終焉によせて
夏野けい/笹原千波
異星という他者
二本の脚で走る恒温動物がヒトと自称する知的生命体であることは知っていた。この惑星に存在する他の生命体に比していくぶん不格好に運動するそれが近づいてくるのを、わたしたちは黙って見ている。
灼けた砂礫の大地を踏む足取りは重い。疲労と過熱がその個体を蝕んでいるのは確かだろう。
彼らがわたしたちに気づくことはない。当地には可塑性の高い生命体が存在しておらず、彼らが擬態という言葉をあてがうのは色彩やテクスチャの模倣に限られている。だからわたしたちは呼吸や思考を乱すことなく樹木――硬質な外皮を持つ植物の一種に外観だけを似せている。
当地は夏季にあたり、恒星の光は苛烈に注いでいる。風は微かだ。思考核たるわたしは文字通り枝葉に守られているが、末端組織は悲鳴にも似た
さて、眼前のヒトはわたしたちに接触するだろうか。
わたしたちが身を隠すのは植物の群生地帯だ。ヒトが逃げ込めそうな場所はほかにない。わたしたちは緑の葉をそよがせて相手を誘う。
それは目論見通りに近づいてくる。身体の特徴からしてオスと呼ばれる性であるようだった。彼らは有性生殖を行う。つまりオスどうしやメスどうしでは遺伝子を交換できないし、繁殖もできない。
個体ごとに完結した意識を持ち、言語というツールによる不完全なコミュニケーションに依存する彼らにあって、それは不便なことではなかったのだろうか。
足元も見ないでふらふらと歩くものだから、わたしたちがちょっと腕を伸ばすだけで彼は転んだ。
わたしたちは彼のうなじへ触れる。神経組織の集まる頭部には、わたしたちが
末端組織が彼の細胞の間隙に潜りこむ前に、彼は予期せざる動きでわたしたちに触れてきた。柔らかく無毛の、熱を持つ手がわたしたちのおもてを撫でる。
「誰か、いるのか?」
同胞を求める動きは好奇心を刺激した。
彼らはわたしたちと違う。回路を繋いで意思を伝えあうこともなければ、種全体がひとつの存在であるという認識も持たない。
肉体を用いたコミュニケーションを間近でみる良い機会ではないか。
思いつきには当然、反論が持ち上がる。
――馬鹿なこと言って。
――さっさと終わらせて帰りたいんだけど。
――わたしたちが接触するわずかな時間で得られるものってそんなにあるの?
そしてわたしを擁護する意見も。
――ヒトは個体ごとに異なる記憶を持つっていうじゃない。だったら正確を期すために、わたしたちが客観的に行動を観察するのも手じゃない?
――純粋に興味はあるよ。
――わたしたちを見たらなんて言うかな。
――異星の生命体とのコンタクトなんて珍しい資料になりそう。
わたしたちは本来、知識欲に勝てる生きものではない。わたしたちの総意として擬態を解いた。かわりに移ろうのは彼の姿だ。
わたしたちは改めて彼を見下ろす。
「……っ!」
そのヒトは鏡映しになった自分に声を失う。
「大丈夫、落ち着いて」
「俺はどうしたっていうんだ。幻覚……なのか」
「いいや」
「誰なんだおまえは」
「俺は、外から来たモノだ」
彼は不明瞭な声を上げた。いかにも狂ってしまったようだった。ヒトの狂う様子ならば、わたしたちは何度も目にしてきた。彼らはとても繊細だ。他者を本当の意味で知ることはできず、自己という殻のなかで疑心暗鬼に陥っていく。
他者を疑い続けたすえに己をも疑って彼らは狂う。肉体を、遺伝子を残すことさえ放棄して自ら死を選ぶことさえある。理論上その個体が死ぬのは得策でないとしても。
致し方ないのだろう。彼らは言葉のうえであまりに頻繁に他者の死を望む。集団にとって用済みになったと結論してしまうのは無理もない。わたしたちも、わたしたちに望まれなくなったら死を選ぶ。わたしはわたしたちとして生きているのだから、わたしという個よりもわたしたちという全体に利するべく消えることができる。
なんにせよ、健全なコンタクトを取れない相手の前に長居するつもりはない。
改めて彼の首筋を目指した指は、彼の手によって阻まれた。立ち上がる力もない様子だったのに。
「なぁ俺ってそんな声で喋るのか?」
「ヒトの身体構造上、空気を介して聴くのと肉体を通して聴くのでは音質が変わって感じられるようですね。まぎれもなくあなたの声ですよ」
「そうか、気持ちの悪いものだな。自分とそっくりな人間に目の前に立たれると」
「あなたがたはよく鏡を見るじゃないですか」
「違うんだよ」
仕方がないので映像資料をもとに平均的なヒトのオスの形に変化する。友好的な態度のほうがヒトは饒舌になるものだ。
だが予想に反して彼は怯えた顔をした。
「おまえ、外から来たって言ったよな」
「えぇ」
「助けに来たのか? それとも殺しにきたのか?」
――否、でいいだろう。
――そもそも問いの意味がわからない。
「どちらにせよ、いいえと答えるべきでしょうね」
「含みがあるな」
「わたしたちは観測するだけ。あなたがたには手出しするつもりもありません。ちょっと手土産にヒトのことを教えていただきたくてね」
「見捨てるっていうのか」
「あなたがたは間違いなく滅亡しますよ。繁殖に耐えうる環境も資源も、個体数も残っていない」
「安全圏から高みの見物ってわけか」
――敵意というほどでもないけれど。
――いまひとつ。切り上げて接収すれば?
「何が望みでしょう」
「水も食い物も持ってないのかよ」
「あいにくと、わたしたちには必要がないもので」
彼は顔面を歪めた。笑いと呼ばれる筋肉の動き方ではあるものの、彼がわたしたちに対して喜びを表明する意味はないだろう。
「おまえさ、何にでもなれるの?」
「わたしたちは擬態します。いかなるものであれ、形態や動作を真似ることは容易です。そのように生きてきましたから」
「女にはなれるか?」
「えぇ」
わたしたちは胸部を膨らませ、骨格を変更する。
「もっと背は低い。髪は栗色だ。瞳は深い碧」
彼の命じる通りに外見を移ろわせるが満足はいかないようだ。
「瞼は二重、眉は柔らかくて薄い」
――埒が明かない。
――この個体は何を求めているっていうんだ。
――あぁ、中を覗けたらもっと簡単なのに。
「失礼ですが。言葉ではいつまでもすれ違ったままでしょう」
わたしたちは彼に触れる。彼の肉体が刻んだ過去から栗毛のメスを探す。そうとうに思い入れがあるようだ。実体験だけでなく、夢や回想において当該個体の姿がよく現れる。
――つがいだったんだな。
わたしたちは彼の望む姿になる。それは本来の彼女とは異なるだろう。彼が求めたのは、記憶のなかの彼女に過ぎない。
わたしたちは彼の求める声で語る。彼の名を呼び、彼女の口調で話す。彼はわたしたちの手を取り、涙を流し、彼女の名前を囁いた。
彼は衰弱しつつある。意識にも乱れが生じている。
ヒトは死後の世界に救済を見た。天国を、極楽浄土を、不死の国を、痛みのない世界を。彼の信奉する宗教さえわたしたちにはもうわかっている。彼を慰めるすべならばいくらでもあるが、とりたてて積極的に関与するつもりはない。
彼らがいう心というものは、わたしたちのありようにはそぐわないから。彼とて、わたしたちに情念を求めたりはすまい。だからこそ彼はただ彼女の姿だけを欲したのだろう。
「十分だ。悪かったな……写真もなかったもんでさ、俺の頭じゃもうはっきり思い出してもやれない、だからさ、ちょっと顔を見たかったんだ」
「あなたは覚えていましたよ。だからわたしたちは彼女を再現できた」
「そうなのか」
「えぇ間違いなく」
彼は彼女との思い出を言葉にしていく。確かに彼の語りには矛盾があるが、脳にあるデータとは当人にとってそうまで取り出しにくいものなのだろうか。
わたしたちは彼の死のまえに彼を記録していく。滅びゆくヒトという種の一個体。わたしたちはその一生を吸い上げて、わたしたちの永遠の知として保存していく。
ちょうど他の場所にいるわたしたちからも別のヒトの記憶が送られてくる。わたしたちは彼らを知る。違う意識のなかの重なる部分にヒトとしての普遍を見る。
愉悦に震えるわたしたちは、彼らのように笑いはしない。
終焉によせて 夏野けい/笹原千波 @ginkgoBiloba
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