第2話① 雨宿りの君

「中々止まないな。茂樹のやつ、傘持ってないだろうに」


10才の息子はやんちゃざかりの小学5年生だ。

また友達の家にでも遊びに行っているのだろうが、毎度の如く傘を持っていないのに借りるのを嫌がりびしょ濡れで帰って来る。前に借りた傘を壊してしまったことをこっぴどく叱ったからかもしれないが、親としては風邪を引かれる方が余程困る。かといって傘をちゃんと持たせればほとんど学校に忘れてくるので、最近では諦めて風呂を沸かすことにしている。


 風呂桶を洗いながら浴室の窓の外を見やると、おかっぱの女の子が笑い声を上げながら歩いている。年の頃は8才位だろう。雨の中を歩くその姿を見て、私はふと自らの子どもの頃を思い出した。



もう三十年前も前、私は10才だった。

子は親に似るというがその頃の私もやんちゃ坊主で、近所に住む大人達に悪戯をしかけては叱られる毎日だった。けれどもそれと同じ位優しく見守っていてくれて、私は近所で一番怖いと噂されていたおばあちゃんの家に入り浸っては、ラムネや柿などを御馳走してもらったものだ。手のかかる子供程可愛いのだろう。



ある日私がそのおばあちゃんの家から帰る際、唐突に土砂降りの雨が降って来た日があった。私は慌てて道端のバス停に駆け込んで、小さな屋根の下で雨宿りを始めた。お天気雨にしてはバケツをひっくり返したような降りっぷりで、一向に止む気配がない。

これではいつ帰れることやら、と思わず溜め息をついてしまう。家では門限に遅れると夕食のおかずを一品減らされるのだ。にやつく兄弟達の顔が目に浮かんで、思わず被りを振った。濡れて帰ったら更に怒られるに決まっている。


 「雨は嫌い?」


そうして息を吐く私の左側から、突然女の子の声がした。


狭いバス停には誰もいなかったと思うのだが、いつの間にやらおかっぱの女の子が隣でじっと雨を見つめている。彼女は全く濡れていない様子で、はて本当にいつからいたのだろうと首を傾げてしまう。


 「うん。だって外で遊べなくなる。それに今も門限に遅れそうなのに止みそうにない」


私は下級生に対しては割と優しくあたる性格なのだが、この時は門限という苛立ちの種があったために不満を抑えきれなかった。女の子はついとこっちを見て茶色い藁束のようなものを差し出した。


 「これで間に合うよ」


私は反応に困ってしまった。その藁束を彼女が何のつもりで差し出しているのか検討もつかなかったし、見た事もない子に何かを借りるのは気がひけたからだ。中々受け取ろうとしない私を不思議に思ったらしく、彼女は自ら藁束を被りどこからともなくもう一つ同じ物を差し出した。この時点でようやくあれは合羽の代わりらしいと気付いた。 


 「行こう」


彼女は一足先に雨の中へ一歩足を踏み出した。成程奇妙な程この合羽もどきは水を弾いている。私は一瞬の躊躇の後に、慎重にそれを被った。少しランドセルが飛び出ているが後で拭けば問題ないだろう。女の子はさも当然と言わんばかりに私の手を暖かい手で握ると、私の家の方向に歩き始めた。


 「この辺りに住んでるの?」


今更振り払うことも出来ず、気恥ずかしさを誤魔化すために必死に話題を探す。女の子はまだ恥じらうような年でもないからか飄々とした態度のまま頷いた。


 「最近引っ越してきたの?」


女の子は首を振る。この辺の子どもで私が知らない者はいないはずなのに見たこともない顔だ。この後どこに住んでいるのかという質問をしても彼女は無言のままで、私は少しきまずい気分のまま田んぼ道を歩いた。


 「見て」


紫陽花の季節だった。女の子の指先では葉の上をのっそりと進むかたつむりがいて、普段と逆だなとぼんやり思う。いつもは私がかたつむりを捕まえて女の子に見せては悲鳴をあげさせる側だ。彼女はそういった嫌悪感はないらしく、少し嬉しそうに飛び出た角をつんつんと突いている。

その後歩きだしては蛙の合唱を聞き、道端の水たまりを覗きこみ、手の平を広げて水を溜めたりして遊んだ。私はその頃にはもうすっかり門限のことなど忘れていて、家の近くで彼女が立ちどまった時現実味溢れる夢から覚めたような呆然とした気分になってしまった。


 「また会える?」


私がそう聞くと、女の子は曖昧な表情を浮かべた。彼女は家の場所を明かそうとしなかったし、何か事情があるのかもしれない。私は余りにも情けない顔をしていたのだろう。女の子は私の被っている合羽もどきを指さして言った。


 「それあげる」


もう会えないという意思表示だと取った私は悲しい気分になったが、いつまでもこんな顔では女の子が安心して去れないだろうと笑顔を浮かべた。


 「ありがとう。大事にするよ」


彼女は頷いて最後にもう一度聞いてきた。


 「雨は好き?」


そういえば先程は嫌いと答えた。たった数十分前のことがまるで大昔のようだ。私は少し照れくさかったが、堂々と胸を張って答えた。

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