第2話 灰被り姫は侍女に正体を暴かれた模様①

 丸いルーテーブルゲーム用テーブルを挟んで、ラフな意匠ながら極上の素材をふんだんに使い、念入りに採寸をしたであろう衣装をまとった金髪の美丈夫と、お仕着せのメイド服を着た精巧なビスクドールのように硬質な容姿をした、ともに十七歳ほどの男女がゲームに興じていた。


「ふふふ、こちらはあと二、三回ダイスを転がせば終了だな。さすがにここから逆転の目はないだろう、ビクトリア。どうだ、これで私が勝ったら王太子妃の話を正式に受けるというのは?」


 ダイスを手にしながら、ボード上の駒を確認して、金髪の美丈夫――フォルトゥム王国の王太子ローレンスは、にんまりと勝利を確信した笑みを浮かべた。

『王室ゲーム』と呼ばれるボードゲーム(※双六に近いが、駒同士が同じか特定のマスに入った場合はお互いにダイスを転がして勝負する)ではあるが、すでにローレンス王太子の駒はゴール間近であり、侍女――ビクトリアの駒は大きく遅れていた。


 本来であれば王太子と侍女がひとつのテーブルを囲んで座るなど不敬極まる話であるが、この場には他に見とがめるような人間はおらず(当然、王家の暗部は姿を隠して監視警護しているであろうが)、また十年来の付き合いの長さから、こうして気さくに遊具で遊ぶのはわりと頻繁であり、そしてまた現在のふたりの関係――正式に婚約が成立した王太子と公爵令嬢である――を思えば、何一つやましいことのない光景であった。


 自分の勝ちが見えたところで、姑息こそくにも結婚話を俎上そじょうに載せてきたローレンス王太子に対して、その話題については、のらりくらりと明言を避けていたビクトリアは、

「確かに……。頭を使わない運ゲームは強いですね、殿下」

 ちらりと傍らに除けたカードやチェスボードに視線をやって、勝負の行方については肯定しつつ、ついでのように付け加える。

 言うまでもなく、傍らに置かれたチェスもカードも、先に対戦をして、ローレンス王太子がビクトリアに完膚なきまでボコボコにボコられた代物である。


「いやいや! 私はチェスもカードもそれなりの腕前だぞ!? クリストバルやテオバルド、レオカディオ、エフラインともほぼ互角であって、ビクトリアおまえが突出して強いというか……」

 ちなみに、クリストバルは王家とも親戚筋に当たる公爵家の嫡男で、テオバルドは現宰相の直孫にあたる青年であり、レオカディオは軍務卿の令息、エフラインは現主教の一人息子で、当人も司祭の地位にある聖職貴族という、王立貴族学園に在籍している令息の中でも選りすぐりの面子めんつばかりである。

 付け加えるのなら、いずれも将来ローレンス王太子の補佐として、国の舵取りをすることが期待される股肱の臣(取り巻きとも言う)であった。


「それはまあ……わたしの場合、いまさら殿下に忖度そんたくしても、仕方ないですからね」

 ふっ……と、失笑を漏らすビクトリア。

「おい、まて。ゲームの対戦であいつらが、私に花を持たせるために手を抜いているというのか!?」

『お互いの立場に遠慮はいらん。本気でプレイしろ!』

 と、公言して彼らと本気で一進一退の勝負をしていた、それなりに自負のあるローレンス王太子が、心外そうな口調でビクトリアに食って掛かった。


「いいえ」

 案外とあっさりと首を横に振るビクトリア。

「忖度されているのは、いまあげつらわれたご令息の方々ですね。同レベルのヘボ同士が競い合ってれば、そりゃいい勝負になるでしょう」

 もっとも、得られるものは何もありませんけどね――と、鼻で嗤うビクトリア。


「だいたいにおいて、わたしの腕前はいいところ上の下か、中の上程度ですよ? 王宮内においても、わたしなど相手にならない文官や武官などゴロゴロしていますしね。殿下もチープな自尊心を守るために仲間内で馴れ合うのではなく、薫陶を受けるつもりでそうした方々に胸を借りてはいかがですか?」

 ビクトリアの耳の痛い忠告に、顔をしかめるローレンス王太子。


「くっ……! と、ともかく勝負は勝負だ! いい加減に王太子妃の話に『うん』という返事をもらうぞ!」

「ならば、いままでわたしが勝った分を合わせて、二度とその話をしないと確約していただけるのでしょうか?」

「…………」

 思わず黙り込むローレンス王太子を前にして、なんでこの程度の返しが来るくらい予想できないのかしら……と、改めて相手の思慮の浅さに嘆息するビクトリアであった。


「――なぜだ!? そんなに私の妻になるのが嫌なのか、ビクトリア?!」

「別に殿下の事が嫌いというわけではありませんよ。――ウザイというか、面倒臭いとは思いますが」

 赤裸々過ぎる返答に、食い下がっていたローレンス王太子がなんとも言い難い顔で黙り込む。

 もっともビクトリアとしては、かなり言葉を選んだつもりであったが。


 実際、当人のいないところでは――

「連日連日、口を開けば『妃になれ』ばかりで鬱陶しウザくてなりませんから、配置換えをお願いできないでしょうか? 正直、四六時中つきまとい不審者ストーカーと同室にいるも同然ですので」

「それよりも、いい加減に侍女を辞して、本格的にお妃教育に専念されたほうがいいと思うのですが?」

 相談を受けた侍女長の当然といえば当然の言葉に、ビクトリアは反射的に否定の言葉を放っていた。

「え、嫌ですよ。生まれ持った顔と血筋と悪運だけしか取り柄がないのに、それを自分の器量や人徳だと思っている王太子なんて、いつひっくり返るかわかったものではありませんから、最低限土台を固めるか障害を取り除くかしないと、怖くて一蓮托生の王太子妃なんて立場にはなれませんよ」

 肩をすくめるビクトリアの身も蓋もない答えを前に、侍女長が返す言葉を選んで……結局、嘆息だけした。

「……いえ、まあ……不敬と言いたいところですが、すでに殿下の婚約者である貴女を叱責するわけには行きませんし……ですが、せめて人目があるところでは言葉を選んでください。良くも悪くも貴女は注目の的なのですから」


 なにしろパトリシア夫人とラミレス伯爵の長女が、侍女という立場でありながら十年越しの恋を実らせ、(笑)ローレンス王太子との婚約が成ったという(脚色まみれの)宮廷物語のような話題の当事者である。

 そのセンセーショナルなニュースは、宮廷のみならず市井へも電光石火で轟きまくり――おかげで、ブリセイダ嬢との婚約撤回は添え物のような扱いとなり――国内はもとより近隣諸国においてもいま一番熱くロマンティックな恋物語として、知らぬ者がないほど有名な事件となっている。


 渦中の当人――美貌で知られるローレンス王太子の心を奪った、可憐で健気けなげな淑女と巷間で噂されているビクトリアは、いつもの冷めた表情で淡々と侍女長に詰め寄っていた。

「さすがにその程度はわきまえています。それで、配置換えは可能なのでしょうか?」

 再度のビクトリアの問いかけに、一瞬目を泳がせた侍女長だったが、観念したように沈痛な表情で首を横に振った。

「無理ですね。さりげなく貴女とローレンス殿下との仲を取り持つようにと、国王陛下、王妃殿下から密命をいただいておりますので、王命をないがしろにするわけにはいきませんから」


 途端、親戚の世話焼きおじさんとおばさんか!? と、王家に対する冒涜ともいえる感想を抱くビクトリアであった。


「……『密命』とか『さりげなく』とか言う割に、思いっきり本人わたしにバラしていますが?」

「勘のいい貴女に下手に隠し立てするよりも、明確に『命令だ』と伝えておいたほうが納得するでしょう?」

 開き直った侍女長の説明に、さすがは侍女長、わたしの性格を把握しているなぁ、と思いながらビクトリアは不承不承了解した。

「なるほどわかりました。このままなし崩しに王太子妃とすることで、わたしにスカな殿下の手綱を握ってほしい……という皆様方のご意向について、納得はできませんが理解はしました」


 婚約に先立って、国王陛下御夫妻や宰相閣下、大司教猊下といった雲上人が揃って、

「ビクトリア、貴女だけが頼りです。この国のためにも後生だからローレンスあれを頼みますっ」

 と哀訴歎願されたため、さしものビクトリアも厚顔無恥になり切れず、やむなく「婚約という形だけなら」と妥協した経緯を思い出して、侍女長に対して付け加える。


「ですがあくまでわたしのあずかり知らない場所で発せられた密命ですので、わたしも知らぬ存ぜぬで当初の予定通り、あくまで『ローレンス王太子の婚約者にして侍女』という立場は堅持させていただきます。――ああ、お妃教育はいままで通り殿下が学園に通学中に行うということで問題ありませんよね?」

「普通は片手間にできることではないのですが、貴女なら問題ないでしょうね……」


 普通の令嬢なら青息吐息のお妃教育を、けろりとした顔で完璧にやりこなす――その一事だけでも将来の王太子妃として無謬むびゅうの存在だと立証したも同然な――ビクトリアを前にして、侍女長は微妙に投げやりな口調で許可を与えるのだった。


「ご理解いただきありがとうございます、侍女長様」

 折り目正しく一礼をするビクトリア。こうして史上類を見ない、王太子の侍女にして婚約者である公爵家の姫君という、前代未聞の存在が誕生した。


 そういった事情を簡潔に言葉を選んで、釈然としない表情のローレンス王太子に説明しながら、ビクトリアは付け加える。

「そのようなわけで、わたし的には非常に不本意ながら、殿下と話題になったことでそのどさくさ紛れにブリセイダ様との円満な婚約の解消がなったことで、お役御免という意識のほうが強いのですが?」

「そんなわけがあるか! そもそもそう簡単に婚約解消などできないと言ったのはビクトリアおまえだろう?! ここで掌を返すとかどういうことだ!?」

『掌を返す』というよりも、『梯子はしごを外す』のほうが現状には適切だろうな、と思いながらビクトリアは傍らに置いてある、自分で煎れた珈琲コーヒーのカップを取って一口飲んで、

「別に婚約破棄をするというわけではございません。なんといっても色々と段階を吹っ飛ばしての婚約ですので、落ち着くまで現状のまま、しばし猶予をいただきたい……と言っているだけですが? だいたいブリセイダ様とは婚約してから七年間も現状維持ではなかったですか」

「子供同士で結婚も何もないだろう! 来年は私もお前も十八歳で成人だ。そうなれば晴れて婚姻も結べるというものだろう? 浮ついた気持ではない。私は本気だ!!」


 必死に説得をするローレンス王太子をビクトリアは冷めた目で見据える。


「先月にも聞きましたね。似たような台詞を」

 ナタリア嬢に対して熱く語ったローレンス王太子の『真実の愛』について、暗に引き合いに出すビクトリア。


「うっ……。いや、その……あの時は媚薬でおかしくなっていただけで、だ、だいたいだ! 人間一度や二度の失敗はあるだろう!?」

「それはそうですが当事者が弁明に使うのは見苦しいだけですよ? それも、掃除をしていてうっかりバケツをひっくり返した程度の失敗ならともかく、危うく多くの人間の人生を左右する大罪を犯しかけて、ぬけぬけと開き直るとか、軽はずみなんてものじゃないと思いますが?」


 理詰めでこんこんと己の至らなさをあげつらわれたローレンス王太子は、頭を抱えて暫し呻吟していたが、はっと何かを悟った表情でビクトリアを見据えた。


「……確かに、昨日今日まで侍女をしていたビクトリアおまえが、降って湧いた王太子妃ともなれば、社交界や王宮内でのひがみや陰口など、さぞや辛いことだろうとは思うが――」

「あ、それはないです」


 頑なに王太子妃を固辞しているのはなぜだ!? →なにか表向きの理由以外にあるはず。→そうかわかった! 男には窺い知れない女同士の確執があるのだろう!!

 と、いう三段論法でローレンス王太子が、また頓珍漢な結論に至ったことを瞬時に看破したビクトリアは、顔の前で手をパタパタと振って言下に否定する。


「婚約に先立ち、母の実家であるアルカンタル公爵家に正式に養女として迎えられ、また個人的にも国王陛下の覚えめでたいということで、身分違いだのどうのと難癖はつけられませんし、そもそもどのご婦人も久しくなかった宮廷恋愛物語ラブロマンスに興味津々ですからね。それと、この離宮内の使用人には、殿下のポンコツ具合が周知されていますので、『盆暗観賞用第一王子』、『筋肉バカ第二王子』、『陰険小物第三王子』の三馬鹿トリプル・フール・王子クラウン・プリンスの中では、まあ一番マシな安全牌でよかったね……と、同情的ですし」

 そう口にしたビクトリアの脳裏で、同輩である侍女同士の口さがない会話がよみがえった。


『まあ、中身はともかく。将来の最高権力者で金持ちで成績優秀でイケメンでスポーツも万能な、国民のヒーロー的な王子様と聞けば、超優良物件とも思えるけど、王妃になれとか言われたら躊躇するわね』

『そうね。頂点っていちいち目立つし、そのパートナーともなれば下手なことはできないわけだし』

『だいたいあの王子よ。初手で慢心するタイプの阿……いえ、やらかすタイプだから、随時フォローしないとダメってことで、普通の倍以上の重圧があるってことよね~』

『あれで学園の成績はトップクラスなんて信じられないわ』

 しみじみ語った同僚の言葉に、黙って聞いていたビクトリアは、悟りきった口調で口を挟んだ。

『勉強ができることとバカは両立できますから』

『『『『あぁ……』』』』

 納得すると同時に、被害者を見るような憐憫と同情に満ち溢れた視線をビクトリアに向ける同僚たち。

 表面上は平然とその視線を受けながら、ふと気になったビクトリアは彼女たちに尋ねた。

『――さきほど挙げられた〝将来の最高権力者で金持ちで成績優秀でイケメンでスポーツも万能な、国民のヒーロー的な王子様”という条件の中で、結婚相手として絶対に外せない条件はなんですか?」

『『『『金持ち』』』』

『…………』

 即答され、自分では人生を割り切っているつもりでも、そこまで明言できない自分はまだ割り切り方が甘いか……と反省するビクトリアであった。


「……わたしは案外、損得勘定よりも情にほだされやすいのかも知れません」

「藪から棒に何のことだ?! あと、なんだその三馬鹿トリプル・フール・王子クラウン・プリンスというのは!? お前たち陰で王子である我らを、そんな風に呼んでいたのか!!」


 ビクトリアをいたわったつもりが、返す刀で意味のない致命傷を負うローレンス王太子であった(ちなみに『クラウン・プリンス』というのは、王位継承権を持つ王子への尊称)。


「そう呼ばれないように、王立貴族学園でも最高学年になったことですし、かなえ軽重けいちょうを問われないよう、自覚を持った行動をしていただきたいところですが」


 王立貴族学園は五歳~十一歳までの初等部と、十二歳~十八歳までの中等部があり、上層階級の家庭で育った生徒は、大抵が家庭教師について学び、中等部からの入学となるのが通例である。

 先週の卒業式が終わり、晴れて最高学年になったローレンス王太子は、まさに生徒の頂点に位置する存在であり規範となるべき存在だと言えるのだが――。


「無論だ。卒業パーティに参加した生徒はもとより、国内外からの貴賓からも極めて好意的に受け止めてもらえたぞ、私とアルカンタル公爵令嬢ビクトリアとの婚約は。なんで一緒に卒業パーティに来なかったのだ、ビクトリア? せっかくなのでお披露目もかねて招待しようと思っていたのに」

 心底不思議そうに訊かれたビクトリアは、

「……ローレンス王太子このかた、脳味噌の代わりに頭の中にピンク色のおが屑でも詰まっているのかしら?」

「考えてることが口に出ているぞ、おい!」

「方向性はともかく、わたしの立場をおもんばかってくだされたことで、殿下も婚約破棄未遂前回の失態から、多少は学ぶものがあったのかと、ジェンガの棒一本分くらいは評価を上方修正していたのですが、変わらぬ恋愛脳でがっかりです」


 その割には『最初から期待はしていなかった』と言いたげな冷静な口調で、ゲームに使う駒を使って盤上で人間関係を模倣するビクトリア。


「いいですか。結局のところ、今回卒業パーティで公表したのは、殿下とブリセイダ様との婚約の白紙撤回と、合わせて侍女わたしとの婚約についてですよね?」

「うむ。もう片方の当事者として、ぜひともビクトリアにも出てほしかったのだが――」

「アホですか、殿下」

 冷静に言い放ちながら、ビクトリアは二つの駒とそれと対峙するもう一つの駒を形作って、

「つまり今回の卒業パーティでやったことは、当初殿下が考えていたブリセイダ様との婚約破棄と、ナタリア嬢との婚約にいたる流れとをそっくり踏襲したのと同じですよ!? 違うのは公式に認められており、ブリセイダ様にもわだかまりはないというだけで。ですが穏便に済ませられたとはいえ、ブリセイダ様も出席されているパーティに、新しい婚約者おんながどの面下げて顔を出せるんですか!? 常識的に考えてあり得ないでしょうし、ブリセイダ様はいい面の皮ですよ!! わかっているんですか!?」

「――お、おう。わかってるわかってる」


 半ばビクトリアの剣幕に押し切られる形で、鷹揚に頷くローレンス王太子。

 絶対にわかっていないだろうな~、というローレンス王太子にさらにビクトリアが強い口調で言い含める。


「今回、殿下のお心を斟酌したブリセイダ様が潔く身を引いた。悲劇のヒロインとして周知されることで、今後の社交界でも好意的に受け止められるでしょう。つまり、そもそもあの場での主役は殿下とわたしではなく、ブリセイダ様です!」

「お、お~~っ……」

 再三に渡る説明で、ようやく理解した様子のローレンス王太子だが、

「そうするとその後の騒ぎはブリセイダに吉と出たのか凶と出たのか、微妙なところだな……」

 自分の分の珈琲を飲みながら首を捻った。

「……殿下、何かされたのですか?」

 思いっきり不信感丸出しのビクトリアに向かって、違う違うと手を振るローレンス王太子。


「我々の婚約解消と新たな婚約について発表していた前後に、王立貴族学園の中央ホールに飾ってあった絵画――フォルトゥム王国を代表する巨匠カールミネの風景画――が、何者かに盗まれて結構な騒ぎになったのだ。なにしろ国内外の来賓も多く集まった会場で、大胆不敵にも行われた窃盗事件だからな」

 それは確かに大騒ぎになったでしょうね、と思いながらその波及効果について思案を巡らすビクトリアであった。

「なるほど……。ひとつの会場で王太子殿下の婚約問題と巨匠の絵画の窃盗というふたつの事件があったわけですね? しかしながら、まったく性質の異なる事件のようですので、ブリセイダ様の影響は少ないと思いますよ。それどころか話題が分散されたことで、無遠慮なやからも半減したでしょうから、逆に僥倖であったかも知れませんし……それと蛇足ですが、カールミネは確かにフォルトゥム王国出身の画家ですが、晩年は当時王国の支配下であったメンシス国へ定住し、終の棲家として多くの傑作を生みだしたことから、どちらかといえば」

「まあともかく、お陰で警備の見直しや不審者の洗い出しのために、パーティの後半はグダグダになってしまったわけなのだが。――おっ、そうだ!」

 ビクトリアの語る蘊蓄うんちくを聞き流していたローレンス王太子だが、大事なことを思い出したというように手を打ち合わせた。

「事件といえばもう一つあった!」

 そう言って思わせぶりにビクトリアの目を覗き込む。

「なんですか、殿下?」

「ふふふふ、聞いて驚け。セシリオが卒業パーティの会場で見慣れぬ令嬢と、手を取り合って何処へか姿を隠していたらしい」


 あいつにも春が来たか。と、にやつくローレンス王太子の言葉に、ビクトリアは大きく目を見開いて瞬きを繰り返した。


「……殿下。セシリオというのはわたしの実弟のセシリオのことでしょうか?」

「他に私の知るセシリオはいないな」

セシリオが、見知らぬご令嬢と卒業パーティの会場でしけこんで、交尾をしていたとおっしゃるのですね、殿下?」

「そこまでは言っておらん! 人目を忍んで付き合っているご令嬢がいるのではないか、と言っているだけだ。少なくとも学園生ではないようだったので、来賓として来られたご令嬢だったのではないかと噂になっているだけだ」

「え? ですが男女関係なんて行きつくところは交尾でしょう? 未婚のまして王立貴族学園のパーティに参加できる身分のご令嬢を傷物にするとか、何を考えているのでしょうか、あの愚弟は? というか、殿下といい不健全な生徒ばかり量産していますね、王立貴族学園」


 七歳から侍女をする傍ら、国王夫妻の好意で――母親の実家であるアルカンタル公爵家に対する義理もあり――王宮において王女様方とともに家庭教師について学んでいた(そして出来が良すぎて、すぐに個別指導に切り替わった)ビクトリアがため息をつく。


「いちいち私を引き合いに出すな! ビクトリアおまえの弟の話だぞっ」

「殿下が又聞きした噂という時点で根拠として曖昧なのですが……」

「お前の中の私の信頼って、羽毛よりも軽くて薄いな、おい」


 憤慨するローレンス王太子を無視して、何やら真剣な表情で考え込むビクトリア。

「……まずいかも知れません」

「何がだ?」

「万が一にも噂が本当だとしたら醜聞ですし、勘違いだとしても殿下の耳に入っているということは、広く流布していると考えられます。必然的に実母の耳にも入る可能性が高いということで、そうなれば実母が黙っているとは思えません。別な意味で大騒ぎをして、無用の不祥事を引き起こす可能性があります」

「そうか、考えすぎじゃないのか?」

 相変わらず危機感の薄いローレンス王太子を横目で見ながら、ビクトリアはため息をついた。

「前者であればさほど問題ではありませんが、後者であれば母の事ですから実家であるアルカンタル公爵家の力を頼って、無茶をする蓋然性が高いと思われます。結果、相手の立場や身分によっては取り返しのつかない騒ぎになって、公爵家自体の信頼性が揺らぐかも知れません」

 そうなってはアルカンタル公爵家の後ろ盾で婚約者になったビクトリアの立場もないし、同様に養女とはいえ公爵家の血を引く婚約者を得て、国内の貴族層に対する地盤を固めかけているローレンス王太子の足元が揺らぐ可能性すらある。

 

 そんなビクトリアの懸念に対して、ローレンス王太子は考えすぎではないかと一蹴するのだった。

「いや、アルカンタル公爵は良識人であるからそこまでは……」

 ないだろう、と言い切る前にビクトリアは失笑した。

「確かに現当主であるお祖父様、お祖母様ともに人間的にも為政者としても有能です。――あの母を育て間違ったという一点を除けば。ですが、その一点が致命的だとわたしは考えています」


 ビクトリアこいつ、身内相手でも本気で容赦がないな、と密かに戦慄するローレンス王太子であった。


「ですので、同じ間違いがないように、先に問題点を処理すべきだと考えます」

「どうするつもりだ?」

 ローレンス王太子の問いかけに躊躇うことなくビクトリアは答えた。

「直接セシリオに問いただすのが早いでしょう。殿下、近日中に学園に登校する際には、わたしを随伴させてくださいませんか?」


 思いがけない提案に、ローレンス王太子は絶句した。

 このゴタゴタでゲームの勝敗がうやむやになったのは言うまでもない。

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