第2話 芝居小屋

 城下で一番大きい芝居小屋は、人気の敵討ちものだった。

 敵討ち物は、男女ともに人気のある演目だ。

 たくさんの人が列をなしている。並んでいる者たちはほとんど、一般席であろうが、この調子なら、ほぼ満席っぽい。

「実は、小山こやまに相談したら、桟敷席を押さえてくれたのだ」

「まあ、小山さまに?」

 小山というのは、町奉行になったばかりの出世頭の若手である。少しばかり、遊び人とのうわさだ。意外と健吾さまの竹馬の友らしい。

 桟敷席は、とても高価ではあるけれど、人気の興行の時は、ほぼ前売りで完売してしまう。さすが町奉行さまは、手際が良い。

「一般席より、桟敷席のほうが良いと言われてな」

「それはそうです」

 私は頷く。

「桟敷席は、単に芝居を見るのに場所が良いというだけでなく、広いですから。一般席は、人気興行だと、無理やり人を入れることが多いので危ないです」

「危ない?」

「スリが出たり、ちかんが出たりすることもありますから」

 一般席は、人と人との間隔が狭く、悪気がなくても、肌が触れ合ったりする。

当然、護衛をするのはかなり難しい。

「そうか。小山に相談したのは、正解だった」

 健吾さまは、ほっとしたようなお顔をされた。

「ご準備がよろしくて、驚きました」

 もちろん、今日、この日、というのは健吾さまのご指定なのだから、最初からお芝居を見られるつもりだったのだろうけれど。

 私たちは、一般席より高い位置に作られた桟敷席に入った。

 ちなみに、私たちの隣の武家の奥さまって、町奉行の与力の奥方さまな気がする。そ知らぬふりをしていらっしゃるけれど。なるほど。健吾さまには、わからぬように安全配慮してくださっているようだ。さすが、やり手である。

 小屋の中は、全体的に薄暗い。もちろん、舞台には外光が入るように設計されてはいる。灯りは、火事を恐れて、あまり使わないため、やっぱり暗くなる。

「こちらを、どうぞ」

 席に座ると、立派なお重に入った弁当箱が運ばれてきた。人気の幕の内弁当である。こちらも、予約しないと手に入らない品だ。

「実は、弁当も小山に頼んでもらったのだ」

「まあ」

 席も弁当も、町奉行が手配したのであれば、少しは安心である。

 健吾さまのお望みの『自然な』おしのびとは、ちょっと違うかもしれないけれど、やはり次期将軍さまに何かあってはいけない。

「腹が減ったな。早速食べよう」

「け、健吾さま、ちょっとお待ちを」

 止める間もなく、健吾さまは、何の警戒もせず、お弁当のふたを開けてしまわれた。

 握り飯と、貝のつくだに。お煮しめに、青菜の胡麻和えと、卵焼きが入っている。

 とてもおいしそう……じゃない。

 ぐうっと思わず、お腹の虫が……。

 そうじゃない。

 そうじゃないのに、思わずお腹が鳴ってしまった。

 健吾さまの目が、大きく見開かれる。

 とても恥ずかしくて、私はうつむいた。

「す、すみません。大丈夫だとは思いますが、多少はご用心なさってください。何かをなさる前に、一度、私に安全を確認させてください」

 顔が熱くなるのを感じながら、言い訳がましく私は健吾さまに意見する。

 ものすごく、説得力がない。

「そうだな。朱美、念のため、毒見をしてくれるか?」

「毒見?」

 健吾さまはいたずらっぽく微笑むと、箸で卵焼きをつまみ、私の口の前へと持ってきた。

 何のことかわからぬまま、私はパクリと思わず口にしてしまう。

「どうだ?」

「……おいしいです」

「そうか」

 健吾さまは頷かれ、私に食べさせたお箸のまま、お食事を始められた。

「あの?」

「なんだ? もっと、毒見をするか?」

 ひょいと、今度は貝の佃煮を口の前に持ってこられて、思わずまた口にしてしまう。

 違う。何かが違うと思うけど、胸がドキドキしてしまって、うまく言葉にできない。

 それとも、将軍家のお毒見って、こんな感じなの? 

「心配なら、俺が朱美のぶんを毒見してやってもいいぞ」

 健吾さまはとても楽しそうだ。笑顔が眩しい。

「……大丈夫です」

 顔が熱い。お役目だというのに、こんなに動悸がしていて、大丈夫なんだろうか。少しは落ち着かないと。

 私はお弁当のふたを開きながら、意識を周囲に向ける。

 あれ?

 花道のすぐそばに座って、こちらを見上げてる遊び人さんって、町奉行の小山さまな気がする……。髷とか違うけど、やっぱり、それっぽい。めっちゃ、見られてる。あ、私の視線に気が付いたみたい。なんか、すごく頷かれた。

 あれ? ひょっとして褒められてる? ひょっとして、あれが、正式なお毒見だったのかしら?

 とりあえず、間違ってはいなかったのかもしれない。怒ってはいないようだ。次期将軍である、健吾さまに何かあってはたいへんである。小山さまがいるということで、少し安心したけれど、私も、もっと気を引き締めなくては。いざというときは、お側にいる私がなんとかしないといけないのだから。

 お弁当を美味しそうに頬張る健吾さまを見つめながら、私はもう一度気持ちを引き締めた。




 お芝居が始まると、ざわついていた観客の意識が、役者の一挙一動へと向けられて、ぴんとした空気がはりつめる。

 芝居は、絵にかいたような悪党が、不幸のどん底に陥れられた美女を自分のものにしようと画策していた。

 観客の負の感情が高められていく中、花道に一人の男が登場する。

 今回の主役だ。人気の俳優で、何の台詞もないのに、空気が変わった。お隣の与力の奥さまがため息をついて、うっとりしている。

 すらりとして端整な顔。いなせな姿。さすがの看板俳優だ。

 女性客のほとんどは、舞台中央で陰謀の芝居を継続している悪党には目もくれず、花道の男を見ている。

 突然、花道の舞台袖付近の影に人が現れた。

 手ぬぐいで、髷と口元を隠している。腹掛けに股引姿。紺地の半纏を着ている。職人のようだ。演出にしては、あまりにも不自然な入りである。

「え?」

 手にしたものが、ギラリと光った。

 顔は見えない。突き出すように持っているのは匕首だ。

「おみつを、おみつを返せーっ」

 男は叫びながら、花道を走り出す。

 私は咄嗟に手裏剣を放った。




 




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