うつつ















 ああ、なんて変な夢。

 いつも同じ問答。いつも同じ結末。面白みも何もない、詰まらなく支離滅裂な話。


 茹るような暑さに目を覚まして、まず手首を見た。包帯が巻かれてあるがさほど痛みはない。


 喉を突く勇気もないくせに死にたいなどと繰り返す私は、なんと厄介な女なのだ。家人もさぞ呆れている事だろう。


 夢の中に夫が居た。そしてその愛人も。二人は夫婦だった。私を厭わしげに見る医師とその美しい妻。


 夫に逃げられ出戻った私を父と母は厄介者のように言った。そもそも結婚自体、親の望みに従ってのことだったのに。


 ならば死のうかと言ったら「これ以上恥を晒す気か」と罵られ、私達の子として生まれた以上、親の言う事を聞きなさいと酷く叱られた。


 私には意思があっても、それを尊重してくれる人がいない。


「夏帆、夏帆」


 世話しない布ずれの音。母が着物の裾の捲れるのも構わず廊下を走る音がする。


「藤吾さんが亡くなったの。愛人の女に崖から突き落とされたのですって」


 隣家から借りて来たと言う新聞の、小さな記事の中に夫はいた。それは文筆家であった夫が私と結婚する前に取った賞の記念に、出版社の方の勧めで撮影したという写真で、まだ若い彼がさも畏まった様子で写っていた。


 結婚して間もなく、夫は私に暴力を振るうようになった。


 筆が進まぬのはお前が平凡な女だからだ。平凡な女と結婚し、平凡な暮らしをし、そんなぬるま湯に浸かったような生活の中で、一体何を書けるというのだ。夏帆、お前といれば俺は駄目になる。お前のせいだ。お前などと結婚したから。


 いっそ俺のために死んでくれ。


 そう言われた時、私は初めてあの人に逆らった。


 あなたこそ平凡なお人。なのに何の間違いか、こんな賞など頂いてしまったから思い上がるのです。書けぬのはあなたのせい。あなたが凡夫だからです。


 それから少しして、美しい愛人がやってきた。臥せられた目を隠すように生え揃う長い睫毛、白い肌がスクリーンのように美しく日の光を反射していたのをよく覚えている。


 美しいお人だ。それなのにこんなうだつの上がらない三文文士を選ぶとは愚かなお人。


「皆がお国のために命を捧げるこのご時世、肺病みの徴兵逃れが、ああ全くみっともないこと。よりにもよって愛人と情死なんて」


「情死」


 殺されたのではなかったかと聞き返すと、母は新聞に目を落とし、顔を歪める。


「心中しようと一緒に崖まで行ったのに、直前に藤吾さんが怖じ気付いたそうよ。それで女が殺したんですって。けれど後を追おうとしたところを人に止められて……。ああ、みっともない。先に離縁していて良かったこと」


 私はまた急に死にたくなって目を閉じた。今度は勇気を出して喉を突こう。一度できちんと始末をつけなければ。


 私は望んで生を終える。希望に満ちた来世を夢見る。初七日が過ぎて私は極楽に、或いは地獄に行くのでしょう。七日を七回繰り返し、四十九日を過ぎたとき、私はまた生を受ける。


 今度はもう少しだけ自分のしたいように生きてみよう。できる事ならそれが許させる世に生まれたい。


 そう考え、ふっと笑った私を見て、母親は奇妙なものでも見たかのように目を逸した。


「離縁したとはいえ、夫の訃報を喜ぶだなんて気味の悪い子」


 皆死んでしまえば良いのだわ。そしてもう一度やり直すの。無くなってしまえ。この愚かな私も、私を拒絶する者も、家も、世界も、そう世界も何もかも、何もかも!













 夫の訃報を聞いた二日後、夏帆の住む町に大きな爆弾が落ちた。落とし主達は自らが信仰する神を祀る建物を目印にして、それを投下した。


 夏帆の知る、狭い世界は一瞬にして猛火に包まれた。重い雲に覆われ、黒い雨に打たれた。何も無くなった。


 そうして世界は変わってしまった。夏帆はもういない、夫も夫の愛人も、父も母も、彼女を知る人は、みんな、みんな。

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瑕疵 麻城すず @suzuasa

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