19. アルテミス女学院
土曜日の午前十一時、まだ5月だと言うのに初夏のような日差しが頭上のイチョウの葉越しに漏れてくる。
単語帳をめくっていた澄人は、不意に大きなため息をついた。急に数日前の記憶に襲われたからだ。
「女子校ですよ!? 僕が入れるわけないでしょう!」
「問題ない。髭が全く目立たないし、女子中学生の制服きても違和感がない。ノートに記載した通り、被害者は中等部なんだ。生徒のふりをして聞き込んできてくれ」
にべもなく答えた深影に、澄人は酸欠の金魚の如く口を開いた。想像を超えすぎた提案に頭が真っ白になり、言葉がすぐに出て来ない。
「み、深影さんが一人で行けばいいじゃないですか」
掠れた声を絞り出す。
「確かに私が一人で潜入するだけなら造作もない。太田留実の現場を見ただろう。羽根を持つ人間に対し、私は気配を消すことができる。こちらから声をかけるか、お前のような人間が私に気付くかしない限り、相手側は私を認識できない。だからアルテミス女学院に潜入することはできるが、問題はその先だ。聞き込みをするとなれば、私の容姿で中等部の生徒のふりをするのは違和感があるし、高等部の制服で中等部の聞き込みをしていたら悪目立ちするだろう。そこで澄人の協力が必要なんだ」
「できませんよ! バレたら犯罪者ですよ!? 不法侵入どころか性犯罪の方の!」
澄人は紙袋と制服を深影に突き返す。
羞恥で頭に血が昇る。毛の話は澄人のタブーだった。髭だけでなく、すね毛も腕毛も細くて薄い。体育の授業でハーフパンツを履くと、剃ってるだろと揶揄われることがある。毛生え薬を手脚に塗ってみようかと真剣に考えたこともある。つまりコンプレックスなのだ。それをジロジロ眺められた挙句、女装しろ、だ。
「絶対に、嫌です」
歯の間から絞り出すように念を押した。
「では、代案を考えろ。私たちの正体を知っても生かしているのは協力すると約束したからだぞ」
澄人の反発が予想以上だったのか、深影は紙袋を押し付けられて心外そうだ。
「……僕の知り合いにアルテミスの女学院の生徒がいます。彼女に協力してもらいます」
「論外だな。今回の件は他言無用だ」
「わかってますよ。彼女には招待してもらうだけです。来週、アル女でバザーがあるそうです。一般客は招待制で参加できるそうなので、僕がそこで調査をしてきます。それで良いですよね?」
「まあ良いだろう。ではアルテミス女学院で死亡した生徒の詳細を探れ。特に死亡時の状況と、事故死した教師との関係を明らかにするんだ」
そんなわけでなんとか話が収まって、今現在、澄人はアルテミス女学院の校門前で柚花が迎えに来るのを待っている。
「……にも関わらず」
澄人が目を落としている手元の単語帳にdespiteと記載がある。にも関わらず、が訳だ。
そう、女装をせずに済んだにも関わらず、気が重いことこの上ない。
ここでの聞き込みを無事終えたとしても、さらなる問題が残っているのだ。
顔を上げれば、周囲には同じように生徒の迎えを待つ父兄や同年代の子供たちがたむろしていた。
とはいえ通行の邪魔にはならない。アルテミス女学院の正門は通りから一本奥まった場所、車が一台通れる程度のイチョウ並木の私道の先にある。正門も普通の学校のものとは違い、古めかしい白い石造りのアーチに日本の城門をイメージさせる瓦が載った、西洋建築と和式装飾が一体化した耽美な作りだ。明治時代にヨーロッパの著名な建築家が設計したものらしい。
スマホを持っていない澄人は、柚花と連絡を取るために礼二郎を使った。マリアも柚花に誘われていたが、マリアはどうやら澄人を毛嫌いしている。柚花への連絡を頼んでも橋渡しをしてくれないだろう。そこで、柚花の連絡先を知っている礼二郎に、バザーに参加させて欲しいと伝えてくれと頼んだのだ。アルテミス女学院のバザーの話をすると、予想通り礼二郎は一緒に行きたがったが、招待枠四人のうち二枠は柚花の両親——当然だ——で、残りの二枠のうち一枠はマリアに決まっていた。なので礼二郎を連れて行くことはできなかった。
だから礼二郎に連絡を取ってもらうために、澄人は報酬を提示した。柚花に約束を取り付けてくれたら、八坂深影を紹介すると——
はあっ、と再びため息をつく。
「ちょっと!」
イラついた声が澄人の思考を遮る。
声の方に顔を向けると、マリアが目の前で仁王立ちしていた。休日なので、白いワンピースを着ている。暑いとはいえまだ五月なのにノースリーブで、今から海にでもいけそうな出で立ちだ。
アルテミス女学院のバザーに参加するには招待した生徒の案内が必須だ。そこで、澄人とマリアは校門前で柚花を待っているところだった。
マリアは口を開けば嫌味が出てくるので、澄人は黙って英語の勉強に当てることにしていた。
「あんたさっきからなんなの? バザーに来たいってわざわざ柚花に連絡寄越しておいて、ため息つきまくってさ。嫌なら何で来たのよ!」
「別に来るのが嫌だったわけじゃないよ。ちょっと嫌なことを思い出しただけで」
「そんなの読みながらため息ついてたら、私といるのが退屈みたいに見えるじゃない。ほんっと失礼なんだから」
ちらりと手元に目を落とし、単語帳を閉じる。最後にdisgustingの単語が目を掠った。
「最悪」
「はあ!?」
「あ、それより猪瀬はこの学校の事故のこと聞いたことある? 三月に中等部の生徒が亡くなったって話なんだけど……ほら、猪瀬は情報通だろ」
話が不穏になる前に無理やり話を変えると、面食らったようにマリアが濃くカールした睫毛で瞬きし、鼻息を吐いて胸を張る。
「そりゃもちろんよ! 満月の呪いでしょ! なんかの部活中に亡くなったとかって前に柚花が話してたかな。でも詳しくは知らないって。その時は満月の呪いなんて言われてなかったし、柚花の入学前の話だから。それに元々いた子は外部に話すなって言われてるみたい。ってなんで?」
猪瀬の目に疑いの色が浮かんでくる。
「あのさ、猪瀬、一応言っておくけど満月の呪い事件に僕は関係ないから。ただの興味だよ」
「きゃあ! 蜂が!」
近くにいた女子グループの一人が飛び退いて澄人にぶつかった。反動で澄人がよろけて石に躓いて、危うく転びそうになった。転んでいたら、手をついていたであろう辺りに親指ほどのガラスの破片がおちていた。瓶か何かを落として割って、片付け損ねたもののように見える。
いつもなら間違いなく転んでいた。そして、あたりにはラサツがいるはず——だか、今回は見当たらない。
「す、すみません」
「大丈夫です」
そう言いながら、澄人はずれたメガネ外す。どうやらこれには本当に効果があるようだ。
あの日、澄人の部屋で深影が帰り際にピタリと足を止めた。
「そのメガネ、いつも掛けているな」
「はい。昨日深影さんに引き倒された時に曲がりましたけど、ないとよく見えませんから」
「ちょっと貸してみろ」
「はあ……」
まさかこの人はメガネを直せるのか、と一瞬思ったが、メガネを手にした深影は、澄人の勉強机のペン立てから油性マジックを選び取ると、躊躇なくメガネのテンプルの内側にペンを走らせた。
「何してるんですか」
特別止めなかったのは、澄人のメガネが黒色だからだ。深影は細い方のペン先で器用にサラサラと何か書いているが、同色なので馴染んでよく見えない。
両側のテンプルに何か書いて、深影は澄人にメガネを返した。光に当てると、わずかに何かの文字のような、うねる曲線の図形にも見えるものがうっすら見えた。
「簡単なラサツ避けだ。これを身につけていれば、無駄な厄災に巻き込まれずに済むぞ」
「本当ですか? ありがとうございます」
「ちなみに効力はそのインクが薄れるまでだ。肌に触れていないと効果はないが、まあ二ヶ月くらいは持つだろう」
「なんだ。期限付きですか」
「もちろんだ。それを羽根がわりにされて私との約束を反故にされては困るからな。ちなみにその程度のサイズでは大きな厄災は防げないから注意するには越したことがないぞ——ああ、ちなみにアルテミス女学院では事情を知る者に話を聞いてきてくれればそれで構わない。危険があるといけないのであまり念入りには調べるな。私はその間に別件の調査を進めよう」
月ノ岬の羽根装置 かりん @karin_d
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。月ノ岬の羽根装置の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます