14

 大海原を、『わだつみ』が駆ける。

 舵はとても軽く、繊細な操舵も難しくない。砲や望遠レンズの動きも滑らかで、向けたい方角にすいすいと動かせる。ソナーの画像も綺麗に映り、傷一つない窓ガラスは油断すれば存在すら忘れてしまいそうだ。

 中古品が何もかも悪いとは言わないが、やはりある程度劣化すると機能面の低下は否めない。真新しくなった事で、『わだつみ』はこれまで以上の性能を発揮してくれるようになっていた。

 強いて課題を挙げるとすれば、


「……エンジンが静かで、船を動かしてる気がしない。可愛げがない」


「ごめん、その気持ちはちょっと分からない」


 アオイ個人が感じている、贅沢な悩みぐらいなものだろう。

 生まれ変わった『わだつみ』の操作は、アカネ達の期待以上に快適だった。修理に必要な資金はマキナが全部出してくれたので、アカネ達にはどれだけのお金が掛かったかのは分からないが……ここまで上質の修理を施したのだ。かなりの、アカネ達では身売りしたって用意出来ないような大金が動いたのは間違いない。もしかしたら本気で『わだつみ』の接収を期待していたのではないかと、ちょっと勘繰りたくなる。

 幸いにして『わだつみ』はアカネ達の下に帰ってきた。これなら今まで以上の活躍をしてくれるに違いない。

 そしてきっと、『マッコウクジラ』の打倒も可能な筈。

 今度こそアイツを倒せる。今度こそ、あのすかした顔に金属の塊を打ち込める。今度こそ、パパとママの仇を――――


「お姉ちゃーん」


「ふぎっ!?」


 等と考えていたら、不意にアオイが自分の頬を引っ張ってきたので、アカネは奇声を上げてしまう。何時の間にかアオイは舵輪から手を放し、席から立ち上がってアカネと向き合っていた。

 一通り頬をぐにぐにと引っ張ったアオイは、如何にも怒ってますと言わんばかりに荒々しい鼻息を吐く。


「もう、お姉ちゃんったらまた怖い顔してたよ。どうせ『マッコウクジラ』の事考えてたんでしょ」


「うぐ……な、なんで分かったし」


「分かるよ、妹だもん……いや、今のは言い過ぎたか。妹じゃなくても分かるぐらい露骨なんだから」


「露骨なのか……」


 一体自分がどんな顔をしていたのか。なんとも気持ちの悪い感覚に見舞われ、アカネは自分の頬を揉んだ。

 それからくすりと、アカネは笑みが零れる。

 どうやら自分はまた『熱く』なっていたらしい。だけどアオイのお陰で、良い感じに冷めた。そう。熱くなり過ぎては、最初の時の二の舞だ。強大無比な敵の前で、冷静さを失ってはならない。

 もう、あんな不様な真似はしない。もう、誰かを犠牲にして自分達だけが助かる未来なんてごめんだ。

 今度こそ『マッコウクジラ』を、みんなの力で倒すのだ。


「うん、ありがとアオイ。ちょっと、落ち着いた」


「どういたしまして。それにさ、こんだけ仲間が居るんだから、もしかしたら私達が出る幕なんてないかもよ?」


「うぇー、それは困るなぁ」


 わざとらしく舌を出しながら、アカネは困った顔を浮かべて辺りを見渡す。

 操舵室の窓からも見える、無数の艦船。

 それらの船は、漁船とは明らかに見た目が違っていた。分厚い装甲が何枚も付けられ、艦砲も『被弾』を考慮したような重装甲化が施されている。

 また現在多くの民間漁船が主砲として採用している四十センチ砲と同等のものを、船体上部ではなく側面に二つずつ装備していた。この配置なら船体の両側から『敵』がやってきて挟み打ちに遭ったとしても、無抵抗に一方向からやられる事はない。船体の形状からして正面を攻撃する事も可能だろうから、正面火力も落ちていない。むしろ甲板前方に設置していては向けられない、後方の敵への攻撃が可能となる。包囲網を警戒した装備。

 欠点としては、側面の敵を攻撃する時は例え相手が一人でも火力の半分が使い物にならない事、だろうか。同等の大きさの漁船を大きく上回る機動力を持ち、すぐ側面へと回り込んでくる海生物相手には、あまり適した配置ではない。電磁フィールドを破るには瞬間火力が重要であり、常に火力の半分でしか挑めない状態は厳禁なのである。そもそも海生物はその身体を維持するためにたくさんの獲物を必要とする都合、群れという分け合う仕組みを好まない。『マグロ』のような一部の種を除き、挟み打ちを警戒する必要はないのだ。

 つまりこれらの船は海生物以外の相手……人間の艦船、それも多対多となる艦隊戦を想定している。

 ――――成程、これが『軍艦』か。

 コンセプトの異なる船のデザインに、一船乗りとしてアカネは興味を抱く。何より軍艦など普段の暮らしでは滅多にお目に掛かれない船である。油断すると、ついついじっくり観察してしまう。

 尤も、そんな船が八十隻も周囲に展開していると思うと、有り難みは感じられないが。

 彼等はマキナが指揮する軍隊。アカネ達と共に『マッコウクジラ』撃破を目指す、気高き戦士達である。彼等は横四十隻、縦四十隻と、十字架のような隊列を組んで真っ直ぐ南へと進んでいる。『わだつみ』が位置するのは、丁度その中心だ。作戦の要である『わだつみ』を、何がなんでも守るためである。

 とはいえ魔改造呼ばわりされてしまった『わだつみ』と比べ、軍艦は大きさの時点で三分の二程度しかない。砲の数に至っては三分の一以下だ。気分的には騎士に守られるお姫様というより、武装した平民に守られる騎士のようである。正直、あまり居心地は良くない。

 無論彼等の戦闘力は、決して平民なんかではない。例えば今、『わだつみ』から南東方向で一匹の海生物 ― 恐らく『ブリ』だろう ― が跳ねた時には


【三番、十五度三万に目標一確認!】


【六番、砲角度良し! 装填完了!】


【六番、威嚇発射ぁっ!】


 次の瞬間には『わだつみ』に目まぐるしい勢いで通信が入る。

 そして気付けば何隻もの船が砲をぶっ放し、哀れな海生物を撃ち抜いた。主砲ではなく副砲であったが、命中したそれは海生物の身体を吹っ飛ばす。電磁フィールドは破られずまだ生きていたが、いきなり攻撃を受けた海生物は、わたわたと逃げていった。

 ……とんでもない連携力だ。漁師とは明らかに練度が違う。アオイが言うように、この連携から繰り出される一斉砲撃を浴びたなら、『マッコウクジラ』とて一溜まりもないかも知れない。親の仇を討てないのは辛いが、誰かが死ぬよりはマシである。


「……そんじゃあ、ま、出る幕がないようにするためにも、暗雲探しを頑張るとしますかね。アオイもソナーを見といて。そっちが先に反応するって事はないと思うけど」


「うんっ」


 アカネの一言でアオイは席へと戻り、アカネは船の周辺を目視で見渡す。

 探すは暗雲。『マッコウクジラ』の強力な電磁パルスによって生じる、歪な気象現象だ。

 『わだつみ』含め八十一隻の船が此処には居る。だからアカネ達がサボっていても、他の船に乗っている誰かが周りを見てくれている……という考えを、他の船でも抱いているかも知れない。先の連携を見るにその心配は必要ないだろうが、うっかり八十隻の乗組員全員が見落とす可能性もゼロではないのだ。自分がサボっても大丈夫ではなく、という精神が大事なのである。

 アカネは口を閉ざし、船の周りを見渡す。席に戻ったアオイも、黙ってソナーを見続けた。

 しばし無言の時間が過ぎていく。

 ……しばし、という言葉では些か物足りないぐらいの時間が経っても、海は相変わらず静かなままだった。

 海生物との遭遇は、基本的には稀なものである。確かに今や地球上の全養分が海に流れ込み、それらの養分を独占する海生物は地球の支配者として君臨しているが……海というのはそれ以上に広大である。漁師がのこのこと生息地に出向いても、空振りで終わる事も珍しくもない。

 ましてや『マッコウクジラ』は『沖』に生息している種。この近海には、ふらふらとやってきたあの一匹しか棲み着いていない筈だ。何処までも続く大海原で、足跡のような痕跡が残らない海面を見ながら、ただ一匹の生き物を探すのが如何に大変かは説明するまでもないだろう。今日一日が徒労に終わるとしても、なんら不思議ではない。

 なので最初は真面目にやっていた事も、時間と共に疎かになっていく。自分達しか居ないなら兎も角、周りにたくさんの人達が居るなら尚更。


「……暇だなぁ」


「暇だねぇ……」


 ぽつりとアカネは独りごち、アオイがぽつりと同意した

 瞬間、まるで自分達の姿を戒めるかのように通信を知らせるコール音が鳴るものだから、アカネとアオイは同時に飛び跳ねてしまう。

 誰からだ、と思いアカネは通信機に表示された名前を見る。型式番号V66C9A……マキナが船長を務める軍艦、『ワシントン』からだった。

「は、はい、こちら『わだつみ』」


【こちら一番艦『ワシントン』。コール音から三秒も経ってから取るとは遅過ぎる。弛んでないか?】


「あ、アンタ達の基準で言わないでよ。漁師は通知が来たらすぐに取るなんて訓練はしてないのよ」


 本当に弛んでいたアカネは、誤魔化すように言い訳の言葉を並べる。果たしてどれだけ説得力があるかは分からないが、マキナはそれ以上追求もしてこなかった。さして興味もないのだろう。


【まぁ、良いだろう。そこは本題ではないからな】


「……本題は、『マッコウクジラ』の事?」


【そうだ。そちらで何か動きは掴めていないか】


「掴んでたらとっくに報告してるわよ」


【だろうな】


 元より、期待はしていなかったのだろうか。マキナはさしてガッカリした様子もなく、淡々とアカネの答えを受け止めた。


「別に、目当ての海生物に会えないなんてよくある事よ?」


【知っている。だがそれは、半径五十キロにも満たないセンサーを用い、たった一隻で探している時の話だ。我々は八十一隻の大軍であり、二百キロ以上離れていても視認出来る目印を知っている。奴がこの海域に居るならば、もう見付けても良い頃合いだ】


「なら何処かに移動したんじゃない?」


 マキナの疑問に答える形で何気なく口にした自分の言葉に、アカネはそういう可能性もあるかと今更ながら思う。『マッコウクジラ』には恐らく目的地なんてものはない。大抵の海生物には縄張りなり生息地なりがあるものの、それは獲物が安定して存在するから維持出来ているもの。餌がなくなれば、彼等は容易に生息場所を移動する。故郷や住処への哀愁という、無駄なものなんて持ち合わせていないのだから。

 しかし。


【それを見越して此処に来ている。斥候部隊の調査により、奴が二日前までいた場所の海生物が壊滅的に減少したのを確認した。その後の移動パターンは推測になるが、奴は高い海水温を好んでいる事から、この辺りに来ている筈だ】


 マキナがその点を見逃している訳もなかった。

 マキナは『何故』を考えている。アカネにはただの偶然としか思えなかったが、されど何か理由があるなら、それは『マッコウクジラ』打倒に役立つかも知れない。今回やろうとしている飽和攻撃作戦は理論上上手くいく筈だが、未だ実績のない、ハッキリ言えば机上の空論だ。打てる手は多いに越した事はない。

 どうせやる事もないのだからと、アカネは少し考えてみる。

 偶然以外の理由で、『マッコウクジラ』を見落とす原因には何があるだろうか。例えば『マッコウクジラ』には電磁パルスや電磁フィールドの出力を調整出来る力があり、今は息を潜め、機を窺っているのではないか。

 しかしこれはないだろう。何故なら電磁フィールドと電技パルスを発しているのは、海生物自身ではなく、彼等に感染している細菌達である。細菌達はただ自分の本能のまま活動し、何時でも全力の電磁フィールドと電技パルスを放つ。海生物自身に、電技パルス等をどうこうする『権限』はない。寝ていようが失神していようが腹ペコだろうが、電磁フィールドも電技パルスも常に全開なのだ。だからこそ寝込みを襲うという手段も使えない訳だが。

 ならば、実は既に死んでいるのではないか。餓死したかも知れないし、他の海生物に襲われ、食べられてしまったかも知れない……我ながら、これほど説得力のない推測もない、とアカネは思ったが。いくら海生物が大食らいといっても、一日二日の絶食で死ぬほどではない。二日前に近隣の海生物を喰い尽くした後なら尚更だ。そして高い捕獲能力で近海の生物全てを食い尽くすと思われた生物が、そう簡単に死ぬものか。戦闘力については、『わだつみ』だって不意打ちを食らわせても勝てそうにないというのに。

 他に考えられるとすれば、哺乳類である『マッコウクジラ』は他の海生物より賢いであろう点から推測して……


「実はこっちに気付いてて、ずーっと遠くからひっそり様子を窺っている、とか?」


 アカネの考えていた内容と、アオイが独りごちた言葉が、ぴたりと重なった。

 一瞬、アカネは操舵室の中が凍り付いたように感じた。

 やがて、くすりと、通信機のスピーカーから微かな笑い声が聞こえる。マキナのものだった。


【成程、そういう可能性もあるな。その場合、奴は二百キロを大きく超えた索敵範囲を持つ事になるが】


「……あり得ない、でしょうか」


【考え難い事ではある。が、あり得ないとは言い切れない。三百年前の人類も、よもや生物が電磁フィールドを纏うとは考えていなかった。海生物に『あり得ない』という事はないと考えるべきだな】


 全面的、ではないものの、まさか肯定されるとは思わなかったのか。アオイは通信機から顔を逸らし、俯いてしまう。きっとその顔は今頃真っ赤だとアカネは悟った。


「なんにせよ、最悪は考えておいた方が良いわね」


【そうだな。知性が高いのなら、夜襲を仕掛けてくる可能性もある。今のうちにローテーションを考えておくとしよう……以上、通信を終える】


 マキナの言葉を受け、アカネは通信を切る。会話を終え、アカネは息を吐いた。

 自分達も夜襲について考えた方が良いかも知れない。『わだつみ』の乗組員は二人だけだ。今から準備をしておかないと……

 そう考えていた最中だった。


【十五番! 二百八十六度の方角に暗雲を確認!】


 全域通信 ― 返信機能のない緊急用の通信帯 ― から、狼狽したような声が聞こえてきたのは――――

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