第7話

 大人気アイドル、ひさかべちゃんを一言で表すと? というバラエティ番組の街頭インタビューで、マイクを向けられた人々は口々にこう言った。


「ひさかべちゃん? 私大ファンなんですよ! なんと言ってもあのかわいさ! 笑顔! 優しさ! 現世に舞い降りた天使ですよあの子は」


「ひさかべちゃんは中学生にして椚坂くぬぎざか108ワンオーエイトのセンターを守り抜いている、不動の人気ナンバーワンのアイドルなんだ! それなのに謙虚で努力家で、みんなに好かれてるんですよ」


「ひさかべちゃんー!! 大好きだよぉおおぉぉ……!!」


 十人に聞けば二十人から彼女の魅力や好意的なエピソードが返ってくるくらい大人気で、アイドルに詳しくない人でも一度は歌声と名前を聞いたことがあるという国民的な知名度を持つトップアイドルである。


 そんな彼女に対するイメージは、きっと彼女の人柄に惹かれて集まった個性豊かな華やかで楽しそうな友人と充実した日常や学校生活を送っているんだろうな……と思われがちだが、実際は誰も想像もしないような姿で学校に通っていた。


 姫咲部律歌ひさかべりつかは四月から星花女子学園高等部に進学した一年生だ。

 中二の冬に星花の中等部に転入したが、転校前に自分が『ひさかべちゃん』であることがきっかけでいじめられたトラウマがあり、学校では自分が何者であるか徹底的に隠していた。


「ねえ律歌ちゃん、律歌ちゃんは昨日の噂の美人って誰だと思う?」

「うーん、全然想像もつかないかな」

「やっぱりそうだよねぇ〜」


 近くにいた子から振られたほんの一言二言の会話だけしてすぐに下を向く。クラスメートもそれを気に留めることなく元のグループの会話に戻った。


 なるべくクラスメートとの交流を避けている彼女は、キラキラとしたアイドル姿からは想像もできないグルグル眼鏡に三つ編みお下げの地味で印象に残らない少女に変装している。


「また明日ね」

「うん、さよなら」

「ばいばい律歌ちゃん」


 普段から必要最低限の会話しかせず、徹底的に地味子を演じてきた彼女は居心地の悪い教室を抜け出し、さっさと歌とダンスのレッスンを受けに行こうと早足で廊下を歩く。

 途中、今日も例に漏れず毎日のように屋上から聴こえてきた力強くも綺麗な歌声に羨ましさを感じながら。


「百合葉ちゃん、いいなぁ……」


 歌声の主、美滝百合葉みたきゆりはは歌も踊りも演技もできる、現役高校生にして子役時代から数えれば十年に迫るキャリアを持つトップアイドルだ。

 アイドルとしては律歌も実力は負けない自信がある。

 でも、青春という面では律歌が圧倒的に敗者だった。


「私もいつか、あんなふうに……」


 友達ができたらいいなぁ。という一体何度目になるか分からない言葉は飲み込んだ。


 *


 四月に入り、高等部の入学式が来週に迫ったある日。埼玉のアリーナで春休み公演を昨日終えた私は、自分へのご褒美に公演後毎回訪れるお気に入りのカフェへやってきていた。


 学校以外で外出するときには地味子スタイルではなく軽い変装で済ませるのだけど、この日は公演と被って欠席した投稿日に配られた書類を受け取るためにやむなくぐるぐる眼鏡をかけて来ていた。


「マスター、いつもの」

「かしこまりました」


 親戚が営む、カウンター数席しかないこじんまりとした隠れ家風カフェのマスターは、私が持つのっぴきならない事情を理解してくれている数少ない人物の一人。

 このカフェにやって来てオリジナルのブレンドコーヒーを飲みながら一人反省会をすることが私のライブ後の一種のルーティーンになっている。


 いつも私以外にお客さんがいなくて主に経営的な面で心配になってしまうけど、むしろ誰もいないのは有り難かった。


「こんにちは〜」

「いらっしゃいませ」


 コーヒーを一口飲んでカップを置いた直後、私にとっては自分以外のお客さんを初めて目撃することとなった。


「あれ、あなたも星花の生徒なの?」

「え、あ……うん」


 驚いたのはその客が自分と同じ星花女子の制服を身に纏っていたから。

 まさか住宅地真っ只中の裏路地の行き止まりに存在するこのお店を知っている生徒がいるとは思わなかったし、まさか親しげに話しかけてくるとはもっと考えなかったので、咄嗟に返事をすることしか出来なかった。


「ウチ、天野麗っていうんだ。今年から一年生。東京から引っ越してきたんだ! あなたは?」

「私は姫咲部律歌、です。同じく一年生になる……なります」

「あはは、律歌ちゃんって呼んでもいい? 同じ学校の同じ学年なんだから軽い感じで話そ?」

「う、うん……」


 どうやら私が『ひさかべちゃん』であることは気づかれていないみたいだった。

 それはそうだ。見た目も雰囲気も違うし、地味子の時には声も若干低めを心がけていから。


「このカフェ、すっごいいい雰囲気だよね〜。ウチ空の宮に引っ越してきたばかりでさ、街を歩き回ってたらこの前偶然ここを見つけてね。それからよく来てるんだ。律歌ちゃんは?」

「私、マスターの親戚で……お店もコーヒーも好きだからよく来るの」

「そうなんだ。羨ましいな〜! ウチコーヒーまだ苦手でさ、紅茶しか飲めないからコーヒー飲めるの憧れるんだ。律歌ちゃん大人だね」


 私の見た目や雰囲気によらず、フレンドリーに接してくれる麗ちゃん。

 学校ではあまり喋らない子の演技をしているけど、麗ちゃんとは初対面かつお気に入りのカフェという精神的に落ち着く空間にいたこともあってかついつい楽しくお喋りをしてしまっていた。

 東京からきてまだ学校での私を知らないっていうのと、学校の子と趣味の話だとか好きなことを話したのは久々で、嬉しかったこともあるのかも。


「律歌ちゃんはどうして東京から星花に?」

「私の姉に付いてきたの。一つ上なんだけどね、お仕事続きで精神的に大変だったところを知り合いに勧められたんだ」

「お姉さんがいたんだ! お仕事ってことは、モデルとかアイドルとか?」


 麗ちゃんはそれはもう椚坂にいてもおかしくないくらいの美少女で、どこかで知ってるような気がする顔立ちをしている。

 もしかしたらお姉さんは私も知っている人かもしれない。そう思って軽く探りを入れてみた。


「ううん、女優さん。多分律歌ちゃんも知ってるはずだよ。確か結構前に律歌ちゃんとどこかのテレビで共演したことあったんじゃないかな」

「えっ……。きょ、共演って、どういうこと?」


 私も知っているくらい有名、という部分にも驚いたが、『私』と共演したことがあると言われた事に気がついて狼狽を隠せなかった。

 私がひさかべちゃんってことらバレてた!? と思い反射的に誤魔化そうとした。


「あれっ、律歌ちゃんって椚坂の律歌ちゃんでしょう? ごめんね、ウチの勘違いだったかな」


 でも、確かな確信を持って言っているらしいと言うことが言葉から伝わってきた。

 なんで!? と思うと同時に、喉元からぞわぞわとした恐怖から来る気持ち悪さがせり上がってきた。

 トラウマが刺激される。思い出したくない、中学生のころの記憶。


 ガタッ! と大きな音に驚いて我に返る。ハッとして周りを見渡すと今の音は私が席を急に立ったせいで後ろに倒れた椅子がたてたものだった。


「えっと、あの……その……。ごめんなさい! ちょっと用事を思い出したから私もう行くね!」


 私は何も考えられなくなって、倒した椅子を直すことも忘れてカウンターに千円札を置くと麗ちゃんの前から逃げるように早足でカフェを後にした。


 *


「やっちゃった……」


 カフェを飛び出し、偶然近くを通りかかったタクシーに飛び乗ってやっと私は落ち着きを取り戻した。


「せっかく友達になれそうだったのに……」


 頭を抱えてうずくまる。

 そもそも逃げる必要なんて無かったじゃない。私がひさかべちゃんだと知っていたにも関わらず普通に接してくれていた。

 お姉さんが女優だから慣れているのかは分からないけど、はじめてこの学校で友達になれそうな子だった。


「今度ちゃんと謝らないとな。いや、今度じゃだめだ。すぐ! は無理だけど明日学校で……って、春休みだし麗ちゃん高入生だから入学式までいないのか……」


 おうちに伺うしかないか。電話で大切なことを言うのは好きじゃないから。

 そう覚悟を決めてスマホのロックを解除した。……ところで気づいてしまった。


「麗ちゃんの連絡先聞いてないじゃん……」


 久々のお喋りに夢中になるあまり、友達になる第一歩の連絡先交換をしていなかった。

 私は早くも心が折れそうになっていた。

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