第4話

 三月。


 麗の卒業式が終わった翌日。この日わたしたちは空の宮市に引っ越しをすることになっていた。

 引っ越しと言っても、今住んでいる東京の家は今のまま仕事で戻ったときのために残しておくし、家具は全部新しい物を向こうで買い揃えてある。

 引っ越すギリギリまで使っていた洋服と日用品も昨日のうちに送ってあるので、後はわたし達が移るだけだ。


 新しい家も変わらず波奈さん、結唯さんと同じマンションのお隣の部屋。

 お二人の会社である天寿の本拠地・空の宮市にはあちこちに天寿資本の会社や不動産があるらしく、わたしたちが入居する駅前一等地の立派な高層マンションもその一つだ。


「雅ちゃん、麗ちゃん、ようこそ空の宮へ」


 新しい家に着いて、案内してくださっていた波奈さんに歓迎の言葉を投げかけられる。

 空の宮を訪れるのは、家具の運び込みの際に立ち会った一回だけだけど、あんまり緊張はしていなかった。

 もともとロケの度に長いホテル暮らしをしているのも関係あるのかもしれないけれど。

 麗もそこまで落ち着かない様子を見せてないのにも安心する。

 強いて言えば広すぎて二人だと持て余しそう、というより確実に過剰な間取りということだけ。


「荷解きしたらご飯にしましょう。そろそろお昼が近いから」

「わたしと結唯も手伝うよ。服は自分でやりたいだろうから、他のものを任せて」


 届いていたダンボールを開けて、四人で手分けする。

 わたしはお仕事の後に頂いたお洋服が沢山あるから取り出すのに時間がかかる。数年の間はこっちを中心に住むつもりなので、ほとんどのお洋服を持ってきているからそのはずだ。

 波奈さんと結唯さんの本邸と同じ間取りなだけあって、東京の家の三倍くらいの広さがある。

 更に大きなウォークインクローゼットも寝室ごとに完備しているときて内見したときひっくり返りそうになった。


「本当に、あんなお安い家賃で良かったんですか……?」

「いいのいいの。このフロア、同じ間取りの家が四つあるんだけど実家がセキュリティを気にして他が空き家のままなのよ。私達の会社の所有物だから、本当は無料でもよかったけど税金とかいろいろあるでしょ?」

「なるほど……それにしても、寝室が三部屋、それぞれにウォークインクローゼットとお手洗いと大きなバスタブ付きのバスルームもあって、防音のダンスルームもあるなんて」

「そうですよ! テラスにジャグジーもあるの、豪華すぎて慣れそうにないです」


 駅に隣接した再開発の土地なだけあって、マンションの敷地面積はとても広い。

 駅直結の商業施設とオフィスの上にレジデンスフロアがある、東京ではよく見かけるような建物。

 そんなマンションのペントハウス、最上階の三十二階に四軒しかないうちの一つなだけあってこの家は屋内の部分だけでなんと四百平米以上あるらしい。


 極めつけは麗が言っていたテラスとジャグジー。

 スイッチ一つで開閉する屋根を備えた屋外のジャグジーと、万が一にも落下しないようにわたし達の肩くらいまであるガラス柵で囲われた広いテラス。

 まさかこんなすごいところだなんて先月はじめて来たときまで知らなかった。


「大丈夫、空の宮で一番高い建物はこのマンションだから、ガラス柵にへばりつかない限り周りから覗かれることは無いわ。何せここは地上から百二十メートルの高さだもの」

「そういう問題じゃないんですけど……」


 呆れ声で答える麗。わたしも口には出さないものの同じ気持ちだった。


「ちなみにこのフロア以外にベランダとか開けられる窓は存在しないし、さっきも言ったとおりこのフロアにも私達しか住んでないから、恋人と露出プレイをして声を我慢できなくなったとしても心配ないわよ」

「…………」


 実際にやってみたから。と付け加えられた、どんな顔をすればいいのか分からない情報に今度こそ麗もわたしも何も言えなくなった。



 荷解きを終えて、隣のお二人の家に移動する。

 部屋に入った途端、美味しそうな匂いがするな〜と思ったら、なんとお手伝いさんが四人分のお昼ごはんを作って待ってくれていた。


「お手伝いさんもいるんですか?」

「そうよ? 実家から交代で来てもらってるの。あっ、あなたたちの部屋もお願いしましょうか。ひとりふたり変わらないから」

「「いえいえいえいえ! 大丈夫です!!」」

「そう? 遠慮しなくていいんだけど。いつでも言ってね」


 ……二日もしないうちに流石に二人だけでこの広大な家の家事やら掃除やらを全部こなす事は無理だと気づいたから、本当に恐縮しながら波奈さんたちを頼ってお手伝いさんを紹介して頂いたのはまた別のお話。


 お二人の普段の素振りや言葉遣いからきっと良いところのお嬢様なんだろうなと思っていたけれど、こう改めて実感するとわたし達がこの家に慣れるのには相当難しそうに思えた。


「「ごちそうさまでした」」


 レストランに劣らない味の美味しいご飯を頂いたあと、わたし達は来月から通うことになる星花女子学園を案内して貰うことになっていた。


 ペントハウスの住人専用のエレベーターを使って地下の駐車場まで降り(なんと駐車場も他のフロアの住人と区切られた専用の区画だった)、なんとも高級そうな車に乗って移動する。


「その、車で通学なんて目立たないですか……?」

「雅の場合、バスなんかに乗ろうもんなら大騒ぎになることが目に見えているからね。それに星花はお嬢様も多いから車で通学する生徒は珍しくないんだ」

「そ、そうなんですね」


 最初は目の前の駅から出ているバスで通学しようと考えていたけれど、いま結唯さんに言われたような理由で強く反対されたことにより結唯さんのご実家の車で送り迎えをして頂くことになったのだ。


 一般庶民の家庭だったわたしと麗は、ロケでも乗ったことのない静かで乗り心地のいい車に揺られて学校へ向かった。


 二十分もしないで敷地の門をくぐり校舎脇の車寄せに乗り付けたわたし達は、これから母校と呼ぶことになるこの学校をぐるりと見渡した。


「意外と新しいんですね。お嬢様学校っていうから、もっと歴史ある建物かと思ってました」


 近代的な五階建ての校舎に、全面ガラス張りの明るい空間が外からでも分かる図書館、後ろを向くと寮らしきマンション風の建物が四棟建っている。


「天寿の経営になってから、お金にモノを言わせて一気に建て替えたの。昔の校舎も部活棟として校庭の向こうに残ってるわ。そっちの方はきっとイメージ通りだと思う」

「広いし自然に囲まれてて、すごく心地良いですね。……東京と大違い」

「麗の学校はオフィス街の真ん中にあったからね。こっちは自然が多いのはいいけど、夏場は虫が沢山わいてきて……」

「こら、初めて来た人に悪いところ言ってどうするの結唯」

「あはは、ごめんごめん」


 笑って誤魔化す結唯さんだったけど、むしろ上っ面の綺麗な部分だけを並べられるよりよっぽど安心する。

 それは麗も同じだったようで、気になったことを早速あれこれ訪ねていた。

 でも、結唯さんはちょっと困った顔をして苦笑いで応える。


「わたしに聞かれても昔のことしか答えられないから、ちょうどいい人を案内に頼んであるんだよ。お! 噂をすれば。……おーい、久しぶり〜!」


 昇降口の方から出てきた誰かに大きく手を振る結唯さん。

 わたし達も目を向けると、そこにはとっても美人で落ち着いた雰囲気の方と、似たような顔立ちだけど元気な雰囲気の子が並んで歩いてきた。


「紹介するわね、こちらが五行姫奏ごぎょうひめかさん。ここの卒業生で、今は星花女子大の三年生」

「五行姫奏です。よろしくね?」

「こちらが五行椿姫ごぎょうつばきさん。姫奏さんの妹で、来月から雅ちゃんのクラスメイトになるわ。麗ちゃんの先輩ね」

「五行椿姫です。椿姫って呼んでね!」


 紹介された二人は、普段お仕事で会うどの女優さんにも負けず劣らない容姿の、可愛らしくて素敵な方たちだった。


「姫奏ちゃんは歴代でも一二を争う大人気の生徒会長で、生徒と教員のほとんどがファンクラブに入ってたそうよ」

「波奈さん、恥ずかしいから普通の紹介をしてください……」

「で、椿姫ちゃんは生徒会でもなんでもないんだけど、今生徒会を裏から操ってる影の会長なんて呼ばれてるわ」

「わ、私それ今初めて聞いたんですけど!」

「ふふっ、影の会長って言っても、ちょっと影響力があるだけだし、本人はこんな感じだから怖がらないであげてね? ……さて、打ち解けてきたところで次は雅ちゃんと麗ちゃんの番よ」


 本当に打ち解けてきたのかな……? という疑問は置いておいて、わたし達は軽く頭を下げて二人に向かって挨拶をする。


「はじめまして、天野雅です」

「雅の妹の、天野麗です」

「よろしくね、雅ちゃん、麗ちゃん」

「雅ちゃんと同じクラス、嬉しいなぁ! よろしくね! 麗ちゃんも何かあったら頼ってね?」


 わたしに対する二人の態度がいわゆる有名人に会ったときに向けられる視線や言葉ではなかったことに驚いた。


 雨野みやびだと名乗っていなくても、いくら今日わたしが髪型を変えて変装してきたとはいえ、波奈さんが案内を頼むくらいだから事情は聞いているはずだ。


 わたしは自分が有名人であることをやけに誇ったり自慢するつもりは一切ないけれど、自分自身の知名度と実力は正しく把握しているつもりだ。だからこの二人がわたしのことを知らない筈は無いだろうし、きっと悪い目では見られていないだろうと考えていた。


「雅と麗は二人の動じない態度に驚いてるのかな?」

「そう、ですね。否定はしないです」

「だ、そうよ?」


 とここでまさか本人に話題を振るとは思わなかったのでわたしは内心で動揺しながら五行姉妹の方を向いた。


「本当のところをいうと、びっくりしてるし会えて嬉しいと思ってるのよ? それこそ同年代で活躍している素敵な女の子だもの。気にならない人の方がいないわ」


 わたしと麗の視線に答えたのは姫奏さんの方だった。


「でも、社交界ではいちいち顔や態度に出していたら揚げ足取られてしまうから、心の中と表の態度は別に自制してるの」

「そうそう。私だって波奈さんから聞いたときすっごいびっくりしたもん。でも、きっとそういう目で見られるの嫌なんだろうなって思ったから」


 椿姫さんも続けて答えてくれる。

 これが上流階級の立ち振る舞いなのか……と畏怖すると同時にありがたかった。


「ただまあ、私達みたいな慣れてる人はいいけど、そうじゃない子も沢山……というか今の星花はお嬢様学校ではないから。盛り上がっちゃう娘がいるのは許してね? 雅ちゃんは私達の憧れでもあるから」

「うん、それくらいは慣れてるから大丈夫。……ありがとう、二人が普通に接してくれるだけでもすごい気が楽になる」


 わたしは、わたしの心の中にある対人関係リストに載った五行姉妹の名前を『警戒』から『信用できそうな人』に書きかえた。



 後は若い人たちでゆっくりと〜と言って波奈さんと結唯さんが理事長室に引っ込むと、わたし達は五行姉妹に校内を一通り案内して貰うことにした。


「今日はお休みの日なんですか?」

「お休みというか、卒業式だったんだよ。だからほとんどの在校生はお休み。部活も今日はお休み」

「OBとして可愛い後輩を見送りに私も来ていたのよ。……その流れでだし、私も進んて引き受けたことだから気を遣わないでね?」


 うっ、波奈さんといい姫奏さんといい、どうやってわたしの心を読んでくるんだろう……。

 わたしは素直にお礼の言葉を述べることにした。


「うちは中高合わせて千二百人くらいいて、寮に入ってる子もたくさんいるよ。ほら、後ろの建物。遠方に実家があったり、一人暮らしがしたかったり、出会いを求めていたりして」

「出会い……?」

「そうそう。うち、カップルがいる生徒すごく多いからね。私にもお姉ちゃんにも居るんだよ」

「へぇ〜」


 女子校って、同性しかいない気楽な環境だからなのか分からないけど、やっぱり進んでるのかなぁ……。

 わたしには関係のない話だし、そもそも麗とお仕事だけで手一杯だけど。


「それであのガラス張りの建物が見て分かる通り図書館よ。学食と、許可が降りれば生徒でも自由に使える会議室があるわ」

「学食は女子校らしく栄養とカロリーに気を遣ってるメニューが多いよ。味も文句なし!」

「すごい! ウチが通ってた中学は購買のパン屋しか無くていつもお弁当だったから楽しみです……!」

「スイーツも種類が多くておすすめよ。次は校舎の中に入りましょうか」


 先導しながら説明してくれる姫奏さんと、わたしと麗に歩調を合わせて補足を加えてくれる椿姫ちゃん。

 色眼鏡なしに見ても、仲良さそうな息ぴったりの理想的な姉妹に見えた。

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