15

「アオイ!」


「分かってる!」


 通信を聞いたアオイは、アカネの指示よりも先に舵輪を左向きに回していた。

 今のは軍人の誰かが発した通信だ。

 角度だけを伝えた場合、それは自分達の進行方向をゼロ度とし、時計回りの方角を示す。今回のように全員が揃って同じ方角を向いている時には、こちらの方が感覚的に分かりやすい。通信で言っていた二百八十六度とは、左方向に七十四度という事だ。

 『わだつみ』だけでなく、周りの軍艦も一斉に向きを変える。砲台の安全装置が解除され、弾頭が装填される際の駆動音が至る所から鳴っていた。

 そして全ての船が、地平線に見える暗雲へと砲門を向ける。


【ようやく獲物のお出ましだ! 二十二番から三十八番艦は前進しろ! 『拘束部隊』も作戦開始だ】


 マキナの指示を受け、十七隻の軍艦が、アカネ達の周りから移動を始める。船名の代わりにマキナが告げた番号は、作戦前には割り振られていたもの。呼ばれた艦船はすぐに動き出した。

 彼等は先発隊。『マッコウクジラ』の存在を確認し、注意を引くための『囮』である。最も危険な任務を命じられた彼等は、しかし臆する事もなく最大船速で暗雲目指して進んでいく。

 出来る事なら、アカネは彼等の援護をしたい。『わだつみ』の装甲であれば『マッコウクジラ』の砲撃の直撃を受けても耐えられる事は、既に実証出来ている。囮の役目は、本来なら耐久力に優れる自分がすべきだろう。

 しかし『わだつみ』はこの作戦の切り札だ。『わだつみ』の主砲でなければ『マッコウクジラ』の電磁フィールドは破れない。もしも『わだつみ』の主砲が全て破壊されたなら、その時点で作戦の失敗を意味する。

 『わだつみ』は傷を負う訳にはいかない。

 安全圏から眺めている事しか出来ないアカネは、唇を噛み締め――――アオイがそっと手を重ねてくるまで、アカネは自分が唇を噛んでいた事に気付かなかった。


「大丈夫。私達なら、きっと『マッコウクジラ』を倒せるよ」


 そしてアオイの言葉で、自分が不安になっていた事を知る。

 強張っていた口許が解けていくのを感じる。深呼吸をすれば、自分の中にあった熱さが吐息と共に抜けていった。

 もしもアオイがいなければ、我慢出来ずに命令無視して突撃していたかも知れない。それがより最悪の結果を招くと分かった上で。


「……ありがと」


 感謝を伝えたアカネは、全てを見届けるべく望遠レンズを覗き込んだ。

 突撃する先発隊達は、着実に暗雲へと接近していた。暗雲もまたゆっくりとだが軍艦達の方へと動いており、自然現象らしからぬ『意思』を感じさせる。両者の距離は段々と狭まっていく。


【こちら二十五番。暗雲中心部との推定距離十五万。接近を続ける】


 全域通信より聞こえる、先発隊からの報告。十五万メートル、つまり百五十キロまで軍艦達は接近したらしい。『マッコウクジラ』の砲撃の射程は推定七十五キロ。誤差を考えると、百キロを下回った辺りから本格的な警戒が必要になる。

 さながらカウントダウンのように、五キロ刻みで先発隊は自分達と暗雲の距離を読み上げる。軍艦の最大速度は約七十二ノットに達するが、それでも時速百三十キロ程度。五キロ進むのに百三十秒以上も必要とする。ゆっくりとしたカウントダウンに、少しずつ、アカネは緊張を高めていく。

 だが、


【推定距離十二万五千――――っ!? ほ、砲撃確認!】


 十分な心構えをする前に、事は起きた。

 アカネは目を見開き、望遠レンズの向きを変える。そこには確かに、見慣れた生々しい塊……『マッコウクジラ』の砲弾が三つ、先行隊目指して飛んでいる姿があった。先の報告は間違いなく事実だ。

 だが、解せない。

 『マッコウクジラ』の砲撃の推定射程距離七十五キロ……あれは『わだつみ』が経験した戦闘データと、『マッコウクジラ』の容姿から割り出したものを使い、マキナ御用達の学者が導き出した値である。『わだつみ』が受けた初回砲撃の予測距離が大体その辺りで、学者達の見解とも一致した。学者の出した数字がどのような計算によるものかは分からないが、曰く形態的な限界点らしい。

 故にこの値は、完璧ではないとしても、そこまで大きな違いはない筈だった。なのに結果はどうだ? 推定だが距離十二万五千メートル……つまり百二十五キロから砲撃が始まっている。一・五倍以上の開きがあるではないか。

 相手は『沖』の海生物『マッコウクジラ』。人類の英知を嘲笑うのは彼等の十八番だ。しかしだとしても限度がある。何か、化かされているとしか思えない。

 アカネは望遠レンズを用い、辺りを見回す。ただ拡大するだけではなく、あえて倍率を最低限にし、広範囲を見渡してみたりもした。

 すると謎解きのヒントは存外簡単に見付かった。

 暗雲の動きが、今になって急加速したのである。まるで先発隊に突撃するかのように。


「っ! こちら『わだつみ』! 『ワシントン』聞こえる!?」


【聞こえている。どうした『わだつみ』】


「『マッコウクジラ』の奴、猛スピードで近付いてる! 暗雲よりも速く!」


【……そういう事か、おのれ小賢しい】


 通信機の向こう側にいるマキナが、忌々しげな舌打ちをしていた。

 暗雲は確かに『マッコウクジラ』の位置を教えてくれる。しかしそれは間接的な証拠だ。『マッコウクジラ』の電磁パルスが大気に影響を及ぼし、その影響がある程度の値に達する事で生じる。つまり、時差がある。

 『マッコウクジラ』はその時差を利用し、人間達の虚を突いたのだ。暗雲が動く前に距離を詰め、相手がまだまだ遠いと誤解しているうちに射程距離まで接近したのである。しかし言葉で言うのは簡単だが、実際にこれをやるのは難しい。適当に加速しただけでは、『マッコウクジラ』の後を追うように暗雲も急速に移動する。自分の能力が暗雲に影響を及ぼすまでの時間差を把握し、その時間内に相手を射程内に収められる距離までじっと待つ……つまり我慢を知るだけの知性が必要だ。

 『マッコウクジラ』には明確な知性がある。それも驕り高ぶった人間を嘲笑うほどに優れた。全体の半分を占めているのではと思える巨頭の中には、砲弾以外のものもちゃんと詰まっているらしい。

 そしてその優れた頭は、弾道計算も正確にこなしてみせた。

 砲弾は正確に、一隻の軍艦目掛け飛んでいく。狙われた軍艦は即座に副砲を起動させ迎撃を試みるが、高速で飛来する小さな弾には中々当たらない。加えて軍艦達は『わだつみ』のような、馬鹿げた数の砲は積んでいなかった。砲弾はするすると、対空砲火をすり抜ける。


【二十五番、砲弾接き――――】


 全域通信から聞こえた、悲鳴染みた報告。それは全てを言い切る前に途切れ、そのほんのちょっと前に『マッコウクジラ』の砲撃が先発隊として突撃していた軍艦の一つを直撃した。

 噴き上がる爆炎と、軍艦の破片。軍艦達は漁船よりも幾分重装甲だからか、未だ沈没はしていない。しかし朦々と上がる黒煙、それと落ちるスピードが傷の深さを物語る。もう一発当たれば、間違いなくあの船は海の藻屑となるだろう。


【二十五番、後方に下がり修理を始めろ。二十二番は援護に回れ。二十五番が戦闘可能な水準まで回復次第、両者共に前線に復帰だ】


【二十二番、了解。援護に回ります】


【二十五番、了解……一時退却、っ!】



 マキナも一時的ながら退却と援護の指示を出し、二つの船も答える……が、『マッコウクジラ』は見逃さない。

 二射目の砲撃が迫る。目標は、先程直撃を受けた二十五番艦だった。


【に、二射目接近! 回避出来な】


 ぷつりと、通信が途絶える。

 二回目の直撃を受けた二十五番艦は、巨大な爆炎を上げ、粉微塵に吹き飛んでいた。その光景の意味を理解した頃になって、ようやく爆音がアカネ達の耳にも届く。

 人間の身体というものは、金属製の装甲を跡形もなく吹き飛ばすような衝撃や、数百度の炎に包まれて、なんともないようなものではない。救助は無駄だ……理屈ではアカネにも分かる。


【二十二番。二十五番の援護は中止し、戦闘に戻れ】


 それでも、通信機越しに聞こえるマキナの淡々とした指示に、激情を覚えてしまう。


「お姉ちゃん……」


「大丈夫、まだ、大丈夫……!」

 歯を食い縛り、胸の中の気持ちを捻じ伏せる。マキナの判断は何も間違っていない。だからなんとか抑えられる。

 マキナの合理的な指示を受け、旋回しようとしていた軍艦は再び真っ直ぐ暗雲を目指して進み出す。

 『マッコウクジラ』からの砲撃はその後何度も放たれ、更に二隻が爆沈した。残る先発隊は十四隻。決して無視出来ない数の犠牲だが、残った戦力は十分に多い。


【パァギオオオオオオオオオオオオオオッ!】


 しかしそれだけの戦力であっても、この空間を揺さぶる不気味な咆哮を聞くと、全く足りていないようにアカネは感じた。


【三一番、『マッコウクジラ』をソナーで確認! 距離四万八千!】


【良し、先発隊は敵を包囲しろ。奴が逃げ出そうとしたら体当たりしてでも止めるんだ。二番から四番艦、七十八番から八十番は『マッコウクジラ』の側面へと向かえ。残りの船は散開しながら奴を包囲する。先発隊以外は包囲が完成するまでは攻撃を抑え、包囲網形成を優先しろ】


 マキナは矢継ぎ早に指示を出し、軍艦達は即座に動き出す。まるで彼等はマキナが直接操っているかのように、滑らかな動きで海を駆ける。圧倒的な練度を感じさせた。


【『わだつみ』も前進を始めろ。ただし包囲網より後方に位置し、距離三万以上をキープするんだ。奴の知能は相当に高い。『わだつみ』に気付いたら、真っ先に狙ってくる可能性がある。隠蔽と回避に専念し、攻撃は指示があるまで行うな】


 そんな彼等に比べると、アカネ達の練度なんてないも同然だ。


「え、ええ。分かってるわ。アオイ、暗雲の方に向かって。言われた通り、包囲網から距離は取ってね」


「うん、分かった」


 一瞬の迷いを挟みつつ、『わだつみ』も動き出す。

 暗雲に近付くほど、そこで起きている光景もよりハッキリと見えてくる。先発隊は既に攻撃を始めており、艦砲から噴き出す炎と黒煙が周囲を漂っていた。あまりにも多数の船が絶え間なく砲撃をするものだから、まるで一帯が黒い霧に包まれているかのよう。船の姿が擦れて見え難いほどだ。

 だが、それでも『奴』は肉眼でもハッキリと見えた。

 黄金の輝きに包まれ、何十という砲弾を受けても平然としている怪物――――『マッコウクジラ』の姿は。


「っ……また会えたわね……今度こそ……!」


「……お姉ちゃん……」


 唇を噛み締めるアカネを、アオイは不安そうに見つめる。

 そんなアオイに、アカネは目もくれず。


「アオイ。舵は任せたわ」


 ただ一言、声を震わせながらそう伝えた。


「……うんっ!」


 なんだか嬉しそうなアオイの声に、アカネの口からは自然と息が漏れ出る。アカネの口許に笑みが戻った。

 今はまだ静観の時。アカネ達の乗る『わだつみ』は軍艦の中に紛れるようにして進んでいく。

 その間も、軍艦と『マッコウクジラ』の戦闘は続く。

 先発隊の砲撃をいくら受けても、『マッコウクジラ』は怯みもしない。悠々と狙いを付け、頭部から生体砲弾を射出。距離を詰めた事で狙いはより正確になり、着弾までの時間も短くなる。薄い弾幕は呆気なく抜け、砲弾は次々と軍艦を直撃。一発だけでも航行不能の重傷を負い、二発も受ければ爆沈する。着実に、先発隊は摩耗していた。

 だが、それでも彼等は怯まない。仲間が海に還ろうと、自分の身が朽ちかけても、どの船も一メートルと退かずに攻撃を続ける。その命懸けの猛攻に、如何に電磁フィールドに守られていようと不快さを覚えるのか。『マッコウクジラ』は執拗に、先発隊への反撃を繰り返す。

 為す術なく沈んでいく様は、犬死にのように思える姿だ……しかし先発隊の犠牲は、無駄とはなっていない。彼等が『マッコウクジラ』の意識を惹き付ける事で、他の船は悠々と包囲網を形成出来たのだから。

 そして準備を終えた軍艦六十隻以上が、一斉に砲門を『マッコウクジラ』へと向けた。


【先発隊は退却を開始。他全艦は射撃を開始しろ! 撃って撃って撃ちまくれ!】


 マキナの勇ましい掛け声と共に、軍艦達の『総攻撃』が始まる。

 周囲をぐるりと囲う軍艦達の砲が次々と火を噴く。総数六十隻以上の大艦隊による一斉射撃が始まった。放たれた四十センチの金属塊は正確に『マッコウクジラ』へと向かい、直撃する。

 巻き上がる爆炎は、一瞬にして『マッコウクジラ』を覆い尽くす。『マッコウクジラ』も反撃を試みて ― センサーのようなものを備えているのか、爆炎に視界を遮られているのに射撃はかなり正確だ ― 何隻か撃沈させるも、大軍の前では焼け石に水。艦砲射撃の勢いは衰えず、何時までも続く。

 あまりにも爆炎塗れで、アカネには何が起きているのかさっぱり分からない。しかし作戦通りであるなら……少しずつ、『マッコウクジラ』の電磁フィールドは摩耗している筈。そして『マッコウクジラ』自身、迫り来る危機的な状況を察しているに違いない。

 故に爆炎の中から、纏う光を微かに弱めた『マッコウクジラ』が飛び出すのは必然だった。


「! 『マッコウクジラ』が出てきた! これは、逃げるつもり……!?」


 現れた『マッコウクジラ』の姿に、アカネは動揺を覚える。『マッコウクジラ』の速度は、アカネが見たものですら駆逐艦級を上回っていた。本気で逃げようとすれば、包囲網なんて簡単に抜けてしまう。

 このままでは大勢の犠牲が無駄になる。

 そんな気持ちを抱きながらも、アカネが『わだつみ』を動かさずに済んだのは、これが想定済みの事態であったから。

 マキナは既に策を用意していた。故に彼女はこう叫ぶ。


【逃がすな! 、奴を止めろ!】


 海上には存在しない、四つの船の名を。

 そしてそれに呼応するかのように、『マッコウクジラ』の真下から水飛沫が上がり、海面から巨大な物体が生えてくる。『マッコウクジラ』はその物体に驚いたのか身動ぎしたが、如何に駆逐艦より速くとも、僅か数メートル下から飛んでくる物体を躱す事は叶わず。

 、『マッコウクジラ』の弱った電磁フィールドを貫いた。

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