第7話 歌烏 二
健吾さまは、とりあえず奉行所にお送りし、そこでお待ちいただくことにした。同心たちからも、新しい情報が来ないとも限らない。私の調べることは枝葉にすぎないのだ。
夕方、私は着替えて、歌烏の家まで戻ってきた。
町娘の格好では身動きが取れないので、
既に日は落ちて、人通りは少なくなっている。
あちこちから夕餉の支度と思われる香りが漂い、灯りがぽつりぽつりと入り始めた。
私はさりげなく、女の出てきた裏の戸の前に立った。
そっと手で押すと、戸は簡単に開く。そのまま、何ごともないかのように中に入る。
静かだ。周囲に人影はない。
正面にある戸は、台所の勝手口だろう。
闇が濃くなってきているのに、目の前の台所に灯りはおろか人の気配もない。私は、様子をうかがいながら、担いできた天秤を物陰にそっと隠した。
耳を澄ましてみると、どこかから話し声がしている。どうやら奥の座敷の方にひとがいるようだ。私は足音を忍ばせて、ゆっくりと移動し、中庭側へと移動する。
「うん。これは、うめぇな」
「飯も食わねえのか、先生さまは?」
体格の良い男が二人、縁側に座り込み、握り飯を食べていた。縁側の奥の座敷には、行灯に火が入っているが、他に人はいないようだ。二人の間には、皿に山盛りにのせられた握り飯と、重箱が置かれている。通いの使用人の女が用意したと言っていたものかもしれない。
縁側の真正面に、小さな土壁の蔵が見える。蔵の戸口は開いていて、中からは灯りが漏れていた。
男たちはおそらく版元の人間だろうが、いささか柄が悪くみえる。格好だけで見れば、カタギの男ではなく、ちんぴらの類だ。絵師の作品を待っているというより、絵師が逃げないように脅しているのではないかと思ってしまう。
「腹が減っては、なんとやら、というに」
男の一人が、呆れたように肩をすくめる。
「しかしまあ、なびきもしない
「ちがいねえ」
男たちは握り飯をほおばりながら、薄笑いを浮かべている。この話が歌烏のことなら、この男たちは『先生』と呼びつつも、心の中では、まったく尊敬をしていないのだろう。
「それにしたって、先生が一枚描けば、数年遊んで暮らせるっていうのに、何が不服なのかねえ」
男はゆのみに手をのばした。
「全くだ。いっそ俺がよろしくしたいくらいだ」
「本気か?」
「冗談に決まっておる」
下卑た笑い。どうやら、この二人の話からすると、歌烏は、なびかない女性に夢中らしい。
しかもご飯も食べないで、何ごとかを蔵の中でしているようだ。蔵が仕事場と言っていたから、絵を描いているのかもしれない。
なんにしても、蔵の中を覗く必要がある。
蔵の入り口は、一か所。大きく戸は開いているが、私の位置からは中をうかがうことはできない。
蔵はそれほど大きなものではないが、土壁で堅牢なつくりだ。
ぐるりと回ると、明りとりの窓がひとつ、入り口の反対側の天井近くについていた。中を覗くとしたら、そこと入り口しかない。
闇が濃くなっていくのを待って、私は蔵の屋根に飛び乗った。
音を立てぬように瓦の上を歩き、窓の近くに綱をたらす。慎重に壁を伝うようにおりて、蔵の中を覗き込んだ。窓は小さく、侵入できる幅はなく、視野も狭い。
苦労して覗き込むと、行灯の明かりが目に入った。そのすぐそばに大きめの机があり、男が絵を描いている。
おそらく歌烏だろう。一心不乱に筆を動かしているようだ。
その歌烏の背後の入り口近くに大男が一人、立ったまま中を見据えている。おそらく版元の人間だろうか。縁側にいた男たちと同種のにおいがする。
蔵を仕事部屋にしていると言っていたことを裏付けるように、物は仕事道具が多いようだ。
違和感があるのは、窓の下に置いてある箱だった。木で作った檻のような箱だ。何が入っているのか。暗いこともあって、よくわからない。
ことりと時折、音を立てている。格子の隙間に目を凝らすと、どうやら人が入っているようだ。
白い肌とわずかにめくれあがった襦袢。女性を思わせる。二つの足首はどうやら綱で固定されており、白い肌に食い込んでいた。
音がするたびに、見えるものの角度が変わるところをみると、生きているのは間違いない。
私は歌烏の描いているものをもう一度見る。
私の知っている水茶屋の美人画ではない。どちらかといえば、春画だろうか。美人画には違いないが、やや乱れた服装にほどけた髪。はっきりとはわからないものの、箱の中の女性を見て描いているように見える。
箱に囚われている女性はおみつだろうか。縁側の男たちの会話から見て、その可能性は十分にある。おみつであるなら、失踪してからずっと監禁されている可能性が高く、体力的に限界が近いと思われる。それに、おみつでなくとも、これは犯罪の可能性が高い。
ただ、役人が踏み込むには決定打がない。
私は再び蔵の屋根に上って、縁側の方角を見る。
男たちは、部屋の中に入ったようだ。障子越しに二つの影が見える。内容は聞き取れないけれど、話し声は続いているから、中の大男と交代で蔵の中を見張っているのかもしれない。
私は屋根から飛び降り、ゆっくりと入り口に回った。そのまま蔵から漏れる光を避け、中にいる大男が見える位置に潜み、取り出した吹き矢を大男の首筋めがけて打ち込む。
「いてぇ!」
男が声を上げ、首筋を押さえたまま床に崩れ落ちた。
「え?」
歌烏が振り返るより早く、私は蔵に走りこんで、歌烏の首に眠り薬のついた針を突き立てる。歌烏は、うめき声をあげ、身体を折って倒れた。
私は入り口を伺い、誰も来ないのを確認してから、真正面にある木箱をみる。
錠前のある格子の箱の中に、女性が横たわっていた。
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