歩行教習所への応援コメント
イベントから読ませて頂き感想失礼します。
全ての作品を読ませて頂くのが時間的にも厳しかったため、まずこの物語まで読ませて頂きました。自分はラノベばかりの読者で的外れな感想になってしまうことすみません。
詩や純文学の善し悪しは自分には分からない、というのが正直なところです。馴染みの薄いジャンルで興味を持って読み続けるのもなかなか難しいです。
その中でも感じたところは、それぞれの作品にも色があり読みやすいものと読みにくいものがあって、それが少しでも分かるととっつきやすいかと思いました。「歩行教習所」はショートショートのようで自分にも面白さを感じやすかったです。
初めて読む際には投稿順の時系列ではなくて、似通ったジャンル/テーマ毎もしくは作者さんが組み合わせて読んで欲しい5篇程度ごとに短編集のように章立てされていると、自分のような読者には選びやすいかなとか思いました。
少なくとも第一話目は作者さんが読者に一番読んで欲しい作品がいいと思います。
あまり詩などの作品を読まない読者の意見として一助になれば幸いです。
これからも頑張ってください。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。あまり興味のないジャンルなのに、そこまで読み進めてくださり、感謝です。
ジャンルも雰囲気もバラバラで雑多な短編集として編んだので、選びにくかったならすみません。第一話目は、作者にとっては、もっとも読んでほしいもののひとつではあります。お口に合わなかったなら申し訳ないです。
「歩行教習所」だけでも楽しんでもらえたなら幸いです。コメント、ありがとうございました。
殻四六の詠み人への応援コメント
こちら確か、KACのお題でしたよね…?本当に、天才ですね。どのお話を読んでも心を動かされます。koumotoさんの物語の登場人物たちはよく幸あれ、と仰いますよね。私も今使わせて下さい。koumotoさんの物語の登場人物たちに幸がありますように。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。
そうですね。カクヨムのキャラクターを使った物語、ということだったので、どれだけ自分なりの世界に引き寄せられるか、キャラクターのプロフィールを読みながら妄想して、試みてみました。他にはない経験なので、新鮮でした。
そこまで言っていただけるとは、光栄です。自分ではほとんど読み返さなかった作品ですけど……読んでもらえたことで、作者も読み返すきっかけになりますね。なにかを待っている人々ばかり書いている気がします。
幸あれ、は確かによく使っているかもしれません。なんとはなしに祈るときも、こころに浮かぶ言葉ですね。
ありがとうございます。われもこうさんにも、幸がありますように。
アダムとイヴふたたびへの応援コメント
ほんとうに素敵なお話がたくさんですね…(同じことしか言えず申し訳ないです…笑)世に広めたい掌編集です。アダム二号機の優しい言葉に胸を打たれました。いい夢を見れそうです。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。
返信も同じようなものばかりになって申し訳ないです(笑)。でも、何度コメントをいただいても、嬉しいのは本当です。この作品もそうですけど、まがい物についての話ばかり書いている気がしますね。
どうか、いい夢を。
紙人間の詩への応援コメント
うっとりするくらい素敵なお話でした…これを読んだ人はみんな詩を書きたくなることでしょう。
余談中の余談なのですが、私は長年、詩が苦手でした。最近、カクヨムで皆さんの作品を拝見したり、本棚に仕舞っていた詩集を開いたりして、ようやく、詩や詩人が好きな自分に気付くことができました。幼い頃に仕舞ったガラクタを、大人になって発見した時のような、そんな感動でした。これは間違いなく、koumotoさんの作品に触れたために起こった現象ですね。
と、すみません、作品に関係のないことをついつい… 柔らかくて素敵なお話でした。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。
ありがたいお言葉です。これも、自分では気に入っている方の作品なので。詩についてのファンタジーですね。
自分も、詩に対する苦手意識はありますね。入り込めないときは、まったく入り込めませんから。ただ、何人かの詩人(ミュージシャンなども含まれますが)の言葉には、魂を揺さぶられるような衝撃を受けて、いつも思い出すものがありますから、詩の一部を偏愛している感じですね。
自分の作品が、少しでも詩を楽しむ助けになったのなら、これにまさる喜びはないです。ありがとうございます。
喪犬への応援コメント
コメント失礼します。死体になれなかった少年少女たちを読ませて頂いたときに思ったのですが、koumotoさんの物語には「生」を色濃く感じます。
初めてタイトルを拝見したとき、死体になった、じゃなくて、死体になれなかった、なんだなと思ったことを思い出しました。
こちらのワンコさんも、この世の全てに絶望し、生きるための望みが全て絶えたあとに初めて、「生きてみるか」と思われたのかな、なんて。生きることを(初めて自主的に)選んでみた、と言いますか。
こういう強さが自分自身にないところで憧れがあります。私であったら「死体になれなかった少年少女たち」は「死体になった少年少女たち」になりますでしょうし、こちらのワンコさんはお肉を食べなかったでしょう。突然の自分語りすみません。何はともあれ、koumotoさんの物語の登場人物たちは、本質的に生きる力が強いんだなあ、とこちらを読んで思いました次第です。
常のごとく長々とすみません
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。
登場人物の生きる力が強い、と言っていただけるのは、作者にとっては意外な評言かもしれません。それを描こうとは、しているのでしょうけど。作者はかなり無気力で活力に乏しいので、登場人物の生きる力に、こちらもびっくりしながら書いている気がします。
でも、粉々に砕けるほど打ちのめされた人間(この作品は犬ですけど)に、なにが残るのか、なにが道を示すのか、なにが救いになり得るか、ということには、たしかにとても関心があります。自分がへこたれやすいからこそ、そういうことばかり求めているのかもしれません。
死体になれなかった少年少女たち、というタイトルは、いろいろ揺らぎながら決めましたね。このタイトルだと、語り手を死なせるわけにはいかないな、という、ある種の縛りというか、ルール、誓いのようなものでもありました。大人はある意味では死体ではないか、という極論も思い浮かべたりしながら。だから、途中で止まってるゾンビ小説は、死体になってしまった大人たち、という物語になるのかな、とか考えたり。
こちらも長々とすみません。コメント、ありがとうございます。
編集済
ぼくたちの夜への応援コメント
ほんとうに綺麗ですね… 何度も同じことを申し上げるばかりで恐縮ですが、わたしはkoumotoさんの文章がほんとうに大好きです。技術云々ではないもっと根本的な何かに惹かれているのだと思います。そして、そう思うのはわたしだけではないと思います。褒められるのはお好きでない、と詩にも書かれていますし、なんとなく、こちらも申し訳ないなあという気分になるのですが、けれどもしkoumotoさんが1%でも嬉しいなと思って下さるなら、わたしは何度でもkoumotoさんの作品は素晴らしいものなんだと褒め称えたいですね。もっともっとファンが増えてくれることを、ファンとして願います。そんなファンが増えることによって、私たちからは決して見えない大変さや苦しみに襲われることもあると思いますけど、でもkoumotoさんは、ご自分ではお気づきにならない素晴らしいものをお持ちなのだと、多くのファンを代表してわたしに言わせてください。これまでも、そしてこれから先も、世界中の誰がなんと言おうと、koumotoさんは素晴らしい作家さんです。いつも心が満たされる作品を、本当にありがとうございます。
追伸
言葉が足りなかったかもしれません…。これまでも、そしてこれから先も、世界中の誰がなんと言おうと、koumotoさんがご自身のことをどのように思われようと、ですかね。
さらに言わせて頂けるなら、わたしはkoumotoさんのことを悪く言う方がいらっしゃるのはとても許せなく、悲しいことです。それがたとえご本人であったとしても。
嫌なお気持ちにさせてしまったかもしれません。ですが、このように思っている人間がいるということを、心の片隅にでも、記憶して頂けましたら幸いです。長々と、ごめんなさい。これからも作品、読ませてくださいね。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。
褒められると、複雑な感情を抱いてしまうことがたしかにあるのですが、基本的にはとても嬉しいし、われもこうさんの言葉は素直に喜んでいます。こんなに真摯に読んでくれる人がいるんだ、と感銘を受けています。
この作品は、夜への偏愛をイメージのおもむくままに描いたような作品で、自分では気に入っているのですが、あまり反応はなかったので、読む方にとってはそうでもないのだろうな、と考えていました。なので、感想をいただけたことが、なおさら嬉しいです。
自己卑下が染みついているような性分なので、褒められることに対して、なんだか申し訳ないような気持ちは、どうしても抱いてしまいます。でも、そんなふうに言ってもらえるとは、どれだけありがたいことだろうと、こちらこそ、何度書いても感謝が尽きません。私事ですが、ずいぶん遠い昔に、もっと自信を持てよ、と友人に怒られたことを思い出しました。
自虐的なことは、これからも変わらず書いてしまうかもしれませんが、受け取った言葉は、しっかりこころに刻んでおきたいと思います。
幾度となく励みになる言葉を送ってくださって、本当にありがとうございます。感謝です。
編集済
言葉のない世界への応援コメント
連続でコメントすみません。(本日2回目…)言葉がない世界、いいですね。言葉って煩わしいです。自分の気持ちや考えを口にすると、たちまちにそれが嘘になってしまうような、嘘をついているわけじゃないのに嘘つきになったような、妙な感覚に支配されることがあります。
時に名前も嫌なもんだ、と思います。名前があるから個性が生まれて差別が生まれるような気がして。花はいいですよね、名前がなくて。私たちもただのニンゲンとして過ごせたらどんなに楽でしょう。
追伸
なるほど、我々人間は(私だけかもしれませんが…)は言葉の傀儡なのですね。一つ謎が解けたような気がします。
いつも丁寧な返信を下さって本当にありがとうございます。
作者からの返信
またまた読んでくださってありがとうございます。
田村隆一さんの「帰途」という詩が好きで、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった/言葉のない世界/意味が意味にならない世界に生きてたら/どんなによかったか」という一節があって、本当にそのとおりだな、と感動したので、その影響を受けていますね。
言葉を使っているのではなく、言葉に使われているような気分になることが多々あります。言葉さえなければ、こんな感情を味わうこともなかっただろうに、とか。だからこそ興味深くもあるのですが。
人間に名前があるなんて嘘じゃないか、踏みつぶされる蟻に名前がないのと同じはずだろ、なんて極端なことをときに思ったりしますね。それでいて、名前の意味にこだわったり、とらわれたりしているのですが。名前には妙な引力がありますね。
編集済
海への応援コメント
連続でコメントすみません。海、本当に好きです。お話の中の、海の向こうの楽園は、死の世界でしょうか(例えば彼岸ですとか)。それとも作者さんにおける外界なんでしょうか?読む人の数だけ様々な解釈があるとは思うのですが、どういった意味で描かれたのだろうと気になってコメントしてしまいました。不躾ですみません。
追伸
ふむふむ。こちらこそ丁寧に教えてくださってありがとうございます!
作者からの返信
またまた読んでくださってありがとうございます。
明確に寓意を定めているわけではありませんが、どちらかといえば、外界に近いイメージかもしれません。明るい世界があるらしいけど、どうも自分は絶対にそこには辿り着けないようだ、というような。もちろん彼岸のイメージも含まれてはいるのですが。これを書いていたときは、作中の楽園に対して怒りや疎外感や冷たい軽蔑を抱いていた気がします。
でも、書いている最中の作者と、書き終わった後の作者は、ある意味では別人なので、話半分に聞いておいてください。丁寧に読んでくださり、本当に感謝です。
リンボ、あるいは図書館への応援コメント
いやあ、筆力ありますね。
カクヨムを始めて驚いたのはプロ顔負けの筆力を持った方がたくさんいらっしゃることですね。
こういうダークな世界観好きなんで。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。自分もダークな世界観、好きです。暗い物語にいつも励まされています。少しでも楽しんでもらえたら幸いです。
影の八月への応援コメント
戦争・終戦の記憶かなと思わせるエピソードと、実感が伴わないことは勿論、もはや作り話のように感じてしまう世代へのバトンのように感じました。この「わたし」は体験談を直接伝えてもらうことができた最後の世代かもしれないなあと。
「繰り返してはならない!伝えなければならない!」といった強い勢いではなくとも、祖父にとっての消えない記憶・消したい記憶として、じんわりと「わたし」に伝わったように思えて、こんな風に書けるkoumotoさんの筆力に改めて感服しました。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。戦争の記憶を語れる人がいなくなったら、どうなるのだろうと不安になります。歴史がどんどん忘却されそうで。死者の記憶は引き継がれず、喪われてしまうものだとしても、なにかは伝わり、なにかは残ると、そう信じています。
11時57分のシンデレラへの応援コメント
まさかあのシンデレラがこんな風に変貌するなんて。
これが事の真相かもしれませんが……
>権力を持ったストーカー
お見事な解釈です。面白いです。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。ひたすら毒づいているシンデレラになりました。ハッピーエンドには全く向かいそうにありません。だれからも罰せられない、天下御免のストーカーって、おそろしいですよね。
12+3才の幽霊少年への応援コメント
死んでからの方が自由度が高いようにも思えるけれど、夜になると死神が憑いてきたり、ここには書かれていない制約や、もどかしさがきっとあるんだろうな、と。
もう手に入らないもの、触れられないものに対する切なさも同時に感じました。
絶対的な満足や完璧な環境なんて、思い描くことはできても、実際にはどこかに綻びが生まれる気がします。あまり追求しすぎずに、今できることを楽しみたい、そんな気持ちにもなりました。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。自由とはなんなのか、よく悩みますね。ゲームをやっていても、何でもできる、どこにでも行けるというのが必ずしも面白さにつながっていなかったりすると、逆に閉塞感を感じたり。幽霊がいるなら、その生活はどうなのだろうと想像してしまいます。
死秋の死への応援コメント
>この世界の正体なんて、どうでもいいんだ。ぼくらは死ぬ。そして生まれる。それだけなんだ
これは共感というよりも、そういうものだろうなあと考えることがあります。
ミミズクの会話を断末魔と表現するなんて、素敵ですね。暗がりの中の音は、より強調されて感じ、空間を切り裂くような存在感があると思います。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。そういうものだと、自分も思っています。生まれて死ぬということ以外は、たしかだと言えることはなにもないのかもしれません。
だれもが死の過程にいるのなら、すべての会話は断末魔の叫び。というのは極端な言い方かもしれませんが、そんな気分になるときがありますね。
歩行教習所への応援コメント
『歩行教習所』というネーミングはとても面白いと思いました。ぶつかりそうになって避けたら、相手も同じで再び、とコントのようなシーンを誰しも一度くらいは経験したことがあるかも。そんな風に冒頭で感じたので。
でも、途中から『人が脳を手放す時』というようなイメージに繋がっていきました。日常的な判断から順に手放す機会を与えられ、最終的には何も感じなくなるかもしれませんね。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。そういう経験はだれしもありますよね。自分は何度もあります。
歩行はともかくとして、日常のほとんどは、自動運転で進行しているような気もします。すべてに意志的になることは難しいですね。
喪犬への応援コメント
こちらも素敵な話でした。koumotoさんの作品は圧倒的に「生」を描いているなとよく感じます。今回もまた。
「食べずに生きる」は不思議な感覚になりますね。生きているのかよくわからない。最後に肉を食べたことで、ようやく死に向かう「生」が始まったように感じました。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。食べるという行為は、よくも悪くも生の根幹にある気がしますね。『死体になれなかった少年少女たち』という短編集に「食物連鎖を憎んだ少女」という作品を書いたのですが、そちらも同じようなテーマになりました。食というのは、なんだか自分にとって気になるもののようです。
12+3才の幽霊少年への応援コメント
おはようございます。
この作品、すごく覚えています。
今確認したら、二年前の春でした。
子どもの頃の無邪気さと、もう生きられない哀しみと、
けれど家族を想う優しい愛情と……胸が熱くなります。
作者からの返信
おはようございます、星都さん。読んでくださってありがとうございます。
書いてからもうそんなに経つんですね。なんだか実感がないです。
茫洋とした哀しみと、死んだのんきさを描きたかったんだな、と思い返してみたり。こころに引っかかるものがあれば幸いです。
死の博物館への応援コメント
改めて拝読しましたが、やはりこの博物館を開設したkoumotoさんに畏怖を感じました。勿論「大いなるもの」に対する尊敬を込めて。
投影されるイメージは「過去に宇宙に放射された光から、再構成された」というあたりまでは、ナルホドと受け入れやすいSF感を感じました。でもその先、博物館のコンセプトを鑑賞する内に、この先様々な死生観が生み出され、最終的にはこのように展示されるまでになるような気もして、エッジの効いた発想に慄いています。
さらに「身寄りのない誰かが人知れず迎えた死」を、この形で目撃されるという結末には何度読んでもハッとさせられます。本当に素敵な作品です。
作者からの返信
再読していただけるとは、光栄です。とても嬉しいです。
死生観は、これからどのように揺らいでいくのでしょう。もしも遥か未来を覗くことができるなら、気になる事柄は数多いですが、「死」がどうなっているかはとても興味があります。現在の「死」が、遥か昔の人間の眼にどう映るかも、気になりますが。
コメント、ありがとうございました。
死の扉への応援コメント
好きです
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。ふざけたような作品も多いですが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。