第2話

 酔いと酸欠で途中に意識を手放した磐田の望みは叶えられなかった。

 翌朝、再び朝日を目にする時、彼は何を思うだろう。

 しかし、ここ数年間安息を得られなかった彼が、今夜一番安らかな眠りにつけたことだけは確かだ。

 死の淵に落ちるような、深い眠り。

 至福に包まれた磐田は気づかない。

 壁を隔ててかすかに聞こえる隣家の絶叫。耳をつんざく救急車のサイレンの音。あわただしく響く足音。

 磐田はただ酒のように馥郁たる眠りを貪り続けた。




********************************




 早朝。ファーストフード店の店内の一角。

 昨夜の急患、もう大変だったよ。

 一杯のコーヒーを前に、看護師らしき女性は向かい合って座っている友人に愚痴る。

「私もネットで見た!パトカーが止まってる写真、昼頃にはニュースになってたりして……」

 相槌を打つ友人はふと声のトーンを下げる。

「実際はどうなの?急患の女の子の左腕、バッサリ斬り落とされたんだよね。別れ話がこじれて、彼氏が逆上したんじゃないの」

 警察もその線で捜査してるみたいだけど、と女性は同じく声を低くし、自分で自分の左腕を切り落としたらしいよ、と補足した。

 運ばれてきた時は血まみれで、「なんか憑いてるの、お願い落として」ってすごい形相で叫んでて。

 付き添いの彼氏が言うに、何でも夜な夜な左手だけ金縛り状態に遭い、目に見えない者が手をさすったり撫でまわしたりしてるそうで、すっかり参ってたとさ。

 手を弄ぶ力がいよいよ狂暴になって、女の子が恐怖のあまり包丁で自ら動けない左手を切り落としたんだって。

「何それ、信じられない~」

 もちろん真剣に取り合う人なんていないよ。彼氏の男も、よくこんなバカげた嘘が付けるわね。多分あの子、何からの精神疾患を抱えてて、そこを付け込まれたんじゃない。

 人って恐ろしいね、と締めくくり、しばらく二人とも口をつぐんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜を這う手 白木奏 @Shiraki_Kanade

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ