それでも書くことをやめない

刈田狼藉

一話完結

休憩時間、自動販売機で買ったオロナミンCを飲む。若い頃は、こんなの、絶対に飲まなかった。だって、量が少な過ぎる。


そうだろう?

じゃないか?


こんな少ない量じゃ喉の渇きなんか癒えなかったし、百円も払って二口、三口しか飲めないなんて、コスト・パフォーマンスがあまりに悪すぎる。


でも今は、

これくらいがちょうどいい。


ペットボトルの五百ミリリットル入りのブドウ味の炭酸飲料なんて、逆に飲めるか!そんなもん!


三百五十ミリ缶のドクターなんだっけ?ペッパー?それだって全部飲むとお腹を壊しそうになってしまう。というか壊した。


つまりは歳を取った、そういうことだ。


オレも五十か、

そりゃそうだ。


って言うか炭酸飲料なんて、そんなもん最初から飲むなよ、という年齢だ。


今日は、防災設備の法定点検業務で、特別養護老人ホームにいた。この業界に飛び込んでもう二十年にもなる。作業服もすっかり板について、……いたのはもう十年以上前の話で、最近は太って来たせいか、鏡に映る自身の姿はずいぶん不格好で、なんだか自分じゃないみたいだ。


脚も、なんとなく以前より短くなっているような気がする。


やはり太ったせいだろうか?それとも元から短かったのだろうか?加齢と共に脚が短くなるなんて聞いたこと無いが、でもやっぱり現に、短くなっているような気がする。気のせいだろうか?……だと思いたい。


なんだろう、歳を取る、というのは、自分が自分でなくなる、その残酷な過程を受容し続けることなんだと、最近思うようになった。


やれやれ、


ここ何年か、いろんな場面で、ひとりそう呟くことが多くなって来たような気がする。


やれやれ、


って、村上春樹の小説の登場人物か、オレは?


*******


ここ二年間くらい、趣味は「小説を書くこと」だ。


学生時代は「文芸部」に所属していた。バリバリの純文学志向の文芸部だ。しかし当時のオレは自作はほとんど書かずに、他の部員の作品についての印象批評文「レジメ」ばかりを書いて過ごしていた。月イチで行われる「合評会」のために提出された全作品について、部員全員がこの「レジメ」を書く決まりになっていたのだ。


レジメばかりを書いて学校を卒業したオレは、以降、ペンを執ることは無かった。実際のところ、この時点で、なんだろう、長くなるので詳しくは語らないが、オレはアイデアが枯渇していて、創作意欲など完全に無くなっていたのだ。


こうしてその後、二十年以上が経過した。

この空白の年月が無意味だった、とは思わない。

いろんなことがあった。


学生だったオレは、今では自営業を営み、家庭もあり、激務に追われる中で十年間ギターの弾き語りにハマって野外で「フォーク・ゲリラ」活動を展開し、そして最終的に、メタボ予備群の仲間入りを果たして今に至るのだ。


あれ?

やっぱり無意味だった?

さんざん駆けずり回って結果的に何にも無い感じ?


そして、

一年半くらい前、ほんとにたまたま「カクヨム」という小説投稿サイトを知り、それまでは前述のとおり野外でのギターの弾き語りが趣味で、広く世間に迷惑を掛けまくっていたオレだったが、気が付くと、カクヨムに小説を連載で投稿しており、弾き語りへの興味は完全に消失していた。


小説を書いて小説投稿サイトに投稿する、という行為は一見地味なようでいて、しかし非常に刺激が強く、野外でギター抱えて大声で歌いまくる弾き語りの醍醐味をはるかに凌駕する、それくらいの魅力があった。


最初に投稿した小説は、


「ドッペルゲンガーは、しかし何も語らなかった」


という長いタイトルの、BLオトコの娘モノのエロ漫画をネットで見たオッサンが、自分が変態になってしまったと死ぬほど悩む、という実体験を基に書かれた完全に頭がオカシイ、イカレタ内容の作品だったが、これを書くことによって呼び覚まされたナルティシズムが、創作意欲に圧着結線(直結)され、もう小説を書くこと無しには生きて行けない、書けない日にはそれこそ禁断症状で手が震え、過呼吸になってしまう程の「執筆依存症」となっていた。いや「カクヨム依存症」と言うべきか。(※一部に事実を誇張した大袈裟な表現があります、ご容赦下さい)


こうして約一年半で、

七作品

約二十四万字

を書くに至ったが、これはハッキリ言ってかなり少ない方だと思う。

平均すると、一日/約440文字。


ハッキリ言う、

才能が無いのだ。


四十九歳になって、やっと始めた創作活動である。イメージが鮮やかに、継続的に、溢れるようには浮かび上がってこないのだ。全体のストーリーはある程度決まっていて、ラスト・シーンのイメージはかなり鮮明にあるのだが、話の途中についてはほとんどイメージが無く、その書き方はフリー・ジャズ、というか、即興に近い、段落ごとに、ほぼ行き当たりバッタリで空想しながら書いている、と言っても過言ではない状況だ。


それだけじゃ無い。

文学部文学科日本文学を専攻して太宰治で卒論を書き国語科の教員免状まで持っているにも関わらず、


オレは、文章がヘタクソだ。


だがしかし、文芸部に四年間籍を置いていて、そしてその文芸部をとても愛していたという矜持から、作文についてはベストを尽くしたい、という性向があり、つまり、何が言いたいのかというと、


苦吟するタイプなのである。


文章が「するっ」とは出てこない。文章を書くということは、オレにとって、どちらかと言えば「苦しい」行為なのに違いない。


その証拠に、今、


「文章を書くということは、オレにとって、どちらかと言えば「苦しい」行為なのに違いない」


と書いたが、この部分、実は十回以上直し、書き終わるのに三十分近くかかっている。「文章を書くのは、正直言って苦しい」という文言が最初に浮かび、しかしこれだと前の文との連結が悪く、そのまま考え込んでしまい、やがて思考が負のスパイラルにハマり、堂々巡りに陥ってしまったのだ。しかも、あまりいい文章とは言えない。いっそ「文章が「するっ」とは出てこない」を削除して、最初に思い付いた一文「文章を書くのは、正直言って苦しい」だけで行くべきなのでは、と、キリが無いのである。


創作活動に費やすことが出来る時間は、一日だいたい三十分から一時間弱くらいである。この時間だって睡眠時間を削ってムリヤリ捻出する日もめずらしくない。


働き盛りと言われる責任世代のおっさんは忙しいのだ。


休日にしたって家庭のこともあるし、自分の趣味になんてほとんど時間は割けない。いや、家庭を持つこの年齢層はみんな、男女を問わず、本当の意味での休日なんて無い。しかも、そんな一応は休日であるにも関わらず、仕事の電話が掛かって来たり、なおかつ客先に緊急訪問しなきゃいけなかったりして、自己実現に向けて、その状況は、極めて厳しいと言わざるを得ない。


だかしかし、

それでもオレは書き続ける。


生きた証を、

この世に刻み付けたいのだ。


胸に宿しているこの物語たちを、

いつか、

無に帰すこと無く、

そのすべてを紙上に語り尽くしたい、

そう願っているのだ。


オレは小説を書くのが好きだ。

オレは、創作を愛している。


そして、

今日も横目に時計を睨みながら、

言葉を捜しあぐねて、

額を押さえて溜め息を吐き、

途方に暮れるのだ。


そんな毎日だ。

でもそんな風に生きると、

オレは決めたのだ。


*******


なかなか始まらないこの物語は、実は間もなく終わる。

始まった瞬間、しかし既に最終局面に突入している。


設備の点検業務で、オレは特別養護老人ホームの廊下を歩いていた。片手に図面を持ち、居室のスプリンクラーヘッドの設置位置をチェックしていた。日中であったため、入居者のお年寄りは部屋にはほとんどおらず、みんな車椅子に座って、多くはテレビがある談話ホールに陣取り、或いはスタッフ・ステーションの前に並んで、のんびり時を過ごしていた。


廊下の途中に、一人のお年寄りの女性が車椅子に座って佇んでいた。


これは意外なことだが、特別養護老人ホームには、所謂「皺くちゃの顔のおじいちゃん、おばあちゃん」はいない。ご高齢であるにも関わらず、不思議なことではある。怖らくは、入居者の多くが認知症であることが関係しているのでは、と勝手に推察しているのだが、どうだろう?


みんな、顔の表情から力みが無くなり、険しさが取れて、刻まれた皺が伸び、まるで、思春期を迎える前の少年・少女のような表情をしている。もちろん例外が無い訳ではないが。


その廊下のおばあさんも、表情は乏しいものの皺は少なく、つるっとしたきれいな肌をしており、瞳はクッキリとした黒さでその意志の力を物語り、髪は完全な白髪だが、痩せているせいか少し面長なその容貌は年齢不詳な感じだ。


怖らくは「自分は年寄りだ」という自覚が無く、それが年寄り臭い雰囲気を打ち消しているのだ。だが、ベリーショートのその髪は、ファッションとして、というよりは介護上の理由によるものと思われた。


綺麗なおばあさんだった。


痩せてはいたが、手足は長く、車椅子から立ち上がれば身長も高い方なのに違いなかった。何より肌が白くて、目立ったシミなども無く、端整な顔立ちだった。


そして、今回ペンを執る動機となったその出来事は、何の前触れもなく唐突に起こった。


そのおばあさんは、車椅子に座ったまま、やや思い詰めたような表情で、廊下の、何にも無い宙空の一点を、ただじっと見詰め、固まっていたのだが、


いたのだが、……


不意に、

両手を握りしめて、

その手で自分の頭をポカスカと叩き出した。


うーっ、うーっ、うーっ、うーっ、


眉を辛そうに寄せ、泣き出しそうに口元を歪ませて、彼女は声を上げる。握った拳の根元の骨の部分で、薄い肉と頭骨とを打つ、その地味な弱々しい音が、間近に立っているオレの耳にまで届いた。


うーっ、うーっ、うーっ、うーっ、


その声を聞き付けて、女性の介護スタッフが二名、小走りにやって来た。


「あらあら、〇〇さん、どうしたの?」

「トイレ?トイレなの?」


近くに立っているオレに気付き、二人は目で軽く会釈する。こちらも静かに会釈を返す。


こういう事には慣れていた。オレたち点検屋は様々な施設に出入りする。それには障害者支援施設や精神病院なども含まれる。入居者の方が癇癪やパニックを起こしている現場に遭遇した場合、もし近くにスタッフやヘルパーさんがいるなら、慌てず騒がず、静かに立ち去るに限るのだ。


次の階に移動しよう、

そう思い、

何歩か立ち去りかけたオレの耳に——

その言葉は飛び込んできた。


かけないの、


息が止まった。

オレは振り返って、

そのおばあさんを見る。


かけないの、

かけないの、


後ろ向きで表情は分からないが、

おばあさんは、

まだポカスカと、自分の頭を叩き続ける。


あたまがばかになったの、

わかんなくなっちゃったの、


振り返って見る、

そのオレの表情に驚いたのだろう、

介護スタッフの人が固い面持ちで声をかける。


「どうかしましたか?」


いえ、とか何も、とか、

何か言って、

オレは踵を返し、真っ直ぐに、その建物の外に出た。


足早に、作業用の軽四自動車が停めてある駐車場に足を運びながら、オレは思考を止めることが出来ない。


今日、オレは偉大な先達に逢った。


彼女は創作をとても愛していて、

怖らくは素晴らしい作品を数多く書き上げて、

その溢れる才能から書きたいことが尽きることは無く、

しかし人生の有限に阻まれ、

肉体の限界に行く手を塞がれて、

しかし、

絶望という名の壁をその手で叩き、

運命に、いまこの瞬間も、抗っているのだ。


創作は血を吐くように苦しい、

そう思った。

人間に与えられた時間はあまりに短い、

そう思った。


頭を叩きながら、

でも書けなくて、

子供みたいに泣きながら、

それでも——


軽四自動車に乗り込み、

ドアのロックを掛けると、

正面を向いたまま、


オレは、泣いてしまった。







































































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それでも書くことをやめない 刈田狼藉 @kattarouzeki

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