夢の国に恋して

蜜柑桜

魔法に憧れて

「お待たせいたしました。カップル限定のスペシャル・メニュー、『星空のカクテル』でございます。お客様お二人がいつまでも仲良くありますように、当店から魔法をプレゼントです」


 ハート型に捻ったストローが二本飛び出した背の高いグラスをテーブル上で滑らし、マニュアル通りの案内を述べる。この暑いのに寄り添って座る男女は、グラスの中身と同じく今にも幸せが溢れます風の笑顔で目を丸くし、顔を見合わせてはにかんだ。撮ってくれますか、と差し出されたスマホに、ファンシーなメリーゴーラウンドをバックにした二百点満点の笑顔を収める。


 伝票を置いて軽く会釈すると、テーブルに背を向けてホールをまっすぐ横切り、キッチンの奥に直進する。次の客も同じ注文。


 ——パキン。


 ステンレス台に置いた二人分サイズのジョッキ大のグラスの横で、冷蔵庫から出したフルーツの缶詰を音を立てて開ける。縁は波打って淡く色付けされて、光を返してピンクに水色に、幻想的に色を変える。女の子なら誰でも夢見る特注グラス。


 幻想どころかもはや禍々しい。見るだけで顔をしかめたくなるそれに、缶詰の中身をぶちまけた。


 ふるふるのナタデココ、シロップで艶めいたオレンジ、パイナップル、グレープフルーツにピーチ、重なって、層になって。


 プシュッ。


 思い切り泡を立てて、それらをサイダーのなかに沈没させる。でもすぐに浮き上がり、色とりどりのフルーツ達が、ナタデココの水晶の中で熱帯魚のようにキラキラ揺れる。



 ——綺麗。



 コン。


 アイス・キューブを二つ三つ。泡の中に沈んでいくそれの上に、もう慣れた手がバニラ・アイスとレモンシャーベットをディッシャーから投下する。そして泡の波に浮かぶ冷たい夢の島に、ハートのチョコレートと星屑のようなアラザンを散らして。


 それはもう、楽園のようで。夢みたいで。


 ——綺麗。


 それを見ても、無機質に思うだけで。


 ——憧れて、このお店ここに入ったのに。


「お待たせいたしました。カップル限定のスペシャル・メニュー、『星空のカクテル』でございます。お客様お二人がいつまでも仲良くありますように、当店から魔法をプレゼントです」


 二つ飛び出たストローを摘んで、メリーゴーラウンドをバックに微笑むカップル。

 貼り付けた笑顔で会釈して、キッチンに直進する。


 魔法に憧れて、でも魔法をかける側になった私には、かからなかった魔法。


 パキン。

 プシュッ。

 コン。


 夏の夕暮れをグラスの向こうに透かして、宝石箱みたいに輝く魔法のグラス。

 もうそろそろ私のシフトも終わり。呪文を唱えるのも、今日はこれで最後。


 メリーゴーラウンドにライトが灯り、魔法の国テーマパークは夜の世界へ。

 シンデレラ達に魔法をかけ終わった、私の仕事はもうおしまい。


 妖精の衣装制服をぬいで、なんてことないブラウスとジーンズに着替えて、運動靴を履いて。魔法の材料の空き缶が詰まった袋を片手に、裏の扉を押し開けた。黄昏色の世界の中に一歩踏み出せば、魔法は——







「お疲れ。この間、ここのバイトって聞いたから。もう、終わった?」


 解けるはずの魔法が、今日はまだ解けなくて。

 かけるはずの魔法は、私の方にかかっていた。



 Fin.










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夢の国に恋して 蜜柑桜 @Mican-Sakura

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