第21話 ソノおパンツは全てを知っていた


「ほら、じっとしてて」

「う、うん……」


 大変なことになってしまった。


 心音の部屋に二人きり。

 対面し床に座っている。


 ──これから僕は、お化粧をされる。


 女装癖があるという誤解を否定できなかった。

 否定した先の言葉を持ち合わせていないから。


 選択肢はあってないようなもの。


 だから僕は、これから女の子になる。

 なあに、いいんだ。これがきっと最善の選択。


 心音を好きな気持ちを隠す、唯一の……選択。


「うーん。どうしようかな」


 心音はあごに手を当て、僕の顔をじろじろと食い入るように見てきた。

 これから行われる顔面工事の算段を立てているようだ。


 こんなにまじまじと見られるのは初めてのことで、小っ恥ずかしい気持ちになる。


「あーもう。だから動いちゃダメだって。ちゃんと顔見せて」

「ごめん……」

「いい子だからじっとしてようね」


 パチンッ。

 前髪をお花のついたパッチンで止められ、僕のおでこは露見した。

 なにを躊躇うこともなく、当たり前に可愛らしい女物のパッチンを使われた事で……急に現実味を帯びてくる。


 そ、それにしても近いな。

 視線を落とすと、キャミソール越しから大きなお山がi字を描いていた。左右のお山は激しく主張しあい、中央は譲らないぞと押し合っている。


 一歩も引かぬ攻防。谷間戦線、i字の乱。


 ゴクリ……。

 

「やっぱり気になる?」

「な、なにが⁈」


 えっ⁈ んん⁈

 谷間戦線とか頭で考えてる最中だったからか、今日一驚いてしまった。


 ふぅ。


 なぁに大丈夫。バレるわけがない。

 心音はそういうのに疎い子だからな。言われるならとっくに言われてるはずさ!


「おっぱい。じーって見てたでしょ?」

「み、み、みぃ‼︎ ぶはっ。みみみ、みてないよ‼︎」


 僕の目をじっとみつめ、首を傾げてきた。


 おっ、おっ、およよよ⁈

 僕の目は泳ぎ回り、思考はパンク寸前。


「嘘つかなくていいから。なぁんか最近、じろじろ見てくるなーってずっと思ってたの。なんて言うか、えっちぃ目で?」


「…………」


 終わった。

 僕はなにも見えていなかったのか。


 いや、おっぱいは見えていた。結局、おっぱいか。


 もう、誤魔化しは利かない。

 諦めの悟りを開くしかない。


「……ごめん……なさい」


「もうっ、謝らないでよ! 怒ってるわけじゃないんだから。全部わかってるって言ったでしょ? コタは女の子の体に興味があるんだよね。可愛くなりたいんだもんね。そりゃ、気になってとーぜんだよ」


 ……へ? 頭の中に浮かぶ、たったひとつの大きなクエスチョンマーク。


 まさかこれは……つまり、そういうことなの?


「ウンッ。ソウナンダヨ! サスガココネ!」

「はぁ。幼馴染なんだから当たり前でしょぉ〜。だからね、そんなチラチラ遠慮しがちに見なくてもいいんだよってこと!」


「ア、アリガトウ。オキヅカイカンシャ!」


 いいのか。これは許されるのか。

 そう思うもやっぱり選択肢がない。


 否定した先にあるのは心音への恋心。


「あと、鼻息! わたしの匂いを嗅いでるような感じっていうのかな。女の子の匂いにも興味があるんだよね?」

 

「……ウ、ウン!」


「なるほどぉ〜。それでダルマさんが転んだみたいにクンクン嗅いでたわけだぁ!」


「そそ! どうしたら心音みたいな女の子の匂いになれるかなって。研究……的な!」


「それならそうとコソコソせずに言ってくれれば良かったのに。まったくコタは変なところ遠慮するんだから」


 そう言うと頭を優しくポンッとされた。


 穴があれば入りたい。

 そう思う気持ちが、いとも容易く僕の口から嘘を吐き出させる。


 心音に抱く恋心を隠すために、許されない嘘を吐いているような気がす……る。


 でもだからって、どうする。


〝心音のおっぱいが気になって仕方がなくて!

 良い匂いだったからクンクン嗅いじゃった!〟


 ……ううむ。言えるわけがない。


 こんなこと、恋心を悟られるよりも数段ひどい。


 状況は変われど選択肢は変わらない。

 女の子になることに憧れを抱く、女装好きな男子高校生。こうする他、幼馴染であり続ける道は残されていない。


 でもこれじゃまるで、おっぱいが見たい+匂いをクンクン嗅ぎたいが為に、嘘を吐いているようなものだ。


 でもだからって……。


 どんなに考えても答えは見つからず、『でもだからって』のループになる。


 結局、間違っているとわかっていても、恋する気持ちには抗えない。


 綺麗事を並べても、心は真っ直ぐに進むことしか……できないのかもしれない。


 ◇

「じゃあ、お化粧の続きしよっか」

「……うん」


 忘れていた。

 これから僕は……お化粧をされて女の子になるんだ。覚悟は決めたはずなのに、話が逸れてく内に緩くなってしまった。


「あれれ、元気ない顔してるなぁ。不安になって来ちゃったのかな?」


「……だ、大丈夫!」


「ダメそうじゃん。コタはほんとわかりやすいんだからぁ。……えっと、じゃあ、さっきみたいにここ見てなよ。好きなんでしょ?」


 そう言うと心音は視線を落とした。

 視線の先にあるのは、谷間のi。


 それはまるで注射をされるときに『好きな食べ物は?』と聞かれ、考えてる間に終わっているような、軽い感じの提案だった。

 

「い、いいの?」

「いいもなにも、昨日も一昨日もすっごい見てたじゃん。ダメならダメってとっくに言ってるよぉ〜。それに、気付かないフリするのも疲れるんだよ?」


「ソ、ソウダッタンダー」


 あれ、なんだろ。あれ、あれれ?!


「だから見て。これはわたしからのお願い。さっきも言ったけど、幼馴染なんだから遠慮はしないこと。わかった?」


「ハイ! ヨロコンデ!」


 何かがおかしいと思いながらも、僕の返事は見事なまでに即答だった。

 

「うん。いいこ。じゃあ始めよっか!」


 そうして、頭を二回撫でられると、

 顔面工事。お化粧はスタートした。


 ◇◇


 心音の言葉に感じる妙な引っ掛かりも、谷間のiを心置きなく見始めた2秒後には、どうでもよくなっていた。


 今置かれている状況に幸せを覚えた瞬間だった。


 それと同時に罪悪感も……。


 女の子同士の特権。

 谷間観察チケットを付与されたような、そんな気が……した。


 ◇◇


 とは言え、化粧は止まらない。

 化粧を止めないが為の見放題。


 なんだか上手く丸め込まれてるような……。


「ねえ、ちょっとだけでいいんだけど……」

「コタ〜、しつこいは嫌われるよ? まだダメって何回も言ってるでしょ」


 鏡を見たいだけなのに……全部終わるまでダメと言って聞いてくれない。


 言い分はわかるけど、気になる……。


 もはや谷間を見てても落ち着かない。だって、化粧のコンセプトが怪しいんだ。


 ◇

「コタは可愛い顔してるから……ロリっぽさを、もっと、こう……強調させる……ように」


 ほんと気になる。さっきから何度もロリって言葉が出てくるんだよ。


 ロリってなに?

 いや、わかるからこそ……間違いが起こる前に、途中経過を確認して……。


「ねえ心音──」

「だーめ! 良い加減にしないとギャルメイクにしちゃうよ? 付けまつげ三枚付けちゃうんだからね」


「……う」


 この世にはロリメイクとギャルメイクしかないとでも言うのか。


 でも、どちらか選べと言われたら……。


 僕は静かに化粧が終わるのを待つことにした。

 つまり、ロリメイクを……選んだ、と、いう……こ……と。


 ──そして、化粧が終わると次のステップへと進んでしまった。


 ◇◇◇


「ほーらっ。怖がらなくて大丈夫だよ。じっとしてればすぐ終わるから」

「……うん」


〝チョキチョキチョキ〟


 前髪を切られている。

 床に落ちる茶色い髪の毛。押し寄せる違和感に目がおどおどしてしまう。


 だってその髪の毛は、自分のじゃないのだから。


 考えもしなかったんだ。

 化粧をして終わりだと思っていた。まさか僕がカツラを被るなんて……。


 それも、ふわっとくしゅっとした、ゆるゆるふわふわの女の子が被りそうなやつ。


 ゆるふわ……系?

 よりによって僕……が?


 ないない。ないないないない。


〝チョキチョキチョキ〟


「もうちょっとゆるい感じにふわっとさせたいんだけどなぁ〜」


 ある……のか?


「僕、ゆるふわするのは嫌なんだけど」

「え。じゃあ縦巻きロールにする?」


「……う。やっぱりゆるふわしてください」


 なぜだ。なぜ二択なのか。


 ◇◇◇


「よぉし完了〜! コタ専用ウィッグの完成だぁ!」


「も、もうわかったから。早く鏡見せて‼︎」


 僕がゆるふわ系ロリだなんて、そんなはずないんだ! 縦巻きロール系ギャルでもないんだからな!


「まだダメ。ちゃんと全部終わってからって言ってるでしょ?」


「ま、まだ終わりじゃないの⁈」

「そうだよ。これからコタはお着替えするんだから」


「お着……替え?」

「そっ。女の子の洋服を着るの。それで完成」


 そう言うと心音は立ち上がりタンスをゴソゴソし出した。


 もう既に心音の服を着ている。オフショルワンピース……。これじゃ役不足ってことか。


 いったいどんな服を。


 まさか、ロ、ロリ系の服?


 そう思っていると、意外にも心音が取り出したのは体操着だった。


 ん……? た、体操着⁈


「え、なにそれ? なんでそれが出てくる⁈」


 意味のわからないチョイスに思わずツッコミを入れてしまう。


「えー、嫌なの?」

「嫌に決まってるだろ‼︎」


 あれ……。でも確か昨日は体操着を懇願したんだっけ。これだと、昨日と言ってることが……逆?


 いや、女の子になりたいんだから……今日は正解だ!


「えー、でもほら女子の体操服だよ? しかも女子高のだよ? この体操服は女の子しか着れないやつなの。コタは女の子になりたいんでしょ?」


 あ、そこに繋がるのか。

 え、ていうかそうだよ。心音は女子校……う、わぁ……。


 でも。で……も。

 そうだよな。僕は女の子になりたい。そういう・・・・こと・・になっているんだ。……これは喜んで着ないとダメなやつだ。


「それもそうだな。女子高の体操服。うん。じゃあそれ着ようかな。ちょうど着たいと思っていたところだったんだよ! これで女の子になれる! やったぁー!」


 心音が持つ体操着に手を伸ばした時だった。


「……冗談だよコタ。もう、よくわかった。……ねえ、週末の花火大会、一緒に行こっ?」


 それは、話の前後がまったく繋がっていなかった。

 先ほども似たような引っ掛かりを覚えたときがあった。


 ──何かが、変だ。……何かが、おかしい。


 その何か・・がわからず、言葉に詰まっていると、心音が悲しそう声で続けて口を開いた。


「ねえ、どうして黙るの? 花火大会。一緒に行きたいんだけど。……嫌?」


 それは初めて見る心音の切な顔だった。

 突然なにを言い出してるんだよ! と、茶化せる雰囲気ではない。

 

 嫌かどうかと聞かれれば、心音とお出かけするのには抵抗がある。


 それも、何度も行ったことのある花火大会なら尚のこと。


 思い出が、歴史があるからこそ、YESの言葉が出てこない。


 屋台をまわって、遊んで、最後はたこやきを食べながら花火を見るのが恒例だった。


 心音は毎年浴衣を新調してたっけ。一年に一度、その日しか着ないのに。それくらい、花火大会が好きってことだ。


 それに比べ、僕は毎年バスパンだった。


 部活帰りにちょっとそこまで、たこ焼きを食べに行く程度の感覚だったと思う。


 特に断る理由もないし、心音が花火好きなら付き合ってやるか。程度の軽いノリ。


 だからこそ、もう行けない。

 

 見ず知らずの綺麗なお姉さんを隣に連れて歩けるのなら、鼻高々に自慢気になれたかもしれない。


 でも、幼馴染。


 そういう単純な話じゃない。


 だって僕はバスパンだぞ。

 ただでさえ不釣り合いなのに、この上バスパンで行くなど甚だしいにも程がある。


 それなら、バスパンを履かなければいい。


 違う。


 僕と心音の花火大会は、浴衣とバスパンでなければいけないんだ。


 バスパンでひょっこり現れて『よぉ!』と当たり前に声掛けて『もぉ、たまには浴衣くらい着てきなよ』なんて茶化されるのが僕と心音の花火大会なんだ。


 それが突然、まるで僕がおめかしするかのように、浴衣姿で現れたのなら……おかしいと思われるに決まってる。


 バスパンと浴衣。

 それで折り合いが取れていたのに。


 対等……だったはずなのに。



 …………断ろう。今の僕には行ける道理がどこにもない。



「ごめん。その日は用事があるんだ」


「やっぱり、嫌なんだ。コタってほんとわかりやすいよね」

「な、なんだよ突然⁈ 用事があるんだから仕方ないだろ!」


「じゃあその用事、断ってよ」

「そ、それはできない。大切な用事だから」


「用事なんて無いくせに」


「……な」


 言葉に詰まった。


〝なぜ、それを知っている〟と反射的に言いそうになってしまったんだ。


 心音は怒るとか不機嫌とかそういう様子じゃなくて、ただ、悲しそうな顔をしている。


 それが妙で、とても嫌な予感がした。


「ほら、立って。こっち」


 だんまりする僕を見かねたのか、それともこれ以上話しても無駄だと思ったのか、手を引かれ隅にある全身鏡の前へと連れて行かれた。


 見たかった鏡。でも今は──


「っっ?!」


 嫌な予感も吹き飛ぶ、衝撃の姿が鏡に映った。

 そこに映るは、ゆるふわ系ロリ美少女だった。


 これが……僕?

 まさか! 鏡に何か細工してあるに違いない!


 鏡に手を当てしともどしていると、心音の両手が僕の体を包み込んだ。


「毎年一緒に行ってたじゃん。……去年は行ってくれなかったけど。メッセージ送ったのに」


 そう言うと僕の右肩に顔を乗せ、鏡越しに見つめてきた。


 心音と目が合う。

 それは、鏡に映るロリ美少女が僕であることを決定付けた瞬間でもあった。


 この上のないほどの密着感。背中越しに感じる柔らかいもの。


 でも、心音の表情を見ると喜べない。


 体越しに伝わる温度はこんなにも脈を打って温かいのに、どうしてそんな、切なそうな顔してるんだよ。


 ……花火大会、断ったからかな。でも、

 

「だから、今年はちょっと用事があって。行けそうも、ないんだ」


「ねえコタ。その姿なら、女装してれば行けるんじゃないの? 落ち着いて良く考えてみて。……どうかな? ダメ?」


「ダメじゃ……ない、かも」


 分不相応。そう思っていた。

 だけど、女の子の姿なら……対等かもしれない。


 あれ、でもなんで、心音がそれを言うんだ……。

 あ……れ?


「じゃあ約束だよ。でもねコタ。少しづつ、ゆっくりで良いから昔みたいに戻りたいな」


「……う、うん」


 その言葉を聞いておおよそのことを確信した。


 僕は、幼馴染を演じれてなど居なかったんだ。


 ◇

 ふと、昔のことを思い出した。

 色違いのバスパンを履いて、切らした息をはぁはぁしながら男勝りにスポドリを回し飲みしていたあの頃を。あの、真夏の体育館での一コマを。


 それが今は、綺麗なお姉さんとゆるふわ系ロリ美少女。


 いったいどこで、こんなにも掛け違えてしまったのだろう。


 後悔だけが、僕の心に重くのしかかった。

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