タムの結婚(20)──ピーマンケーキ占い

 森林庭園にて、リビングの壁掛け大型テレビにかないはもう三時間以上張りついていた。昨夜、突然飛び込んできたタム・ゼブラスソーン逮捕のニュース。これに無関心でいられる大庭関係者など一人もいないはずだ。

「うう……よかった。これで二本松にほんまつさんのあの恐ろしい血走ったギョロ目も休めるのね」

 安堵に和らぐ頬を涙が潤し、ティッシュではなをかむ叶。それにしても、いつの間にヒューゴさんはペットの蜘蛛をタムの懐に忍ばせたのだろう? と不思議がる。

 悪党たちはマジック・ケーヴとかいう摩訶不思議な洞窟に潜み、その洞窟も宙を漂う目に視えない蜃気楼のようなものと聞いていた。あれほど影も形も掴めなかったタムが、中央都・翼人よくじん地区の宝石店であっさり捕まってしまうとは。しかも、過去にあれほど世間を騒がせた「蜘蛛のお札」を使って買い物をするというお間抜けな結末。キッパータックも、そんな大胆な罠を仕掛けたなら叶に話してくれただろう。とすれば、洞窟に捕まっているときに無理やり奪われたのかもしれない。

 いずれにせよ、今回のことは「ヒューゴさんの手柄だ!」と叶は内心ガッツポーズであった。「ヒューゴさんの蜘蛛の手柄」でもいい。あのちっちゃなペットが東味亜ひがしみあの大庭を救ってくれたのだ。葡萄塚ぶどうづか市のマンションから福田江ふくだえまもるも無事救出されたという。いずれ、タムの手下らも太陽の下に引きずり出されるであろうし、そのときカラスのレイノルドもピッポの下に戻ってくるだろう、と叶は都合のいい大団円を想像した。

 涙が引いたタイミングで馴鹿布なれかっぷが外出先から戻ってきた。買い物袋をテーブルに置くなり、「まだニュースを観ていたのか」と言った。

「先生ったら、タムを捕まえたのが親友の二本松さんじゃないから、〈開けて悔しき玉手箱〉って心境なんでしょ」

「別に、誰の手柄とかは関係ないよ。悪党がのさばらない世の中ならそれでいい」

「えー、手柄は大事ですよ。あれほど捕まらなかった難敵ですよ?」

 口を尖らせる叶を見て、これはこれで平和な風景か、としみじみ思う馴鹿布。バッグから膨らんだ封筒を取りだし、叶へと無造作に突きだす。

「これ、君に」

「え? なんですか?」叶は近づいて手を伸ばす。

「退職金だ。さっきおろしてきた」

「ええーっ!」

 突然の大声量に馴鹿布は顔をしかめる。「うるさいな。ヴォリュームを考えてくれ」

「た……退職金って」封筒の中身を薄目を開けて確認する叶。「どういうことですか? 私、ここを辞めるなんて一言も──」

 馴鹿布は表情を引き締め、声色も改める。「そういうわけにはいかんだろ。君はキッパータック君の妻になるんだから。これからは第四番大庭、〈砂の滝がある日本風庭園〉をキッパータック君と一緒に管理するんだ。今後はその仕事に精進してほしい」

「いや、でも」

「でもじゃない」馴鹿布はキッチンへ移動する。「私なら大丈夫だ。ほかに手伝いが必要ならそのとき人を雇えばいいし」

「センセェー、そんな急に……」叶は、手を洗っている馴鹿布の真横へやってきて、その肩に顔面を押しつけた。「故郷から引き離される感覚で涙腺崩壊ですー」

「こらっ、私の服で涙を拭くんじゃない」




 四月の第一日曜日に、キッパータックと叶の結婚お披露目パーティーが火龍ドラゴン地区第十八番大庭・空中庭園で行われた。その日は朝から、目に眩しいセレストブルーの好天。白一色の庭面には来場者の色とりどりの衣装と笑顔、そして花壇の花たちの彩鮮さいせんやかな共演。こちらも全身真っ白である個性的な装束に身を包んだ庭園のあるじ、ティー・レモン氏が大庭主を代表して祝辞を述べた後は、堅苦しいことは抜きにして楽しく飲み食いしよう、という時間となった。

 銀色に光る腕を三百六十度回転させ、あちらこちらに振りながら、風力オルゴール(電動)が涼しげな水のシャワーと軽快な音楽をまき散らしている。

 サラと福岡ふくおかの二人からプレゼントされたお揃いのアロハシャツを着たキッパータックと叶は青空レストランの丸テーブルに着いていた。そこへ、天使の羽が取っ手となっている大振りなグラスが一つ、トロピカルな色を揺らしながら近寄ってくる。その盆を運んできたのはピッポ・ガルフォネオージだった。彼はチェック柄のスタンドカラースーツで決めていた。

「キッパータック君、叶さん。リラックスできてるかい? 僕特製のピニャ・コラーダをどうぞ」

 レストランで唯一屋根付きである厨房の入口横にデシャップ台が設けられていて、腕に覚えのある数名がカクテル作りに勤しんでいた。

 キッパータックはすでになんらかのドリンクの効果で頬を赤らめ、しゃっくりをしていた。叶は横目をグラスに差してある二本のストローへと移す。

「おいしそうなカクテルね。ピッポさん、どうもありがとう。……でも、ヒューゴさんはお水の方がいいかも」

「水ねぇ」ピッポはグラスをテーブルに置くと辺りを見回す。「ちょうど風力オルゴールが撒いてるところだけど」

「おーい」次にやってきたのはレモン氏の弟、スィー・レモンだった。新郎ばりのモーニングコート姿である。

「キッパータック君、今日は君のために特別なバンジーロープを用意したんだよぉー。一緒に飛ぼうと思ってさ」

「ほかを当たってください」断りながらピニャ・コラーダのグラスに手を伸ばそうとするキッパータック(叶が手を払う)。「なんで僕のパーティーなのにそんな罰ゲームをやらなきゃならないんですか。すでに一回味わわされてるのに」

「罰ゲームだって! どこが? それに一緒に飛ぶのは一度もやっていないじゃないか!」

「スィーさん?」とピッポが包帯の陰で眉をひそめる。「そんな格好で飛んだら尻尾のところがペロンってなっちゃいませんか? せっかく正装で決めてるのに」

「あははは!」スィーはおとがいを解く。「じゃあ口も開けて舌もベロンってなるように頑張るよー」

「何故に?」

「叶さーん」みなみ譲羽ゆずりはが手を振って呼んでいた。「そろそろ〈ピーマンケーキ〉占いやりましょうよ」

「それならこっちはバンジージャンプ占いだ!」キッパータックの腕を掴んで椅子から立ち上がらせようとするスィー。

「嫌だー!」振り払い、椅子を倒して逃げるキッパータック。

「待てー」追いかけるスィー。

 叶は一人、デシャップ台の方へと歩いて行った。そこには五十嵐いがらし麦緒むぎお、譲羽の姉の楓子かえでこ屋敷やしきサラ、福岡優景まさかげ若取わかとり樹伸きのぶ──と、おなじみのメンバーが勢揃いしていた。

 譲羽が押してきたワゴンの上に、淡いグリーン色のクリームで覆われたピーマン型のケーキが横たわっていた。

 叶はまじまじ見つめる。「昔流行ってた占いが結婚式でまたブームになっているっていうのは聞いていたのですが、私ははじめてなんですよね。これって、どうやるんですっけ?」

「あのね」と譲羽が説明をはじめる。「このピーマンのヘタかお尻側かどちらかにマジパンで作った〈青虫〉が隠れてるの。いろんなやり方があるみたいだけど、ここでは、ピーマンケーキをトレイごとくるくる回して、お嫁さん──つまり叶さんにストップって言ってもらうわ。そして真ん中にナイフを入れてもらう。そのとき叶さんから見て右側に青虫が入ってたら、その夫婦は女性がリードしていく〈かかあ天下〉で、左に入ってたら男性がリードする〈亭主関白〉になるって占いよ」

「なるほど。はよく聞くフレーズで、なんとなくわかりますよ」

 叶のその返しに女性陣の顔がやや曇る。

「キッパータックさんも一緒にナイフを入れた方がいいんじゃないですか?」と福岡が提案したが、「キッパータックさんはお取り込み中みたいで」とサラが教える。

「やはりキッパータック君が大庭主なんだから、庭園の発展のためにぜひともリードする側でいてもらわなきゃな」と樹伸が希望を挙げると、五十嵐夫人が「私のタロット占いでは奥さんのリードでうまくいく、と出たわ」と告げる。

 こちらも鑑定中であるような表情の譲羽。「私がここ数年で参加した結婚式では三勝一敗一引き分けだったのよね」と試合結果みたいな記録を報告する。

「引き分けってどういう状態?」と驚くサラ。「三勝っていうのは女性リードの結果だったってことですか?」

「そう。一引き分けのときはね、業者が青虫を入れるのを忘れてたわけよ。『あとでクール便で届けます』って言われたときには『どこの業者だ!』って怒りはじめて──花嫁が」

 とにかく、やってみないとはじまらない、というわけで、逃走したキッパータックは抜きで占いが開始された。

 南姉妹がケーキのトレイをくるくる回しだす。

「じゃあ、ストップで」と叶。

「キッパータック君の未来は左、左だぞ」樹伸が祈るように言う。「ヘタの方に入ってろよ」

「いいえお尻の方よ、四勝目!」と力む譲羽。

「あれ? ピッポさんはどこに行ったんだろ、いいところなのに」福岡がきょろきょろする。

 楓子から渡されたケーキ用のナイフをそろそろとピーマンの真ん中におろす叶。

「では、切りますよ」



 パーティーの様子は、火龍地区から五十キロ以上離れたここ不死鳥フェニックス地区、アトラクション庭園内にある仁科にしな邸にも届いていた。

 ダイニングテーブルに置かれたタブレットPCの画面の中で、大庭主仲間たちがワイワイと小さく切ったケーキを皿に取り分け配りはじめたのを機に、仁科まきえもキッチンへ動く。

まもるさん、私たちもケーキをいただきましょうか。ピーマンケーキではないけれど、負けず劣らず、きれいな緑色だと思わない? ハウスキーパーさんお手製の緑茶シフォンケーキよ。私の大好物」

「うん」両手で磁器のカップを抱えて紅茶を啜っていた福田江が返事をする。

 まきえと福田江は体力的な問題で、オンライン会議システムを使っての参加、とした。

 画面にピッポの顔が大映しになる。どうやらカメラの角度を気にしているようだ。

「あらあら、ハンサムなミイラさんが……ピッポさんのスーツ姿は見惚れるわね」

「まきえさん、楽しんでいらっしゃいますか?」ピッポの声が届く。

 まきえはマイクをオンにする。「ええ、とってもハッピーな気分よ。カメラが自動で切り替わるから、いろんな方の様子がわかって楽しいわ。でも、主役のの姿が……さっきから全然見えないんだけど」

「はて、」とピッポ。「世界一ハッピーな男が透明人間になりたい、などと嘆くはずもないし……幸せすぎてトイレで泣いているのかもですね」

「まあ」


 パーティーがお開きとなると、まきえは福田江の車椅子を押して家の外に出た。アトラクション庭園は閉園日であった。遊戯施設の点検に来ている業者と会釈してすれ違うと、まきえは言った。

「護さん。今日は天気もいいし、リピテーション・スライドの方へ行ってみましょうか? あそこの坂はね、私が知るかぎり、このアトラクション庭園で最美な散歩道なのよ。のぼっていく途中、視界全部が空って感じになって、おそらく、レモンさんちの空中庭園にいるのと同じような爽快さが味わえるはずよ。私の体力的に頂上まで連れて行ってあげられるかどうかは疑問なんだけど」

 園路がT字となっているところまで来ると、足が止まる。まきえたちが向かうのとは逆方向から一人の女性が歩いてきた。福田江が真っ先に気づいて「レイサ」と声を発する。

 レイサはまきえに近づくと深々と頭を下げた。

「レイサ・フルークです。いろいろとご迷惑をおかけしました。護さんのことを引き受けてくださり、本当に──」

「私は迷惑なんて、誰からも、ちっとも憶えがないのよ」まきえはたおやかに微笑む。 

 レイサは福田江の下にひざまずくと、福田江の手に自分の手を重ねた。「護さん。私たち、ちゃんと謝っていなかったわね。私もガスも、あなたを急に知らない街へ連れ去って、それで三人で暮らそうなんてわがまま言ってマンションに閉じ込めて、振り回したわよね。本当にごめんなさい」

「レイサ……」福田江はレイサの伏せた後頭部を見つめる。

「あなたの旦那さんのご様子はどう?」とまきえは訊いた。

「最近は夜、眠れるようになったみたいですし、食欲も戻ったみたいで。ルカラシー・ドルゴンズさんや数名の方が被害届を取り下げてくださっていて、弁護士さんも、今後の態度次第ではそれほど重い罪にはならないだろうと……。ただ、まだガスの仲間たちは洞窟ごと逃げたままですし、大庭主の皆さんはいっぱい嫌な思いをされて、私が彼を庇う発言をするのはご不快でしょうし、ご納得いかないとは思うのですが、私にとって彼は大切な人です。これからも支えていこうと考えています」

「あなたにとってラフローさんはご家族で、かけがえのない人だって、私にもわかる。世間の人たちだって意見を言ったり文句を言ったり自由にやっているわ。あなたが遠慮しなきゃならない理由はないわよ」

 まきえの言葉にレイサは唇を噛みしめ、頷く。「ありがとうございます、仁科さん」




 最終話「キッパータックの庭で」へ続く

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