第9話 歌烏 四
その後、歌烏も捕縛された。
翌日の昼さがり。健吾さまとともに、再び奉行所に訪れると、私たちは、奥の座敷に案内され、小山さまから説明を受けることとなった。
「おみつは、先ほど、ようやく意識を取り戻したそうです」
本来ならば、私は隣室で控えるべきだけれども、今回も部屋の隅に同席させていただいている。
小山さまもお仕事が立て込んでおられたのであろう。顔に疲労の色がある。
「歌烏の方の取り調べはだいぶ進みまして、ようやく背景が見えて参りました」
「ほほう?」
健吾さまが先を促した。
「歌烏は、かねてから思いを寄せていたおみつにすげなくされ、かなり思い悩んだようにございます」
やっぱりな、と思う。思いを込めて描いた似姿の受け取りを拒絶されて普通ではいられないはずだ。
「歌烏の美人画を取り扱っている版元、『栗屋』はその話を聞いて、歌烏に今回のことをそそのかしたようです」
「かどわかしを?」
「はい。もっとも当初、『栗屋』としては、ほんの少しおどせば、おみつは簡単になびくと踏んでいたようです。何しろ、歌烏は売れっ子で、金持ちですから」
小山さまは肩をすくめた。
「なびかぬとわかっても、解放しなかったわけは?」
「もちろん、発覚を恐れたというのもございましょうが、なんというか。拘束したおみつを描いた絵を『栗屋』の主人がかなり気に入ったそうでして……」
小山は苦い顔をした。
私は歌烏の描いていた絵を思い出す。美人画というより、春画の雰囲気の漂う、妖しい絵だった。
「さすがに、このようなことが発覚すれば、歌烏はおろか、『栗屋』も危うい。それならば、稼げるだけ稼ごうということになったようで」
「なるほどな」
健吾さまは顎に手を当てて、頷かれる。
「もともと『栗屋』っていうのは、好色本を出していた版元。禁止された今も、こっそり刷っているという噂がとだえぬところです」
「好色本か」
つまりは、男女の営みなどを取り扱ったものだ。一時期は、かなり流行したのだが、お上が禁止令を出してからは、闇で売られるようになった。かなりの高値をつけているとも言われている。
「まあ、私が言うのも問題ですが、さすがに取り締まりを入れにくい部分もございまして」
小山さまは、私の方にちらりと視線を向ける。
女性の私がいるので、口にしにくいのであろう。
こほん、と軽く咳払いをなさった。
「歌烏は、春画は描いたことはなかったそうなのですが、なんとも筆致が見事で、主人しては、金の山を掘り当てた気分だったようです」
「気持ちはわからんでもないが、おみつは危険な状態であった。それがわからぬ歌烏ではないだろうに」
健吾さまの言うとおりだ。
おみつのことが好きであったのなら、あんな状態になったおみつを見つめ続けて絵を描いていたなんて、ちょっと普通じゃない。
「歌烏の方は、可愛さ余って、憎さ百倍という気持ちもあったようですな。みだらな絵を描くことで、おみつを汚してやりたいと思ったと証言しております」
「ひどいわ……」
思わず私は呟く。
もちろん、拒絶されたのは辛く悲しいことだったかもしれないけれど、だからといって、やっていいことと悪いことがある。
その区別がつかない人間だからこそ、おみつは歌烏を好きになれなかったのではないのだろうかとも思う。
「それで、おみつはどのようにかどわかされたのだ?」
健吾さまは、ちらりと私に視線を送られてから、話を切り替えられた。
いけない。つい、声に出してしまって、お二人の会話に口を出してしまった。忍びとしてはあってはならない失態である。
私は唇をかみしめて、俯いた。
「おみつのつとめていた『いっぷく』の
「りくを?」
「はい。おみつの好きな芝居の券を、りくが『いけなくなったから』と言って、譲るように依頼したらしい」
歌烏が直接渡したとしたら、おみつは行くとは言わなかったであろう。
同僚のりくからであれば、警戒心もなく受け取ると計算してのことだったらしい。
「りくには、美人画を描くと匂わせたようですね」
「なるほど。かなり、気の強いおなごであったから、おみつでなく自分もという気持ちも強かったであろうな」
健吾さまは頷いた。
「芝居小屋に来たところを狙って、さらったらしいです。さらったのは、歌烏本人ではなく、栗屋の人間だったようです」
確かに、歌烏がそんなことを一人でこなすのは無理であったであろう。
「ふむ」
健吾さまは大きく頷き、そしてさらに首をかしげた。
「仔細は理解した。しかし、そうなると、三次は、なぜ、木梨龍太郎を刺したのであろうな」
「そこでございます」
小山さまは大きくため息をついた。
「どうやら、別の事件がからんでいるようなのでございます」
「……なるほど」
健吾さまは形の良い眉をよせ、低い声で呟かれたのだった。
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