第2話

 自宅に着いたのは日も変わる寸前だったが、玄関では妻のミツエが正座して待ち構えていた。

 服も髪も綺麗に整えられて化粧も美しく施されているので、とてもこれから睡眠をとるだろう人間には見えない。


 どうやらお抱えの運転手が私の帰宅時間をこっそりと連絡をしているようで、何時に帰ってもこうして身嗜みをして甲斐甲斐しく三つ指ついて待っているのが日常の光景になっている。

 私からの許可を得ることなく私より先にミツエが睡眠を取ることはない。


「お帰りなさいませ」膝をついたまま深く頭を下げてミツエが言う。

「ああ」とだけ応えてカバンをドサリと放り投げた。

「お食事はいかがいたしましょう」

「いらん。食ってきた」

「はい、お風呂の用意もできておりますが……」

「かまわん。入ってきた。今日は先に休め」

「かしこまりました。では、おやすみなさいませ」

「ああ」

 ミツエはカバンと私が脱いだジャケットを抱えると、一礼し下がっていった。

 寝ろとは言っても、私が取らなかった食事の後始末に明日着る背広やネクタイの用意もろもろを片付けてからになることを知っている。

 和食中心の朝食は当然、アイロンをかけたシャツとクリーニングから帰ってきたジャケット、ズボン、ピカピカ磨かれた靴が用意されているのが私のごく普通の朝だ。

 この世に完璧な妻というものが居るのなら、きっとミツエのような女を言うのだろう。


 ミツエは家事や料理もそつなく熟す器量良しで元ミス・ユニバースの経歴を持つ才色兼備だ。

 このだだっ広い屋敷の管理を、家政婦一人も雇わずに出来ていることがミツエの能力の高さを示している。

 華道に茶道、琴や日本舞踊を嗜み、決して男の前に立つようなことはしない絵に書いた様な大和撫子。

 幼い頃から上流階級で生きてきたためか言動に品があり、感情を表に出すことも殆どない。


 だが決して淡白な女という訳ではない。

 床の方もかなりの腕前だ。

 結婚して二十年以上になるが、ミツエの乱れた姿は夫婦の閨の中だけでしか見た記憶がない。


 いつだって私が目を覚ます頃には貞淑な妻の姿になっていて、粛々と夫に尽くすのだ。

 女としても妻としても申し分のない女性、ミツエはまさにそれである。


 だが、そんなミツエも時の流れにだけは勝てないようだ。

 できる限りの金はかけてはいるようだが、エリと比べればやはり勝負にはならない。


 ミツエとの結婚は私にとって逆玉の輿だった。


 当時、運良く就職できた財閥系企業で若手のエースとなっていた自分に社長の一人娘との縁談を持ちかけられた時は、天にも昇る気持ちになったものだ。

 ミツエとの結婚後も恩義に報いようと一層励み、社長が引退の時を迎えると後任には義理の息子となった私が任命されたのだった。


 ミツエの父親が亡き今、地位も名誉も女も金も、全てが私の手の中にある。


 私は人生の勝ち組なのだ。


 義理も十二分に果たした。

 どうせならそろそろ若い妻に乗り換えても良い頃合だろう……。

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