第8話 歌烏 三
木箱の中で、手と足を縛られた状態で女性が横になっている。
口には猿ぐつわがはめられていて、虚ろな目だ。意識はかろうじてあるようだが、頬がこけ、かなり顔色が悪い。箱には鍵がかけられており、どうみても監禁されていたとしか思えない状況だ。
歌烏が、この女性の絵を描いていたのは間違いないが、本人の同意があるとは、とても思えない。
「おみつさんですか?」
私の問いに、女性はわずかに頷いた。
私は、辺りを伺いながら、南京錠に手を伸ばす。この形のものなら簡単だ。私は、持っていた針金を使い鍵を外す。
それから、おみつを箱から引きずるように出した。酷く弱っているようだ。身体に力が入らないように見える。私は慎重に、おみつの手足の戒めをとり、猿ぐつわをほどいた。身体の自由を取り戻したものの、声を出す元気も残っていないかのようだ。
これでは、自力で歩くのはとても無理だ。助けを呼ぶにしろ、歌烏も、大男も、針に仕込んだ薬でしばらく眠っているはずだが、本宅の方にはまだ、二人の男がいる。放置してここを離れるのは危険だ。
私が連れて逃げるしかない。
「背負っていきますので、辛いかもしれませんが、もうしばらくの間、我慢してください」
おみつは小さく頷く。
体力は限界に近く、意識がかろうじてあるという感じだ。早く医者に見せないと危険な気がする。
私は彼女を背負い、ゆっくりと戸を開いた。
庭にはとりあえず人はいない。障子に写る人の影の人数が一人であることが気になったが、横になっている可能性もある。
私は、足を忍ばせて入ってきた木戸を目指した。
月が昇ってきたせいで、随分と辺りが明るい。あまりありがたくはない状況だ。昼間ほどではないにせよ、闇に潜みにくくなっている。それに、人を背負った状態では、さすがに動きにくい。
「誰だ?!」
ちょうど厠にでも用事があったのか、戸口の傍まで来たところで、誰何された。部屋にいた男の一人のようだ。
まずい。
私一人であれば、さらに影に潜むこともできるが、おみつを背負った状態では難しい。
ここは、逃げるに限る。私は煙玉を男に向かって投げつけた。
「なっ」
煙玉が破裂する。すかさず、まきびしをばらまいた。
もはや、隠れる必要はない。私は木戸に向かって走った。
「誰かっ!」
男の叫び声を聞きながら、私は、木戸を飛び出す。
「逃がさねえぞ!」
走り出したところで、人影が私の前に回り込んできた。おそらく、家にいたもう一人の男が、玄関の方からでてきたのであろう。
後ろからは、先ほど声を上げた男が追ってきている。
道幅はそれほど広くない。私一人であれば、屋根に飛び乗って逃げるともできるが、さすがに今の状況では無理だ。
私は足を止め、相手の出方を待つ。
「何者だ?」
低い声だ。私が女性であるがゆえに、どこか面白がっているようにも見える。ギラリと抜身の短刀が月光を反射した。
私は無言のまま相手の様子をうかがう。あたりはしんとして、全ては寝静まっているかのようだ。右側は木の塀が道の先の方まで伸びている。
左側は、商店が連なっているが、すべて閉まっており、灯りは消されていた。
人の通りはなく、月の淡い光だけが辺りをぼんやりと照らしている。
「その女を大人しく、かえしてもらおうか」
私は答えない。
「仕方ねえ」
舌打ちをして男が私に向かって突進してきた。後ろから追ってきた男との距離も縮まっている。
私は手裏剣を構えた。相手は武道の訓練は受けていない素人だが、喧嘩には慣れていそうである。油断は禁物だ。慎重に間合いを図って、身構える。
その時、私の左わきの閉まっていたはずの商店の戸が開いた。
思わず、私と男たちの動きが止まる。
「朱美、下がっておれ」
戸の影からゆらりと出てきた人物が、私と男との間に立ち、剣を構えた。隙の無い構え。淡い月に照らし出される、凛々しい横顔。
「健吾さま?」
どうして、とか、なぜ、とか疑問符がいっぱいになるが、今はそれどころじゃない。
「なんじゃい、お前は」
突然現れた第三の人間に、戸惑いを覚えながらも男は、刃を健吾さまに向ける。
健吾さまの刀が美しい弧を描いて、男の手首を叩いた。
「くぅっ」
男は痛みに、得物を取り落とした。
健吾さまは、ひらりと間合いを詰めて、男の背を肘で叩き伏せる。
「朱美!」
「はい」
私は振り返って、追ってきた男の足に向かって手裏剣をうった。手裏剣は、男の太ももに突き刺さる。男は、足を押さえそのまま膝をついた。
「捕らえよ」
健吾さまが出てきた扉から、役人たちがわらわらと飛び出してきた。御用提灯こそ持っていないが、捕り物を想定して待っていたようだ。実に手際よく、二人の男に縄をかけていく。
「小山さままで」
役人に命じた人物を見て、私は再び驚いた。どうやら、奉行所を上げて、近くの商家で様子を見てくれていたようだ。
「大丈夫だったか、朱美?」
刀を鞘にしまいながら、健吾さまが私に話しかける。
相変わらず涼やかなお顔だ。正直に言えば、健吾さまではなく、役人の方が先に出てきても良かったのではないかと思わなくもない。健吾さまに何かあっては大変なのに。とはいえ、護衛の私が、他事を始めてしまったのだから、大きなことは いえないのだけれど。
「私は大丈夫ですけれど、この人を早くお医者さまに」
「ああ。わかった、小山」
「わかり申した」
小山の指示で、おみつは戸板にのせられ、養生所に運ばれることになった。
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