さんって美人だなぁ。

 お肌も、髪の毛も、まつ毛も全部綺麗に整っていてすごいや。


 私は気づかれないのをいいことに暫く雅さんをじっと見つめていた。


 十分ほどして、明るいメロディと一緒にお風呂が湧いたアナウンスが聞こえてくる。


「あっ、お風呂入ったみたい。先に雅さん入ってください」

「……わかった」


 のろのろと立ち上がる雅さんを見届け、私一人になった部屋を見回す。

 改めて見てみると、なんだか随分部屋がシンプルな気がした。


「空の宮の家でもそうだったけど……。もっと女の子〜な部屋かと思ったらそうでもないんだ」


 最低限の家具と衣類、小物が整頓されてしまってある。まるでショールームの部屋をそのまま再現したかのようなレイアウトに驚いていた。


「麗ちゃんの部屋はピンク色の家具とカーペットでザ・可愛い女子みたいな統一感があったんだけど」


 きっと誰かにこの部屋の写真を雅さんの部屋だと言って見せても誰も信じてくれなさそうな、それだけ個性のない部屋。


「……二人のご両親かな?」


 机の上にあった写真立てに飾ってある写真には、幼い雅さんと麗ちゃん、そして二人を挟むように立つご両親と思わしき人が写っていた。


 ……どんな気持ちで雅さんはこの写真を見ているんだろう。

 それが気になった。

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