扉の中のトリニティ
リエミ
扉の中のトリニティ
時計は、静かで凍りついたような空間に、大きく、振動を響かせていた。
午後一時。
窓のない部屋は、壁の時計と、白い電灯に照らされた三人の、小さな呼吸の音だけを、密やかに閉じ込めていた。
三人はそれぞれ、赤、白、黒のシンプルなワンピースに身を包み、狭い部屋の中央に置かれた、木でできた丸い机に、向き合って座っていた。
アイドルのような整った顔立ちに、セミロングの黒髪。三人は似たような白い顔に、何の表情も浮かべず、ただじっと、前だけを見つめている。
赤いワンピースの少女が、瞬きもせず、心の中でこう言った。
(もう一時。お腹すいちゃった……)
白いワンピースの少女も、身動きもせず、心の中でこう言った。
(アカは、本当に食いしん坊ね……)
黒いワンピースの少女は、静止したまま、心の中でこう言った。
(シロだって、昨日おかわりしてたじゃない……)
(だって、昨日のシチュー、とてもおいしかった……)
シロが心の中で言う。
三人は口には出さず、心で会話をすることができる。
サイキッカー。テレパシーを持つ、超能力者たちだった。
茶色い扉がノックされ、三人は扉へ、同時に顔だけを向けた。
扉が開いて、優しい顔のおばあさんが現れ、彼女たちに声をかけた。
「いらっしゃい、ご飯ができたわよ。さあ、手を洗ってね」
レースのカーテンが揺れる窓から、柔らかい風と、暖かい日差しが入り込む。
洗面所で手洗いをすませた三人は、お行儀よく食卓の席についた。
食卓の真ん中に、花瓶と花が飾られている。その下には、レース編みのクロスが敷かれ、可憐な雰囲気を演出している。
木の手すりの階段から、ゆっくりとした足取りで、おじいさんが下りてきた。
おじいさんは自分の研究が忙しいため、夜は遅く、朝も遅い。三人と顔を合わせるのは、いつも昼食時だった。
「おはよう、少女たち。今朝は、どんな調子かね?」
「別に、いつもと変わりません」
とアカが、口に出しておじいさんに言うと、クロもそのあとを続けて言った。
「そう。世界はまだ終わらないし」
おじいさんは目を細めて、ふっくらとした頬を上げ、明るく笑った。
「そうかい? そりゃ、よかった。ハハハ……」
「つまりね」
とシロが、おじいさんを見上げて言った。
「私たちがここにいる限り、世界は終わらないよ」
「私たちが終わらせるんだから」と、クロ。アカも、「いつでもできる」と言った。
おじいさんは席につき、相変わらず朗らかな顔を、少女たちに向けていた。
台所からおばあさんが来て、食事を机に運び終えると、全員は両手を合わせ、いただきますをし、それぞれ好きに食べ始めた。
(スープは甘い……)(カボチャのスープ)(パンはバターたっぷりめ)
少女たちは心で会話する。その声は三人だけにしか聞こえなかった。
(もっと欲しいな……)(ミルクを取ってよ)(分かった)
シロが透明の瓶に入ったミルクに、視線を寄せた。
ミルクは瓶と一緒に浮き上がり、クロのコップの上までくると、傾いて注がれた。それからまた、手も使わずに机に置かれた。
(ありがとう、シロ)(任せなさい)(見て、誰か来る!)
突然、アカが立ち上がって窓を見た。シロとクロも窓を見る。風が少女たちの髪をなびかせた。
「どうしたんじゃ? いや、もう着いたのかね」
おじいさんは、立ち上がったアカのそばに立つと、同じように外を見た。
背の高い青年が、白衣を風に膨らませながら、家までの道を歩いて来ていた。手に、大きなトランクをさげている。
青年は白い柵を片手で開けると、庭へ入った。地植えされていた、さまざまな花たちが、彼の通ったあとに揺れた。
おじいさんは玄関ドアを開け、「ようこそ、西宮くん」と言って、青年を招いた。
少女たちは階段の近くのすみっこに、逃げるようにして立った。それを見たおばあさんは、
「まあまあ、怖がることはないのよ。大丈夫。あの人は、助手の西宮さん。おじいさんと同じ、超能力を研究している人なのよ」
と、優しい声で説明してくれた。
「こっちへ来て、お座りなさいな」
おばあさんが手招いたが、三人は身を固くして玄関ドアを見つめていた。
「それじゃあ、定期船はついに、廃止になってしまったのかね?」
「ええ、そのようです。僕は本土のボートを借りて、一人で来ました。船舶免許を持っていたから、よかったものの……。教授、きっともう、この孤島では、生活してゆけないと思うのですが」
「うむ……。物資の調達も、食料のこともあるわけじゃしな……」
おじいさんは助手の西宮と、玄関で立ったまま話をしていたが、ふと振り返って、おばあさんを見た。おばあさんは三人の少女たちを、心配そうな目で見ている。「おお」と、おじいさんはひとこと言って、西宮の手を取り、食卓に連れてきて、椅子に座らせた。大きなトランクは、足もとに寝かせた。
「初めまして、西宮です。一週間ほど、お世話になります」
西宮は座ったまま、彼女たちにお辞儀した。
「アカ、シロ、クロのお嬢さん方。外の世界がどうなっているか、話を聞きたくありませんか?」
「部屋に帰りたいの」
アカがおばあさんに向かって言った。「私も」、「私も」と、シロとクロも、おばあさんを見つめて言った。
西宮は声には出さずに、少しだけ笑った。
おばあさんが頷くと、三人は素早く駆けて行った。茶色い扉を開けると、滑り込むようにして入り、大きな音を立てて閉めた。
冷えたような静寂がまた、彼女たち三人を包み込んだ。
(あの人の心を読んだ、アカ?)
(うん。外から来たって言ったでしょ。おじいさんやおばあさんたちとは違う。私たちとも)
(私たちが、ここへ集まる前にいた、表の世界の人間よ。汚い多くの大人と同じよ)
(やっぱり……。まだ世界は変わらないんだね。おじいさんも、もうこの島には住めないかもって思ってる。きっと私たちも、またあの世界に戻されちゃうんだ……)
彼女たちは彼女たちにしか分からない心の声で、長い間、話し合った。
椅子に座り、向き合って、きっちりと閉ざされた扉の中で。
(嫌よ、絶対に。もうあんな辛い思いはしたくないもの。優しい人でも、本心は別。私たちには分かるもの)
(確かめに行こう)
と、シロ。アカとクロは(……)と、何も反論しなかった。
(大丈夫よ、アカ、クロ。心配しないで。私に任せて)
おじいさんと西宮は、夕方になっても食卓の席にいた。
机の上にトランクが開かれ、中にはたくさんの錠剤や、瓶詰めされた薬品が、資料と一緒に収まっていた。
「彼女たちはまだ十代じゃが、お互いの存在を、生まれた時から感づいていたそうじゃ」
西宮はおじいさんの話に耳を傾け、でも目はずっと、茶色い扉のほうを見ていた。
「わしら夫婦の、この孤島の家を見つけてくれたのも、彼女たちのほうからじゃった。わしが超能力を研究していたのが、どこかできっと、分かったんじゃな」
「彼女たちは、なぜここに来たのですか?」
「超能力の存在を、教えるため……そして……」
西宮の問いかけに、おじいさんはうまく答えられなかったが、自分の考えを、そっと語った。
「異種に対する、偏見や……好奇の目から、逃れるために……。でなければ、こんな世界は終わらせる、と……」
終わらせる、と西宮は、おじいさんの言葉を繰り返した。
「彼女たちの能力を、この薬で消し去ることができるなら……彼女たち自身も、そういった迫害から、離れられると思うのですが」
西宮は茶色い扉から、おじいさんへと視線を移した。おじいさんは窓からの夕日に、少しだけ顔を赤らめて、こう声にした。
「最初はわしも、そのつもりで、西宮くんに来てもらったんじゃ。しかし彼女たちのほうは、それを望んでおるかのう?」
翌日の午後、時計が三時になった時、部屋の扉も、外から三回、ノックがされた。
三人が顔を向けると、おばあさんが微笑みながら、「おやつの時間よ」と、彼女たちを誘い出した。
食卓にはすでに西宮がいて、長い足を組んで、紅茶を飲んでいるところだった。アカとクロは、シロのほうに顔を向けた。シロは一度だけ頷くと、
「西宮さん。外の世界のお話、聞かせて」
と、西宮の隣の席に、腰を下ろした。西宮はカップを皿に置き、頬杖をつきながらシロを見た。
「喋らなくてもいい。そのことを考えてみて。私たちには分かるから」
アカとクロも席に座った。西宮は、少し照れたように笑いながら、片手で自分の両目を隠し、
「心を読むなんて、なんてデリカシーのないお嬢さん方だ」
と呟いてから、三人を交互に見つつ、話し始めた。
「いろんな人がいるよ。価値観も違う。だけど自分が正しいと、常に思い込んでるんだ。そしてこの世界を、自分の意のままに動かしたいと、いつも思っている。それだから、喧嘩が絶えないんだろうね……。考え方は違っても、他者を認めることができれば、共存してゆける世界になるんだ。もう少しだよ。きっと、平和な世の中がくるって……」
「思ってないでしょ?」
クロが口を挟んで言った。シロはクロを見て、クロはぱっと顔をそむけた。場を和ませようと、アカが明るい声で言う。
「あーあ、お腹すいたな。おやつまだかなー」
「ちょっと待ってねー」と、台所のほうから、おばあさんの声がした。「今、持って行きますからね」と。
「……半信半疑さ」、と西宮は小声で続けた。
「だからといって、世界を終わらせてもらっちゃ困る」
「偽りの世界なんていらない。みんなのためにも、ならないんだから」
クロは西宮のほうも見ずに、ぽつりと言った。
こんがり焼けたクッキーが、甘い匂いと一緒に食卓に運ばれた瞬間、アカはそれをつまみ上げて、口に運んだ。西宮が目だけを動かせて、アカを観察していた。隣で西宮を見ていたシロが、アカに「止まって」と言ったが、もう遅かった。
アカはクッキーを飲み込んでしまってから、自分が薬を飲まされたことを知った。西宮のアイデアで、クッキーに練り込まれた薬は、能力を封じる効果のものだったのだ。
「行って」とアカは、シロに言った。「もうおしまいだわ。あとは頼んだわよ、シロ」
シロは白いワンピースをはためかせ、外へ出た。庭の草花を蹴散らして、海へと続く浜へ来た。
ボートが波に揺れていた。シロがボートに乗って念を送ると、それは簡単に動き始めた。
「シロー!」と叫ぶ、おばあさんの声が、孤島の家から聞こえた気がした。
二人は狭い部屋の中で、椅子に座って、無表情のまま宙を見ていた。
クロがアカに、何か、心で話しかけようとしているみたいだったが、アカにはもう、感じ取ることができなかった。
クロは声に出して、アカに言った。
「シロは……私たちに、外の世界がどうなってるか、ちゃんと教えてくれるかな?」
「シロを信じてる」
アカは小さな声で言った。
あとは時計の音だけが、意味もなく響いているだけだった。
「帰りますね」
西宮は、玄関先まで見送りにきた老夫婦に、軽い会釈をしながら、お別れを言った。
今朝、本土に連絡をして、自分が帰るために、小さな船を出してもらっていた。操縦士が一人、西宮が来るのを、浜で待っている時間だ。
西宮はアカに使った薬以外は、使わなかった。シロの行方も分からなくなって、それ以上、少女たちを裏切ることはしたくない。西宮のトランクは、来た時とほぼ同じ重さを保っていた。
「私も一緒に行く」と、西宮の片手を掴んで、クロが言った。
「自分の目で確かめたいの。世界を……」
「……だそうです。教授、いいんですか?」
呆気にとられたような、ぽかんとした顔の西宮に聞かれて、おじいさんは、隣のおばあさんと目を見合わせ、
「クロがそう言うのなら、いいじゃろう」
と答えると、クロを静かな眼差しで見つめた。
アカはクロのすぐそばまで歩み寄り、囁くように小声で話した。
「連絡、待ってるから」「分かってる。シロも探す。三人で一緒に、見極めるの。この世界が、嘘偽りのない、正しいものであるのかを」「よろしくね、クロ。その時が来たら、私たち……」「そう、私たち、三人の力で……」「世界を……」「世界を……」
西宮とクロが行ってしまうと、アカは一人、部屋に入った。
たった一人しかいなくなってしまった、静かな部屋。こんなにもガランとしていただろうか。アカは何だか寂しくて、扉を閉めることはしなかった。
空いている二脚の椅子を、ぼんやりと眺めながら座っていると、おばあさんがやってきて、アカの手を取り、さすりながら温めてくれた。
食卓でアカはおばあさんと、食後のデザートを食べていた。今日はゼリー。透き通った、きれいな色の四角い形。
「まあ、風が強いわねえ。窓を閉めましょうか」
おばあさんは席を立って窓を閉め、よれたレースのカーテンを、手で優しく直し始めた。
……何か来る、とアカは感じた。食卓の花瓶を、じっと見つめた。すると次の瞬間、風もないはずなのに、花瓶は向こうがわへと倒れてしまった。まるで、アカの視線を受けたかのように。
アカは持っていたスプーンを机に放り出すと、急いで立ち上がり、玄関へ向かった。扉を、強い力で押し開く。風が鳴る。
アカを追って、おばあさんも庭へ出た。アカの黒髪が、吹きつける風に泳いでいた。
波音が聞こえる。(アカ……)、その波音の間から、懐かしいテレパシーの声がした。
(アカ……力が戻ったのね……)(聞こえてる、アカ……)
クロの声、それにシロの声もする。アカは心の奥から、熱いエネルギーが満ちてくるのを感じた。
おばあさんは、アカの体が揺れているのを、不思議に思った。見ると、アカの足先は、地面から少しだけ浮いていた。アカは、その場に浮遊していた。
「おじいさん、アカが、アカが……!」
玄関から叫ぶおばあさんの声を聞き、おじいさんも駆けつけた。
「その時が来たんじゃよ、おばあさんや」
おじいさんはおばあさんと手を繋ぎ、だんだんと浮き上がって行く、アカの姿を見守った。
アカは前を見つめながら、心の中でこう言った。
(今、行くわ……)と。
◆ E N D
扉の中のトリニティ リエミ @riemi
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