第6話 歌烏 一
金森町は、職人の町だ。職人には、自分が看板を掲げて仕事をとっている者と、雇われ人として、『親方』について、給金を貰っている者に分かれる。
雇われ人は、たいていは、勤め先に近い長屋住まい。
看板を掲げている職人の家は、雇人がいるかどうかによって、住む家の大きさが決まってくる。
絵師である歌烏は、弟子をとっていないらしいが、長屋住まいではない。
金森町に入ると、久谷さまが岡っ引きを走らせて、歌烏の家を見つけてきた。
歌烏の家は、自身の版元に近い、町のはずれにあった。それほど大きいわけではないが、小さな庭と蔵がある贅沢なつくりだ。
「さすが売れっ子。歌烏は、独り身なのに、随分と大きな家に住んでいるのですなあ」
肩をすくめたのは、岡っ引きの
ちょうどその時、裏の木戸から、年配の女性がでてきた。
出かけるというより、帰るという感じだ。
「ちょっと尋ねるが、絵師の歌烏の家はこちらかね」
「はい」
久谷さまに問いかけられ、女は頷く。役人に声をかけられたからだろう。怯えた顔をしている。
「私は町奉行所の与力の久谷だ。そなたはこの家で働いているのか?」
「はい。三日おきにこちらに来て、家のことをしております」
つまり、『通い』の使用人ということだろう。やっている仕事は、掃除、洗濯、食事の世話ということだ。食事については、作り置きの漬物なども漬けたりするらしい。
「毎日ではないのか?」
「はい。先生は、絵をお描きになる時は特に、毎日、家に他人が入ることをお嫌いなのです」
なるほど、と思う。集中を削がれるってだけでなく、発表前に何を描いているか見られたくないっていうのもあるかもしれない。
「歌烏は、独り身と聞いたが、そなたが来ない時は、どうしているのだ?」
健吾さまが久谷さまの横から質問する。
「先生ご自身で、一通りのことはやっていらっしゃるようです。食事は外に行かれることも多いようですし。針仕事は苦手のようですが」
「女房をもらうというような話はないのかね?」
「どうでしょうねえ」
女は首を傾げた。
「こちらに女性がたずねてくるようなことはないようですが。少なくとも私は、存じません。仕事関係の方はたくさん出入りされていますけど」
もっとも、自分は毎日来ているわけではない、と女は言い添える。ただ、身の回りの世話をしているのは、自分だけのように感じているらしい。
「最近、変わったことはなかったかね?」
「そうですねえ、ひと月ほど前から、ちょっと様子がおかしい気も致します。もともとあまりお話をするような方ではないのですが、ますます寡黙になられたようです」
一生懸命に絵を描き上げ、求愛したのにおみつに拒絶されたのだ。普通に考えるなら、かなり落ち込んだはずだ。
私なら、しばらく店に行くもの辛いだろう。二十日前に版元の人と来たのは、仕事みたいだけれど、あれほどの売れっ子絵師なのに、仕事は選べないのかな。とりあえず、別の店にするとか。
でも、案外、きれいに気持ちを既に切り替えたってことなのかもしれない。だとしたら、かなり心の強い人間だ。
「最近は、ちょっとおやせになって、人相が変わりになったようにも思われます。お身体の具合が悪いのかもしれません」
女は心配げに眉を曇らせた。
「それなのに、版元の方が、何人も泊まり込みをされていて。あれでは良い絵を描くことなんて、無理だと思うのですけど、売れっ子先生ですからねえ。版元さんも早く新作を描かせたくてしかたないのでしょうが」
「泊まり込み?」
健吾さまが聞き返された。ずっと、見張っているってことなのだろうか。
「はい。先生は蔵を仕事部屋にされているのですが、今日は、朝、私に仕事をお言いつけになられた後は、ずっとこもっていらっしゃいました。その間、いっしょに蔵に入られていたりして。まるで、監視されているみたいでした」
「ほほう」
健吾さまが驚いたように声をあげると、女はしゃべりすぎた、と思ったらしい。
「いえ、そばに行って見たわけではないので、確かなことはわかりませんけども」
「ひょっとして、仕事場に近寄ることを禁じられたりしているのかね?」
健吾さまの目がきらりと光る。
「はい。もともと職場に入られるのをお嫌いになられるので、蔵に入ったことはありません」
女はこくりと頷く。
「草も生えてきましたので、お庭のお手入れなどもしたいと思いましたが、今日は簡単な掃除とご夕飯のご用意を客人の分まで用意してくれればよいと言われまして」
「ふむ」
健吾さまは考え込むように腕をおくみになった。
「そのようなことはよくあるのかね?」
「ここのところは、ずっとそんな感じです。ただ、前は職場に版元の方が入られたりするようなことはなかったように思います。泊まり込みも、あまりなかったですね」
女は首を傾げた。
「よほどの大作を描いているということなのかな?」
「たぶん、そうだと思います。絵のことはよくわかりませんけども」
久谷さまは、女の住みかと名前を聞き、礼を述べる。女は、不安そうな顔をしながらも、頭を下げて帰っていった。
「間違いなく、何かあるな」
健吾さまは塀越しに蔵の方に目を向けられる。
「おみつとは無関係に新作を描いているのかもしれないが、ちょっと普通ではなさそうだ」
「見て参りましょうか?」
私は健吾さまに伺いを立てる。
「見てくる?」
健吾さまは険しい顔をなさった。
「お役目の業務外でございますが、私は本来、そちらが専門にございます」
「……しかたない。朱美に頼むしかなさそうだ」
護衛の任務から外れてしまうけれど、潜入、探索は、忍びの基本中の基本とするところだ。
「お任せを」
私は静かに頭を下げた。
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