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 あまりにも無遠慮で、前置きすらない要求に、アカネは一瞬何を言われたのか分からなかった。ややあってようやく飲み込めた時、頭に流れる血が一瞬で沸騰したような感覚を覚える。

 殆ど無意識に、アカネはマキナのすぐ傍まで駆け寄り、怒りの形相で問い詰めていた。


「『わだつみ』を渡せ!? いきなりやってきて、一体何を――――」


「理由はある。それをこれから説明しよう」


「っ……!」


 あまりにも淡々としたマキナの態度に、アカネは自分の過熱ぶりに気付く。親の形見を渡せと言われ、ついカッとなってしまった。

 ほんのついさっき自分の感情的なところを後悔したばかりだというのに、この体たらくだ。三つ子の魂百までとは言うが、あまりにも反省がない。後悔よりも羞恥が先に立ち、後退りするようにマキナから離れたアカネは、「ごめんなさい」の一言をぽつりと零した。

 尤もマキナはアカネからの謝罪などどうでも良いのか、顔色一つ変えず、腕を組んだまま自分の話を始める。


「現在、ニホンレットウ近海に『沖』からやってきた海生物が居着いている。お前が救助した『アスカロン』の乗組員より聞き出した話から、我々は奴を『マッコウクジラ』が海生物化した種であると断定した」


「……マッコウクジラ?」


「三百年前、大海原に生息していた海生哺乳類の一種だ。魚類が海生物化していく中で個体数が激減したと古文書に記されていた事から、現代では絶滅したと思われていたが……まさか『沖』の生物になっていたとはな」


 聞き慣れない種名にアカネが訊き返すと、肩を竦め、呆れたような、困り果てたような、受け取り方に困る仕草をマキナは見せる。

 『マッコウクジラ』という生物が三百年前にどのような生活をしていたのか、アカネにはさっぱり分からない。しかし元を辿れば海生哺乳類であるのなら、色々な事に説明が付く。海面から浮遊してしまうほど電磁フィールドが強いのにどうやって息をしているのか、何故鳴き声を出せるのか……哺乳類なのだから当然肺呼吸で、声も出せるというだけの話だ。

 そして圧倒的な力を持っているのなら、最も基本的な対策こそが有効である。

 即ち、放置だ。


「……なんにせよ、放置が一番の手よね。あれだけ強力な電磁フィールドが張れるなら、エネルギー消費も多いだろうし」


 強力な電磁フィールドを纏えば、その分エネルギー消費も増加する。『マッコウクジラ』がどれほどのエネルギーを日々使っているかは分からないが、あの出鱈目な戦闘力だ。相当エネルギーを使うだろう。

 いずれ奴は腹を空かせて帰っていく。無理に倒す必要はない。

 そう、それを自分は――――


「その通り、と言いたいところだが、実は一つ問題がある」


 再び自己嫌悪に陥り俯くアカネだったが、マキナはアカネの出した答えを否定した。

 まさか否定されるとは思わず、アカネは無意識にマキナと向き合う。マキナは悩ましげに、或いは腹立たしげに、顔を横に振りながら語り始めた。


「そう、その問題は奴が強過ぎるという事。戦闘力が極めて高く、狩猟能力に優れているんだ」


「……まさか、近海の生物密度でも定着可能って事?」


「いや、そうはならない。獲物となる海生物の生息数の回復が追い付かないからだ。いずれ獲物を食い尽くし、餓死するか帰るかするだろうさ」


「なんだ、なら何が問題なの?」


「言っただろう、獲物を食い尽くすんだよ」


 アカネの疑問に、マキナは先に述べた言葉をもう一度語る。何かの謎掛けか? アカネは訝しく感じながらも、その言葉の意味を考えてみる。

 ――――答えはすぐに分かった。謎掛けでもなんでもなかった。

 だからアカネの顔から、血の気が引いていく。


「食い尽くすって……まさか、本当に食い尽くすって事!? 一匹残らず!?」


 思わず叫ぶように、アカネはマキナが教えてくれた事をオウム返しするように訊き返してしまった。


「我々が頼りにしている学者は、そうだと言っている。我はアイツの言葉を信じているだけだ」


 マキナはなんて事もないかのように肯定したが、アカネの顔色はどんどん悪くなる。いや、この『予測』を聞かされ、どうしてマキナは落ち着いていられるのか。

 海生物は、全盛期の人類文明を崩壊させた恐ろしい魔物だ。同時に今の人類にとって、彼等は貴重な食糧でもある。カロリー計算で九割以上の依存度だ。仮に海生物が食べられなくなったら、今の人口は到底維持出来ない。地上の荒廃も回復する兆しすらない現状、大慌てで農業への移行も不可能だ。海生物の衰退はそのまま人口の衰退を意味する。最早人類は海生物なしには生きられない。

 『マッコウクジラ』が食い荒らそうとしているのは、そうした貴重な『海産資源』である。


「あの『マッコウクジラ』を野放しにすれば、かつてアジアと呼ばれた一帯の海生物は激減するだろう。予測では種の絶滅を引き起こすような事はなく、奴が立ち去れば時間と共に個体数は回復するだろうが……人類はそうもいかない」


 文明の維持には、ある程度の人口が必要となる。複雑な技術には様々な工程があり、その工程を担う専門家、専門家達の使う原材料を生産する人員、そしてそれらの人々に食糧を与える食糧生産労働者が必要だからだ。事実全盛期の人類衰退の要因の一つは、食糧不足による人口減少が挙げられる。

 現代において人口が激減すれば、今の生活を支えている技術も一気に衰退するだろう。『マッコウクジラ』を起因とするそれが果たしてどの程度のものになるかは想像も付かないかが……もしも戦闘漁船を建設する技術を失えば、人類は狩猟採集の方法すら喪失する事を意味する。

 食べ物を満足に得られなくなった生物が辿る道は、進化か絶滅の二つ。

 果たして人類は、海生物に支配された海で食べ物を得られるような、駆け足の進化が出来るのだろうか? はたまた荒廃し尽くした地上で生きられる、馬鹿げた逞しさを手に入れられるのか?

 少しでも現実的な考えを持ち合わせていれば、その問いに対し誰でもこう答えるだろう。どちらも全く期待出来ない、と。


「『マッコウクジラ』を倒せなければ、アジア圏の人類は本当に絶滅する。これは絵空事でなければ、ジョークや可能性の話でもない。間近までやってきた、現実的な脅威だ」


 漁師という仕事だからこそ、海生物と人類の関わりを強く意識しているアカネに、マキナの言葉を否定する事など出来なかった。


「な、なら、なんとかしてそいつを倒さないと……」


「そのために我等はやってきた。慈善事業ではないが、志としては人類の守護が我等の組織の柱だからな。しかし……」


「……しかし、何よ」


「実を言うと我等が持つ武装に、『マッコウクジラ』を倒せるものがない」


 あっけらかんと、まるで大した問題ではないかのようにマキナは答えた。口調だけで誤魔化せるほど、小さな問題ではないというのに。


「ぶ、武装がない!? どういう事!?」


「そのままの意味だ。確かに軍隊は旧時代の遺産を多数保有している。我が軍はジエイタイなる組織の兵器を数多く所有しているが、この軍隊は全盛期の人類において上位の戦闘能力を有していた。それは今も変わらない。が、そもそも旧時代の武装では海生物に歯が立たなかったから、人類はここまで衰退している。我等が持っている武器は対人間や施設には絶大な効力を発揮するが、海生物相手には分が悪い」


「じゃあどうすんのよ!? 並の砲撃じゃ、あの電磁フィールドは破れないわよ!?」


「だからこそ、君達の船である『わだつみ』が必要なんだ」


 マキナの、きっぱりとした言葉。

 それを正面からぶつけられ、アカネは息を詰まらせた。マキナはアカネが黙ったのを確かめるように眺め、悠々と自身の『計画』を語り出す。


「電磁フィールドを破るためには、高い運動エネルギーを有した物体の衝突が最適解……というのは、漁師である君にはわざわざ説明するまでもない事だろう。『わだつみ』が搭載している主砲は、正にその方向で進化したものの極みだ。アレならば、奴の電磁フィールドに大きな打撃を与えられる」


「……無理よ。だって、アイツは至近距離の艦砲射撃を受け止めたのよ。『わだつみ』の主砲でも、アイツの電磁フィールドは破れない」


「一隻では、だろう? 電磁フィールドは攻撃を防ぐ際、出力が僅かながら低下する。一隻の漁船が持てる連射性能ではそれを意識する必要はないが、その発射間隔を補える仲間がいればどうなる?」


「……………なら、やっぱりアンタ達の船だけでも」


「それが出来ない理由が二つある。単純に火力が足りない。計算上我が軍の砲撃練度と射撃間隔で達成出来る電磁フィールドの出力低下限界は、我が軍が主砲として採用している艦砲の威力を大きく上回っている。しかし『わだつみ』の主砲ならば、最大限出力が低下した状態の電磁フィールドを破れると予想している」


「じゃあ、砲だけ持っていくとか」


「二つ目の理由は、『わだつみ』の主砲を積めるような大型艦が、我が軍どころか近隣の漁船にもないという事だ。一般的な海生物漁に特化した結果、どの船も小型化・高速化・軽量化が進んでしまってな……全体で最適化を推し進めた結果、予想外の事態に対応出来る存在がいない。多様性がないんだ、今の文明には」


「……兵器の電子化を進め、大口径艦砲を衰退させた結果、海生物に負けた三百年前のご先祖様達と同じ轍を踏んでるわね」


「返す言葉もないとはこの事だな。万一に備えて武装の多角化を進めてきたつもりだがこの様とは、我ながら実に情けない」


 ぽつりとマキナが漏らした言葉には、今までのような自尊心は感じられない。うっかり、本音が漏れ出たのだろう。

 マキナも自分の言葉に思うところでもあるのか、こほんと咳払いを一つ。ただそれだけで気持ちの整理が付いたのか、再び自信、或いは威厳に満ちた表情を浮かべる。


「要するに、現状『わだつみ』以外に『マッコウクジラ』を打倒する事は不可能という訳だ。一応新造艦を作るという手立てもあるにはあるが、あまりに時間と人手が掛かり過ぎる。何より……」


「何より?」


「『わだつみ』のように馬鹿デカい砲をくっつけた船をいきなり組み立てるのは、現代の技術ではかなり難しいらしい。実戦を繰り返し、乗組員の体感を元にして少しずつ成長させないと、そよ風が吹くだけでひっくり返る欠陥品にしかならないそうだ。仮に出来上がっても、成長に付き合った乗組員以外まともに扱えないじゃじゃ馬だとさ」


「……悪かったわね、魔改造船で」


「弁明しておくと、技術者は褒め言葉として先の言葉を言っていたぞ」


 マキナは快活に笑い、アカネは唇を尖らせてから、ため息を吐く。

 今の話で、彼女が自分達の船を接収したい理由は分かった。同時に、その接収がマキナにとって不本意である事も、だ。『わだつみ』は長年連れ添った自分達でなければまともに動かせないと、技術者のお墨付きである。そこらの素人を乗せても、ちんたら進むのが精いっぱいか。

 無論『わだつみ』の主砲でなければ『マッコウクジラ』を倒せないのだから、要らないという答えは出てこない。拒めば無理矢理にでも持っていくだろう……しかしまともな運用をするには、アカネ達の協力が不可欠。マキナは不遜な態度を取っているが、内心はかなりハラハラドキドキしているのかも知れない。何時ものアカネなら、足下を思いっきり見てやるところだ。

 だけど、今は――――


「……ごめんなさい。今は……答えを、出せない」


「何時なら出せる?」


「アオイが、妹が目を覚ましたら」


 アカネの『頼み』に、マキナは顎を擦りながら考え込む。

 やがてちらりと、未だベッドの上で寝たままでいるアオイを見た彼女は、何を思ったのだろうか。一瞬にたりと笑みを浮かべるや踵を返し、アカネに背を向けた。


「『わだつみ』の修理は既に行わせている。作戦決行は『わだつみ』の修理が完了する二十六日後だ。それまでの返答を願うよ」


 そしてそれだけ言い残すと、片手を軽く振りながら、部屋から出て行った。

 残されたアカネはしばし、マキナが出て行った扉を見つめる。何時までも何時までも見続け、その場で静かに俯き、頭を抱えて蹲る。


「……う、うぅ……私、は……!」


 そのまま嗚咽混じりの、苦悶に満ちた声を漏らした。

 しばし、嗚咽だけが室内を満たす。涙は幾ら出ても止まらなくて、このまま身体が干からびてしまうような気がした。けれどもアカネはそれでも良いと思っていた。このまま朽ちてしまえば、きっと悲しい事も忘れてしまえるから。

 だからアカネは泣いた。泣き止もうとは思わなかった。ずっと、ずっと、本当に自分が干からびるまで泣こうとして――――


「おねえちゃん、なかないで」


 ベッドから聞こえてきた声で、我を取り戻した。

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