お茶一杯分の短編集

二見 遊

第1話  調子のいいやつめ

仕事で心が疲れた日、私はペットショップで癒しを貰う。いつも通りの帰り道。

店先に並ぶ犬や猫達のじゃれあいに一切参加せず、寝てもいない。真っ黒な毛並みで深緑の目が印象的で、ミステリアスな雰囲気。一瞬で瞳を奪われた。

 「にゃあ」

俺を選べとばかりに猫が鳴く。気付けば、当然のように一緒に帰宅している自分がいた。



彼――猫はオスだった――を選んだのは、大学の時好きだった人に似ていたからだ。

彼は不思議な人だった。誰をも引き付ける魅力を持っているくせに、人付き合いが苦手だと言って集まりにはまるで参加しない。

そのくせ一対一の誘いには必ず二つ返事で着いてくる。


 「行くよ」


そう多く話すわけじゃない。誘いに応じる時の、落ち着いた低めの声が好きだった。

ひょっとして、好きだと思われているのか。そう思ったことは一度や二度じゃないけれど、彼の態度が他の誰に対しても同じだと気づいてからは思い上がりを止めた。

彼を好きだった期間はそう長くない。せいぜい、一か月位だろう。付き合ったわけでもなく、すぐに冷めたというのに、何故この猫を見た時彼のことを思い出したのだろう。

あまつさえ見るだけで十分な存在だった猫と住もうだなんて、数時間前の私なら考えもしなかったはずだ。


 「にゃああー」


腕の中の猫は不満げに私を見上げる。お腹が空いているのだろう。衝動買いとは言え実家では茶トラの猫を飼っていた。世話をするに当たって不安はなく、ショップで一緒に買ってきた餌を空のお皿に出してやる。これからこの皿はお前専用だよ、と心の中で呟いた。



猫との生活を続ける内に、彼とはまるで違う性格だと気づいた。当たり前だ。

見た目の雰囲気が似ているだけで、猫とはあの日あの瞬間に出会ったばかり。性格何て知る由もない。

普段は私に興味がある素振りは全く見せないのに、私が疲れているときや、落ち込んでいる時、そして寝ている時は、そっと私の傍で、あるいは上で蹲る。そういう時だけ大人しく撫でさせてくれるのだ。一度友人たちがやってきたときなど、驚く程愛想を振りまいて尻尾を振りながらすり寄っていき、色々な人に抱っこや撫で撫でを許容していて心底驚いた。


 「この猫ちゃん、すっごく人懐っこいんだね、可愛い~!」

 「いつもはこんなんじゃないんだけどね……」


私はよほど好みの女の子でもいたのかと、嫉妬にも似た感情で愛猫を睨みつけた。彼はどこ吹く風で、私と正反対のふわふわした雰囲気を持つ可愛らしい彼女の膝の上で撫でられている。そうか、お前もああいうタイプが好きなのか。友人達が帰った後、どこかどんよりした気持ちで洗い物をする。猫は家族だが、恋人ではない。頭では理解しているけれども、どうしても私の猫なのに、という気持ちが高ぶり心がささくれ立ってくる。


そうして無心で皿を掴む私の足元に、ふとシルクのような感触が触れた。見れば愛しの猫が足に体全体を擦りつけるようにして甘えてきていた。だがこの時の私は子供のように拗ねていて、ご主人様よりあの子がいいんでしょう、とばかりに無視して洗い物を続けていた。

やがて諦めたのだろう。猫は足元を離れていった。それが寂しいと同時に、やっぱりという思いがどこかにあった。


大学で出会った彼は可愛らしい女の子と付き合っていたわけではない。当たり前だが一人と一匹は全く違う存在だ。それなのに何故かふとした時に共通点がダブって見える。無心でできる仕事が終わってしまい、私はぼんやりと見たくもないテレビを付けた。コメディ番組の笑い声が心の中を素通りしていく。ソファに身を投げ出して、ぼんやりと天井を眺めてみても、感情がそう変わるわけでもない。そんな所に、また猫がやってきた。


 「調子のいいやつめ」


猫に当たってどうする。僅かに残った理性がそう止める。けれども今の私には聞けない注文だ。私は友人達不在の中猫へ再度睨みを効かせてみせるが、まるで応えていないようで、いつものように私のお腹の上に乗ってきた。けれど一つ違うのは、私の手をぺろぺろと舐め始めたことだ。子猫が母親の乳をねだるようにチロチロとした控えめな舐め方。その様子に、うじうじと悩んでいたことが段々とばかばかしくなってきた。つまる所彼は、仲直りがしたいのだ。


 「どうして外面はいいかなぁ」


私は撫でる気にはまだなれずに、猫の額をつんと突く。きょとんとした顔で舐めるのをやめてこちらを見る様子が愛らしい。やがて猫は再び手を少し舐めると、私の胸の辺りまでのしのし登ってきて、安住の地とばかりに丸まってしまった。


 「調子のいいやつめ」


私は先ほどと全く違う、優しい口調で自分が同じ言葉を言っていると気付いた。

結局の所、私はこの子にメロメロなのだ。どうでもいいことに悩んでいた自分が途端に馬鹿らしくなって、程よく疲れた体をソファに沈めたまま、私は猫の彼と一緒に心地よい眠りについた。夢の中の猫は普段の寡黙さとはかけ離れたお喋りで、私はそこで再び調子のいいやつめ、と呟いた。

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