12
跳ねるように顔を上げ、アカネはベッドを、大切な妹の方を見る。
アオイは、まだベッドの中で横になっていた。
だけどその目はパッチリと開かれていて、アカネの方を見ていた。
アオイと目が合ったアカネは一瞬喘ぐように口をまごつかせ、目を一層潤ませ……何かを言うよりも先に、寝ているアオイに抱き着いていた。
「アオイっ! アオイ! アオイ、アオイぃ!」
「もう、おねえちゃんったら、急に甘えん坊さんになったみたい」
「だって、アオイ……!」
何かを言おうとしても、ちゃんとした言葉の前に愛しい妹の名前が出てきてしまう。恥ずかしさと、嬉しさと、他にもなんだか色々ぐちゃぐちゃとした感情が込み上がり、頭の中が虹色に染まるような感覚を覚える。
あまりにも感極まり、アカネの目からポロポロと、大粒の涙が再び零れ始めた。折角見られた妹の顔が見え難くなる。無我夢中で涙を拭うが、涙腺は弛んだままで、開けっ放しの蛇口のように流れ出てくる。
気付けば両手で目許をずっと擦っていて……アオイの小さな手が頭に乗り、撫でてくるまで、アカネの涙は止まらなかった。尤も涙が止まると、今度は顔が茹だっていくのが止まらないのだが。
「よしよーし」
「……アオイ。流石にこれは、その、恥ずかしいのだけど」
「えー? 今のお姉ちゃん、小さい子みたいで、可愛いのに」
「だからそれが恥ずかしいんだってば」
文句を言ってもアオイの手は止まらず、アカネの髪をくしゃくしゃにしていく。アカネは頬を膨らませ、憤りを露わにした。自分の頭に乗せられた手を、払い除ける事はしなかったが。
時間と共に、少しずつだがアカネの激情も鎮まっていく。そうして空いた胸の隙間に湧いてくるのは、罪悪感。
「アオイ……ごめんなさい」
その言葉は自然と、無意識に口から出ていた。
アオイは言われた事がよく分かっていないかのように、小首を傾げる。目もパチパチと瞬かせ、本当に、キョトンとしている様子だ。
「……お姉ちゃん、なんで謝るの?」
「だって、私の所為でアオイは怪我をした訳で……私がアオイの言う通り、すぐにアイツから逃げていれば、アオイが怪我する事もなかったから……」
「ああ。そういえば、そうかも」
納得したように、アオイは頷く。
そして、ごちんっ! と音が鳴るほど強く、アカネの頭をげんこつで叩いた。
割と本気っぽい一撃で、油断していた事もありアカネは「ごぶっ!?」という不様な声を上げてしまう。すると、ツボに入ったのだろうか。アオイは自分が殴ったにも拘わらず一瞬呆けたように目を点にし、それからゲラゲラと心底楽しそうに笑い出した。
「あははははっ! 何変な声出してるのさー」
「うぐぐぎぎぎぎ……い、いきなり叩かれれば、誰だって、こうなるわよ……」
「ふふっ。あー、スッキリした……はい、じゃあこの話はこれでおしまいね」
手を叩き、終わりを強調するアオイ。無理やり話を終わらされ、アカネはムスッと唇を尖らせた。
そう、あまりにも呆気なく終わりを告げられたから、アカネも流されそうになってしまった。
自分のしてしまった事を、ただのげんこつで許そうとしている事を。
「……いや、アオイ。ちょっと待って」
「待たない。おしまいったらおしまいなの」
「そんな訳にもいかないでしょ!? だって私、アオイの事」
「それ以上言ったら、本気で怒るよ」
ぴしりと、鞭を振るうような鋭い牽制。
妹からの一言に、アカネは思わず口を閉ざしてしまう。それはアオイが本当に、心から怒っている時の言い方だった。
だから、これは本当に言ってはいけない言葉。
ごくりと、喉元まで来ていた言葉を息と共に飲み込む。それからちょっぴり、深呼吸をして……代わりの疑問をぶつける。
「……なんで、許してくれるの」
「許してほしくないの?」
「理由もないのに、許されるよりは」
「そっか……私ね、お姉ちゃんの事、ちょっと羨ましく思ってたんだよ」
「羨ましい?」
訊き返すと、アオイはこくりと頷いた。それから照れたようにそっぽを向き、目を閉じ、嬉しそうに笑う。
「こんな時代に産まれたから……なんてのは、言い訳かな。私って、何事もすぐに諦めちゃうでしょ。きっと駄目だ、もうお終いだーって。生きる気力が足りないっていうか、やる気がないというか」
「……時々は、そう思わなくもないけど」
「それに結婚だって、生きるための手段ぐらいにしか思えない。恋とか、愛とか、そんなの金持ちの道楽ぐらいだって考えてる。パパとママは、その恋とか愛で結ばれて、私達を産んでくれたのに」
「それは仕方ないじゃない。それこそ、こんな時代なんだし。アオイみたいな考えの子なんて、珍しくないわよ」
話している間に俯いてしまったアオイに、アカネは励ますように言葉を掛ける。
これは心にもない言葉なんかではなく、アカネの本心だ。時代錯誤な考え方なのは自分の方で、アオイの考えの方が『正しい』。むしろアオイは自分の意固地な考え方の所為で、色々苦労させている筈だ。
「だから、お姉ちゃんが羨ましいの」
アカネのそんな気持ちを読むように、アオイは首を横に振りながら答えた。
「お姉ちゃんは何時だって、自分の信じた事をやってる。出来ないに決まってるなんて思わなくて、やってみせるって思ってる。私は、そんなお姉ちゃんが大好きなの」
「アオイ……」
「お姉ちゃん。さっきはなんで泣いてたの? もう一度、あの海生物と戦うのが怖いから? 『わだつみ』を取られちゃうのが嫌だから?」
問われた言葉に、アカネは静かに、首を横に振る。
海生物と戦う事は怖くない。『わだつみ』を取られる事も……嫌だが、怖くはない。
怖いのは、もう一度アオイが傷付く事。
自分の浅はかな激情が、奪われた家族の仇を討つどころか、家族を失う原因になるのではないか――――
「大丈夫」
思うだけで言葉にならなかったアカネの頬を、アオイは優しく撫でてくる。
アオイの手は、ちょっと冷たい。
それが自分の火照った頬と混ざり合って、少しずつ温まっていく。自分の頬の熱さは、アオイに渡した分だけ冷めていく。
冷た過ぎるアオイ。熱過ぎた自分。
自分達は、片方だけではあまりに不安定だ。だけど二人なら、きっと丁度良い。二人でなら、一人前になれる。
二人なら、やりたい事が出来る筈。
「アオイ。私……パパとママの仇を討ちたい。『わだつみ』を誰にも渡したくない。だけどアイツを見たらきっと、また自分を見失うと思う。だから、私がまた自分勝手な事をしたら……頭を一発引っぱたいてくれる?」
「うん、分かった。私からも、お願いしても良い?」
「勿論」
「私が怯えてばかりで、何も出来なくなったら、ちゃんと引っ張って。一人で行こうとしないで、私も必ず連れて行って。約束だよ?」
アオイはベッドの中から、小指を立てた手を伸ばす。アカネはその小指に自分の小指を絡ませた。
「「ゆーびきーりげーんまん、うーそ吐いたら針千本のーます。指切った」」
それから同時に、歌い出す。息を合わせる必要なんてない。
くすくすと笑い出すところまで、二人一緒だった。
「ありがと、アオイ。マキナの奴に、ちょっと言ってくる。あ、勿論その前に先生を呼ぶから」
「うん。二十六日後だっけ? それまでに体調治すようにするね」
「無理はしちゃ駄目だからね。じゃ、先生を……あ、そうだ」
ベッドから少しだけ離れ、ナースコールのボタンを押そうとした寸前にアカネは指を止めた。次いでくるりと振り返り、ベッドの中でキョトンとしているアオイと向き合う。
「? お姉ちゃん、どうしたの?」
「いや、大した疑問じゃないんだけどさ」
「うん」
「なんで『わだつみ』が取られるかも知れないって知ってるの? あと二十六日後に出発の事もだし、マキナって誰なのか知ってる訳?」
「……あ」
しまった、と言いたげなアオイの顔。
双子でなかったとしても、その顔を見れば全てを悟るのは簡単だろう。お姉ちゃんであるアカネに、分からぬ訳がない。
「あーおーいー? 念のために確認するけど、何時から起きてたのよアンタ」
「……目を覚ましてって、お姉ちゃんに頼まれた辺り」
「殆ど最初からじゃん!?」
「お、起きようとしたよ!? でもその後あのおばさんが来たから起きるタイミングなかったんだもん!」
「死にかけたんだからそんなの気にせず起きなさいよ! こっちは一秒一秒寿命が削られる想いしてんだから!」
「気にするよ! 絶対微妙な空気になったもん!」
「屁理屈言うんじゃないわよ冷血漢!」
「もっと考えてから言ってよ猪武者!」
わーわーぎゃーぎゃー、姦しい声が病院中に響く。その口ゲンカは如何にも年頃の娘達のそれであり、身体の中にあるエネルギーを途切れる事なく吐き出していた。
つまりは大変元気な訳で。
「……これなら、退院は、すぐになりそう、ですね」
ナースコールなしでやってきたキリタが部屋の外で独りごちていた事に、アカネ達が気付く事はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます