バトルシップ・シスターズ

彼岸花

01

 雲一つない青空が広がる真昼の大海原を、一隻の船が走っていた。

 それは全長五百メートル以上ある巨体を誇り、何キロにも渡って轟くエンジン音を奏でている。船体表面には無数の傷が刻まれていて、数多の戦場を切り抜けてきた事を物語っていた。

 そして甲板に乗っているのは、巨大な砲台。

 砲台は多数乗せられていたが、特に巨大な砲台が三つある。一つの砲台には三つの砲身が存在し、その砲身の口径は六十センチに達していた。ここから放たれる砲弾は分厚い艦船の装甲を易々と射抜き、致命傷を与える事だろう。砲台は船体前方に二つ、後方に一つが配置され、それぞれが睨むように海原へと向けられている。

 この巨大な砲台同士の間を埋めるように設置された、口径四十センチの砲を二つ繋げた砲台が合計十六門、船体側面には口径十センチの砲台が片側三十ずつ装備されていた。機銃も何十という数が配置されている。全身が武器だといっても過言ではない姿故か、ただの『金属』の塊にも拘わらず舟は強い威圧感を放つ。

 戦いになれば、どんな相手だろうと負ける事などあり得ない……目の当たりにした人間は誰もがそう思うだろう。


「ひぃぃぃぃん! もう駄目だぁ、お終いだぁ!」


 が、船に乗っている齢十六ほどの『少女』は、そうは思っていないようだった。


「さっきから何弱気になってんのよ! そんな暇あったらさっさとエンジン出力上げて!」


 弱気になっている少女に、その少女が座っている座席の後ろに居る、栗色の髪をした『少女』が喝を入れる。弱音を吐いている方とは違い、こちらは随分と強気な様子。表情は凜としていて、口調も強い。

 しかし弱気になっている少女は無理だと言いたげに、自前の黒髪が乱れるほど勢いよく首を横に振った。こちらは今にも泣きそうなぐらい目を潤ませ、身体はぷるぷる震えている。顔立ちは強気な少女とだが、目元口元が醸す雰囲気は真逆。例え髪色が同じだったとしても、見分けは簡単に付くだろう。

 二人の少女達が居るのは、数多の砲台を乗せたこの船の操舵室。

 室内に少女達以外の人影はない。人員の代わりとばかりに無数の機械が置かれており、それらから生じた熱が室温を高めている。高熱をやり過ごすため、少女達はどちらも半袖ミニスカートのセーラー服という可愛らしくて涼しい恰好をしていた。

 後部座席に座る勝気な少女の名前はアカネ、前部座席に座る弱気な少女の名はアオイ。彼女達は双子の姉妹である。

 そしてアカネはこの船『わだつみ』の船長であり、アオイは操舵手だった。


「さっきからやってるよぉ! やってるけど駄目だから弱気になってんの!」


「なんかあるでしょ! トイレとか冷蔵庫とか、そういう要らない場所の電力切れば幾らか推力に回せるんじゃない!?」


「だからそれも全部やってるの! もう搾りカスすら出せませんーっ!」


 わいわいぎゃーぎゃーと、二人の姉妹は大声で言い争う。それもかなり必死に。弱気なのはアオイの方なのだが、言葉に押されているのはアカネの方。段々と強気だった表情が強張り、額に冷や汗が流れる。


「ちっ! どうにかしないと不味いわね……!」


 言葉の応手の果てに、先に折れたのはアカネ。彼女はアオイとの口論を止めるや、天井から垂れ下がっている『望遠レンズ』を覗き込む。

 覗き込んだレンズには、海面で激しく水飛沫が上がっている光景が映っていた。

 大海原故に比較するものが何処にもないが、望遠レンズに刻まれた複雑怪奇な目盛りにより、飛沫が三十メートルの高さまで舞い上がっている事が分かる。更に猛烈な速さで移動しており、凡そ五十ノット ― 時速九十二・五キロメートル程度 ― もの猛スピードを出していた。何よりも問題なのは、その水飛沫はアカネ達の船目掛け直進している事。『わだつみ』は全速力で水飛沫から逃げているが、ほぼ同じ速度であるため引き離せないでいる……いや、ほぼ同じ速度というのは嘘だ。実際には、水飛沫の方が僅かに速い。接触まで、あと十分ほどだろう。

 そうしてアカネが観察を続けていたところ水飛沫が一際大きく飛び散り――――中から一匹の、煌く魚が跳ねた。

 その魚は、体長が百五十メートルを超えている。まるで潜水艦が飛び出してきたかのようにずんぐりとした体躯をしており、頭に付いている二つの目は血走るかの如く赤く染まっていた。ばっくりと開かれた口には歯のような突起が無数に生えており、この魚の獰猛さを物語るかのようである。そして身体は黄金の光を放ち、昼間の陽光の中でもハッキリ見えるほどの強さで輝いていた。

 なんとも恐ろしい姿を目の当たりにしたアカネは、大きく舌打ち。


「ああもう! なんだって『カンパチ』がこんな場所にいんのよ! コイツら浅瀬の生き物なのに!」


 そしてその魚の名前を、悪態と共に吐き出した。

 アカネは自らの座席の傍にあるレバーを操作。すると船体側面に備え付けられた口径十センチの砲台三十門が同時に動き、『カンパチ』と呼んだ巨大魚に狙いを定める。

 次いで、十センチもの太さがある金属の塊砲弾が、轟音と共に一斉に放たれた。

 もしも人間に当たったなら、一発で全身がバラバラに吹き飛ぶ威力の砲撃。コンクリートの壁どころか分厚い金属板である船体の装甲すら撃ち抜けるこの攻撃は、『カンパチ』の頭部へと集結するかのように集まり――――

 ガキンッ! という音と共に

 『カンパチ』は砲撃をものともしなかった。『カンパチ』を包み込む黄金の光が、まるで壁のように立ち塞がったのである。三十発の砲弾が次々と撃ち込まれるが、『カンパチ』は怯むどころかスピードを落とす事すらしない。全くダメージとなっていなかった。

 それでも鬱陶しいと思ったのか。『カンパチ』は大きく飛び跳ね、着水と同時に今まで以上に巨大な水飛沫を上げ……そのまま姿を消す。海面に水飛沫は上がっていない。船が走った後の、白い泡が見えるだけ。

 無論、だからあの巨大魚は此処から居なくなった、などと考えるのは浅はかというもの。何しろ相手は魚なのだ。本来の住処は跳び上がってきた海上ではなく、海中である。


「潜られた! ソナー再起動!」


「う、うん」


 アカネの指示を受け、アオイは自身の眼前にあるコンソールを目にも留まらぬ速さで叩く。と、床から一台の緑色のモニターが現れ、大きな円に、白い線がぐるぐると回る映像が映し出される。

 やがて円の下側……この船の後方を示す場所を線が通った時、白点が映し出された。


「ひぃ!? 追ってきてる!」


「そりゃあ、追ってくるでしょ。アイツらは何時だって空腹なんだから」


 取り乱すアオイに対し、アカネは苛立ちこそあるが冷静な口ぶりで答える。とはいえ、アカネとて焦っていない訳ではない。

 あの巨大魚は、自分達の船を襲おうとしている。金属で出来た船とはいえ、体長百五十メートルもの怪魚に襲われれば船体に穴が開いてしまうだろう。船に穴が開いたら、そこから浸水する。それに『わだつみ』には燃料や火薬もたっぷりと積まれているのだ。金属が擦れて火花でも出そうものなら、船体を吹っ飛ばすほどの大爆発もあり得る。

 なんとしてでも、あの『カンパチ』を打ち破らねばならない。幸いにしてそれを可能とする武器は積んでいる。甲板や船体側面にある砲台達だ。

 だが、砲撃では海に潜っている相手を叩く事は出来ない。大量の海水が壁となり、威力が減衰してしまうからだ。海面に出ていても通じないのだから、海中に潜んでいる状態でダメージになる筈もなく。


「(なんとかして海面まで誘わないと……確実に、アイツが海面にやってくるタイミングは……)」


 ソナーの映像を見つめながら、アカネは思考を巡らせる。アオイが今にも泣きそうな顔で自分を見ている事に気付き、少し強張った笑みを無理矢理にでも浮かべた。

 アカネは考える。考えて、考えて、考えて……やがてハッと、目を見開く。

 続いて浮かべた笑みは、先程までと違って本心から浮かべたもの。


「アオイ! そのまま全速前進! 私がやれって言うまで直進よ!」


「え? あ、う、うん!」


 アカネはアオイに指示を飛ばし、アオイは言われるがまま船を真っ直ぐ進ませる。

 しばし、船内には機械の駆動音と、ソナーの等間隔な音だけが鳴り響く。

 何度もちらちらと見てくるアオイに、アカネは何も言わない。じっと、ただただ押し黙る。

 ソナーは海中に潜む怪物の姿を白点の形で示し続けており、その距離が少しずつだが縮まっている事を映し出す。機械故に『わだつみ』は疲れる事なく全速力で海を駆けるが、『カンパチ』もまた速度を落とさず追跡してくる。距離が縮むほどにソナーは返ってきた音を強く捉える事が出来、『カンパチ』の反応を色濃く映し出した。まるで、カウントダウンが始まるかのように。


「お、お姉ちゃん! 来てる! もうすぐそこまで来てる!」


 アオイが悲鳴染みた声で知らせるが、そんな事はアカネだって分かっている。分かった上で、アカネは待っているのだ。

 アカネはじっとソナーを見続ける。瞬きすらせず、一瞬たりとも目を離さず――――やがて表示される白点はついに『わだつみ』の位置と重なった

 瞬間、白点の色が薄くなったのをアカネは見逃さなかった。

 ソナーは教えてくれたのだ。『わだつみ』の真下まで迫ってきた『カンパチ』が、この『わだつみ』を突き上げるように攻撃すべく一度更に深く潜った事を。今頃『カンパチ』は助走を付け、逃げ切れない『わだつみ』の船底に強烈な体当たりをお見舞いすべく突撃を仕掛けている事だろう。

 アカネは、この時を待っていた。

 全速力での体当たりは、そう簡単に止まれるものではないのだから。


「今よ! 面舵いっぱい!」


「う、うん!」


 アカネの指示に従い、アオイは困惑しながらも舵輪を力いっぱい回す!

 『わだつみ』は舵輪の動きに合わせ、方向転換を始める。エンジンは雷鳴が如く唸りを上げ、船全体が軋むほどの慣性を生じながら、その向きを変えていった。頑強な金属製の船体すら悲鳴を上げるのだ。柔らかな人間の身にはあまりにも強力な力に、アカネ達は苦悶の声を漏らす。内臓が押し潰されるような感覚と共に、胃の中身が本来の流れに逆らうように込み上がってきていた。

 しかしアカネ達の苦痛が報われないほどに、『わだつみ』は巨大だった。如何に身を引き裂かんばかりの慣性が発生しても、見た目の動きはそこまで早くはない。迫りくる『カンパチ』も船の動きを捉え、正確に軌道を修正している。レーダーの白点の動きから、アカネは『カンパチ』の動きが見えていた。

 まだ足りない。足りないなら補うしかない。

 だからアカネは、目の前にある一際立派なレバーを掴んだ。


「ちょ、お姉ちゃ」


 慣性により傾いた身体で、偶然にもその姿を見てしまったアオイは抗議するように姉を呼び、


「悪いけど無理」


 アカネはばっさりと、妹の『お願い』を斬り捨てた。

 瞬間、アカネは手に掴んだレバーを引き倒す。

 それと連動し『わだつみ』の巨大な、口径六十センチはある主砲三台とその上に乗る砲口九門が一斉に側面へと振り向いた! しかしながら主砲は甲板上にあり、『カンパチ』が潜む真下を向く事は出来ない。

 そんな事は、何年もこの船に乗っているアカネはとうに知っている。

 それでもお構いなしに、アカネはレバーのスイッチを押した!

 六十センチもある九つの砲が、一斉に火を噴く! 爆音は数十キロ彼方まで響き渡り、数十センチもある鋼鉄の装甲を容易くぶち抜く砲弾が、何もない海域を目指して放たれた。そして同時に、尋常でない『反動』が船体に襲い掛かる!

 静止状態でも船体を十メートル近く動かす威力。『わだつみ』の船体は更なる運動エネルギーを得た事で、旋回速度が加速する!

 直前での急加速。至近距離まで迫っていた生き物は、この急激な動きについていけず――――

 ほんのコンマ数秒前まで『わだつみ』が漂っていた場所に、『カンパチ』が飛び上がった。

 攻撃を外し、『カンパチ』はその赤い目を驚くようにぎょろりと動かした、が、すぐにその身を激しく捩る。勢い余って海面から飛び出した身体は、今や空中に浮いてしまっているというのに。水中を泳ぐのに適した身体は、空中で方向転換する事など出来ないのに。

 それでも『カンパチ』は動かずにはいられないのだろう。『わだつみ』の九つある巨大な砲口が、自らの腹をしっかりと捉えていたのだから。

 そしてアカネは、そのチャンスを逃すほど甘くはない。


「やっと、見せたわね……どてっぱら!」


 『わだつみ』に搭載された装弾システムは、砲撃から僅か四秒で次弾の発射準備を完了させる。アカネが二度目のスイッチを押した時、砲門の中には既に直径六十センチの鋼鉄の塊が自らの出番を待っていた。着火された砲弾は巨大な炎を吹き上げ、音速の五倍もの爆速で射出。

 躱す術のない『カンパチ』の腹に、巨大な砲弾は直撃した! 『カンパチ』の纏う黄金の光がまたしても壁となって行く手を塞ぐも、巨大な砲弾は光の壁を易々と貫通。

 『カンパチ』の腹を抉り飛ばしながら、反対側まで貫いた!


【……………!】


 『カンパチ』はパクパクと口を喘がせ、しかしすぐにぐったりと開きっぱなしにする。

 すると『カンパチ』の全身を覆っていた黄金の光も消え、海へと落ちて巨大な水柱を上げた。

 巨大な怪物である『カンパチ』だったが、水よりも比重が軽いのかぷかぷかと海面に浮く。もう、動く気配はない。その眼は文字通り死んだ魚のようであり、腹から溢れる血液が辺りの水を赤く染め上げていった。

 『わだつみ』に備え付けられているカメラから、アカネは『カンパチ』の末路をしかと確かめる。脅威が去り、アカネの口からは自然と安堵の息が漏れ出た


「よっしゃ獲ったぁ!」


 のも束の間、アカネの口から喜びの声が上がる。


「お、ろろろろろろ……」


「ほら、アオイ何吐いてんの! そんな事してる暇あるなら、さっさとフックをアイツに打ち込むわよ! 早くしないと沈んじゃうし、小魚も集まってくるし!」


「だ、誰の所為で、こんな、うぶ」


 自分達の無事を噛み締める間もなく、アカネは爛々と指示を飛ばす。口から胃の中身を垂れ流すアオイは非難の眼差しを送っていたが、アカネの指示に歯向かう事もなく、ゆっくりとだが機械を操作する。

 何故なら、彼女達はこの瞬間を待ち望んでいたのだから。

 そう、アカネ達の目的はこの巨大な魚――――『海生物かいせいぶつ』の漁獲。

 これら海生物を売る事で、アカネ達は生計を立てているのだった。

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