第6話 灰被り姫は侍女に正体を暴かれた模様⑤

 ジタバタと暴れるアレックスを巧みに抑え込んでいたローレンス王太子が、「あれ?」という顔をした。

「どうかしましたか? まさか美少年と密着していることで、少年愛に目覚めたとか?」

 ビクトリアが微妙に鼻息荒く尋ねる。

「なるかっ! そうじゃなくて、この手触りは男のものじゃないぞ……?」

「「!!」」

 途端、座っていたベッドから半分立ち上がってオロオロしていたセシリオと、野生の獣のように歯を剥き出しにして――お菓子の食べ過ぎで歯がボロボロになっている、年頃の貴族の令息や令嬢とは違って極めて健康的な歯である――唸っていたアレックスが、同時に弾かれたように顔色を変える。


「ほほぅ、さすが女性の体を触るのに慣れたエロ殿下……ですが、どこを触ったのですか?」

 冷めた目で確認をするビクトリアに、狼狽しつつ弁明するローレンス王太子。

「そうじゃなくて、筋肉の柔らかさとか骨の細さとか、そういう全体的な感触だ!」

「ふむ、では決定的な証拠はないわけですね。ならば手っ取り早く、実際に確認してみましょう」

 淡々と言い切るビクトリアの口調に本気を感じて、水の上にあげられた魚のように必死にもがくアレックスであったが、腕力、体格、技のすべてにおいて勝るローレンス王太子の束縛からは逃れられない。


「さすがに私が確認するわけにもいかないだろう。頼めるか、ビクトリア?」

 片手でアレックスの両手をまとめて拘束し、もう片手で頸部を押さえながらローレンス王太子がそう指示するのと同時に、思い余ったセシリオが立ち上がった。

「ま、待ってください、姉上!」

「おだまりなさい。殿下の玉体に傷をつけただけでも、情状酌量の余地なく死罪相当なのですよ」

 問答無用とばかり、スカートの下から取り出した鉄製の手枷と革製の口枷を持って、床に押さえつけられているアレックスの傍らに屈み込むビクトリア。


 その言葉で事の重大さを理解して萎縮するセシリオを無視して、ビクトリアは慣れた仕草で手枷、口枷をアレックスに装着するのだった。

「帝王教育を嫌がって、家庭教師から逃げ出そうとする殿下相手に磨かれた拘束術。こんなこともあろうかと拘束具を持ってきておいて正解でしたね。いっそ〝バイオリン”のほうが良かったかも知れませんが」

 ちなみに『バイオリン』というのは楽器ではない。遡ること三百年ほど前まで王国(当時は帝国)にあった女性用の拷問器具で、両手と首を同時に拘束するその形状からバイオリンと呼ばれたのである。


「……その場合はビクトリアおまえに使われそうな気がするが」

 完全にアレックスの身動きが取れなくなったのを確認して、手を離したローレンス王太子がビクトリアを横目に、げんなりとした口調で独り言ちる。

 なお、当時のバイオリンの使用目的は、主に生意気で口うるさい女性を罰する(徹底的な男尊女卑の思想のもと、男に従順でない女はそれだけで罪とされた)ために使われたものである。


 ともあれ両手を後ろに手枷で封じられ、口もきけなくされたアレックスだが、いまだに闘志衰えず……といったところで、火を噴くような眼差しでビクトリアを睨みつけていた。

 対するビクトリアは知ったことではないとばかり、無造作にアレックスが穿いているキュロットを脱がす。


「!※□◇#〇◎△$♪×¥●&%#!?!」

 口枷の下からアレックスの声にならない悲鳴が漏れた。

 必死に、ジタバタとエビのように体を反らせて暴れ回るアレックスを、ローレンス王太子とふたりがかりで押さえるビクトリア。

「……なあビクトリア。この体勢ってまるで性犯罪者になった気分なんだが」

「気のせいです。殿下とわたしとが協力して事に当たる。いわばふたりの初めての共同作業とも言えるのではないですか?」

「!? そうか! そういう見方もあ……るの……かな?」

 言いくるめられかけたローレンス王太子だが、口に出したところで冷静になったのか、後半が疑問形になった。


 と――。

『どうかされましたか? 先ほどから室内が少々騒がしいようですが……』

 さすがにこの騒ぎに扉の外から護衛官の誰何の声がかかった。

「なんでもありません。殿下が二段ベッドを珍しがって、試しに上段に寝てゴロゴロしていたところ、間違えて床に落ちて、痛みでのたうち回っているだけですから」

「――おいっ」

 しれっと噓八百を並べたビクトリアを、引き合いに出されたローレンス王太子が半眼で睨みつける。

『……殿下にはあまりはしゃぎすぎないようにご注意ください』

 嘆息混じりの諦観の声が扉の向こうからする。

「よかったですね、殿下。日頃の行いのお陰で、このような杜撰な言い訳でも納得してもらえました」

「私が納得できないのだが!?」


 そんなふたりの掛け合いの間も、ガムシャラに逃れようとするアレックス。

「往生際が悪いですね」

「……いや、そもそもいきなり下を確認するとは思わなかったぞ私は。てっきり胸の有無で判断するものだとばかり」

「胸の大小などという曖昧なものよりも、決定的なブツの有無を確認するのがより確実ですから」

 そうキュロットの下からあらわれたパンタロンを前に、さも当然とばかり言い切るビクトリア。

「パンタロンの段階でほぼ女性だと思うのだが……」

「女装趣味の男の娘という可能性もあります。――ま、女性と考えて殿下とセシリオは一応目を閉じていてください」

 そう言ってビクトリアはパンタロンに手を伸ばす。

 途端にこの世の終わりのような顔で、アレックスは下半身を死守しようとする。

「無駄ですよ。九歳までおねしょをしていた殿下のパンツを、常に一瞬ではぎ取っていた侍女長より直々に伝授された王家伝来の剥ぎ取り技。そこから逃れることはできません」

「お前はいちいち私の黒歴史を暴露しないと気が済まないのか!?」

 明後日の方を向きながら、吼えるローレンス王太子。

 それは無視してビクトリアの手がアレックスのパンタロンにかかった。

「ちょっと確認するだけです。不安ならば天井板の節目でも数えていれば、そのうちに終わりますからご安心ください」

 刹那、アレックスの表情が絶望に染まった。


「待ってください、姉上っ!! 話します! アレックスは本当は女の子――それもメンシス国の王女殿下なのです!」

 と、アレックスの上に覆いかぶさるようにしてセシリオが身を投げ出して、決死の覚悟で捲し立てた。

「「メンシス国の王女……?」」

 予想外の展開にビクトリアとローレンス王太子も、お互いの顔をまじまじと見合わせるのだった。


 ◇ ◇ ◇


「――どうぞ。生憎と厨房に香草ハーブしかなかったので香草茶ハーブティーになりますが」


 椅子に座ったローレンス王太子に素朴なカップに入れられた香草茶ハーブティーが渡され、続いて拘束を解かれて二段ベッドの一段目に座っているセシリオの背中に隠れているアレックス王女と、ついでにセシリオの傍らにカップが置かれた。


「ほう」

 外国産の茶と珈琲以外はめったに口にしないローレンス王太子が物珍し気に香りを堪能したのち、物おじせずにカップに口をつけた(無論、先にビクトリアと護衛官が毒見はしている)。

「――ほほう……なかなか美味いな」


 フロース寮の厨房にある香草ハーブなんて、文字通りその辺に生えている雑草もどきを摘んで乾かしただけの代物なので、臭くてそんなに美味しいわけはないんだけどなぁ……と思いながら、合わせてカップを取って口をつけるセシリオ。

「あれ?! 美味しい……?」

 思いがけない香り高さと口当たりの良さに目を丸くする。

 そんなセシリオの様子を確認して興味を惹かれたのか、アレックス王女も恐る恐るカップに手を伸ばして、ローレンス王太子の背後に彫像のように付き従うビクトリアの様子を気にしながら一口飲んで――。

「!!!」

 驚いた表情で、一気に半分ほどを飲み込んだ。


 三者三様の反応を眺めながら、ビクトリアが口を開く。

「レモングラスとリンデンを中心にブレンドをして、隠し味に蜂蜜を加えてまろやかさを加味しました」

「「「へ~~~っ」」」

 思いがけなく一息ついたところで、「さて」と改まってローレンス王太子が口火を切った。

 詰問の内容を予想したのだろう。アレックス王女が肩を震わせ、カップを置いてセシリオの背中に隠れた。セシリオも彼女を守るために精一杯虚勢を張って、ローレンス王太子を真正面から見据える。

「――ふっ」

 そんな実弟の態度に、笑止とばかり失笑を漏らすビクトリア。

 負けじとローレンス王太子の背後に立つ――「侍女ですから」と言って頑なに座ることは固辞した結果である――ビクトリアへと視線を巡らせるセシリオ。

 冷然とセシリオの瞳を凝視しながら――


 お姫様をかばう騎士のつもりですか? 自分が何をしているのかわかっているのですか? お前の軽はずみな独断で、事がバレたら下手をしなくても国際問題。下手をすればデシデリオ第二王子あたりが暴走して、フォルトゥム王国とメンシス国との戦争になるかも知れないのですよ? そうなったら国力差からいってメンシス国は鎧袖一触でしょうが、どれほどの人的物的被害が発生することか! また各国間及び王宮内のパワーバランスも崩れるでしょう。わかっているのですか、この愚弟っ!!


 声にならない罵声が乱れ飛ぶ。

 冷や汗を流しながらそっと視線を逸らすセシリオの姿に、蛇に睨まれた蛙を重ね合わせて、大いに共感するローレンス王太子であった。

 とりあえず現状を整理するために、ローレンス王太子はアレックス王女――偽名ではないらしい――に向かって尋ねた。

「――ごほん。あ~、アレックス王女……失礼ながらメンシス国に貴女のような王女がいらっしゃるとは、寡聞にして私は知りません。どのようなお立場か御教示を得たいのだが?」

 聞かれたアレックス王女は寸刻躊躇いつつも、セシリオの背後から顔を覗かせ、

「ローレンス王太子殿下にはお初にお目にかかります。ボク――ワタクシは現メンシス国王アブラハムⅫ世が第十三王妃フレドリカが娘、第二十七王女たるエミリア・アレックス・ティーナと申します。このような形でのご挨拶、誠に失礼いたします」

 先ほどまでの少年じみた態度が嘘のような、気品のある態度で腰を上げて膝を折った。


((第十三王妃の娘で第二十七王女とか、わかるわけないわ))

 その挨拶を聞きながら、同時に思うローレンス王太子とビクトリアであった。

 はっきり言えばいてもいなくてもどうでもいい立場であり、下手をすれば父であるアブラハムⅫ世に顔も覚えられていない可能性が高い。


「その貴女がなぜ男装をして我が国へ留学を? わが校は普通に女子留学生も受け入れているが」

 再度のローレンス王太子の問いかけに、疑われていると感じて無言でうつむくアレックス王女。

 その代わりとばかりセシリオが弁護に回る。

「アレックス……王女にお聞きした話なのですが、メンシス国ではいまだに女性蔑視の風潮が強く、そもそも女性の留学生枠がないとのこと。ですが十歳そこそこで三カ国語に精通した才媛であったアレックス王女は、より進んだフォルトゥム王国の文化を学ぶ志に駆られ、男装をして身分を偽って留学試験に臨み、見事にパスをして王立貴族学園へ進学したのです」

「ほう――」

 先ほどの暴れサルのような痴態を思い出して、人は見かけによらぬものだなぁ、と若干失礼な感想を抱くローレンス王太子。

 なお、三カ国語を話せる才媛といっても、あくまでメンシス国基準であり、将来の王妃になる可能性のあるフォルトゥム王国の高位貴族の息女であれば、外交のために数カ国語に堪能であるのが当然であるので、特段感慨はなかったが。

 ちなみにローレンス王太子の前の婚約者であったブリセイダ侯爵令嬢で五カ国語。ビクトリアにいたっては十三カ国語の他、片言ならもう何カ国語かいける(なお、ナタリア男爵令嬢は母国語以外欠片もそらんじられなかったのは言うまでもない)。


「セシリオ、お前は最初からわかっていたのか? その……ルームメイトが――」

「いえ、中等部一年二年の頃はまったく。ですが去年、たまたま部屋で着替えをしているところでバッタリと」

 まあ、十二歳十三歳くらいまでならまだ男子として通じるでしょうが、性差が激しくなる思春期以降では隠し通すのは無理でしょうね、と他人事のように考えるビクトリア。

「なるほどなぁ……どおりで挙動不審だったわけか」

 納得して香草茶ハーブティーを飲み干したローレンス王太子が、ちらりと背後に立つビクトリアに視線を投げた。まるで裁定を窺うかのように。


「――嫌疑ありダウト。いろいろと穴のある説明ですね」

 間髪容れずに真正面から一刀両断するビクトリア。

「なっ……!? どこが疑わしいというのですか、姉上っ」

 気色ばむセシリオを、憐れむようにも蔑むようにも見える眼差しで見据えながら、淡々とした口調で続ける。

「いまの話で確信しました。アレックス王女殿下、貴女はメンシス国の息のかかった間諜スパイであり、セシリオは貴女に篭絡されそうと知らずに協力者にされた被害者ですね?」

 まったく、どうしてわたしの周囲の男は、揃いも揃ってヌケ作ばかりなのでしょうね、と肩を落として嘆息するビクトリア。


 彼女の慨嘆を別にして、告げられた言葉の意味を理解して、

「「な……っ!?」」

 絶句するローレンス王太子とセシリオ。そして青い顔で違う違うとばかり、何度も首を横に振るアレックス王女であった。

 そんな三人にお構いなしに、ビクトリアは追及の矛先をさらに核心に向ける。

「その目的は、学園に飾られていたカールミネの風景画の強奪――メンシス国そちらの認識では奪還ですか――それで間違いないですね? そうですね、セシリオ?」

 その言葉にふたり揃って黙り込むアレックス王女とセシリオ。


 無言を肯定ととらえて、呆然としていたローレンス王太子が我に返って、持っていたカップを床に叩きつけるように置き、椅子から立ち上がってセシリオに詰め寄る。


「本当なのか、セシリオ!?」

「…………」

 心苦しそうにセシリオは顔を背けた。

 じりじりとした沈黙が部屋の中に充満してはち切れそうになった直前、床に置かれた空のカップを回収したビクトリアが、変わらぬ平坦な口調で各自のカップを確認して、

「お茶がなくなったようですね。お代わりを淹れてきますので、続きはそれからにしましょう」

 無造作にセシリオとアレックス王女のカップも回収した。


 カップを抱えて出入り口の扉へ向かったビクトリアであったが、ふと振り返って気勢をがれて唖然としているアレックス王女を一瞥し、軽い口調で忠告をする。

「アレックス王女殿下。先ほどから貴女が近づかない、二段ベッドのカールミネの風景画ですが、丸めて逃げようなどと考えないでくださいね。油絵は丸めると剥離が酷くて絵としての価値がなくなりますので。メンシス国では修復師もいないでしょうから」

「!!!」

 図星を差されたらしく、二段ベッドの上段と窓の位置、ローレンス王太子の挙動を、何度も値踏みするように見比べるアレックス王女。

 やがて諦めたように悄然と項垂れる彼女を確認して、この場に背を向けかけたビクトリアに向かって、「おい!」とローレンス王太子が声をかけた。

「なんでしょう、殿下?」

「次はお前の分も入れて、四人分カップを持ってこい。殿

 思いがけない提案に一瞬面くらった表情を浮かべたビクトリアだが、即座に口元に愉し気な笑みを浮かべて一礼をするのだった。

「――承知いたしました」

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