第10話 三次 一
「調べてみますと、行方不明になっている娘が他にも何人かおりまして」
小山さまは、眉根を寄せた。届けはあったものも、捜査はほぼ進んでいなかったらしい。それぞれが別の事件として扱われていたせいもあったようだ。
「何人も?」
「どうやら、それが、あの一座周辺でおきているようなのでございます」
小山さまは大きく息をついた。
「おみつを捜していた三次は、ほかにも娘がさらわれていることを知って、おみつも同様にさらわれたと思ったわけだな」
他に若い娘が何人も行方不明だと知った三次は、さらわれた娘の周辺を調べたらしい。そして娘たちがそろって、芝居好きだということをつきとめた。
「なるほど。おみつも芝居好きだ。それで三次としては疑う余地はなかったのだな」
「はい」
健吾さまの言葉に、小山さまは頷かれた。
普通ならそれだけでは同一事件としてひとくくりにできるものではなかったが、三次は、完全に同一犯の事件だと思ったのだろう。
「とはいえ、木梨龍太郎が人さらいに加担していたかということまでは、まだ調べが出来ておりません」
小山さまの顔は険しい。三次の話は、本人の思い込みが多く、うのみにはできないということだ。
「三次はなぜ、木梨だと思ったのだ?」
「木梨は女癖が悪い男のようです。過去に何度も問題を起こしているとか」
「ふむ」
表ざたになるほどではないが、女人がらみのもめ事が絶えないらしい。
ただ、それも人気役者ゆえ、女の方が放っておかないという面も否定できない。
「さらわれた娘の多くは、木梨をひいきにしていたらしいです。また、それらの娘たちと一緒にいたという目撃情報もある。それが三次の決め手だったようです」
一緒にいた目撃情報は、さらわれる直前だったのかどうかは、はっきりしない。ただ、非常に疑わしい時期に一緒にいたのは間違いないらしい。
しかし、木梨は長屋に一人暮らし。娘たちをさらって、隠すような場所はない。
「……三次はどうしている?」
「おみつが見つかったと知り、ほっとしたようです。自分の勘違いだったことに気づき、深く反省をしておりますね」
少なくとも、おみつの事件に関して、木梨龍太郎は完全に無実であった。
幸い、木梨も軽いけがで済んだが、大衆の前で刃を振りかざした三次は、それなりの罪になるだろう。
「三次に、会えるか?」
健吾さまの問いに、小山さまは目を丸くする。
「……会って、どうなさるのです?」
「どうもせん。直接話を聞きたいだけだ」
おそらく、健吾さまは三次が木梨を犯人と決めた推理の根拠に興味があるのだ。
「本当に好奇心の旺盛な方だ」
小山さまは呆れたようにため息をつく。
「三次は牢におります。怪我もしておりますので、動かすことは避けたいのですが」
すでに取り調べが済んだ三次はここから離れた牢屋敷にいる。牢屋敷を管理しているのは、牢屋奉行。囚人の移動は、牢屋奉行の許可も必要だ。
「わかった。牢に行けばよいのだな?」
健吾さまは頷く。連れてくるのが無理なら、出向けばよいという結論になったらしい。牢という場所にためらいもないようだ。すぐにも行きたいようで、立ち上がろうとなさる。
小山さまにとって『部署が違う』牢屋敷も、健吾さまから見れば、いずれ自分の配下となる組織だ。牢屋奉行も健吾さまを拒むことは難しいだろう。
「仕方ありません。案内を付けますので、それまでお待ちください」
小山さまは、何かを諦めたような顔をなさった。
健吾さまのお心は、周囲がどう思っても止められるものではないのだ。牢のような場所に出向くことも厭わない。
それは健吾さまの施政者としての優れた資質でもある。
もっとも、牢の囚人は檻の向こうにいて、しかも丸腰だ。危険は街中より少ないかもしれない。
私たちは、案内の与力と一緒に牢へとむかうことになった。
牢は、奉行所から少し離れた、大石町にある。
高めの塀に囲まれたかなり広い敷地だ。
私たちを案内してくれたのは、久谷さま。見知った顔の方が、気安いだろうという小山さまの配慮である。
「少々お待ちくださいませ」
牢屋敷に着くと、久谷さまは私たちより先に中に入った。牢屋奉行に許可をもらうためである。
しばらくして、久谷さまは、同心と思われる男性と共に戻ってきた。
「健吾さま、こちらは、今日の当直の佐野どのです」
「佐野と申します」
男は非常に緊張した面持ちで頭を下げた。
おそらく、健吾さまの正体を知ってのことだろう。次期将軍の案内を申し付けられたのだから、緊張は当然だ。
「三次は、大牢におります」
佐野さまと久谷さまに案内され、健吾さまと私は東牢と呼ばれている建物に入る。
床張りの廊下をすすむと、やや据えたにおいがした。
囚人たちは、めったに風呂に入れない。薄暗く、窓も少ない牢内では換気もままならず、どうしてもにおいがこもりがちだ。
健吾さまは建物に入ってすぐ、わずかに眉根を寄せられたが、特になにもおっしゃりはしなかった。
薄暗い廊下を、佐野さまが燭台を手に案内する。
「こちらです」
大牢と呼ばれている牢は、一般の町人たちが収容されている。牢は、身分によって分けられていて部屋の待遇も当然違うらしい。
廊下から牢内が全部見渡せるようになっているため、誰がどこにいるか、一目瞭然だ。薄暗い牢の中から五人ほどの男が、廊下を見つめている。
「三次、こっちへこい」
佐野さまは、部屋の片隅に座っている男を呼んだ。
男、三次は素直に入口の方へと顔を出す。
よくみると、体に包帯が巻かれている。きちんと怪我の手当をしてもらったようだ。
牢には、牢医というのがいて、病気やけがを見てくれるらしい。
「出ろ」
佐野さまは鍵束から鍵を取り出して、静かに牢の戸を開いた。
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