第5話 灰被り姫は侍女に正体を暴かれた模様④

「事実無根です! どこの誰から聞いたのですか!? 選りにもよって、王宮にいる姉上の耳にまで、そのような下世話な風聞を流すとは……!」

 窮して追及の矛先をかわそうとするセシリオの問いかけに、ビクトリアはすぐ隣のローレンス王太子を手で示した。

「ココのコイツからです」

「ふっ……いまさら誤魔化すな、セシリオ。お前らが仲睦まじげに会場から離れる姿を、結構な人数が目撃したと聞いているぞ。なんでも帽子ボンネットで顔が隠れていたが、色白で金髪のご令嬢だったとか。実際どういう関係なんだ、ん?」

 流れるようなコンビネーションで、ローレンス王太子が悪びれることなく畳みかける。


「…………」

 王太子殿下によるご下問を受け、絶望的な表情を浮かべるセシリオ。

 その様子――特に――を凝視しながら、

(悪意がない代わりに、やる気のあるアホが一番タチが悪い、という典型ですね)

 と、いま切実に実感しているであろうセシリオの心情を、内心で代弁するビクトリアであった。


「セシリオ、わたしはなにも男女交際をするな、と余計な横槍を入れに来たわけではありません。人を好きになる心は誰にも縛られませんから」

 飴と鞭というか緩急取り混ぜて、すかさずビクトリアが穏やかに語り掛ける。


「――おい。私の時とは言ってることが全然違うぞ」

 空気を読まずに反駁するローレンス王太子。

「当然でしょう。取り換えの効く伯爵家と違って、王族の婚姻とは責務そのものです。国家の安泰のために良縁を選ぶものであって、一個人の感情を優先するなど言語道断! 無論、王族といえども個人の幸福を放棄しろとは申しませんが、公人としての責務を果た上での話です。いまだにその優先順位を理解していないのですか、殿下!?」


 ぐうの音も出ない正論で、ぎゅうぎゅうにローレンス王太子を締め上げたところで、再びセシリオに向き直るビクトリア。

「――ともあれ、実姉であるわたしと殿下との婚約が発表された直後に、いままで浮いた話の一つもなかったセシリオあなたに降って湧いた女性の影となると、どうしても勘ぐってしまいます」

 普通なら貴族の嫡男ともなれば、仮初かりそめにでも婚約者のひとりくらいいるものだが、パトリシア夫人母親の愛情が重すぎて、これまで女っ気の欠片もなかったセシリオである。


(免疫のないところに火遊びを覚えて、そのままズッコンバッ婚しようが、別にどうでもいいのですが、不貞とか色仕掛けによる諜報ハニートラップなどにはまって、こちらにまで飛び火しては堪ったものではありませんからね)

 ビクトリアは、そう内心で付け加える。


「!? そ、それは絶対に違います!」

 示唆されるまでその可能性は考えていなかったのだろう、顔色を変えて全力で否定するセシリオ。

「……甘い。十五歳という年齢を考慮しても状況判断が甘すぎです。真っ当に育ってはいるものの、所詮は乳母日傘のボンボンですね」

 そんな実弟の姿に、ビクトリアが小声で辛辣な評価を下し、隣で耳にしたローレンス王太子は、

「つくづく容赦ないな、ウチの侍女は……」

 と、快晴の空を見上げて嘆息するのだった。


「それでは、いったいどこのどなただったのです。卒業パーティで連れ添って歩いていたというご令嬢は? 人違いだとか見違いという言い訳は聞きませんよ。あなたの容姿――特にその銀髪は目立ちますし、調べた限り、学園内に同じ髪質の生徒はいないことはわかっています」

 舌鋒鋭いビクトリアの追及に、「うううう……」と暫時しばし呻吟していたセシリオだが、

「……ほ、本当にそんな関係ではないのです。か……彼女はその、たまたま家族と来ていたそうなのですが、はぐれて道に迷ったとのことで、それで校内を案内して……それだけです!」

「「……?」」

 つい最近話題に出た、とんでもない女性と知り合ったきっかけ。似たようなシチュエーションのそれを耳にして、図らずしもビクトリアとローレンス王太子の胸中に同じ危惧が浮かんだ。


「お名前やどのようなお立場なのかは確認しなかったのですか?」

「は、はい……その、非常に奥床しくて恥ずかしがり屋な女性でしたので、ほとんど何も……」

 ビクトリアの問いかけに首を横に振るセシリオ。

 すかさずローレンス王太子が感慨深げに言い聞かせる。

「怪しいな。そういう素朴で大人しい娘に限って、計算高く上物の男を狙っているものだぞ」

「そんなことはないかと……」

「いいや、ナタリアはそんな女だったぞ!」

 強弁するローレンス王太子。

 変な方角に学習能力が発揮されているわね、と思いながらビクトリアは、さもいま気が付いたという風にセシリオの胸元を指さした。

「ところでセシリオ、先ほどから気になっているのですが、制服の下に何を隠しているのですか? まさか武器ではないでしょうね?」


「!! 違――」

 刹那、周囲に散らばっていた護衛官たちが一瞬でセシリオを組み伏せ、有無を言わせず懐に手をやった。

「……靴? 武器ではないようです」

 取り出したそれ――婦人靴の左足用――を手に、ためつすがめつ確認した護衛官から、半ば強引に受け渡してもらうビクトリア。

「ミンク……それも最高級の黒貂セーブルでできた婦人靴ハイヒールですか。王侯貴族の履き物ですが、ほとんど使用した形跡がありませんね」

 どういうことですか? との無言の威圧。

「…………」

 息の詰まるような沈黙のあと、地面に腹ばいにさせられていたセシリオは観念したのか、しぶしぶと口を開いた。

「……ひ、拾ったのです」

「いや、さすがに不自然だろう」

 ローレンス王太子にも一蹴されるセシリオ。


 再度、確認というよりも恫喝に近い口調で念を押すビクトリア。

「これはくだんのご令嬢が着用されていた婦人靴ハイヒールですね?」

「…………はい」

「なぜそんなものを?」

 護衛官にセシリオを自由にするようにビクトリアが促し、ローレンス王太子も頷いて同意を示すと、護衛官たちは一応手を離したものの、いつでも腰のサーベルを抜ける姿勢で、セシリオの脇にピタリ張り付く。

「か、彼女を送っていたのですが、途中で帰りの時間が迫っているとのことで、僕の手を振り払って急いで駆けていく途中、脱げたのを拾ったのです。その……そのうち取りに来るかも知れないと思って」

 体についた砂埃を払いながら、ボソボソと言い訳をする。

「再会を期待して、いつも婦人靴ハイヒールの片方を懐に入れて、学園内をウロウロしていた、と? ほぼ変質者ですね」


 はあ、という呼気を漏らしたあと、ビクトリアが二の句が継げない口調でしみじみと感慨した。

 逆に感じ入った様子で、大いに目を輝かせたのはローレンス王太子である。


「素晴らしい! まるで童話の『灰被り姫サンドリヨン』ではないか。浪漫だな、セシリオ!」

「……ああ、あの王子との結婚式の余興で継母は絞首刑にされ、ふたりの血の繋がらない姉は両目をくり抜かれた上で両足を切り落とされ、それを見て『ざまぁ!』と大笑いをする、いい性格をしたヒロインが主人公の童話ですね」

 あの王子もローレンス王太子殿下並みにボンクラで、女性を見る目がないので、実在したならさぞかし気が合うでしょうね、と相槌を打ちながら話を続けるビクトリア。

「……まあいいでしょう。そういうことにしておきましょう。続きはセシリオあなたの部屋でじっくりと聞きますので」

「……本当にいらっしゃるのですか? 実際、寮の部屋はとても狭くて乱雑ですので……上級貴族の子弟の専用寮であれば、個室でなおかつそれなりの間取りもあるのですが、僕のような貧乏貴族や下級貴族にあてがわれた部屋は、本当に物置みたいなものですよ? おまけに二段ベッドの同居人はアドゥース人の留学生ですし」

 もっとも、姉上が公爵家令嬢としてローレンス殿下の婚約者となったことで、あのマルコス教授を筆頭に掌を返して、猫なで声ですり寄ってくるようになりましたけど、と付け加えるセシリオ。

「別に構わんぞ。部屋が小さかろうが汚れていようが、同居人の肌が褐色だろうが緑だろうが、私は何ら不都合はない」

 気負いなく言い切るローレンス王太子。そこには一片の虚飾も強がりもなかった。


 実際のところ、ローレンス王太子はヌケたところは多いものの、他人の身分や才能に差別や嫉妬をしたりしない人物である。これは上に立つ者として得難い美点であり、実際に国政を運営する譜代の廷臣や、各方面に長じた部下としては、非常にやりやすい国王といえるだろう。

 対して、デシデリオ第二王子とイスマエル第三王子は、そうした観点が徹底的に欠けているとビクトリア(及び王宮で最大派閥を形成しているローレンス王太子派)は断じていた。

 デシデリオ第二王子は武に長けてはいるものの、その分、力を試したがる傾向にあり、周囲に波風を立てずにいられなく。また、イスマエル第三王子は文に秀でた賢しい人物であり、そのためか虚栄心と自負心が強く、己の意に添わぬものを厭う性質をしている。いずれにしても、こうした人物らに権力を与えるのは危険である……というのが、大多数の一致した見解であった。


(まあ、第二、第三王子がはっちゃけた原因は、一番上が頼りなくて、上手くいけば捲土重来けんどちょうらいとかこじらせたせいかも知れませんが)

 もはや逃げ場を失ったセシリオが、「ご案内します……」と、肩を落として先導するのに合わせて、後をついて歩きながら、そんなことをつらつらと考えるビクトリアを、ふとローレンス王太子が肩越しに振り返って意味ありげに見詰めた。

「……なんですか、殿下?」

「いや、ふと思ったのだが、ビクトリアおまえがさっさとラミレス伯爵家を飛び出したのが、案外、セシリオには良かったのかも知れないと思ってな。出来の良すぎる兄姉を持つと、弟妹はひねくれるというからな」


 思いもよらぬ指摘を受けて、ビクトリアが珍しく鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、瞬きを繰り返す。

 ようやく一本返せたローレンス王太子は、上機嫌にセシリオのあとに続いて男子寮へと足を運ぶのだった。


 ◇ ◇ ◇


 王立貴族学園の男子寮は複数あり、上級貴族用の領主館マナーハウスを彷彿とさせる豪奢なニックス寮。中級貴族ための町屋敷タウンハウスのような三階建ての館であるルーナ寮。そして下級貴族やそれに準じる者が暮らすフラット・マンション風のフロース寮の三つである(単純に寮費がフロース寮なら労働者階級が住む長屋アパート程度で済むのに対して、ルーナ寮でもその二十倍は諸経費がかかるため)。

 貧乏伯爵家の出身であるセシリオもフロース寮に十二歳から三年間住んでいるわけだが、当然ながら寮生以外の客人――それも王太子殿下と姉とはいえ女性――を迎えるなど初めてであった。


 夏季休暇中でも残っている(三食は出るので他の寮生とは違って、四割方の生徒が残っていた)生徒が、恐る恐る扉を開けて興味本位で覗き見している中、三階にある自分の部屋までビクトリア実姉と王太子殿下(ついでに護衛たち)を案内したセシリオは、一呼吸を置いて扉をノックした。


「いるかい、アレックス?」

 セシリオの問いかけに扉の向こうから怪訝なボーイソプラノが応える。

『――セシリオ? どーしたんだい、他人行儀に』

「ああ、うーん、実はお客さんが一緒にいてね。一緒に部屋に入りたいっていうんだ」

『!!!』

 途端、部屋の中からドタバタと慌てる気配と動揺した声が返ってきた。

『だ、ダメだよ! 断ってよ!』

「いや、それが相手はローレンス王太子殿下と婚約者であるビクトリア公爵令嬢――ほら、この間から話題になっている僕の実姉なんだ」

 断れるわけないだろう? と含みを持たせたセシリオの最後通牒を受けて、扉の向こうのルームメイト――アレックスが押し黙る。

「いいかい? 窓から逃げようなんて考えちゃダメだよ? ちゃんと部屋をかたづけて、失礼のない格好でお出迎えしないと君だけじゃなくて、メンシス国の恥になるんだからね」

『!! ……ううう……』

 どうやら実行しようとしていたらしい。先ほど聞こえた声の場所から、やや遠のいた呻き声が聞こえてきた。


 やれやれ、仕方がないな……と苦笑するセシリオに、ビクトリアが興味深げに語り掛ける。

「三階の窓から出入りするとは、さすがは狩猟に長けたアドゥース人ですね」

「ええまあ……ちょうどこの窓の外にさっき見た大樹の枝が伸びていまして、アレックスの奴、入寮当時出入りの申請を面倒臭がって、木に登って枝伝えに出入りしていたんですよ。あとでバレて大目玉でしたけど。あと、ついでにマルコス教授は以来『サル』呼ばわりです」

 憮然と答えるセシリオ。なおも腹立ちが収まらないのか、

「おまけに『絵を盗んだのもアレックスあのサルじゃないのか?』とか陰で吹聴していて、本来だったら夏季休暇と同時に帰国するはずだったアレックスの足止めをしているんです」

 悔し気に言い捨てるセシリオの話を聞いて、同時に眉をひそめるローレンス王太子とビクトリア。

「それは災難だったな」

「それはそれは……」

 そう言って口元に微苦笑を浮かべたビクトリアの表情に、微妙な引っ掛かりを覚えるローレンス王太子。

 ちなみに口に出さずに、続ける予定の言葉は、

「殿下と同じで、理屈で動いていない分、勘は鋭いようですね」

 であった。


 ほどなく、恐る恐るという様子で扉が開き、中から小柄で中性的な容姿をしたアドゥース人の少年が顔を出した。

 セシリオとその背後に佇むローレンス王太子とビクトリアを確認し、さらにこの階の要所要所を固める護衛の姿に怯えたように身を震わせる美少年アレックス

 まるで警戒心あらわな野生動物のようであった。


「……殿下、あまり大人数で大仰に押し掛けるものではありませんから、ここはわたしと殿下だけで訪問するということで、いかがでしょうか?」

「うむ、そうだな。――お前たちはその場で待機しているがいい」

 ビクトリアの提案に二つ返事で了承したローレンス王太子が、そう護衛たちに命じるも、その職務上おいそれとは受け入れられない彼ら。

「そうはいっても、この狭さだぞ。五人も入ったら鬱陶しくてかなわん。それにあくまでビクトリアがセシリオと身内の話をするのが目的で、私が付き添い兼護衛のようなものだ。それとも、お前たち私がこんな少年に後れを取ると考えているのか?」

 扉を開け放たれた部屋の狭さと、見るからに華奢で小柄なアレックス少年とを見比べ、軽く角突き合わせて相談していた護衛たちだが、万一のことがあればすぐ駆けつけるため、扉の前に待機することを条件に渋々納得した。


 そうして狭い寮室へと案内されたローレンス王太子とビクトリアのふたり。

 挨拶もそこそこに、二段ベッドの一段目にセシリオと並んで座っているアレックスに向かって、ビクトリアがにこやかに対外モードで話しかける。

「はじめましてアレックス卿。セシリオと仲良くしてくれているようで、心より感謝いたします」

「……いえ、こちこそ……」

「ところで――」

 コテンと小首を傾げたビクトリアが、隠していた婦人靴ハイヒールを取り出して目前に掲げた。

「これの持ち主ってアナタよね? 違うというなら履いてみてくれないかしら」

「――っっっ!!!」

 一瞬、息を呑んだアレックスだが、即座に顔色を変えてビクトリアへ――正確には持っている婦人靴ハイヒールを奪い返そうと――向かって飛びかかってきた。

「――おっ……と」

 アレックスの手が婦人靴ハイヒールに触れる寸前に、ローレンス王太子が割って入って、その小柄な体をねじ伏せる。

「おとなしくしていろ……痛たたたっ!」

 外の護衛に聞こえないように、口を塞ごうとしたローレンス王太子の手を、思いっきり齧るアレックス。

「大丈夫ですか、殿下!?」

 さすがに顔色を変えて駆け寄ってきたビクトリアへ向かって、

「大事ない。かすり傷だ」

 そう気取った微笑みを返すローレンス王太子。

 念のために腕のあたりを確認して、ビクトリアはホッと安堵のため息を漏らした。

「気を付けてください、殿下。服やシャツについた血の染み抜きは大変なんですから」

「お前の心配したのってシミの方か!? 優先順位がおかしいだろう。普通は私の怪我を第一に考えるところだろう、ここは!」

「侍女ですから。自然治癒する怪我よりも、国民の税で賄われる衣服を優先するのは当然です」

 臆面もなく言い放つビクトリアであった。

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