第5話 おみつ
「この店の常連でいらっしゃるので、よく話していたのは間違いないです。それ以上はわかりません」
りくは答えた。少しムキになっているようにも見える。
「恋愛感情はないのか?」
健吾さまの目が鋭い。
「もともと水茶屋はお茶を出すだけの商売です。お客と何かあったとしても、それは個人の問題です」
りくはあくまで、おみつの問題で、自分は知らないと言いたいのだろう。関わり合いになりたくないのかもしれない。
おみつは、間違いなく何らかの事件に巻き込まれている。何かを知っている、知っていないに関わらず、面倒事を避けたいと思うのは不思議ではない。
それに、水茶屋の女性は、給仕をするために雇われている。建前としては、お茶と菓子を運ぶだけで良い。いくら客が、店員目当てに訪れていたとしてもだ。
人気商売でもあり、店員同士の競争もあるだろうが、客をとって、春をひさぐ商売とは違う。基本的に、客は店員を指名できないのだ。
水茶屋の客は、女性を『眺めに』来るだけで、満足するのが『粋』。口説いたり追いかけまわしたりするのは『野暮』なのである。
「ふむ」
健吾さまは頷かれた。
「歌烏先生は、寡黙な方です。こちらへ来ても、誰とも話さず、お茶を飲んで帰られることがほとんどです」
それ以上のことは知らないと言い切る。なんだろう。
このひと、ひょっとして、おみつさんに対抗意識持ってるのかな。なんか目が怖い。
「なるほど」
「有名人でいらっしゃるので、私たちには壁を作っていらっしゃる感じでした。おみつさんは、有名になる前からの知り合いでしたので、気易かったみたいですわ」
歌烏の態度はわからなくもない。
絵師の先生が相手なら、店員だって、自分を描いてくれってねだるかもしれない。普通に優しくしてもらっても、下心を疑ってしまうかもしれない。
これは邪推だけど。この言い回し。
りくは、歌烏に自分を描いてもらいたいのかもしれない。おみつさんの絵を見るその瞳には、嫉妬があるように見える。
「その絵師が、最後に来たのは?」
「二十日ほどまえでしょうか。版元の方とお二人でお見えでした」
「版元? ここの店員をとりあげるってことか?」
りくはほんのりと顔を赤らめた。
「まだわからないですけど、そのようなご相談だったみたいです」
先ほどまでのキツイ感じは消えて、ちょっとうれしそうだ。
きっと、りくを描きたいとか言われたのかな。
確かに美人だもの。おみつより自分の方がって、少なからず思っていたのかも。
「そういえば、おみつの許嫁の三次もこちらの常連だったな?」
りくの機嫌がよくなったのを見ながら、健吾さまはさらに質問を続ける。
「はい」
りくは頷いた。
「三次さんは、露骨におみつさんびいきで、本当に酷かったわ。おみつさんは根負けしたのよ」
「それは、随分と店にとっては、野暮な客だったのだな」
「ええ。本当に」
りくは肩をすくめて見せる。心の底から、三次には呆れているようだった。
「ずっと、店が終わるまで外で待っていたりとか、めんどくさいわよね」
「ほほう?」
「とにかく一途と言えば一途なのでしょうけど。私なら、嫌です」
一途。それはそうだろうな。あんな大衆の目前で、刃物振り回してしまうくらいだもん。なぜ、あんな事をしたのかわからないけれど。少々、普通じゃない、とは思う。
「おみつはどんなひとだ?」
「地味な子です。特徴はあまりないですけど、芝居がとても好きでした。お客さまとも、よく芝居の話で盛り上がっていました」
りくは、おみつが失踪したことは知っているだろうに、全然心配をしているようすはない。もちろん悪口は言ってないんだけど、なんか言葉に棘がある。
「お芝居に行くために働いてるようなことをたびたび言ってましたわ。オシャレは二の次って感じで、変わった人です」
「なるほどな」
健吾さまは大きく頷かれた。
お芝居は一番安い席で見たとしても、それなりにお金はかかる。一人暮らしで生計を立てていたのであれば、それほど贅沢はできなかっただろう。
水茶屋で働く女性にしては、オシャレにお金がかけられない分、地味だったかもしれない。
健吾さまは、湯のみに手をのばされ、久谷さまに目配せをした。りくに聞きたいことは聞いた、ということだろう。
「すまぬが、店主にも話を伺いたいのだが」
久谷さまは、りくに十手をちらりと取り出してみせる。
「やっぱりお役人さまでしたの」
りくは興味を失ったように言い捨てると、奥の厨房の方へと歩いて行った。
なんか、毒のある人だなって思う。
「朱美、今のうちに食べておけ。久谷どのも遠慮なくどうぞ」
健吾さまが、お団子の入った皿をさした。
ご自身も串を手にされて、召しあがる。
お弁当を食べろと言われた時と違って、真剣な目だ。どうやら、この後、長丁場になる、そういうことなのだろう。
私と久谷さまは、お団子を食べた。甘くておいしい。お茶にすごく合う味だ。
お団子の味を堪能していると、奥から店主と思われる男が出てきた。
「てまえにお話があると伺いやしたが」
年配の男がぺこりと頭を下げる。
「おみつのことなら、岡っ引きの旦那にもお話しましたけど?」
「ああ、すまないな」
久谷さまが頷かれる。
さんざん岡っ引きが聞きほじって行ったあとだ。店主としても同じことを話すとなると、さすがに嫌な気分になるだろう。まして、久谷さまはともかく、健吾さまは何者か全く分からない風体で、まして、女連れである。不審に思っても仕方がない。
「あの絵について聞きたいのだが」
健吾さまは、おみつの絵を指さした。
「あれは、ひょっとして、歌烏が、おみつに贈ったものではないのか?」
「よくお分かりで」
店主は目を丸くする。
「おみつが受け取れないというので、うちの店に飾ることにしたのです」
「なるほど」
健吾さまは得心したように頷いた。
「それは、おみつの縁談が決まる前かね?」
「たぶん、後だったと思います」
店主は首を傾げながら答える。
あれ? 意外と、最近の絵なの? 商売抜きって聞いたから、てっきり売れる前に描いたものだと思っちゃった。
「お主から見て、歌烏という絵師は、おみつをどう思っていたと思うね?」
「あの先生は、何をお考えになっているかわかりにくいお方ですけど……好いておいでだったのではないかと」
確かに、最近に描いた絵だとしたら、意味深な動機が考えられる。だって、あれほどの売れっ子が、商売抜きで絵を贈るって。すごく親密な関係じゃないとあり得ない。
「おみつのほうは?」
「……正直に申しますと、苦手にしておりました。ただ、うちとしても、お得意さまですから、邪険にすることもできません。おみつのほうも、仕事として理解しておりました。絵を受け取らなかったのは、単純に迷惑だったのだろうと思います」
店主は、バツが悪そうに答えた。
ちょうど、おみつひとりが接客している時間にやってきて、絵を渡そうとしたらしい。
おみつはとにかく受け取れないの一点張りだった。
歌烏も、全く引き下がらず。結局、それを店主が預かる形になったそうだ。
それって……歌烏の求愛をおみつが拒絶したってことでは?
そう思って絵を見ると、愛情のにじむ筆致が、なんだか怖い。
「歌烏は、版元と来たというのは、その後かね?」
「へえ。おみつは、接客を嫌がったものですから、裏に引っ込ませて、りくに相手をさせました」
そりゃあ、求愛を断った相手を接客するのって、嫌だよなあって思う。
「おみつは芝居好きと聞いたが?」
「へえ。三度の飯より芝居好きした。小屋に足しげく通っていたようです。それもあってか、地味な娘なのに、話がうまくって、客に人気がありやして。縁談が決まってすぐやめるというのを、無理に祝言までと頼み込んでいたのです」
「なるほど」
健吾さまは顎に手を当て、口を歪めた。
「いなくなる直前にも、芝居に行くと言ってました。券が手に入ったと喜んでましたね」
店主は大きくため息をつく。
そうか。店主の知っているおみつの行動予定の最後がお芝居だったんだ。だから、三次は芝居小屋が怪しいと思ったのだろう。
「歌烏という絵師の家はどこにあるのかわかるかね?」
「へえ。今は、
金森町といえば、職人が多く住んでいる一角だ。
「そうか」
健吾さまは懐から財布を取り出した。
「馳走になった」
三人分の代金を店主に渡すと、健吾さまは立ち上がる。
「金森町へ」
健吾さまの顔が、いつになく厳しいものになっていた。
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