散り菊

「ママー! 火つけてー!」

「はいはい。ちょっと待ってね」

「はやくー!」


 自宅の庭先で、手持ち花火がいっぱいに入った大袋を両手で抱えた琢磨たくまが、まだかまだかと目を輝かせる。幼稚園から帰ってきて、ずっと楽しみにしていたようだ。

 私は使い捨てライターで火をつけた蝋燭を倒れないように石で固定した。


「あれ、そういえばパパは?」

「でんわしてたよ! すぐ行くって!」

 

 何だろう、仕事だろうか。

 まあ何にせよ彼が「すぐ行く」と言ったのなら、すぐに来てくれるだろう。


「じゃあ先に始めちゃおうか」

「やったー!」


 ばりばりと琢磨は乱暴に袋を破って花火を取り出す。そして長い一本を握り締めて、蝋燭の火に近付けた。


「おお、すごい! きれい!」

「綺麗だね~」

「こっちはみどり! すごいすごい!」


 琢磨は興奮しながら次々と花火に火をつけた。爆ぜる光を一身に受けて、多色に彩られた息子は笑みを零す。

 花火が半分ほど減った頃、背後に人の気配を感じた。


「あ、パパだ!」


 琢磨は声を弾ませて私の後ろを見る。 


「ごめん。お待たせ」

「仕事は大丈夫?」

「うん、大丈夫。ちょっとトラブルがあったけど、スケジュール調整できたから」


 夫は琢磨の頭を撫でながら「おー綺麗だな」と柔らかく笑った。


「花火ってほんと風情があるよねえ」

「だよね。幸せな夏の思い出、って感じ」

「わかるわかる。僕も子供の頃、家族でやったなあ」


 彼は昔を思い出すように目を細めて「幸せだ」と言った。私も「そうだね」と返す。

 不意に、琢磨が私の袖を引っ張った。


「ねえママ」

「どしたの琢磨?」

「この花火ちっちゃい」


 琢磨は自分の持っている線香花火を見ながら言った。


「うん、こういうものだからね」

「おもしろくないなあ」


 琢磨は物足りなさそうに口を尖らせる。

 まあ子供には情緒とか難しいよなあ、と私は心の中で頷く。

 それなら、と琢磨を見た。


「ねえ琢磨。ママがいいこと教えてあげようか」

「え、なになに!?」


 琢磨は父親譲りの大きな丸い瞳を輝かせて私を見る。

 その笑顔は似ても似つかないはずなのに。

 忘れたはずの〝彼〟の笑顔が、一瞬だけ頭の隅で煌めいた。

 

 いつからだろう。

 この思い出に痛みが伴うようになったのは。


 幸せすぎた思い出はまるで呪いだな、と苦笑する。

 今の私はもう十分幸せなのに、あの時の輝きをまだ忘れられないなんて。

 


 あの閃光に目が眩んで、今の幸せが霞んで見えるなんて馬鹿らしい。



「線香花火って、繋がるんだよ」

「え、ほんと!」


 私は満面の笑みを見せる息子に花火を手渡しながら。

 今年もまた、小さな胸の痛みと共に、壊れた宝石箱の蓋を閉める。



(了)


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閃光花火 池田春哉 @ikedaharukana

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