第20話 かしこまりました。粋のいい元気なおパンツですね!


「あー、もうっ。なにボーッと眺めてるのっ。三秒ルール!」


 そう言うと何を躊躇るわけでもなく、浴槽へと心音の手が伸びて来た。


 今、まさに沈み切ろうとしていた僕のおパンツはすんでの所で掴まれ、浴槽から取り出された。


 僕のおパンツは、救われた……のか?

 


 心音はすぐにパンツをぎゅうっと絞ると、スンスンスン。おパンツのバイタルをチェックした。


「あーあ、これはもうダメだぁ。どー考えても三秒経ってたし。コタのせいだぁー。なんですぐ拾わないかなぁ」


 その言葉にハッとする。パンツよりも心音だ‼︎

 心音が着ているキャミソールは濡れ濡れで、下着までも濡れていた。


 けしからん具合はversion 2に進化。


 僕のせいで心音がびしょびしょに……。


 どうしてパンツを振り払った。

 どうしてすぐに拾わなかった。


 後悔をしても、もう遅い。パンツは濡れ、心音も濡れた。


 偶発的に起こった事ならば、仕方ない。


 ……でも、違うんだ。


 えっちぃ気持ちのせいでまともな思考力を欠いていた。背中を流してもらったり、髪を洗ってもらった時だって心音は服を着ていた。


 妄想は期待に変わり、やがて偽りの現実まぼろしへと昇華する。

 

 いつのまにか、心音が裸だと思い込んでいた。


 そして、頑なに体育座りで背を向け続けた。


 ……僕が、心音とパンツを濡らしてしまったんだ。



「ごめん心音……僕のせいで……」

「ほんとだよー。コタのばかぁ! …………はぁ」


 その深いため息からは、僕のおパンツが濡れてしまったことを悔いているように思えた。


 自分が濡れてしまったことなど気にも留めず、パンツが濡れてしまったことだけを案じている。


 ──研究サンプルの喪失。


 心音の優しさが痛いほどに身に染みる。


 なのに、僕って奴は……馬鹿だ。

 なにを恥ずかしがってる。なにカッコ付けてるんだよ。


 もう、逃げない。明日はしっかり嗅ぐ。

 心音がそれを望むなら、僕には応える義務がある‼︎


 おパンツを嗅ぐ決心をここに誓う‼︎



「明日は必ず嗅ぐから。もう、こんなこと絶対にしないから‼︎」


「いやいや、コタ。明日はないよ? またこんなふざけた・・・・パンツ・・・履いてきたらね、研究は中止だから」


 ──わからなかった。何も、わからなかった。


 ふざけた……パンツ?


 僕は大切な何か・・を忘れているのかもしれない。


 そもそもなぜ、心音は僕にパンツを嗅がせようとしたのか。見えているようで、何も見えていなかった。


 おパンツを嗅ぐ決心なんて、している場合じゃなかったんだ。


 とりあえず、パンツがふざけちゃうだけの不手際があったんだ。それを教えてもらおう。


「……心音ッ!」

「なに?」


「な、なんでもない」


「じゃあ、そういうことだから。頼んだよコタ。明日はちゃんと元気なパンツ履いて来てね」


「う、うん! 明日は粋の良い元気なパンツ履いて来る!」


 ◇◇


 ……なにやってんだよ僕は。

 その場しのぎの軽い返事をしてしまった。


 ふざけたパンツがなんなのか聞けなかった……。


 詰まるところ、僕は明日、“ふざけていないパンツ”を用意する必要がある。


 ”ふざけたパンツ”がなんなのかわからないのに、用意できるのか。


 それに元気なパンツってなに……。

 わかんないよ。もう、わっかんないよ……。


 ……でも、大丈夫。

 まだ時間とチャンスはある。

 とりあえず、今日の僕のパンツには何かしら不手際があった。だからきっと、僕に嗅がせようとしたんだ。


 こんなことになるなら……嗅いどきゃ良かったなぁ。……まさか心音の匂いが付く前の、自分のノーマルおパンツをこんなにも恋しく思う日が来るなんて。


「……はぁ」


 後悔しても、もう遅い。ソノおパンツは既に水浸し。帰らぬパンツになってしまったのだから──。


 ◇


 お風呂から上がると、およそ予想通りだった。

 着替えとして置かれていた服は、胸元にリボンの付いた可愛らしいオフショルダーなワンピース。それと、昨日貸した僕のパンツ。


 二回目ともなると特に驚かない。

 昨日はひらひらでフリフリな可愛らしいスカートだったし。


 ゴクリッ。

 とりあえず昨日貸したパンツの匂いを嗅ぐ。


 クンクンクン。クンクンクン。


 〝シャキーーンッ‼︎〟


 守りたい。この匂い。

 くっさくさのパンツを貸せば、そのパンツは翌日、良い匂いになって帰ってくる。この世の物理法則を完全に無視した奇跡の変化。


 〝おパンツイリュージョン〟


 “ふざけていないパンツ”さえ用意すれば、明日も明後日も僕のパンツは良い匂いになって帰ってくる。


 だからこの謎を解かなければならない。


 心音の匂い付きパンツをGETするために、解き明かさねばならない。



 ……でも、今の僕に何ができる。


 心音は少し不機嫌を纏っていた。ストレートに聞いたら逆撫でしそうだ。


 チラッ。


 ──ドクンッ。


 もしかして、このワンピースを着たら心音は喜んでくれるのかな?


 丈は少し短めだけど……着れないことは……ない!


 これを着ればきっと、心音もニッコリ笑顔を取り戻すはず……!


 ◇◇◇


「おうふ……」


 洗面台の鏡に映る、自分の姿に呆然。


 リボン付きオフショルワンピース。

 このなんとも言えない女の子らしさが溢れんばかりのデザイン。


 それでいて布面積の少なさ。

 可愛いとセクシーが絶妙に絡み合い、色っぽ可愛いを演出させる。



 ……だが、それをいま着ているのは僕だ。……うん。



 くるりと一回転してみる。


「お、おうふ……」


 ……オフショルが幸いだったか、サイズ感は良さそうだ。


 でも丈が……短い。

 トランクスの裾が僅かにこんにちはをしている。


 それは、ルーズなTシャツからショーパンが見え隠れするようなガッカリチラリズム。


 体を左右に振ってみる。

 ひらひらなびくワンピース。僕のおパンツがチラッチラッと顔をだす。


 〝こんにちは! ぼくおパンツ!〟


「かぁぁああ」


 羞恥心の極致に到達してしまいそうだ。


 ……でもやるんだ。


 〝ふざけたおパンツ〟を履いてきてしまった僕にいま、できること。


 このワンピースが着替えと称して脱衣所に置かれた意味。


 言葉じゃなくて行動で示すんだ。


 理由はわからない。でも心音は僕にこれを着てほしいんだ。だったら期待に応える。


 それ以外にできること、ないんだ!


 そして、明日も明後日もくっさくさの僕のパンツに心音の匂いをつけてもらうんだ!


 全ては〝おパンツイリュージョン〟のために!


 ◇


 ガチャン。


 リビングのドアを開けると昨日同様、チキンライスの風味が僕の鼻を喜ばせた。


 心音はフライパンをゆっさゆっさ、

 しゃもじでチキンライスを混ぜ混ぜしていた。


「おかえりー、もっとゆっくりでも良かったのに。もう少し掛かるから適当にくつ……ろ……い……で」


 こちらを振り向くと静止した。


 僕がしっかり着替えて来たためか、驚いてるようだ。


「どう、似合ってるかな?」


 右足を軸にゆっくり一回転。

 嫌々着ましたよという雰囲気を出さないようにワンピース姿をお披露目した。

 

 と、次の瞬間。


 しゃもじが床へと落ちた。


 ハッとした様子でコンロの火を止めると、勢いよく僕のほうへと近づいてきた。


「どうしたのコタ、その格好⁈」

「え、あ……」


 僕は言葉を失った。

 喜んでくれるものだとばかり思っていたのに、様子がおかしい。


「昨日はあんなに嫌がってたじゃん、スカート履くの。なのにどうして? なんでそれ着てるの⁈」

「う、うん。そうなんだけど……。なんていうか……その、ちょっと」


 着て欲しいわけではなかったんだ。

 ここにきて間違いを犯してしまったことに気づく。


「ねえ、言ってくれないとわからないよ。こんなのいつものコタじゃない。やだよ。変だよ」


 その言葉は直球だった。

 心音は顔を悲しげに曇らせると、僕の手を掴んだ。


「言えないような……ことなの? ねえ?」

「ごめん。ごめん心音……僕、実は……」


 手を掴まれたことで、勇気をもらえた気がした。

 もう、好きだと言ってしまいたい。匂いつきおパンツが欲しいと言ってしまいたい。


 ……でも、言えない。

 言いかけるまでが限界でその先を言うことへは届かない。


 この気持ちを伝えて傷付けることと

 このまま言わずに傷付けること

 天秤にかけるまでもなく、後者を選択する。


 気持ちを伝えて振られるだけなら良い。

 でも心音は優しい子だから。責任を感じてしまう。


 それこそ、僕に気を使ってOKとさえ言ってしまうかもしれない。


 そんなのはダメだ。絶対にダメなんだ。


 沈黙が長過ぎたのか、心境が顔に出ていたのか。心音は何かを悟ったような顔を見せると静かに口を開いた。


「そうだったんだね……そういうこと……か」


 サト……ラレ……タ?


 やばい。

 やばいやばいやばいやばい。


「ち、違う‼︎ それは違うから‼︎」


 声を荒げ必死に否定した。

 喧嘩をしようが、嫌われようが、この気持ちだけは悟られてはならない。


「大丈夫だよコタ。なにも心配はいらないよ」


 そう言うと抱きしめられた。温かい。温かい……けど。


 なんだよこれ……。もう、手遅れなのか。


「コタ……今まで気付いてあげられなくてごめんね。……幼馴染失格だ」


 どうしてこんなことに……。

 幼馴染失格なのは僕じゃないか。


 心音は良い子だから、責任を感じているんだ。

 こうなること、わかっていたはずなのに……。


「悪いのは全部、僕だから。こんな気持ち……消すから。だから──」


「大丈夫だよ。誰にも言わないから。二人だけの秘密だよ」


 僕の言葉を遮るようにそう言うと、抱きしめる手は頭へと回ってきた。そのまま床に座ると、僕の頭を包み込んだ。


「……心音。僕……、僕……」


 気持ちが限界に達した瞬間だった。

 涙が止まらなくなった。


「いいこいいこ。大丈夫だからね。コタはなにも悪くないよ」


 思い返してみると色んなことがあった。

 

 僕の心はとっくに限界に達していたんだ。

 それなのに、無理をした。


 無理をした分だけ、涙がこぼれる。


 出口の見えないおパンツミステリー。

 暗闇に向かって進むことしかできない。


 でも、ここに感じる確かな温かさ。安心感。

 全てを包み込み、浄化してくれる聖母のような包容力。


 この先になにがあるのかはわからない。


 それでもいまは、心音の胸に埋まり頭を撫でてもらおう。こんな機会、きっともう二度とないのだから。


 ──いまはただ、この温もりを。心音を……感じていたい。


 クンクン。スゥゥゥ。……プハァ!



「いいこいいこ。大丈夫だよ。なにも恥ずかしがることないからね。わたしはコタの女装癖を受け入れるよ。だって幼馴染だもん! お化粧して、ちゃんと可愛くしてあげるから。任せなさい!」


 ……あれ?


 …………あれれ?


 流れる涙はピタッと止まった。



 ──これは、夢かな?

 

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