第15話

「死亡者は三人。イツビシ社長のイツビシ トオル五十六歳。その妻のイツビシ ミツエ五十三歳。さらにイツビシ社長付きの秘書であるハマノ エリ、二十六歳です。彼女はトオル氏の愛人で、このことは会社の人間なら誰もが知っているほど有名な話だそうです」


「うげぇ、三十も下の愛人かよ。……うらやましい限りだなぁ……」


「第一発見者はイツビシの社員で、トオル氏より送迎を依頼されていて別荘を訪れ、三人の遺体を発見したそうです」


「なるほど……あ?!」


 後輩であるイシダの報告を聞きながら現場であるダイニングルームに足を踏み入れようとしたホリ刑事は、目の前に広がる異様な光景に思わず足を止めた。


「おいおい、なんだこりゃ。局所的な竜巻でも起きたのか?え?」


 本来白かっただろう壁、そして天井にも至る所にシミが付けられていて、時折、乾燥した葉っぱのようなものもこびり付いていた。


 窓ガラスは窓枠しか残らないほど破壊されていて、酷い箇所は枠すらなくなっていた。


 暖炉用か、火かき棒が三本ほど点々と壁に刺さっていて、現代アートの様相を呈している。


 床は足の踏み場もないほど食器の欠片と調理済らしい食材で埋もれ、観葉植物やスタンドライト、高そうな骨董品もろもろも不規則に転がっており、極めつけは天井から落下したらしいシャンデリアだ。


 きっと荘厳な装飾が施されていたのだろうが見る影もなく無惨に砕け、テーブルに突き刺さっている。


「テーブル……椅子も……脚が折れてるじゃねぇか……」


「手や身体についた傷から判断して、おそらくですが仏さん達が部屋の物を投げ合ったのだと……」


「死因は毒物なんだろ?」


「はい。詳しくはまだ調査中ですがアコニチン、トリカブトを服毒したものと思われます。ワイングラスの欠片から毒物の反応が出たので、おそらくはワインに混ぜて飲んだと思われます」


「んで。高速の料金所のカメラに残ってた記録と、外に停まってた車二台、この別荘に残された指紋や毛髪、足跡から判断しても、ここに居たのは死んだ三人だけだった、と」


「はい。三人と関わりがある人間全てのアリバイ確認が済んでいる訳では無いですが、現在判断できる限りではそうなりますね」


「んじゃ何か。この御三人はみんなで仲良く雪合戦ならぬ家具合戦やって、毒飲んでおっちんだってのか?」


「……そう、なるんでしょうか……。あと、まだ妙なことがあって。こっちです」


 ダイニングの手前、リビングルームのローテーブルには整然と並べられた紙類があった。

 ビニール袋に包まれたそれらを一つ一つ指さして、イシダが説明を始める。


「このリビングに置きっぱなしになっていたんですが、これはイツビシ ミツエ氏による書だそうで。これはトオル氏の。あとこれはおそらくハマノ エリ直筆のものではないかと……」


 ふむ、と思案してホリはミツエにより書かれたという短冊を手にした。


「瀬を早み……?百人一首のやつか?」


「はい。崇徳院ですね。恋仲の男女が別離を越えて再開を願う歌です」


「へぇ~……。んじゃこれは?」


「鑑識のミヤさん曰く、曽根崎心中という人形浄瑠璃や歌舞伎で有名な作品の一節だそうです。なんでも文学的にも評価の高い名文で、主人公とその恋人が心中を決心して、死んであの世でまた会おうと自刃するまでが描かれてるらしいですよ」


「ほう、ほう。んで、最後のこれは?」


「エディット・ピアフの愛の讃歌という歌ですよ」


「ああ、あれね。知ってる知ってる。越路吹雪さんが歌ってたやつね。昔、家にレコードがあったぞ」


「えーとちょっとその人は分からないんですけど、どうやら原曲のフランス語を日本語訳したもののようです」


「どれどれ、――死んで二人の愛を永遠にするわ……神様がまた二人を結びつかせてくれる――?こんな歌詞だったかなぁ」


「昔、エディット・ピアフの人生を描いた映画を見たことがあるんですけど、そんなようなことを歌ってるみたいですよ。国だろうがなんだろうがあなたの為なら捨てるーみたいな……」


「うーん……ちょっと待て。全員が全員、死んで一緒になろうとしてんのか?これ……」


「遺書とも取れる内容ではありますけど……なんだか奇妙ですよね」


 奇妙ついでに、とイシダが窓の外を指さして言った。

「車のガソリンが二台とも空っぽなんですよ。あれじゃあここから帰ることは出来なかったでしょうね」


「最初から帰るつもりがなかった……?」

 顎を撫でながらホリは考えを巡らせるような仕草をした。


「しかし、社長のイツビシ トオルが前日に迎えを手配しているんですよ?」


「イツビシ氏らはここへ来ていることを限られた人間にしか明かしていなかった。ともすれば発見が遅れて、立場が立場なだけに大騒動になる可能性もあったろう。だから、早めに自分たちの死を見つけてもらう必要があった……っつー可能性もあるな」


「やはり自殺?心中ってやつでしょうか?」


「どっちが一緒に死ぬかで揉めに揉めて、あのダイニングの惨状……?いや、何かしら他に揉める出来事が起こった……?」


「あのグチャグチャのダイニングがよく分かりませんよね」


「なんにせよ三人で心中てのは奇妙だな。やっこさんら、むこうで喧嘩になってるんじゃないか」


「一人は死んだ三人のうちの誰かの殺人……。あるいは二人殺して、自分も自殺……なんてこともあるんでしょうか……」


「ないことはないだろうが、被疑者全員死亡だ」


「迷宮入りのにおいしかしませんね……あ、ホリさんあれ」

 イシダが指した先では、歳若い男が警官に付き添われてパトカーに乗り込むところだった。


「イツビシ夫妻の息子のマサシくんです。三人が遺した文書の確認なんかをしてもらいました」


「まだ若そうだな……」

「十九歳だそうです」


 まだ成人もしていない子供が直面するにはあまりにツラい現実だ、とホリは心を痛めた。

 強者の都合に振り回されて、痛い目を見るのはいつも力の弱い者――。


 ふと感傷に浸りそうになり、ホリは自嘲するように鼻を鳴らす。


「ん?」

「え?どうされました?」

「いや……気のせいだろう」


 ――そう、きっと気のせいだ。

 ホリは自分に言い聞かせた。


 ――薄暮に沈みかけの夕陽が眩しかったせいだ。


 パトカーに乗り込むマサシの顔に、微笑みが浮かんで見えたのなんて。

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