最終話 キッパータックの庭で

 キッパータックの庭の侘しい植栽も手水鉢ちょうずばちに張られた水も地面の真砂土まさつちも強い陽射しを受けてキラキラと輝いていた。

 砂の滝は天が心ばかりの恩恵として砂金を降らせてくれているように見える。そして真下に溜まった黄金の砂丘。こうなってくると、サングラスがほしいところだ、とかないは思った。ちょっと歩いただけで汗がじわりと滲む。果てのない、雲一つない空を見上げ、反対に今度は地面を凝視する。彼女は今、頭の中で「仕事」をしていた。

 一体ここには、いくつの折りたたみ椅子が並べられるのか──。


「こんにちは」

 開けっ放しの門から入ってきたのは、二本松にほんまつ巡査長であった。迎えるために叶も門へと動く。

「二本松刑事、お久しぶりです〜」

「ええ、お久しぶりですね」

 二本松は今日は非番なのか、ピンストライプの半袖シャツにチノパンツという格好だった。タム関連で顔を合わせていたときとは表情の穏やかさがまるで違っている。

「ここであなたを見ると、なんだか不思議な気持ちになりますね」庭を見回す仕草をする二本松。

「まだ森林庭園にいると思ってます? せっかくパーティーにご招待したのに、来てくださらないから」

「大庭主さんたちは私がいると心から楽しめないだろうと思いましてね。皆さんにとって、私・イコール・タム──でしょうから」

「あら、そんなことありませんよ。私にとっては二本松さん・イコール・ギョロ目でしたわ」

「はは。それはまたご挨拶で」

 滝のそばまで歩くと、二人並んで砂が落ちてくる源を仰ぐ。

「もう真夏と言っていいような暑さですね。以前、夜に見させていただいたときは涼しく感じたのに。こうギラギラしてると、たまりませんね」

 自慢の目を細める二本松に、叶も同意し、邸宅の来客スペースへ案内する。

 今度は、冷房が利いた室内から滝に目をやる二本松。叶は冷蔵庫からガラナ飲料のプラスティックボトルを取りだして渡す。

「キッパータックさんはまだお仕事ですか?」受け取りながら訊く二本松。

「ヒューゴさんは仕事が終わったらピッポさんの家に寄るって言ってました。もしかして、タムのことで来られたんですか?」

「いや」ボトルのキャップを開封し、口に運ぶ二本松。「今日は休日です。私だって、プライベートで庭園を訪れたいと思うこともあるんですよ。まだ捕まっていないタムの手下については中央警察が調べています。まあ、いつなんどき、の通路が穹沙きゅうさ市に現れるかわかりませんが、金色の光が視えるとかいう人物探しも難航しているらしいし、長期戦ですね──」

「車椅子の福田江ふくだえさんをあちこち連れ回すわけにもいかないでしょうからね」叶もコーヒーポットに残っていたコーヒーをカップに注いで飲む。「レイノルドも戻ってこないらしいし」

 叶が観光局主催の「庭園ランチ」イベントの話題を振り、うちの大庭では開催しないのでコンサートでもやろうかと思っている、と話して聞かせた。滝の前に椅子を並べて……気温が涼しくなる夜に、発光する滝をライト代わりに。

「なかなか良さげですね。私も妻と一緒に来ようかな」

「入場料は無料なので、ぜひいらしてください。有名なリュート奏者にオファーしているところなんですよ」

 二人にしてはめずらしく、タムの話題からも離れ、壁際のカウンターに置かれた水槽の中で蠢く蜘蛛たちにも目もくれず、平和なおしゃべりで穏やかな時間が埋まっていった。



 一方のキッパータック。第五番大庭に到着すると、ピッポはプライベート・ケーヴにいるとのことで、キッパータックもそちらへ向かい、一緒に鍾乳洞に潜り込んだ。

 二人はキャンプ用の折りたたみ椅子に腰をおろし、向かい合ってコロッケを頬張った。

「ありがとう、キッパータック君。〈クリテイシャス堂〉の高菜コロッケ、一度食べてみたかったんだ」

「叶さんも食べたいって言ってたから。でも、コロッケを見るとどうしてもレイノルドを思い出しちゃうよ。彼、今もまだやつらとあの洞窟にいるんだろうか。ご飯、ちゃんと食べてるかな」

 キッパータックはまだほんのりとぬくもりを放つコロッケの先端をじっと見つめながら言う。

「うーん」ピッポはもぐもぐと顎を上下させながら、考える。「外から見つけるのは困難な洞窟らしいが、中からこっそり抜け出すのはできるんじゃないかな? レイノルドならば……。それをこれだけ長い間戻ってこないとなると、やはり捨て置けるかと、洞窟の通路を穹沙署と繋げてやつらを警察に突きだしてやろうと奮闘努力しているのかもな。彼、正義感に溢れているからね」

「そうだね」

 ピッポはコロッケの最後の一欠を口内に送り込むと、保温ポットを取りあげ、プラスティックのカップに飴色の液体を注ぐ。「ニヒツ草とチキンで出汁だしを取っただけのスープだけど、飲むかい?」

「ありがとう、いただくよ」


 二人は腹ごしらえを済ませ、鍾乳洞から出てきた。空は水色に夕日の色が交じり合い、薄紫の波状が広がっていた。

「じゃあ、また。今度は叶さんと一緒に来てよ。鍾乳洞ではなく我が家で、ゆっくりディナーでも」

「ああ、うん。ピッポ君の新作料理、楽しみにしているよ」キッパータックはコロッケが入った紙袋を片手に、もう一方の手でピッポに別れの合図を送る。


  ぎくぅえええええー!


 突然、真っ黒い影が舞い降りてきて、キッパータックの紙袋がさっと奪い去られた。キッパータックもピッポも寸秒の事件に、声をあげる間もなく空へと去った犯人の後ろ姿を目で追うばかり。鳥であることは違いないようだ。

「ええっ? もしかして、今のレイノルドだった?」

「レイノルドじゃなかったとしたら」ピッポはまだ包帯の奥の瞳を空へ固定させたまま。「新たな庭荒らしが誕生したのかもしれない。こりゃ参った」

 はあー、と長大息するキッパータック。「叶さんのコロッケが。なんて言おう……」

「そこは勇ましく、胸を張って」とピッポは自分の胸を張ってみせた。「警察に連絡しよう──と言うんだ」

「ピッポ君、やめてくれよ」キッパータックは首を倒して、手で顔を覆う。「僕、ちゃんとタムのアジトには潜入したんだからね」




 『キッパータックの庭で』 完


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キッパータックの庭で 崇期 @suuki-shu

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