第8話 灰被り姫は侍女に正体を暴かれた模様⑦

「つまり、学園のフロントに飾られていたカールミネの風景画を盗むのが目的で、留学生という名目で学園内に入り込んでいたわけか」

 合点がいったという表情で頷くローレンス王太子。


「ち、違……ボクは本当に、純粋に学問を修める目的で……!」

 必死に抗弁しようとするアレックス王女だが、実際に絵が盗まれほぼ間接的に窃盗を認めている現在の状況において、何を言ったところで無駄な釈明にしか聞こえない。

「ま、仮に当初の目的が純粋な留学であり、何らかのやむに已まれぬ事情があったり、何者かに強要されたとしても、最終的に自分で判断して実行した以上、罪と罰は当人に帰結しますけどね」

 慈悲はない、とばかり言い訳を一蹴するビクトリア。

 がっくりと項垂うなだれるアレックス王女と、必死に支えて言葉をかけるセシリオを微妙に微笑まし気な眼差しで見据えながら、ビクトリアは続きを口にする。


「そもそもわたしが違和感を覚えたのは、卒業パーティの同日、それもローレンス殿下によるブリセイダ様との婚約撤回と、新たな婚約の発表が行われたタイミングで窃盗事件が起きた不自然さです」


 そう言ってもピンとこない表情のローレンス王太子と、対照的に顔を強張らせるセシリオ。


「いくら警戒が緩いとはいえ、通常であれば誰かしらいるであろう学園の中央ホール。ですが、あの日に限っては他に類のない重大な発表が行われ、学園内のほとんどの人間が野次馬として卒業パーティの会場である中庭に出払っていた。警備の目も当然、そちらに集中したはず。そして、手薄になったその瞬間に絵は盗まれた……となれば、あの日、あの時、あの場所で何が起きるのか、詳細を事前に知っていた人間が手引きをしたと考えるのが妥当でしょう」

 そしておもむろに白い繊手を開いて、一人一人名前を挙げるごとに指を折る。

「その場で知っていたのは、当人以外では賓客として参加された国王陛下と王妃殿下、当事者であるブリセイダ様とシスネロス侯爵閣下。そしてセシリオ……このくらいですね」

 在学生であるデシデリオ第二王子とイスマエル第三王子らには、『本日はサプライズがある』とだけ説明していただけであり、また当初の婚約破棄に協力するはずだったローレンス王太子の取り巻き連中は、この段階で学園から実家に強制連行され、ぎちぎちに絞められているさなかであった。


「このうち国王陛下と王妃殿下、ローレンス王太子殿下は当然無関係――王宮でもカールミネの風景画なら、何点か所蔵されていて、わたしも確認したことがありますから――であり、ブリセイダ様とシスネロス侯爵閣下も欲しければ自力で購入、もしくは慰謝料代わりに希望すれば手に入れることができたでしょう。そうなると、当日に不可解な行動をしたセシリオが第一の容疑者ということになります」

「ビクトリア、お前『先に問題点を処理すべきだと考えます』って言っていたのは、まさかそこまであの時点で見抜いていたのか!?」

 だったら、もはや神通力に近いぞ! と、慄然とするローレンス王太子に向かって、事もなげに答えるビクトリア。


「別に魔術でも霊視でもなく、純然たる事実の積み重ねです。例えるならば殿下が書記机の引き出しの奥と、アイボリーのチェストの裏側に隠しているポルノグラフィーエロ本の使用実績と内容を比較すれば、その性癖と性欲の強弱が手に取るように……」

「ちょっと待て~~っ!!」

「なんですか、クレッセント・ストリートで購入された『スペンサー少佐による女殺し二千人切り』『誘惑する三人のメイドたち』『聖女淫乱舞踊』がお気に入りの殿下? あと、一説にはシコり過ぎると歩き方が悪くなり、黄疸やニキビ、最悪廃人になるとも言われているので、週五回から三回くらいに減らしてください」

 なによりパンツやシーツを洗う手間が大変だと、洗濯メイドから苦情が上がっていますので、とボヤくビクトリア。


 ちなみに『クレッセント・ストリート』は王都の一角に存在する、いかがわしい書店や出版社が軒を連ねる猥雑な街の通称である。

 当局が規制しているにも関わらず、ポルノ関連書籍や絵画などを制作販売し、それを目当てに紳士おとこたちがこぞって集まるある意味、アングラの聖地として有名であった。

 なお、ビクトリアの台詞の後半は俗信であり、男がひとりでコソコソと行うことは、男らしくない女々しい行為だという、この時代の価値観から生まれたインチキ科学の一種である(その一環として、女性には『性欲はない』とされていた)。


「うわ~~~~~~っ!!」

 追撃を受けて、両耳を押さえて身もだえするローレンス王太子。

 なお、この後ローレンス王太子はポルノグラフィーエロ本の隠し場所を、手を変え品を変え毎日のように変更したのだが――別の部屋はもとより、侍従へ預からせたり、場合によっては壺に入れて温室の片隅に埋めたり――その努力を嘲笑うかのように、掃除をした後の自室へ戻ると、すべての本がビクトリアの手で机の上にきちんと山積みにされていたそうである。


「さて、状況をもう一度おさらいしてみましょう」

 すでに瀕死のローレンス王太子を無視して、ビクトリアがセシリオとアレックス王女に向けて自らの推測を開陳する。

「殿下の婚約の解消と新たな婚約者の発表。その注目が集まる寸前にセシリオ、あなたは謎のご令嬢とコソコソと……実際のところはこれ見よがしに卒業パーティの会場を離れた。その間にアレックス王女、貴女はどこでなにをされていたのですか?」

 不意に話を振られたアレックス王女は、一瞬考えこんでから用意された台詞を読み上げるように、すらすらと答えた。

「――アドゥース人のボクがいても邪魔だろうから、ずっと寮の部屋にいました。入退室の記録を調べても……」

「はい、結構です。つまり誰もその時、貴女の姿を見ていなかったわけですね」

「…………」

「ですが貴女にとって寮の玄関など不要な存在。なぜならこの窓からそこの樹を伝って出入りできるのですから。貴女は悠々と窓から出入りして、準備していたドレスに着替えて、セシリオをパートナーとしてパーティ会場から離れる形で、誰もいない校舎へと向かった」


 他ならぬその事実――アレックス王女が入寮当初、窓から出入りして大目玉を食らったこと――を口に出したセシリオが、アレックス王女を守る形で弁護に回る。


「待ってください、姉上っ。それこそ実在する証拠を無視した憶測ではないですか!」

「証拠はありますよ。あなたも気が付いていたから、のでしょう?」

「――っっっ!!!」

 反射的に窓の外の大樹に視線をやるセシリオ。

 何のことかわからないが、非常に嫌な予感――直感的に自分が何か致命的な失態をおかしたことを悟った顔――で、窓の外と唇を噛むセシリオとを見比べるアレックス王女。


「あー、すまん。話の途中なのだが」

 ここでどうにか再起動したローレンス王太子が口を挟む。

「セシリオがエスコートしていたご令嬢は、遠目にも色白で金髪の淑女であったとのことだが?」

 男子のように短く刈った灰色の髪に、褐色の肌を持つアドゥース人そのもののアレックス王女の容姿との乖離に疑問を呈した。

「それこそがミスリードへ誘うための布石ですね。わざわざという、アドゥース人とは真逆の印象を強調するための。だいたいにおいて密かに逢引するなら、わざわざ人目の多い会場から足並みそろえていなくなる理由がありませんし、最初に理由に挙げた『家族とはぐれた令嬢を案内した』というなら、まずは人の多いパーティ会場で聞き込みをするべきでしょう。つまり、『色白で金髪の令嬢と会場を離れた』という傍証を得るための芝居です」

 カップに残っていた香草茶ハーブティーをぐっと飲み込み、一息ついてから続いてローレンス王太子が口にした疑問に答えるビクトリア。


「金髪については簡単です。街に繰り出せば鬘屋などいくらでもありますから」

 言われたローレンス王太子の脳裏に、マルコス教授を指して

『髪形と光沢が不自然でした。ヅラですね』

 と、面白くもなさそうな口調で論評したビクトリアの台詞がよみがえった。

「――おまっ、まさかあの時にセシリオの反応を見るために、あんな頓珍漢なことを口走ったのか!?」

「頓珍漢は殿下の専売特許ですから、わたしは必要なこと以外は口にしませんよ」

 面白くもなさそうな顔で暗に肯定するビクトリア。


「アレックス王女にドレスを着せて女装をさせ、金髪のかつらをかぶせて顔がわからないように帽子ボンネットを装着し」

「あの……女装って、ボク、一応は女……」

 そこは聞き逃せなかったのか、弱弱しく抗弁するアレックス王女。

 興をそがれたビクトリアは、床に置いていた婦人靴ハイヒールをひっくり返し、踵の部分を指さしてぴしゃりと言い放つ。

「笑止。ここのところにコケた跡があります。大方、セシリオがエスコートをした理由も、アリバイ作りのほかに、婦人靴ハイヒールのままではろくに歩けない貴女を手助けする必要があったからでしょう? たかだか七エカトの婦人靴ハイヒールも使いこなせないような女は女ではありません!」


 侍女はいざという時に主人や女主人を護るため、ある程度の戦闘技能も習得している。

 ふとローレンス王太子は、訓練の一環で正装したビクトリアが、婦人靴ハイヒールを履いたまま護衛官と一緒に全力疾走をして、平然と立ち回りを演じてみせた艶姿あですがた――木剣とはいえプロの護衛と互角に渡り合って、相手の油断を突いて金的にヒールで蹴りを叩き込み、悶絶したところを容赦なくボコボコにした――を見て、ビクトリアあいつとは絶対に手合わせしないようにしよう、と心に深く刻んだ光景を思い出した。


「ですから、てっきり同室の男子生徒が女装したのかと思っていたのですが」

 と、いまだに色々と懐疑的な視線を向けられ、女として、淑女として、王女として思いっきりダメ出しをされたアレックス王女が身をよじって、恥ずかし気に顔を逸らせた。

「ボ、ボクの母は庶民でしたし……」

「おおかたこの婦人靴ハイヒールも、人目がなくなったところで、脱いでポケットに入れ、裸足で歩いている内に、どこかへ片方をなくしてしまったのでしょう? それでセシリオが手元にあった片方を参考に行方不明の片方を探して歩き回っていた、と……確かに灰被り姫サンドリヨンのような話ですね」

「そういうことか!」

 思わず膝を打ったローレンス王太子と、挙動不審に視線をさまよわせるセシリオ。

「そして〝色白”の件ですが、セシリオあなたは白粉おしろいの効果や種類には詳しいでしょう? 若作りをするために、目の前で使っていたのですから。特に効果のある白粉を使って、アレックス王女の肌の目立つ部分を厚く白塗りにした。けれどやり過ぎましたね。大理石の壁を登って、絵を引き下ろした時には目立たなかったでしょうが、帰り――ドレスのスカートに絵を隠して帰ってきた時、樹を伝って部屋に戻る途中で白粉が幹や枝に付いてしまいましたね」


 その言葉に弾かれたように窓の外に見える大樹の枝に目をやるアレックス王女。


「誰も気が付かない間に雨でも降って流れればよかったのでしょうけれど、生憎とここ十日は晴天続きです。しっかりと白粉が残っているのが確認できましたよ」

 淡々と論証を積み上げ、

「以上、今回のカールミネ筆風景画盗難事件に関するわたしの推測です。あとは護衛を呼んで、この部屋を家探しをして、ドレスと金髪の鬘など見つかれば証明終了ですね」

 そうビクトリアが事もなげに告げた途端、セシリオが座っていたベッドからまろび出るようにしてビクトリアに縋りつきかけ、素早く割って入ったローレンス王太子に鞘に入ったままのサーベルで牽制された。


「姉上っ、アレックスの母上は蒲柳ほりゅうしつで、いつ王宮から放逐されてもおかしくはない立場なのです! 近年、さらに体調を崩しがちとのことで、そのためカールミネの絵画をメンシス国へ持って帰った……その実績さえあれば、今後いかなることがあっても国王陛下の寵愛は変わらない。そのメンシス国王陛下のお言葉に従って、母上を助けられるために、苦渋の決断で大事を企てたのです!」

 サーベルで阻止された姿勢で、必死にセシリオはかき口説く。

 対するビクトリアはどこまでも平常運転で、

「バカバカしい。いかなる理由があれ、犯罪が許される道理がありません。ましてや成人前の娘を利用して事を成そうなどと、為政者にあるまじき外道な行い。そもそもどこの世界に我が子が、その手で罪をおかすことを喜ぶ親がおりましょうか。どのような大義を掲げたところで、道義を外れた卑怯卑劣な小物としかわたしには思えません。そのような卑劣漢が口約束など守るものですか」

 息まくセシリオに言い聞かせるように警告をするのだった。


 事が露見した上に、ビクトリアが口にした懸念を半ば予想していたのだろう。アレックス王女は世をはかなんでいるかのようにぺたりとベッドに伏せ、身じろぎもせずに目を閉じていた。

 だが、こういう情に訴える話にてきめんに弱いのがローレンス王太子である。


「……おい、何とかならないのか、ビクトリア?」

「何とかというと、アレックス王女を犯罪者として捕縛しないで済ませるということですか?」

「まあそうだ」

「別に難しい話ではないですよ。ここで見たこと聞いたことをわたしたちの胸に秘めておけば、マルコス教授が責任を取って罷免されるだけですし、知った上で国王陛下のお力をお借りして、秘密裏にアレックス王女とカールミネの風景画を盗まれたままという形でメンシス国へ譲渡して貸しを作るという手もあります」

「なるほど、どちらに転んでも痛手はないわけか」


 そんなふたりのやり取りに、セシリオが一縷の光明を見た思いでローレンス王太子とビクトリアに頭を下げた。

「お願いします! ぜひ、お慈悲を!」

「――ビクトリア、セシリオもこう言っていることだし……」

「そうですね断りましょう」

「なんで!?」

 一瞬の躊躇もなく実弟を切り捨てたビクトリアに開いた口が塞がらないローレンス王太子であった。

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