遡っていくか順を追っていくかで悩んできましたが、設定を固めていくほど人物たちが結果ありきで行動してくれなくなり、無理やりの予定調和も嫌なので、予定していた結末はなしにして、頭から彼たちの行動を見守ることにしました。
てなわけで、順を追ってお話を入れ替えることにしました。
そしたら子供と声の主の気まぐれ会話もそれに応じて時代や背景、人物関係の紹介に書き換える必要性が出てくるわ出てくるわで、ひたすら見直す日々が続いています。
十話まで大体固めて(巫女の話は年代的に後ろに持っていきたかったけど、最初に書き上げた愛着が……ねえ……)、
三十話までの間に堕神の乱にまつわるの話を追加しつつ、
来る二回目の戦乱――神血統合の災――に向けての伏線を張っている最中です。
……粛清の英雄のお姉さま、死んでほしくなかった。
個人的すごく好きな子なんです。強くて凛々しくてまっすぐで、兄弟セットで愛でていたかったけど、龍神の力の継承の設定がある以上、死以外の選択はありませんでした。
自分を納得させるために、最近は政治や農業、生物学に関する専門書もかじりだして、それはそれでいろいろな発見がありました。むしろ読むのに夢中で書くことがおろそかになるくらいに……
史実というのは、創作物以上にドラマチックでえげつないです。
毒たっぷりで病みつきになるが、読みすぎて「やっぱ人類は駄目な生き物かもしれない」という悲観にかられてしまいます。
でも最近読んだ『星を継ぐもの』のシリーズに大変励まされました。
ミステリーとも読めるかのSFシリーズの著者は、こう語りました。
「人間の理性は常に昨日よりは今日、今日よりは明日を良くしようとする。それが人類の歴史であり、ここへ来てその方向が変わるはずがない(『内なる宇宙上・序』創元SF文庫より)」
本当に打ち震えました。
無知で消極的な一部の人間の厭世論に打ち勝つ力も、たしかにこのシリーズを通して強く脈打っています。
私は元から悲観的な人間で、ただ中途半端に悲観的であるためにあっさり投げ出すこともできず、無意味と知りながら悪あがきもする質です。『星を継ぐもの』を読んで、その中途半端な気持ちがあながち悪いものでもないかもしれないと、慰められた気持ちにもなりました。
『龍吟連歌』の歌は、挽歌のつもりで始めました。
抗いがたいものにぶつかり、儚く消えていく命を弔うだけのつもりでした。
でもそれは無駄だとあざ笑っていいものでしょうか。哀れだと嘆いていいものでしょうか。
それは私の傲慢なのではないかと、今はそれを恥じるばかりです。
その歌が賛歌になりますように。
生きようとする信念がどこかでつながり、散って行ったかけらがやがて合わさり、より良き未来が開けるように、祈りながら、彼らを最後まで見守りたいと切に願っています。