第4話 水茶屋

「おみつは、七曲権現のそばにある、『いっぷく』という水茶屋の店員なのですが、十日前から出勤していないらしいです」

 与力は、ゆっくりと説明を始める。

 茶屋って言っても、いろんなお店があるのだけど、水茶屋というのは、少し高級なお店だ。茶や菓子にこだわるだけでなく、小町的な女性が接待してくれるので、足しげく通う男性も多い。

「おみつというのは、どのような女性なのだ?」

 健吾さまが口を開く。

 与力は小山さまの顔を確認するように目をやった。

「よい。話せ」

「はい」

 小山さまの了承を得て、与力は健吾さまの方に向き直り、話し始める。

「店主に聞いたところによれば、かなり長くつとめていて、二十歳だそうです。親を早くに亡くしており、長屋に一人暮らし。あと、芝居は好きで、足しげく通っていたらしいです」

「ほう?」

「詳しくはわかりませんけれども、かなりひいきにしていた役者がいたようですね」

「木梨龍太郎か?」

 小山さまの質問に、与力は首を横に振った。

「役者名までは、わかりません」

「そうか」

 小山さまは頷かれた。

「非常にまじめな娘で、勝手に休むような真似は今までしなかったとか。店主は、心配して、長屋の方に見に行ったそうなのですが、家にはおらず、近所の者も、家に帰ったようすはないと」 

「ふむ」

「それで、店主から話を聞いた三次が、必死で探していたようです」

 与力は息をつぐ。

「三次が、おみつの許嫁というのも裏が取れました。三次は今、大きな仕事を一つ任されているようで、それをおえたら、棟梁の仲人で、結婚するつもりだったようですね」

「では、思い込みで、おみつに付きまとっていたわけではないのだな」

 健吾さまが顎に手を当てて、呟く。

 確かに、舞台に上がって突然凶行に及ぶ様子は、尋常じゃなかったから。勝手に、おみつに入れあげて、おみつの好きな役者に嫉妬し、凶行に及んだということも、考えられた。

「店主に言われるまで、三次は仕事が忙しく、おみつと会ってはいなかったそうです。事情を聞いて、そこらじゅうを探し回ったとか。そのあたりは、間違いないです。おみつ捜しの件、調べましたら、うちの岡っ引きの太助たすけが、人を通じて、頼まれたといっておりました」

 もっとも、岡っ引きとしても、はっきりと事件性がみえない失踪を積極的に探すことはない。今回の件に関して言えば『そう言えば』と思い出す程度の扱いだったのだろう。

「失踪前、おみつは芝居見物に行ったのは間違いなさそうです」

 与力は肩をすくめた。

「このあたりは、三次から聞いた話ですがね。芝居小屋の人間が、おみつを見ているそうです。木梨龍太郎と会っていたかどうかは、あやしいですが」

「……なかなか優秀だな」

 健吾さまは感心したようだ。

 確かに、素人の人探しとしては、かなり優秀なのかもしれない。

「三次という男は、腕の良い大工なのは間違いないそうです。ただ、ちょっとばかり、思い込みは激しいようですが」

「なるほどな」

 小山さまは小さく頷かれる。

「勤務態度はまじめで、気風もよく、度胸もある。おみつにはかなりぞっこんだったと。借金などもないようです」

 つまりは、本当かどうかは別として、三次はその生真面目さから、おみつの失踪は、木梨龍太郎と思い込み、凶行に及んだということらしい。

「……その段階で、お上に訴え出てくれば、ありがたかったのだが」

 小山さまが大きくため息をついた。

 おみつは、犯罪に巻き込まれた可能性は高い。だからと言って、自分が犯罪を犯していては、本末転倒である。

「木梨龍太郎という男については、まだ、はっきりと捜査は進んでおりませんが、あまり良い噂はないようですね。もっとも、あれだけの人気役者ですと、やっかみも多いので、ひとつづつ、裏を取らないといけませんが」

 三次が木梨を悪党と思い込んだのには、それなりに理由があるのだろうけれど。

「なるほど」

 健吾さまは頷かれた。

「朱美、ちょっと行ってみよう」

「え?」

 唐突な展開に、私は思わず聞き返してしまう。

「えっと。健吾さま、ひょっとして、聞き込みに行こうとおっしゃってますか?」

 小山さまが、顔を引きつりながらお尋ねになる。

「いや。水茶屋の『見物』だ。水茶屋というものに興味がある」

「……よりによって、朱美どのと水茶屋見物とは、趣味の悪い」

 小山さまが、健吾さまを残念なものを見るような目で見る。

 まあ、女連れで行くのはあまり向いてないかもしれない。ただ、私はあくまで、護衛なので、健吾さまの『お楽しみ』を邪魔する気は毛頭ありませんけれど。

 それに、水茶屋は、『高級』な茶と美味しいお菓子を出すこともあって、女性入店が禁止されているわけではない。

久谷くたに

「はい」

 小山さまは、与力に声をお掛けになった。

「健吾さまを、ご案内せよ」

「承知いたしました」

 こうして、与力の久谷さまとともに、私たちは茶屋に行くことになった。



 お寺の門前町にあるお店は、かなり大きい。

 長椅子が店内に並べられ、若い女性の店員が二人いた。

 私たちを案内してくれた、与力の久谷さまがおっしゃるには、この店のお茶は、とても評判が良いらしい。

 夕刻とまではいかないけれど、かなり日が傾き始めているため、店内にお客さんは一人。お店は、店主と思われる年配男性とその奥方と思われる女性奥の厨房にいて、接客は若い女性二人が行っているようだ。

 普段は、おみつ含め三人で、接客しているのだろう。

「団子と茶を三人分頼む」

 健吾さまは長椅子に座りながら、注文をする。

 久谷さまは、遠慮がちに、健吾さまの前の椅子に腰かけた。久谷さまは、健吾さまが次期将軍とは知らず、小山さまのご学友とだけ、説明を受けたようだ。

 とはいえ。小山さまが打ち解けてはいるものの、敬語で接していたのだから、いろいろと察しておられるのだろう。

「朱美、立っておらずに、ここに座りなさい」

 健吾さまに、長椅子の隣に招かれる。警護の私が、同じ長椅子に腰かけていいものかどうか、悩むところだけれど、立っていては、あまりにも不自然でもある。

「お待たせいたしました。りくと申します」

 少しキツめだけど綺麗な女性が、健吾さまに対して、しなをつくって笑いかけた。

 実に色っぽい。

 りくは、盆を私と健吾さまの間に置く。

 そして、自然に健吾さまのお隣、つまり私と反対側にすわった。とりあえず、護衛としては注意しなくてはいけないけれど、たぶん、ここはそういうお店なのだから、あまり横槍を入れるのもまずい。

「茶と団子が来たぞ。朱美も食べろ。久谷どのも、どうぞ」

 健吾さまは、久谷さまを手招きする。

 甘くてトロリとした蜜のかかった、お団子。お茶の香りもいい。とっても、美味しそう……じゃない、いけない。仕事だった。

「かたじけない」

 久谷さまは、湯のみを受け取り、飲み始める。

「朱美も遠慮するな」

「はい」

 拒絶するのも変だ。私も湯飲みを受け取った。豊潤な茶の香り。久谷さまの言うとおり、良いお茶を使っているのだろう。

 それにしても。若干、りくと健吾さまの距離が気になる。見れば、袖が触れ合うくらい。ただ、ここで割って入るのは、野暮というものだ。

 それにしても、女連れ、みるからに役人の久谷さまも一緒の状態の健吾さまに、こんなに距離を詰めてくるなんて、お店の決まりなのだろうか。

 私は店内をくるりと見回す。

 もう一人の店員さんは前からいたお客さんと談笑している。かなり親しそうだ。とはいえ、健吾さまと、りくの距離感からみても、本当に親しいのかはわからない。

「あれ?」

 ふと気になったのは、壁にかけられた掛け軸だった。たすきがけで、前掛けをした可愛いらしい女性が描かれている。素敵な絵だ。

「あの絵は?」

 私はりくにたずねた。

「ああ、この店のおみつです。人気の絵師、歌烏うたからす先生が、描いたものです」

 女性は素っ気なく答えた。

「あの美人画の?」

「そうです」

 女性はこくりと頷く。

「知っているのか?」

「はい。大人気の絵師です」

 私は健吾さまに説明する。

 歌烏の書いた美人画はとても人気だ。新作が出るたびに飛ぶように売れている。歌烏の絵は働いている現実の女性。当然、絵を描いてもらうと店の宣伝にもなる。描かれた本人をぜひ見ようと、店に大行列ができるくらいだ。

 ただ、すごく気まぐれで気難しくて、頼んだところで描いてくれないと聞いている。

「歌烏先生は、有名になる前からの常連さまだそうです」

「へえ」

「当時から働いているのは、おみつさんだけなのです。最近も、たまにおいでいただくのですが。あの絵は商売用ではないとのことです」

 つまり、お仕事の美人画とは、関係なく描いたってことかな。

「……そうなんですね」

「版木ではなく、肉筆画だな」

 健吾さまが顎に手を当てながら呟く。

「それなら、一品ものですね」

 そうか。これは商用に全く使われてないから、当然、市場に出回っていない。つまり、客寄せにはならないけれど、お店としては自慢になるから、飾っている品なんだ。

 知ってるものより筆致が優しい感じがする。商売用に描いた作品じゃないからかもしれないけれど、雰囲気が違う。美人画として仕上げていないからかな。

「ところで、その絵師について、聞きたいのだが」

 りくは答えるかどうか迷ったようだが、久谷がいるので、御用のむきと理解したのだろう。

「何でしょう」

「ひょっとして、おみつに惚れているのかね?」

「え?」

 唐突な健吾さまの問いに、りくの顔色がほんの少しだけ、変わったように見えた。









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