03

「貨物の運搬なんて仕事、初めてだよね」


 『わだつみ』の操舵室にて、アオイは大きく仰け反るような姿勢を取りながら、背後の艦長席に座るアカネに尋ねた。

 大海原を駆ける『わだつみ』の真上には、青空が広がっていた。降り注ぐ日の光を浴びた海面はキラキラとした煌めきを放ち、地平線の彼方まで広がっている。時折体長一メートルほどの海生物……恐らく『ブリ』や『カンパチ』の幼魚だろう……が迫り来る『わだつみ』に驚いて海面を跳ねる以外は、とても静かなものだ。

 普段なら、静かな海など不吉以外の何ものでもない。アカネ達は漁師であり、海生物を捕らえる事が仕事なのだから。しかしこの仕事中に限れば、静かなのは良い事である。

 何しろ『わだつみ』には今、大量の荷物が積まれている。そしてこれらを無事に目的地まで届ける事が、今のアカネ達の仕事だった。


「そりゃね。普通は兼業でやるような仕事だもの。うちは専業漁師だし」


「えぇー……兼業で出来るならやれば良いじゃん」


「旨味が少ないのよ、うちの場合じゃ。まず物資輸送の仕事は兼業でやる前提もあって報酬が凄く安い。だから数をこなさないと大した収入にならない。だけど」


「ああ、そっか。うちの『わだつみ』は他の船と比べて鈍足だから、数をこなす……つまり長距離を移動するのに向いていない、と」


「その通り。あと大抵の輸送業は駆逐艦級の燃料・弾薬の消費量で費用計算をしてるから、戦艦級の大きさがある『わだつみ』じゃ割に合わない事が多いのよ」


 対海生物を想定して戦艦のように『進化』した戦闘漁船であるが、開発から四十年も経てばそこから更なる『分化』をするというもの。

 電磁パルス対策が進めば分厚い装甲は要らず、どんどん薄く出来る。近接戦闘の多さから砲は威力よりも小回りと速射が重視され、小型化が進行した。海生物より速く動く事は流石に無理でも、優位な立ち回りをするためにはそこそこの速さが必要であるので、軽量化による高速化が求められていた。

 結局、古代の戦艦が大活躍していたのはほんの数年間だけ。現在では全長二百メートル未満の駆逐艦級が主力であり、次点で三百メートル前後の巡洋艦級が人気だ。戦艦級など化石も同然。使っているのはこの道云十年の老人ぐらいなものである。

 世の中が駆逐艦級、精々巡洋艦級を基準に考えるのは仕方ない事。そして小さくて軽量な駆逐艦級と、鈍重で巨大な戦艦級、どちらの燃費が良いかは語るまでもない。


「そーいう訳だから、兼業でやっても赤字を垂れ流すのが精々なのよ。勿論今回は利益が出るわよ? ちゃーんと値段交渉したから」


「さっすがお姉ちゃん。じゃあ、もう一つ質問。さっきからなんでそんな不機嫌そうなの?」


 アオイは、二つ目の疑問をぶつけてきた。

 自分の『気持ち』を訊くだけの、極めて簡単な質問。

 その質問に、アカネはすぐに答えを返す事が出来なかった。尤も、答えられなかった理由は何かを隠そうとしたからではなく、あまり思い出したくなかったからなのだが。


「……だって、こっちの方の海って『アイツ』が居るじゃん」


「アイツ? ……ああ、あの人ね。そっか、確かにそうだ」


 アカネが一言ぽそりと零せば、それだけでアオイは納得したように頷いた。

 今頃アオイの脳裏には、『わだつみ』が現在辿っているルートが浮かんでいる事だろう。かつて『ニホンレットウ』と呼ばれていた陸地から、『インドネシアショトウ』と呼ばれていた島々が浮かぶ、南海航路である……南海といっても、三百年前と違ってあまり温かくはない。海流の影響で十度以上海水温が低下しており、環境が激変しているからだ。三百年前の環境を知らないアカネ達には、激変と言われてもピンと来ないが。

 そしてこの海の環境は、海生物にとって心地良いのか、様々な種が生息しており、多数の漁師がこの海域で活動をしている。アカネ達も時折漁に来る場所であり、顔見知りである漁師の数は両手の指だけでは足りないほどだ。

 当然中には馬の合わない人達もいる訳で。


「私はあの人の事、別に嫌いじゃないけどなぁ」


「私だって別に嫌いじゃないわよ。ただちょっと苦手なだけだもん……ほら、この話はもう止めっ! 真面目にソナー見ててよ。今日は見付け次第がん逃げして良いから」


「ほーい」


 強引に話を終わらせるアカネに、アオイは真剣みのない返事で答える。

 しかしソナーの表示を見つめるアオイの眼差しは、アカネに言われるまでもなく真面目だった。

 かつての人類は、高度な技術力によって大海原さえも支配していた。が、今の海は海生物の領域だ。何処から何が現れるか、分かったものではない。常に辺りを見渡し、脅威が迫っていないか注意する必要がある。適度なお喋りは緊張を解す上で効果的だが、話に夢中になり過ぎて警戒が疎かになっては元も子もない。アオイとて一人前の漁師であり、その事は十分弁えているのだ。

 楽しいお喋りを終えて、アカネとアオイは『わだつみ』を緩やかに操る。操舵室の防音性は高く、波の音は聞こえてこない。『全盛期』の人類科学ほどではないにしろ、優れた技術力の結晶であるマシン達の駆動音はとても静かだ。お陰で二人の人間が黙るだけで、操舵室の中は静寂に満たされる。

 しかし窓から見える大海原を無心で眺めれば、頭の中で潮の音が勝手に奏でられた。

 普段の仕事中なら、こんなのんびりとは出来ない。獲物を求めて地平線を、ソナーを、食い入るように見つめなければならないのだから。けれども此度の仕事は荷物の運搬。襲われる事は警戒しなければならないが、見付からないものをわざわざ探す必要もない。

 目視による警戒という名目で海を眺めながら、アカネはまったりと時間が過ぎていくのを堪能――――


「ねぇ、お姉ちゃんちょっと良い?」


 していた時、真面目にソナーを見つめていた妹から呼び掛けられた。

 びくりとアカネは肩を震わせ、それからこほんと咳払い一つ。


「……ええ、勿論。何かしら?」


「いや、ボーッとしてたの誤魔化さなくて良いから。ちょっとソナー見てほしいんだけど」


「あ、はい」


 取り繕ってみても妹にはバレバレで、アカネは言い訳一つせずに席から身を乗り出してソナーを覗き込んだ。

 とはいえ見るように言われたソナーには、特に何も映っていない。反応が薄いとかではなく、本当に何も映っていなかった。


「……何も映ってないけど」


「今はね。さっき、南東の方に反応があった、と思う。でも縁の方で一瞬映っただけで、すぐに消えちゃった」


 アカネが疑問を呈すると、アオイは指先で円を描くようにしてソナーの反応があった箇所を訴える。アオイが言うようにそれは『わだつみ』から見て南東側であり、南西に進んでいる自分達からすればややズレた方角だった。

 アカネはソナーを見つめながら、しばし考え込む。

 今は何も映っていないから単なる見間違い、と断じるのは早計だ。海生物は、機械のように正確にこちらを認識して襲ってくる訳ではない。横を素通りしてから慌てて追い駆けてくる鈍臭い奴もいるし、こちらの隙を窺って一定の距離を行ったり来たりする慎重派もいる。他の海生物に追われて右往左往していたり、弱ってふらふらしている奴も稀に出会う。ソナーの範囲に一瞬だけ入り、なんらかの事情で出て行った、というのはさして奇妙な話ではないのだ。

 海では一瞬の油断が命取りになる。運良く見付けた予兆を見過ごすなんて勿体ない真似をしていては、命が幾らあっても足りない。

 それに、ソナーの端に映ったという事は――――


「……アオイはソナーを見てて。私は目視で南西側を見ておく」


「分かった」


 アオイに指示を出してから、アカネは自席にある望遠レンズを覗き込む。

 三百年前と比べ、唯一以前よりも進歩したと言える技術がソナーである。

 海中に潜む『敵』を探し出すため、音波を用いて海中の『物体』を検知する技術は、時代が移り変わろうとも求められ続けていたからだ。しかも海生物が纏う電磁フィールドはその強力さから音波を中和・減衰させる効果があったため、全盛期の人類が作り出したソナーですら数キロ圏内に接近されるまで探知出来ない有り様。人類種の存続にはソナー技術の発展が不可欠であり、他のあらゆるテクノロジーが衰退する中、ソナーだけが高性能化を続けた。

 『わだつみ』に積まれているソナーは、そんな現代製ソナーの中でもとびきり高品質なものだ。並の海生物ならば三十キロ圏内まで近付いてくれば探知出来る。電磁フィールドが貧弱な小型種なら、モニター縁部分に当たる五十キロ離れていても映るだろう。

 そう、小型種ならば。

 電磁フィールドが強力なほど、ソナーに映り難くなる。『わだつみ』のソナーの端っこに反応があったという事は、それは相当小型な海生物の筈。海生物も普通の生物と同様に、小さいほど力は弱くなる。だから大抵の小型種は恐れる必要なんてない。

 だが、とある種だけは別だ。

 故にアカネは望遠レンズを覗き込んだ。少しでも早く、ソナーに映ったものの正体を見極めるために。出来る事なら今日は近付いてくるなと祈りながら。

 残念な事に、海生物は人の祈りを聞いてくれる存在ではなかった。

 望遠レンズを覗き込むアカネの目に、海面で吹き上がる水飛沫が映る。

 アカネは水飛沫を凝視した。目盛りを用いた計算が正しければ、水飛沫までの距離五万四千……単位はメートルなのでつまり約五十四キロ離れている。ソナーの探知範囲外で生じている飛沫はとても大きく、高さ十五メートルほどまで舞い上がっていた。これほど大きな水飛沫を上げるという事は、途轍もないパワーの持ち主である証。おまけに水飛沫は一つではなく、見えるだけで十はあった。

 そして水飛沫は急速に接近してきている。アカネは距離の縮まり方と時間から素早く速度を計算。あろう事か、その時速は四百五十キロに達していた。古代の飛行機並の速さで、海中の物体が移動しているのだ。おまけにその速度は、刻々と増している。

 アカネは額に脂汗を滲ませた。なんだってこんな時に、『アイツ』と出会ってしまうのか。自分が何か見間違いをしているのではないか、もしくは望遠レンズの目盛りが歪んでいるのではないか。

 誰でも良いから、違うと言ってほしい。


「っ! お姉ちゃん! 南西方向に反応あり! 数は十二! 距離五十キロ……す、凄いスピードで接近してる!」


 その願いをへし折ったのは、愛する妹の悲鳴染みた報告だった。

 現実逃避の時間は終わりである。ここからは、地獄の始まり。


「クソが……『マグロ』に見付かったわ!」


 アカネは迫り来る海生物の名を叫んだ。

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