第275話

 騎士の姿を視認した先遣隊のガリア兵たちは、すぐに進軍の足を止めた。


「どうなっている!? 何故ここに騎士が――」


 そのうちの一人が驚きに声を上げた瞬間、頭が弾け飛んだ。一人だけではない。最初に頭部を失った兵士を中心に、半径一キロ以内にいたガリア兵たちが、五秒とせずに同じ姿になった。その数、百人以上。

 その全員が、ⅩⅠ番ヴィンセント・モリスによって狙撃された結果だった。


 ただの人間であるガリア兵たちは誰一人としてそのことを理解できず、眼前に起きた現象に顔を青ざめさせるだけだった。


「総員、撤退! 拠点まで下がるぞ!」


 それに喝を入れるように、先遣隊の隊長が声を張り上げた。生き残りのガリア兵たちは、牧羊犬に追いかけられる羊のようにして、軍用車に向かって駆け出した。


 その後方から、騎士たちが生物を超越した速さで迫ってくる。


「き、騎士が来ました!」

「かまうな! さっさと車に乗れ!」


 隊長の指示通り、ガリア兵たちは続々と軍用車に乗り込んだ。死霊に追われるかの如く、その全員が焦燥と恐怖に顔を歪めている。

 しかし意外にも、騎士たちは始めから眼中になかったかのように、彼らを無視して素通りした。


 軍用車に乗り込んだガリア兵たちは呆然とし、そのあとすぐに安堵の息を吐く。


 次の瞬間、ガリア兵を乗せたすべての軍用車が爆発した。







 Ⅹ番ネヴィル・ターナーは、遠くに見える複数の黒煙を確認し、両手を下ろした。黒煙の下では、今しがた彼が魔術で爆破した軍用車が、丸焦げになったガリア兵たちを乗せたまま炎上している。


「先遣隊の軍用車、すべて破壊しました。兵士は残り二百人ほど。これから処理します」

「所要時間は?」


 Ⅰ番ユーグ・ド・リドフォールが質問をして間もなく、平野のいたるところに、まったく同じタイミングで地雷のような爆発が幾つも起きた。爆発の数は二百ほど。土や草の破片に混じり、兵士たちの血肉が宙に舞っていた。


「今終わりました」

「本気を出せばさすがに仕事が早いな、Ⅹ番ネヴィル卿」


 Ⅰ番の賞賛に、Ⅹ番は小さく会釈をして応じた。

 次に、Ⅳ番ヴァルター・ハインケルが口を開く。


「予定通り、Ⅲ番リリアン、Ⅴ番レティシア、Ⅵ番セドリック、Ⅶ番アルバート、Ⅷ番リカルド、Ⅸ番ハンス、ⅩⅠ番ヴィンセント、ⅩⅡ番メイリン、ⅩⅢ番シオン、以上九名がガリア軍の前線拠点に向かった」

「拠点までの距離は?」

「五十キロほどだ」

「彼らの足なら拠点到達まで一時間もかからないだろう。“帰天”を使える三人なら十五分だな」


 Ⅰ番の見解に、Ⅳ番は頷いた。


「私もこれから空中戦艦で、さらに後方に控える司令部に向かう。同行者は副総長Ⅱ番イグナーツだ」


 Ⅳ番が踵を返すと、空から空中戦艦のドローンが一隻舞い降りた。それに、Ⅳ番と、Ⅱ番イグナーツ・フォン・マンシュタインが乗り込む。

 二人が乗ったドローンの扉が閉じられる間際、


「国境には私とⅩ番ネヴィル卿が残ろう。司令部の制圧を頼む。公都の方も、十字軍が向かったはずだ」


 Ⅰ番がそう言って、飛び立つドローンを見送った。







「先遣隊との連絡が取れなくなりました」


 司令部と国境の中間地点に位置する場所に、ガリア軍の侵攻拠点がある。

 通信機器を備えた簡易テントの中は、先の通信兵の報告を契機に、不穏な空気に包まれた。


 拠点責任者である指揮官が、冷や汗を額に浮かべる。


「もしかすると、先遣隊はすでに全滅している可能性がある」


 振るえる声で発した指揮官の言葉に、テントの中がざわついた。


「そんな馬鹿な! 先遣隊とはいえ、国境に送ったのは千人以上で構成した連隊ですよ!」


 テント内にいたガリア兵たちが、そうだそうだと、揃って声を上げる。

 しかし、指揮官の目は彼らに一切向けられていなかった。


「とにかく、ここの拠点を早々に引き払うぞ。一度、司令部まで戻って――」


 指揮官が命令を出そうと瞬間、強烈な衝撃波がテントを捲り上げた。中にいたガリア兵は全員、指揮官も含め、地面の上を激しく転がる。


 指揮官たちが呻きながら起き上がると、周囲は土煙に塗れていた。

 そこへ、


「敵襲! 敵――」


 若いガリア兵の声が響いたが、それもまた衝撃波と轟音によってかき消された。

 強烈な風圧でガリア兵たちの視界を覆っていた土煙も同時に払われ、それによって前線拠点の状態が露になる。


 そして、ガリア兵たちは戦慄した。


 目の前では、無数のハルバードが驟雨の如く降り注ぎ、ガリア兵たちを叩き潰していた。その隙間を縫うのは鎌鼬のような銀閃で、それは兵士たちの体を紙切れの如く細断していく。

 Ⅸ番ハンス・ノーディン、Ⅷ番リカルド・カリオン、この二人による攻撃により、前線拠点の至るところから絶叫と悲鳴が起った。


「ま、魔物と強化人間を出せ! 戦車隊もだ! 早く!」


 その喧騒に負けじと指揮官が命令を出すが、いつまで経っても部下からの反応がない。


「どうした!? 何をもたついている!?」


 そして、目を見開いた。


「まさか、もう……?」


 Ⅴ番レティシア・ヴィリエ、Ⅵ番セドリック・ウォーカー、ⅩⅠ番ヴィンセント・モリス、ⅩⅡ番メイリン・レイが、すでに数多の魔物と強化人間、それと戦車を含めた大型兵器を蹂躙、破壊していた。その有様は、まさに象が蟻を踏み潰すかのようだった。


 騎士たちの圧倒的な戦闘力を前に、指揮官は過呼吸寸前の状態に陥った。しかし、それでも有りっ丈の胆力を以てして――今度は、軍用車に積まれた巨大な棺のような装置に向かって駆け出した。


「ネフィリムだ! こいつさえあれば!」


 指揮官は、震える手で装置のロックを解除した。最後に大型のレバーを勢いよく下ろすと、装置の前面が轟音を立てながら開いた。

 装置の中には三体のネフィリムが収められており、先の解錠に呼応して間もなく覚醒した。


 三体のネフィリムはそれぞれ別の三方向に飛翔し――直後、叩き落とされた。“帰天”を発動させ、“天使化”した三人の騎士によって、空に発つことを阻止されたのだ。


 Ⅲ番リリアン・ウォルコットは、光の魔術でネフィリムの体組織を焼き潰し、壊死させることでそれを瞬く間に屠った。

 Ⅶ番アルバート・クラウスは、ネフィリムの再生速度よりも速い猛攻を加えつつ、ついには再生不可能なほどにそれの身体を細切れにした。

 ⅩⅢ番シオン・クルスは、“悪魔の烙印”による赤黒い光を纏った斬撃で、ネフィリムを再生させることなく斬り伏せた。


 そして、静寂が訪れる。


「……あ、悪魔――」


 指揮官の最後の言葉は、彼の頭上から降り注いだハルバードの雨によって阻まれた。







「先遣隊、前線拠点、ともに連絡が途絶えました……」


 ガリア軍司令部の特設テントにて、通信機を前にした兵士が呆然と呟いた。

 その隣にいた将軍が、諦めたように目を伏せる。


「……全軍に通達。本作戦を、私の独断で放棄する」


 将軍が言って、後ろに控えていた佐官が驚きに顔を歪めた。


「将軍! ガリア大公の意向を無視してしまっては、貴方が軍法会議で裁かれますよ!?」

「かまわない。どうやら、我々ガリアは教会に嵌められたらしい……」

「は、嵌められた?」

「おそらく、教皇庁はこの侵攻を認めていなかったのだ。あまつさえ、こちらの侵犯行為を理由に、騎士団を投入して粛清を試みているのだろう」

「そ、そんな!」


 狼狽する佐官を押しのけ、将軍はテントの外に向かって歩き出した。


「とにかく急げ! 騎士たちの強さは規格外だ! まして、あの議席持ち全員がここに向かっているとなっては――」


 刹那、大地が激しく揺れ動いた。文字通りの地震だ。


「将軍!」


 不意に、今度は兵士の一人がテントに駆け込んできた。その顔は、まるで地獄を目の当たりにしたかのように、ほぼ正気を失っている。


 それを見た将軍はテントの外に飛び出した。


 そして、目の前の光景に絶望する。


 地震の正体は、高さ百メートルは超えるであろう“岩石の巨人”だった。巨人は、逃げ惑うガリア兵や魔物を、子供が虫を踏み潰すようにして大地を鳴らしていた。

 ガリア軍を襲っているのは巨人だけではない。炎を纏う大型のトカゲがあらゆるものを焼き払い、美しい人魚を模った水が平野に津波を引き起こし、可憐な蝶が空気中の酸素を奪った。

 土の精霊ノーム、火の精霊サラマンダー、水の精霊ウンディーネ、風の精霊シルフ――Ⅱ番イグナーツ・フォン・マンシュタインの魔術によって造られた彼の眷属たちが、ガリア兵を悉く屍に変えていたのだ。


 眼前に広がるは地獄――将軍は脱力して地に両膝をつき、救いを求めるかの如く、空を見上げた。


 そして、それに応じるかの如く、“天使”が現れた。


 漆黒の船体――Ⅳ番ヴァルター・ハインケルが駆る旧式の空中戦艦が、司令部上空を覆った。船底に備えられた無数の砲台が、地上を捉える。


「神よ……」


 将軍は軍帽を胸に押さえながら、狂気の笑みを携えながら救いを求めた。


 転瞬、“天使”から放たれた光により、地上は焼き払われた。







 ガリア公国の公都――その中央部分にある官邸にて、ガリア大公の執務室の扉が勢いよく開かれた。


「ガリア大公!」


 駆け込んできたのはガリア大公の秘書だった。しかしその顔は、死神にでも追われているかのように青ざめている。


 それもそのはず。数時間前にログレスに向けて侵攻を開始したガリア軍が全滅したとの連絡を受けたためだ。

 そして、それはたった今、ガリア大公にも報告された。


「……は?」


 ガリア大公は、目を点にして呆然とした。


「も、もう一度申し上げます。ログレス王国侵攻に赴いた我が軍が壊滅いたしました。生存者は……いないようです」


 秘書が震える声で言った。

 直後、ガリア大公は机を叩いて立ち上がる。


「ふ、ふざけるな! 全軍の三分の一の戦力を投入したんだぞ! あのログレスにそれを迎え撃つ戦力などあるはずが!」

「我が軍を迎え撃ったのは騎士であるとの情報が、司令部との通信記録から……」


 ガリア大公は憤怒と焦りに顔を歪め、卓上の電話を手に取った。

 繋いだ先は、教皇庁――アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタインだ。


「猊下! 聞こえておいでですか! 猊下! わしです! ガリア大公カミーユ・グラスです!」


 ガリア大公が捲し立てるように声を張り上げるが、受話器の先から返事はなかった。


「どういうことだ! 何故、騎士がログレスの防衛に加担している! 話が違うではないか!」

『話とは?』


 教皇から最初に帰ってきた言葉は、それだけだった。

 ガリア大公の額に、さらなる青筋が浮かび上がる。


「とぼけるな! ログレスの国民全員を返還する代わりに、ガリア軍によるログレスへの武力侵攻を黙認すると約束したではないか!」

『そんな約束、取り付けた覚えは一切ない。私はただ、ガリアが連れ去ったログレスの国民を返してやれとしか言っていない』

「その条件を呑む代わりに、ログレスへの武力侵攻を認めろと言ったではないか!」

『言っていたな。だが、私はそれを認めた覚えも、許した覚えもない。お前が勝手に先走っただけだ』


 淡々とした教皇からの回答に、ガリア大公は続ける言葉を失う。

 そうしている間に、


『用件がそれだけならこれで失礼する』

「ま、待っ――」


 教皇から一方的に通話が切られた。

 そして、


「残念でしたね、ガリア大公」


 執務室の窓際にあるソファに、何者かがいつの間にか腰を掛けていた。さらには秘書の姿も見当たらず――今この場にいるのは、


「ぱ、パーシヴァル……!」


 聖王教会の枢機卿の一人、パーシヴァル・リスティスと、ガリア大公だけになった。


「これはいったい、どういうことだ! 説明しろ!」

「どうもこうも、さっき猊下が言っていたでしょ。貴方がただ勘違いしただけだって」


 パーシヴァルが肩を竦めると、ガリア大公は卓上のあらゆる物を両腕で薙ぎ払った。


「若造が! 枢機卿だか何だか知らんが、わしを嵌めてただで済むと思うなよ!」


 だが、パーシヴァルは意に介した様子もなく、窓の外を見遣る。


「今日もいい天気ですね。ほら、見てくださいよ。こんなに素晴らしい青空を見たら、些細な事なんてどうでもよくなりませんか?」

「貴様ら! 何が目的でこんなことをしている! ガリアと教会が大陸を統一することに賛同していたのではないのか! 大陸同盟が締結され、“帝国”とセリカの脅威を防げると! それで真の平和が手に入ると!」

「僕は聞いたことがないです」

「アアアアアアッ!」


 まるで会話が成立しないことに、ついにガリア大公は奇声を上げながら机を何度も叩いた。


「そんなことより、大事なお知らせです」


 それに水を差すように、パーシヴァルが言った。


「ガリアはログレスに対し、今まで随分と酷いことしてきましたよね。ちなみに今回の武力侵攻、もう大陸諸国のあらゆるメディアで続々と報道されています。そうなってしまっては、教会も貴方たちの侵略を認めることができません。そのため、アーノエル六世教皇猊下は、騎士団と十字軍を投入してのガリア公国への粛清を決定いたしました――ていうか、もうやってるんですけどね」


 その言葉が合図であったかのように、外の大気が震えた。


「そういうわけでして、猊下から言伝です」


 パーシヴァルが話すのを無視して、ガリア大公は慌てて窓から外を見た。

 すると、そこには九隻の空中戦艦が、公都を取り囲むように、円状に展開されていた。


「“神は天に知ろしめす。すべて世は事も無し”」


 そして、 “セラフィム”、“ケルビム”、“スローネ”、“ドミニオン”、“ヴァーチュ”、“エクスシア”、“プリンシパリティ”、“アーク”、“エンジェル”――すべての空中戦艦が、公都に向かって光の柱を立てた。それぞれの船底から放たれたそれは瞬く間に地上を焼き払い、徐々に角度を垂直から、ガリア大公のいる官邸に向かって水平に寄せていく。


 それを見たガリア大公が――体中からあらゆる体液を漏らしながら、床に両膝を付いた。


「ご慈悲を……どうか……ご慈悲を……!」


 その願いもむなしく、官邸は九つの光の柱によって焼失した。







「ガリア公国公都の粛清完了。ガリア大公も綺麗に蒸発したよ」


 教皇の執務室にて、パーシヴァルがそう報告した。

 執務室には、聖王教会教皇アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタインの他、ランスロット・マリス、トリスタン・ブレーズ、パーシヴァル・リスティス、ガラハッド・ペリノアの四人がいる。


 パーシヴァルの報告を受けても無反応なガイウスを見て、ランスロットが首を傾げた。


「猊下?」


 それから少し遅れて――ガイウスは、悪戯が成功した子供のような笑みを四人に見せた。


「ゴミ掃除は、気分がいいな」

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辺獄の黒騎士 シベハス @monochromehusky

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