07

「はぁぁぁ……海は良いねぇ。誰とも顔を合わせずに済むから」


「いきなり何言ってんの? というか私と毎日顔を合わせてるじゃん」


 感極まったような妹の言葉に、アカネは首を傾げた。

 輸送の仕事を終え、アカネ達が乗る『わだつみ』は帰路に付いていた。インドネシアショトウで受けた修理は大変質が良く ― 変な修理をしないよう、アカネがきっちり見張っておいた成果もあるだろうが ― 、『わだつみ』の運用に支障は出ていない。何十トンにもなる荷物を下ろした分、速度と小回りに関しては行きよりも好調なぐらいだ。今も豪快なエンジン音を奏でながら、燦々と朝日の降り注ぐ大海原を駆けている。

 そんな快適な帰り道故に操縦士である我が妹は上機嫌で、だから変な事を言うのだろうか? 妹の気持ちをなんとか理解しようとするアカネだったが、なんだか納得出来ず、分からず終い。しかしどうせ大した事ではないだろうと、あまり真面目に考えるつもりもなかった。

 それに自分は『艦長』なのだ。何時海生物に襲われるか分からない大海原のど真ん中、一瞬たりとも周囲の警戒を怠ってはならない。

 ……その警戒も、今に限れば不要なのだが。


「それにしても、随分豪快な警備よねぇ。やっぱり暇なのかな」


「ご好意は素直に受け取った方が良いと思うよ、お姉ちゃん」


 無意識に呟いた言葉に、今度はアオイがツッコミを入れてくる。

 ソナーに映る、七つの小さな白い点。

 併走してくるそれらは、言うまでもなく海生物――――ではなく、『わだつみ』の護衛に付いたコウ達の船だ。ボロボロになった行きは兎も角、帰りまで護衛されるなど漁師の恥だ! と言って断ったのだが、コウは聞く耳を持たず。妹のアオイからも「『沖』の生き物がいるって話だし、守ってもらう方が得じゃない?」と極めて合理的な意見を言われ、反論など出来る筈もなく。

 かくしてアカネは、コウ達の護衛を受ける羽目になったのだ。


「ああもう……ほんとにお節介なんだから……」


「してもらえる方が、ありがたくない?」


「ありがたいけどさ……」


 はぁ、と小さなため息を漏らす。辺りを警戒する必要がないので、存分に項垂れる事が出来た。


「それとも、『沖』の海生物には自分が会いたいとか思ってる?」


 ただし、アオイがこんな疑問をぶつけてくるまでの間だったが。


「……何よ、いきなり」


「だってお姉ちゃんも私と同じで、基本的には使えるものは使う派じゃん。悪態の一つぐらいは吐いても。だから何時までもぶーたれてるのは、コウさん達と一緒に行動したくない理由があるのかなって。で、思い付いたのがそれ」


「逆に訊くけど、なんでそんな事すんのよ」


「パパとママの仇かも知れないから、とか?」


 ピクリと、アオイの一言でアカネは眉間に皺を寄せる。

 もしもこれが妹からの言葉じゃなければ、相手の胸倉を掴むぐらいの事はしたかも知れない。

 何分その指摘が、図星を付いていたので。


「……なんでそう思う訳?」


「お姉ちゃん、パパとママが死んでから『わだつみ』の武装をどんどん強化していったから。それも重武装化。狙うのも大型種ばかりだし。あの時の海生物も多分大型種だし、倒すための練習も兼ねているのかなって」


 アオイの言葉に、アカネはしばし無言を貫く……アオイが延々と返事を待つものだから、大きなため息を吐いて肯定しておいた。

 流石は我が妹と褒めるべきなのだろうか、それとも自分の分かりやすさを反省すべきなのか。

 しばし考え込み、アカネはゆっくりと顔を上げる。元より間違った事をしているとは思っていない。なら今度は、アオイの考えを問い詰める番だ。


「アオイはさ、パパとママの仇を討とうとは思わないの」


「出来る事ならしたい。でも無理に討とうとは思わないし、倒してくれるのなら自分以外でも構わない」


「ああ、成程」


 すごくアオイらしい考え方ね。

 何気なく漏らした、たった一言。他人や友人ぐらいなら、その言葉の奥底にあるものなど気付かなかったに違いない。

 しかしアオイは肉親だ。十七年もの間、ずっと一緒に暮らしていた。たった一言からアカネの心を見抜くなど造作もない。

 だから振り返った際の目付きが、睨むようなものだったのだろう。

 見抜かれているのなら、言っても言わなくても同じだ。同じだから、自制が利かない。本当は、言ってしまうのと、言わないでおくのとでは、明らかに違うというのに。


「私には親の仇が今ものうのうと生きてるなんて、そんなの我慢ならないのに」


 ついアカネは『本音』を告げてしまった。

 一瞬。

 ほんの一瞬で、操舵室の中が静まり返ったような気がした。此処にはアカネとアオイの二人しか居ないのに。その後続いた沈黙も、ほんの一呼吸ぐらいの時間しかなかったのに。


「……あっそう」


 たった一言の返事を最後に、姉妹の会話は途切れた。

 後は黙々と、船を操舵するだけ。

 『わだつみ』のエンジン音だけが操舵室に響く。『わだつみ』が自動航行状態のためやる事がないアオイは虚空を眺めながら退屈そうに足をパタパタと動かし、アカネはモニターに表示されるニホンレットウまでの推定距離が刻々と減っていくのをぼうっと眺めるだけ。

 無為な時間が、過ぎていく。

 その時間を終わらせたのは、アカネの席にある通信機から鳴り響く、着信を知らせる音だった。

 ぼうっとしていたアカネはビクリと身体を震わせ、アオイも驚いたのか反射的にアカネの方へと振り返る。ふとした拍子に目を合わせた二人は、ハッとしたように二人同時に目を見開き、二人同時に視線を逸らす。

 こほん、と咳払いをして気持ちを切り替えてから、アカネは通信機のスイッチを入れた。


「はい、こちら『わだつみ』」


【こちら『フラガラッハ』】


 アカネが応答すると、通信機から聞こえてきたのはコウの声と、彼が乗る船の名前だった。

 反射的に顔を顰めそうになるアカネだったが、すぐに真剣なものへと変える。今し方通信機越しに聞こえたコウの声は、自分を口説く時のような甘さがない。真面目で、余裕がない声だ。少なくとも、世間話をするための通信ではないらしい。


「何か用、ジュリオ」


【仲間の船が魚影を捕らえた。現在はソナーに映っていないが、一瞬見えた魚影はかなり大型だったと聞く。そちらのソナーに反応はないか?】


「って、事らしいけど」


「うちのには、特に反応はなかったと思う」


 訊けば、アオイはすぐに答えてくれた。思う、と曖昧な表現はしているが、間違いはないだろう。例えお喋りの最中であっても、ましてやケンカ中だとしても、アオイが魚影を見逃すなんてアカネには思えないのだから。

 『わだつみ』のソナーとコウ達の船のソナーは、同じぐらいの性能を有している。恐らく距離的な問題で『わだつみ』のソナーには映っていないのだろう。


「一応警戒はしておくけど、あまり期待しないでよ」


【ああ、そうしておこう……何かあれば連絡をしてくれ。以上。通信を終わる】


 コウは最後に少しだけ何時もの調子を取り戻した口振りで返し、通信終了を伝える。漁師のマナー ― というより慣例だが ― として、通信の終え方は『話し手』が終わりを伝え、受け入れた聞き手が通信機のスイッチを切るもの。アカネもそれに従い、自分から通信のスイッチを切った。

 それから、考えを巡らせる。

 ソナーに一瞬だけ映った大型種らしき影……なんらおかしな話ではない。海生物は大型種ほど電磁フィールドが強力になり、その電磁フィールドの影響でソナーに映り難くなるもの。しかしながら海生物もまた生物であり、代謝などの影響から電磁フィールドが乱れ、一瞬だけソナーに映る事があった。その一瞬を、運良く見る事が出来たのだろう。

 問題は、だとしたら大型種が近くに来ているという事。大型種の戦闘能力は極めて高い。可能な限り遠距離から撃破するのが好ましいが、しかしソナーに映らないとなると位置の把握は困難だ。

 では大型種の接近にはギリギリまで気付けないものなのか? その答えは否だ。

 強力過ぎる電磁フィールドは水中での移動を妨げてしまう ― 水圧と海水中の金属イオンが電磁場に干渉するためらしいが、現人類の科学力ではよく分からない ― ため、大型種は深海まで潜れない。最大級の海生物になると、常に海面から背中丸出しで泳いでいる事もあるぐらいだ。他の海生物も似たようなものだが、大型種はこの傾向が顕著である。

 即ち、大型種らしき影が確認出来たら海面付近を『目視』で見張る。これが基本の対策だ。


「ちょっと望遠レンズで外見てる。何かあったら教えて」


「分かった」


 アオイに指示を出し、アカネはすぐに『わだつみ』の望遠レンズを覗き込んで辺りを警戒する。

 ……少なくとも、見える範囲に海生物らしき姿はない。

 大型種は身体に比例して脳も大きくなり、中には高い知能を持つ種もいる。『わだつみ』含め八隻もの大艦隊を目にして、自分の不利を理解してそそくさと逃げ出すという事も十分あり得た。

 姿は何処にもなく、ソナーを見ているアオイからの連絡もない。だとすると、やはり逃げたのではないか。

 十分以上なんの進展もなく、アカネの集中力も切れてきた。コウ達の船も同じ対応をしている筈なので、自分が一時的に目を離しても問題はない筈。一旦気持ちを切り替えようと、アカネは双眼鏡から目を離した


「お姉ちゃん!」


 丁度そんな時に、アオイが叫んだ。

 油断をしていた時の大声に、身体が自然に跳ねる。望遠レンズを押し退け、アオイが居る前部座席に身を乗り出した。


「どうしたの、アオイ。なんかあった?」


「なんか、ソナーに変なのが……」


 アカネが尋ねると、アオイはソナーを指差しながら困惑した様子で訴える。

 見れば、確かに奇妙な白い影が映っていた。数は三。大きさはかなり小さく、速度は……時速三百キロ近い。

 凄まじい速さだった。これほどの速さとなると『マグロ』か。アカネはすぐに望遠レンズを覗き込み、ソナーに反応があった周辺の海面を注視する……が、何も見えない。いくら待っても、全然。

 自分が見ている場所を間違えている? 急いでアカネはソナーをもう一度見るが、しかし反応は間違いなく自分が覗いていた場所にあった。では潜っているのか、とも思ったが、映り込む白点の濃さからして海中ではない。いや、そもそもこの濃さは海中ソナーの反応ではなく、併用している対空ソナー側の反応のようだった。対空ソナーは海面よりも上に浮かぶものを捕らえるための機材。つまり相手は

 あと自分達の隣を走る船と、そろそろ重なる頃じゃないか。

 ――――その考えと共に悪寒が背筋に走った、丁度その時だった。

 ズドン! と、身体に響くような爆発音がしたのは。

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