18

【――――ッ!??!?!!】


 声にならない、『マッコウクジラ』の叫びが大海原に広がっていく。

 船体の震えから伝わる、柔らかなものを切り裂き、大事な硬いものを砕いた感覚。生命の主幹を壊して奪い取る、冒涜的な実感がアカネの胸を満たす。

 故にアカネは確信する。

 自分達は、やり遂げたのだと。

 両親の仇を討ち、そして、人類存亡の危機を回避したのだと。


【……ッ! ……………】


 『マッコウクジラ』は一瞬身を強張らせ、『わだつみ』の方へ振り返ろうとした。目はギラギラと輝き、今し方感じた痛みと苦しみを全て怒りへと転化したかのような、おぞましい気迫を放つ。

 だが、そんなのは三秒と続かない。

 ギラギラとしていた瞳から輝きは急速に失われ、振り向こうとした身体も直後に脱力。未だ展開したままの電磁フィールドが、衝突により停止した『わだつみ』をゆっくりと押し返す。されど『マッコウクジラ』はピクピクと痙攣するだけで、もう逃げようともしない。

 しばらくすれば、その痙攣さえも止まってしまう。電磁フィールドも少し時間を空けて消えていく。もう、ぷかぷかと水面を浮かぶだけ。

 誰の目にも明らかだった。『マッコウクジラ』が死んだ事は。

 明らかではあるが、誰かが言わねばならない。無論それを断言するには適切な調査が必要であり、そのためには十分な接近が必要だ。本来ならば最後の一撃を加えた『わだつみ』がやるべきなのだが、生憎そんなハイカラな機械は最初から積んでいない。漁師は仕留めた獲物の生死を勘と経験で判断し、アカネにもそれは出来るが、これではなんの責任も負えない。

 だからその役目を果たすのは、この場を取り仕切る者だった。

 鎖を出していた軍艦の一隻が、ゆっくりと『マッコウクジラ』に接近する。何発も雷を撃ち込まれ、火薬の誘爆で穴だらけになった船体。もしも『マッコウクジラ』が突然暴れ出そうものなら、ボロボロの船体では体当たりどころかさざ波一つで転覆しかねない。しかし軍艦は恐れる様子もなく、ついに『マッコウクジラ』と肉薄した。

 穏やかな波音だけが、しばしの間この場を満たす。アカネとアオイも思わず息を飲み、一秒が何十倍もの長さに感じられるほどの焦燥感に苛まれる。何故こんなにも長く調べているのか、念には念を入れるにしても長過ぎないか、もしかして何か異常があるのでは、おかしな事が起きているのでは……嫌な予感が脳裏を満たして時計を見て、殆ど時間が経っていないという現実を思い知らされるばかり。

 そもそもアカネ達漁師が確認する時は、目視という極めて原始的な手法である。もっとちゃんとした、科学的方法で調べたらどれだけ時間が掛かるかなんて、アカネには分からない。

 実時間にして、一分。肉薄していた軍艦からぷつぷつというスピーカーの音が聞こえてきて、


【死亡確認。ミッションコンプリートだ】


 広域放送で、マキナの声で結果が告げられた。

 その瞬間、アカネは確かに歓声が聞こえた。

 何百メートル離れていようと、分厚い金属製の壁に守られた部屋の中に居ようと、生き残った船員達の喜びの声が。否、志半ばで果てた、もう肉体から離れてしまった仲間達の声だって確かに聞こえた。

 或いはもう何年も聞いていない、肉親の笑い声も……


「お姉ちゃん……私達、私達……!」


「うん、やったんだ。私達、ついにお父さんとお母さんの仇を……みんなを、守れて」


「っ!」


 アオイは突然、アカネに抱き着いてくる。妹の普段らしからぬアクティブさに目を白黒させるアカネだったが、わんわんと泣き始めたアオイを突き放すなんて出来る訳もない。

 そっと抱き締め、その涙を受け止める。

 溢れ出る感情を、アオイの中にある『熱さ』を受けて、アカネもまた目に涙を浮かべた。

 ついに五年越しの願いを叶えたアカネ。その喜びをどう表現したら良いのか、全く分からない。だけど胸の中は際限なく昂ぶっていて、だったらその昂ぶりのまま叫んでしまおうかと大きく口を開けた

 のも束の間、ベギンッ! と何かが割れるような音が聞こえる。

 アカネが固まり、アオイも固まる。姉妹揃って硬直し、アカネはゆっくりとアオイから離れた。

 アオイはニコニコ、まだ笑みを浮かべている。アカネもニコニコ、まだ笑っていた。


「……………アオイ」


「……うん。なぁに?」


「いや、さっきの音なんだけど」


「オトッテナンノコトデスカ」


「そっかー」


 アオイの口から出てきた片言返事に、アカネは雑に納得する。

 アオイの返事に疑問を挟む予知などない。自分達は今両親の仇を討ち、人類を守った喜びに浸っているところだ。そこにどうして変な音が混じるというのか。そんな空気を読まない真似を誰がする。神様だってやらないだろうし、その神様モドキは今し方体当たりでぶっ殺した訳で

 等々即座に否定的文章を脳内に走らせるアカネだったが、残念ながら『空気を読む』のは人間界のルールである。世界というのは人間の都合などお構いなしに進んでいく。

 『わだつみ』の生き残っていたセンサーが一斉に警報を喧しく鳴らし始めるのに、さして時間は掛からなかった。


「うええぇえええええっ!? 何!? 何が起きてるのお姉ちゃん!?」


「た、たたた多分アラートの故障よ! あんだけガンガン砲撃喰らって穴だらけになったんだから、誤作動だってするってもんよ! そ、それに故障の十個や二十個や三十個ぐらいあってもなんて事ないわ! 『わだつみ』は誘爆したって沈まないんだから今更どんな故障をしたところで」


「しししし浸水警報出てるんですけどおおおおおお!?」


「なんで底部装甲割れてんのおおおおおおおおっ!?」


 起きた警報の内容に、姉妹は揃って狼狽える。冷静に考えれば、自身を上回る体躯の相手に体当たりなんてお見舞いして無事である筈ないと分かるが……生憎、今の姉妹は勝利の余韻に酔っていた。知能指数は低下し、適切な応急措置すら執れない。

 尤も、万全を期したところでどうにかなるものではなかったが。


「まままマキナっ!? 助けて! 船が沈むぅ!?」


「誰でも良いから助けてぇーっ!」


 人類を危機から救った英雄は、あっさりと情けない要救助者に早変わり。

 空から男と女のため息が聞こえたような気がするアカネだったが、そんな感覚はすぐに何処かへと飛んでいってしまうのだった。

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