第9話 灰被り姫は侍女に正体を暴かれた模様⑧
『メンシス国からきた男装の麗人! その正体はメンシス国の王女か!?』
『青雲の志を抱き、一介の留学生として王立貴族学園に男子生徒として在学していたエミリア王女!』
『級友である
『国境と人種を越えた王女とセシリオ子爵とのラブロマンス! 卒業後、結婚は確実か?!』
部屋の中央で藤製の椅子に座ったローレンス王太子が、侍従に命じて持ってこさせた各社新聞を広げて読んでいた。
「『ソル・サリエンテ』ですか。王家や現体制に批判的な左翼的ゴシップ紙ですね」
銀色のティーワゴンを押してローレンス王太子の私室へ入ってきたビクトリアが、小ばかにしたように鼻を鳴らす。
「読者受けを狙って、文豪ヴィルヘルム・マカライネンの簡素でありながら軽妙洒脱な文体を真似をしていますけれど、ヴィルヘルムは天才で天才が無駄を省いて簡素に書いた文章と、アホが手軽に書いた文章では必然的に差がでるということを理解していないところが滑稽ですね」
と、たっぷりとこき下ろしながら、手慣れた仕草でポットに緑茶を入れ、ティーアーン(お茶専用のお湯が入った容器)から熱湯を少々注ぎ、軽く茶葉を回してお湯を捨て、改めてポッドに砂糖とフレッシュミント、熱湯を注いで作ったミントティーをティーカップに注いで、椅子の傍らにある猫脚のサイドテーブルへと静かに置くビクトリア。
「相変わらず辛辣だな。だがよかったのか、アレックス王女のことを大々的に公開してしまって?」
いまさらながら懸念を示すローレンス王太子に対して、自分の分のミントティーを勝手に淹れて飲みながら、
「そろそろ暑くなってきたので、アイスティーやパンチ、ティーカップもいいかも知れませんね」
侍女としての職務を優先するビクトリアであった。
なお、パンチやティーカップというのは、砂糖、蒸留酒、レモン・ライムなどの果汁、水、スパイス、そしてお茶から作られ、氷で冷やしたもので、王族専用のレシピがある王家由来の飲み物である。
「――おい! 気にならないのか、この世間の騒ぎを!? もとはといえばお前の提案なんだぞ!」
そんなビクトリアに向かって、センセーショナルな見出しの踊る各新聞を指さすローレンス王太子。
我がことのように肩入れして心配するローレンス王太子とは対照的に、完全に他人事のスタンスで突き放すビクトリア。
「もとはといえばセシリオとアレックス王女の軽はずみな行動が原因ですけどね。ですので、えーと、こういうのを
そもそもカールミネの盗難事件をうやむやにして、公式にアレックス王女の立場を明確にすることで、身の安全を図ってあげたのですから、文句を言われる筋合いはありません、と当然のように言い放つ。
ちなみに盗まれたカールミネの風景画についてはその場で回収したのち、周囲の警戒に当たっていたローレンス王太子の護衛官が、
とはいえ盗まれたという事実は確か(なおかつアレックス王女に対する不敬な振る舞いも明らか)なので、管理責任者であるマルコス教授はこの夏季休暇中に学園から罷免、次の職場へ就職するのに必要な紹介状なしに放逐されるのは確実とされている。
「……だがなあ、これではセシリオとアレックス王女が針の筵だろうが」
「それぐらいなんですか。逆に周囲の目があるお陰で、メンシス本国からの干渉や暗殺などを防ぐ防波堤の役目を担っていると考えれば御の字でしょう」
細かなことを気にするローレンス王太子と、気丈を通り越して剛毅そのもののビクトリア。ある意味、バランスの取れた主従といえるだろう。
「そもそも何らかの形でアレックス王女とカールミネの風景画を超法規的措置でメンシス国へ譲渡したとします。賭けてもいいですけれど、絶対に調子こきますよメンシス国王は。ダメもとのどうでもいい王女を使っての工作が成功したわけですから。感謝どころかナメられますよ、現体制とローレンス殿下は」
お茶菓子のティーローフ(パウンドケーキの一種)をナイフで薄く切って、バターをつけながら確定事項という口調でビクトリアが言い放つ。
「別に殿下がナメられるのは勝手ですが、甘く見てもメンシス国王はアレックス王女を人質にセシリオを利用して、さらなる無茶を要求するでしょう。それを殿下が無分別に聞いて――いえ、それが原因で裏取引をしたことがバレたら致命傷です」
鵜の目鷹の目で殿下の失点を狙っている個人や勢力は、イスマエル第三王子だけではないのですからね。現在、殿下を持ち上げている勢力とて、風向きが悪くなれば即座に足を引っ張る側に回るでしょう。けれど貴族である以上、お家の存続と発展のために機を見るに敏なるは当然の事。期待に応えられないのが悪いのであって、それを変節漢と罵ることはできませんわ、と嘆息しながら小皿に盛ったティーローフを、ローレンス王太子の傍らに置くビクトリア。
「あの時にもご説明しましたが、側室である母親を人質に取って、我が子に盗みを強要するメンシス国王の思惑など、一切斟酌する必要はありません。アレックス王女は半信半疑のようでしたが、その手の
ローレンス王太子の懸念も何のその。いっかな怯まず己の信念をまい進するビクトリアであった。
「……その結果がこれか~」
『エミリア王女とセシリオ子爵。その愛!』
だいたい同じ論調で、すっかり晒し者になっているふたりのことを思って嘆息するローレンス王太子であった。
なお、ごっそりと外堀を埋められたセシリオだが、これで逆に開き直ったのか、新聞記者の取材にも、
「お互いに十八歳になったなら伴侶となる約束を交わしました。たとえ
と、啖呵を切って喝采を浴びているとのこと(なお、『セルシオ子爵』というのは実際の爵位ではなく、貴族の嫡男の場合敬称として父親の爵位の一つ下を名乗る形式もあるため、新聞社で勝手に定義したものである)。
ついでに、それに対するメンシス国外交官の談話は、
「若いふたりの将来と我が国とフォルトゥム王国とのさらなる友好と発展を望む」
という、『どーにでもしろ』と言いたげな投げやりなものであった。さすがは使い捨て前提の第二十七王女である。
「もっとも聞いた話では、セシリオが勝手にアドゥース人の嫁を娶ると聞いて、実母が発狂しているそうですが」
ついでのように付け加えるビクトリア。
多くのフォルトゥム王国貴族にとって、アドゥース人は野蛮人――王都で一部見かける者たちも、最底辺の小間使い程度の認識である。
いくら王女とはいえ、選民思想に骨の髄まで染まったパトリシア夫人にとっては寝耳に水どころか、驚天動地の話であっただろう。
「『愛に生きた女性』という立場上、
その言葉にバケモノ蜘蛛の糸によって雁字搦めにされ、無理やり生気を吸われるラミレス伯爵を想像して、背筋が寒くなるローレンス王太子であった。
「しかし
どこから仕入れているんだそんな情報? と首を捻るローレンス王太子に対して、あっさりと種明かしをするビクトリア。
「ああ、
「――ほう? なるほど……この上なく確実な情報だな。だが、お前ラミレス伯爵とは疎遠だったのではないのか?」
「そのはずだったのですが、どうやら先方にも心境の変化があったようです」
自分の分のティーローフを咀嚼して、お茶で飲み込んでからビクトリアが心持ち気を引き締め直して続きを語るのだった。
「まあ、いい歳こいてグダグダしている
全然驚いている様子に見えない態度で、肩をすくめるビクトリア。
代わりにローレンス王太子が飲んでいたミントティーを噴き出しそうになった。
「なんと! どうするつもりだ!?」
「それがですね、信じられない偶然なのですが、アレックス王女の母君であるフレドリカ妃は、
道理でアレックス王女のフォルトゥム語に一切訛りがなかったわけですね、と
それを聞いて感心……否、猛然と感動するローレンス王太子。
「なんと、なんとっ。運命――いや、神が引き合わせた奇跡だな!」
なんでこの方、他人様の恋愛事情でここまで感情的になれるんだろう? と半ば感心半ば呆れながら、ビクトリアは物憂げに相槌を打つ。
「まあ、確かに滅多にない偶然でしょうね。お陰様で二十年近く燻っていた焼け木杭に火が付いたらしく、これまでの無気力が嘘のような精力さで、三年後の離婚――本人は別れられれば財産など無一文になっても構わないという不退転の決意のようで――と、それまでの期間メンシス国への駐留大使となって、危なげな立場であるフレドリカ妃をお守りするつもりで、現在各方面と交渉中だとか。まあ、メンシス国のような僻地へ進んで行きたがる貴族はいないでしょうから、おそらく希望は叶うと思いますが」
それとセシリオとアレックス王女との後顧の憂いを、少しでも軽減する狙いもあるのでしょう。あの人なりの不甲斐ない父親であった償いなのかも知れませんね。と、あくまで淡々とした口調でラミレス伯爵の行動を分析していたビクトリアであったが、次の瞬間、わずかに声のトーンを弾ませて人の悪い笑みを浮かべた。
「もっとも、大事なお人形さんだった
「……お前、やっぱりパトリシア夫人に遺恨があったのだろう?」
ざまぁ、と言わんばかりのビクトリアにローレンス王太子がツッコミを入れる。
「別に個人的な遺恨はございませんよ。自業自得……だということすら、おそらくは一生わからない人間が転落する様は滑稽だと思いますが」
「――まあいい。ラミレス伯爵もパトリシア夫人もいい大人なんだ、その出処進退についてとやかく口を挟む必要も権利もないだろう。問題はセシリオとアレックス王女を、どれだけフォローできるかだが」
今後ふたりを取り巻くであろう苦難を思って重いため息をつくローレンス王太子。
「それこそ余計なお世話です。最終的にそれを選んだのはあのふたりですから、第三者である殿下が気をもまれる必要はありません。確かに今後もメンシス国からの非公式な干渉はあるかも知れませんが、それに対応するのは政治家の仕事ですから。それに――」
そこで珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべるビクトリア。
「
「――むっ」
それを聞いてティーローフを一口噛んだものを茶で流し込み、ローレンス王太子は鬼の首を取ったような態度で言い放った。
「なるほど〝真実の愛”が数々の障害を乗り越え、奇跡を得ると言いたいのだな!」
その言葉の余韻に浸って感動しているローレンス王太子のある意味ブレない言動に、うんざりした口調でビクトリアが愚痴る。
「殿下、
◇
一見簡素ながら、壁や床、柱、天井、家具調度にいたるまで素材の段階から吟味され、すべてが一幅の絵のように完成された――気の遠くなるほどの財力と時間と手間がかかったであろう――
「……なるほど。現メンシス国王アブラハムⅫ世はいささか独善的で思慮に欠けるとの報告は受けていたが、まさか素人同然の我が娘に盗人の真似をさせるとはな」
「ビクトリア、貴女のお陰でまたも大事にならなくて済みました。心から感謝します」
渋い顔をする伊達男――現フォルトゥム王国国王エルベルトⅢ世と、つつましやかに謝意を示す貴婦人――レアンドラ王妃。
「過分なお言葉、身に余る光栄にございます」
一礼をするビクトリアを、国王夫妻及び侍従長、侍女長が満足げな表情で見守っていた。
その後、今後のメンシス国への対応とアレックス王女の待遇について――基本的に変わらず王立貴族学園の留学生として引き続き預かることとして(当然、女子生徒として)――合意を得たところで、より詳しいセシリオとアレックス王女の馴れ初めを聞かれ、ビクトリアは自分の知っている限りの情報を開示した。
「――ということで、ローレンス殿下などは『
「なるほどなぁ、
人好きのする笑顔を浮かべるエルベルトⅢ世。
反対に「はあ……」と、悩まし気なため息をついたのはレアンドラ王妃であった。
「ん? どうした、レアンドラ?」
エルベルトⅢ世の問いかけに、困ったように頬に手を当てながら、
「いえ。年下のセシリオ坊やが、お姫様を相手に貴族の気概を見せたというのに、
そうこぼすのだった。
これにはエルベルトⅢ世も侍従長も侍女長も苦笑いをする。
「あいつはヌケてるからなぁ。とはいえ、ビクトリアを侍女に、そして妃に選んだのだけは英断だったと評価するが」
エルベルトⅢ世のしみじみとした感慨に、レアンドラ王妃も懐かし気な表情で応じる。
「そうですわね。七歳で侍女見習いとして連れてこられたビクトリアを、『ボク付きの侍女にする!』と涙と鼻水と小水を漏らして駄々をこねて、それで仕方なく王子付きの侍女にしたのでしたわね。――本当は王女付きの侍女にする予定でしたのに」
十年前の光景を思い出して、侍女長も頬を緩め、
「ローレンス殿下は、お小さい頃からキラキラした人形や花などがお好きでしたから」
ビクトリアのビスクドールのような横顔に目を向けるのだった。
「ま、アレの初恋だったのだろうな。その後、すっかり尻に敷かれて煙たがって、忘れ果てたようだったが。だが、まあそう考えると妥当な結論に落ち着いたというところか。ビクトリア、不甲斐ない息子だが、どうかアレを今後も支えてやってくれ。我らもできるだけの助力は致す故」
改めてエルベルトⅢ世から懇願されたビクトリアは、作法に則って膝と腰を曲げてカーテシーで応えた。
「承りました。〝真実の愛”は別にして、わたしの力の及ぶ限り、可能な限り陛下のお手を煩わせないよう、殿下のお力添えをさせていただきます(意訳『できることまではしますが、限度というものがあるのでそこから先は知りません。製造者責任もあるので国王陛下ももう少し注意してください』)」
「う、うむ……」
その答えに、一同の間に微妙な居心地の悪い空気が流れた。
◇
「なんだそれは~!? 初対面で小便を垂れ流しただと?! 覚えていないぞっ!」
話を聞いて絶叫する、現在のローレンス王太子。
「いえ、間違いございません。わたしも記憶にございますから」
ああ、この第一王子はアホなのだなぁ……と、ビクトリアの心に深く刻まれた瞬間であった。
「嘘だーっ! お前、他に行くところがないと泣いて頼むから、私が寛大な慈悲で専用侍女にしたんだったろう!!」
「勝手に記憶を捏造しないでください。泣いていたのも垂れ流していたのも殿下だけです。信用できないのなら、侍女長様にでも陛下にでも確認されたらいかがですか?」
ついでのようにポットを手に取って、
「お茶のお代わりはいかがですか、小便殿下?」
「いらん!」
そう問いかけビクトリアの言葉に、空になったカップをソーサに叩きつけるように置いて憮然と言い放つローレンス王太子。
それを受け、手早く皿と茶器を片付けて、ティーワゴンを押して廊下へと向かうビクトリア。
なんとなくその姿を目で追いかけていたローレンス王太子の視線が、壁にかかっている見慣れない絵に止まった。
おそらくは農民を描いたものであろう。大地を耕すひとりの老爺。
農村の風景として群像として農民が描かれることはあるが、こうしてひとりの農民が単独で描かれているのは珍しい構図で、ローレンス王太子も初めて見たほどである。
「……変わった絵だな」
思わずそう呟いた言葉に反応して、立ち止まったビクトリアが同じ絵を見上げて、
「謎の画家ウィルフレド・スルバラン作の『地に生きる者』ですね。このような絵はお気に召しませんか?」
「いや、変わった絵だとは思うが、なかなかいいな。気のせいかカールミネの風景画にも通じるものを感じるしな」
そのローレンス王太子の感想に、「やはり感受性が高いですね」と、本気で感心した風な表情を見せるビクトリア。
「よくおわかりですね。画家ウィルフレド・スルバランはカールミネの別名です。風景画とは別にこういった人物画も描いていたのですが、非常に評判が悪かったために、別名義で発表するしかなかったようです」
その説明に小首を傾げるローレンス王太子。
「なぜだ? 悪い絵ではないだろう?」
「……悪い絵なんですよ。貴族や上流階級の人間にとっては」
ピンとこないローレンス王太子に向かって、わずかに嘲笑めいた口調でビクトリアが補足を加える。
「そもそも画家が単独で描ける人物画というのは、王侯貴族に大司教以上の聖職者という暗黙の了解がございます。ところがそれに挑戦するかのように、
「そんなものなのか……?」
農民に対する大部分の貴族が持っているであろう偏見を聞いても、どうにもピンとこない様子のローレンス王太子。
「……まあ、殿下から見れば、市民も農民も同じく無関係でしょうが」
結局のところ他人を見下す人間というのは、より上の人間から見下されている立場であり、頂点に位置する者にとっては、どうでもいい話なのであった。
ビクトリアは軽く肩をすくめて付け加える。
「そのようなわけで、意外とウィルフレド・スルバラン名義の絵は埋もれているのですよ。それこそメンシス国にも」
「なっ!? それでは今回の騒ぎの意味はなかったということか?!」
「意味はありましたよ。親子で二代にわたる出会いと、メンシス国が芸術のげの字もわからない無知蒙昧な国であるという事実を改めて知ったわけですから」
つくづくカールミネの風景画を渡さなくてよかったですね。と、最後に締めてビクトリアは部屋を後にした。
「ふ~~む」
途端に静謐に満たされた部屋の中で、ローレンス王太子は改めて
なお、この二年後にメンシス国王アブラハムⅫ世は心臓の病であっさり崩御し、後継を巡って国中が乱れに乱れ、ただでさえ貧しい国が七つに分裂したのである。
その騒乱のさなかにフォルトゥム王国大使ラミレス伯爵と側室の一人が消息不明となり、死亡したと見做されたが、遺された双方の継嗣と王女は気丈に振る舞い、周囲の同情と歓心を買ったという。
ただし表面には出さない傷心を癒すためか、新たなラミレス伯爵となったセシリオとアレックス夫妻(母親であるパトリシア夫人とは別居した)は、例年フォルトゥム王国の片田舎にある
婚約破棄は侍女にダメ出しされた模様 佐崎 一路 @sasaki_ichiro
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