第3話 取り替え子
執事と、長年付き添っているであろう世話係の老女に伴われて幼い当主が退場した後、ホルターとライエンは二人だけ大広間に取り残されたのを良いことに歴代の先祖たちの肖像画を矯めつ眇めつして見て回った。どれも昔日の影を写しているに過ぎないのに、まるで衆人に環視されているかのような錯覚を覚える。
「殊勝、というより痛々しい感じだったな」
フレデリック少年は、己を襲う運命に対して健気にも立ち向かおうと懸命に背伸びをして振る舞っているのがひしひしと伝わり、面会した彼らの同情を誘った。
「大人の思惑の中で必死に自分の役割を果たそうとしてるのさ」
それでなければ自分の存在する場所がないと、本能で悟っているのだろう。
「両親という庇護者のない子どもとは、それだけ立場の危うい存在だ」
多分にフレデリックには同情するが、それで彼の置かれた運命が変わるわけではない。自分達にできるのは、状況を把握し、事態をより良く収拾するための手懸かりを掴むこと。それが、弱き幼子を助けることになる。
「……何を見てるんだ?」
熱心に絵を見比べて何かを読み取ろうとしているホルターに、少年への感傷から切り替えきれないライエンが尋ねると、ホルターは鑑賞者の視線でもって隣に立つ同僚に問いかけた。
「この絵は、何年前のものだろう?」
壁の横一面を締めるほどの大きな絵。真ん中の子どもに、藁の靴を履かせているのを、大人達が近くに遠くに取り囲んでいる。これは、この地方独特の藁の靴を五才の子に履かせる秋節の祭の一日を切り取った画面。幼子の両親と覚しき人々や、世話をする召使い、幼子の子守だろうか。遊び相手の少し年上そうな少年に、遠目に見守る青年は、幼子の従兄弟かもしれない。肖像画が並ぶ中にあって、その絵は人々の息づかいや生活までも見えてくるようで異彩を放っていた。
「収穫祭の麦藁の靴を履かせる祭の絵か。真ん中の子どもは、もしかしてフレデリックの父親かもな。髪の色が同じだ」
言われてみれば、何となく鼻の形や顎の線にも似通った面影がある。
「じゃあ、三十〜四十年前くらいかな」
「そうだろうな。婦人の服の裾が膨らんで広がっているのは、三十年前の雰囲気だ」
子どもを見守る夫妻の、奥方の服装を見てライエンが推察する。ライエンは書物にはあまり興味を示さないが、芸術方面には滅法強く、好奇心が人を作るというのは彼らのためにあるような言葉だった。
「婦人の服の流行で年代がわかるのか?」
「流行ってのは年で移り変わるものだ。女性だけに限らず、当主の靴の甲に付いた飾りが大きな金具だったのも。今はこんなにゴテゴテした飾りは付けない。あと、ここに居る少年が腰に差している短剣の柄に、三つ並びに宝石を埋めるのもそうだな」
短いマントを纏った少年は、これから狩りに出掛けるところなのか、軽装の左脇に刺した短剣に手を置いて、今にも室外へと出て行こうとしている。その少年の視線の先には侍女達に囲まれた男児が得意げに顔を上げ、胸を張っている。その奥に寄り添う夫婦は仲睦まじい様子で我が子のあどけない仕種を見守っていた。
「これは、面白い絵だな。まるで歴史の一場面のようにそれぞれの人物達の肖像画を一枚の中に描き込んでいる。他の肖像画が中心にいる一人の人物の情報しか残さないのに比べて、これはその時の雰囲気までも見て取れるようじゃないか」
最も大きく手の込んだ作品は、画家の意気込みと野心と、そしてそれに見合うだけのこの家の当時の繁栄ぶりを表していた。
「この絵は、当時人気だった画家を態々呼び寄せて描かせているらしい。見ろ、ここにルドヴィーゼと署名がある。他もそうだが、僧院や城にでもありそうな画家の手による肖像画ばかりのようだ。この家がどれ程の財力と権力を握って続いてきたかがわかるな」
「執事殿が必死にもなるわけか」
居並ぶ肖像画の数々に、見惚れるでもなく感嘆するでもなくただ情報を読み込むように、ホルターは壁の前を言ったり来たりする。
芸術鑑賞にしては異質な態度に、ライエンがその真意を問い質す。
「何を見てる?」
声を掛けられて、ホルターが振り返りざま複雑な面持ちでライエンに助言を求めた。
「早死にの家系なのか?」
「は?」
不意な質問に、それを自分が知るわけがないとライエンが首を横に振る。
「子どもの肖像画が多い。こういうのは、大抵大人になってから描かれる物だろう?」
「そうとも限らないんじゃないか? 機会にもよるだろう」
レイベの町は栄えているといっても大都市から離れた森の中の辺境であり、遠くから招聘する画家の滞在中に、その人物が何歳になっているかはまちまちだ。当主の肖像画と共に、その子どもの姿も残しておきたいと思うのは親心というもの。
「ああ、だから、子どもの姿と成人してからの姿がいくつかあるのか」
まるで対のように、絵の中の人物が成人して大人の姿になったものが隣り合うようにして掛けられているのに、ライエンの説明に得心したホルターが頷いた。フレデリックの父親と覚しき子どもの描かれた大きな絵と、部屋の一番奥にある栗毛色の髭を生やした男性の肖像画とは、年齢は違っても面差しは同じ人物のそれだった。
「まあ、街中の大金持ちは気に入った絵師を抱え込んで金に飽かせていくつも好きなように描かせる者も居るだろうけど、この土地ではそうもいかないだろう?」
材木を生業としているリットー家は、その性質上広大な森林に囲まれた土地に家を持ち、そこに働く者たちとの共同体のような町を形成して暮らしている。森に埋もれるようにして在るということは、木々の合間に暮らすということ。須く、それは辺鄙な場所になるということだ。
「でも、確かに言われてみればやはり子どもの姿の物が圧倒的に多いな」
部屋中の肖像画を仰ぎ見て、その幼い姿を数えたライエンが視線を落としたのとほぼ同時に、背後で不意に声があった。
「それは、まじない、のようなものでございます」
「というと?」
何時の間に戻って来たのか、執事が背後から二人に声を掛け、驚いたライエンが飛び上がり、それを横目に向き直ったホルターが執事に先を促した。
「この地は他の土地と比べまして、山々に囲まれているお陰か、雨が多ございます。その為に木々の生長も早く、多くの材木に恵まれそれを商っておりますが、そちらの御方が仰られたようにその土地故の病にも度々苦しめられております。それ故に、成人することなく亡くなられる方も多く、いつからか、幼少期の姿を絵に留めておけば不思議と病に見舞われることが少なく、またもし不幸にして亡くなられたとしても、偲ぶお姿を遺すことが出来るようにと描かれたのでございます」
「予め遺影を準備しているみたいだな」
ポツリと呟くライエンの横顔は、黄昏時の光に照らされて普段より幾分沈んで見えた。
「仰る通りではありますが、我々は女神の御許にいつ何時召されるかしれない身。この世に生きた我が子の証を遺したいと思うのは切なる親心かと」
「そんな証を遺すなど考えることすらない人々も、居るのでしょうけどね」
「?」
薄闇に溶かすように落ちたその言葉は、隣に居たホルターの耳には届いたが、執事には聞こえなかったようだった。
「では、お部屋にご案内いたします」
切り上げの言葉を口にして、執事が長居は無用と促す。二人は絢爛たる肖像画の掛かる部屋を、名残を惜しむように見渡し、ホルターが事のついでと雑談を続ける。
「この土地では赤茶色の髪が多いように見受けられましたが」
「はい、元は大昔にこの地に移り住んできた祖先を同じくする子孫同士で、森深い土地柄か、あまり他の土地とは交わらずに来ました。近年では大きな町との取引も御座いますし、人の行き来は昔よりは多くなりましたが、この町では赤茶色の髪の者が多いのが特色です」
明かりの灯された廊下を宛がわれた客室に帰る道すがら、ホルターは口の重い執事に話を振る。
「そうですか。それで、先程新しい御当主の横に居た女人ですが」
「あの者は乳母でございます。フレデリック様がお生まれになった頃からずっとお世話を」
「すると、彼女は唯一の生き証人ということですね」
証人、という言葉に先を行く執事の肩が僅かに揺れたのを二人は見逃さなかった。振り向いた執事の顔には、既に何も残っては居なかったけれども。
「……何のでございましょう?」
「フレデリック殿が正妻の子であるかどうかという身の証を立てる為の、ですよ」
「そのような物が必要でしょうか」
執事の、本気ともとれないような鈍さで問い返す様子に、察しが悪いとホルターが続ける。
「我々が塔から派遣されてきているという事をお忘れのようですが、詳細に記録し報告をする義務があります。こちらも威信をかけて祝福を授けるのです、間違っていたでは済まされませんので。それに、人を納得させるにはそれなりの根拠というか、物語が必要だと思いますが」
女神の祝福という強力な切り札も、捏ち上げでは免罪符とは成り得ない。真実の欠片もないような洞話では、後々に禍根を残さないとも限らない。その事を、理解もしないような執事ではないはずだ。老獪な鳶色の瞳を捉えながら、ホルターが退かない強さで言い切ると、折れた執事が一歩下がる。
「あの者の証言が必要ならば後で来させましょう」
迷路のような屋敷内を歩き、いつの間にか用意された寝台のある客室に着いていた。入り口の扉を開けて促す執事に従って、二人は室内へと入る。
「よろしくお願いします。それから、フレデリックに祝福を授けるとして、それはいつ公にするおつもりですか」
踵を返して問うホルターに、執事は待っていたかのように答えた。
「明日。不本意ながら、流行病の収拾にかまけて御当主夫妻の葬儀もまだ執り行われておりません。宜しければ、明日の葬儀の後、新しい当主の誕生を公表したいと存じます。病が去ったとはいえ、病魔の暗く黒い雲に覆われたこの地では、明るい報せが必要ですから」
成る程と頷いたライエンが、明るく返す。
「わかりました。もしも長かそれに準じた者が到着しない場合は、我々でなんとかしましょう」
急な要請だが、葬儀は彼らの本質に繋がる領分だ。拒む理由は無い。
「ありがとう存じます」
重い扉が閉じられ、満面の愛想笑いで執事を送り出したライエンが振り返ると、厳しい顔のホルターが睨んでいた。
「……なんとか? 出来るのか?」
「え、出来ないのか? 俺はてっきり」
「私が出来ると思っていたのか? 嫌に安請け合いするとは思っていたんだ」
葬儀となれば、それなりの準備と段取りが必要だ。自分達の身分相応の正装は一応持ってきてはいるが、必要なのはそれだけではない。執り行う本人が、葬儀の手順を把握しておかなければ、始めたは良いが終わらせることも出来ない。立場の在る者の大掛かりな葬儀ともなれば、相応しい規模という物があるのだ。
「どうしよう?」
慌てふためくライエンに、ホルターは既に腹を括ったのか一瞥をくれるだけだった。
「どうもこうも……どうにかするしかない。結局、派遣されたのは我々二人だけなのだ。長や副院長がもしも遅れて到着するくらいなら、同時に出発している。それに、執事はああ言ったが、病が本当に終息しているかどうかは今の段階では確かではないしな。そんな危うい土地に、年寄りの長をお連れすることなど出来ないだろうさ」
確かに、病の終息は新たな患者が発生しない時にこそ宣言出来るのだ。次第に病の便りを身近に聞かなくなり、ふと気付いた時にそういえばという風な具合に。それには長い時間が必要だ。それに、リットー家のあの老獪な執事が後から後から情報を小出しにするやり方が危ぶまれるからこそ、軽々に立場のある人が動くべきで無いという判断なのだ。
「結局、早く終わらせて帰るに限る。長居しても、危険は増すばかりだからな。それに、塔が依頼を受けた事に対して、出来ませんじゃ通らない。我々に選択の余地はないのさ。しかし、何やら御用聞きになったようなで気に食わないな」
得意先の我が侭につき合わされて、望むままに御用を聞くなど、本来の塔の立場なら有り得ない話だ。
「我々の様な若輩は言われ易いってのは、まああるだろうな。じゃあついでにもう一つ聞くが、執事に聞いてた、さっきの髪の色が云々ってのは重要なのか?」
「さあ? 気になったから訊いただけだ。特色があるものには理由があるだろうと思ったのさ。茫洋としたものを把握するには、先ずは分類分けが基本だろう」
基本、という言葉にこれだから学者はいけ好かないんだとライエンが口を尖らせる。
「へぇ、そうか。だが問題は明日だな」
まるで聞き飽きたかのように肩を竦めてやり過ごし、それよりも気の重い明日の葬儀へと思い遣る。儀式自体を経験したことが無い訳ではない。ただ、末端の一人として列に並ぶのと、その先頭に立って式をするのとでは訳が違う。さてこれは困ったことになったと記憶を復習おうとしたその時、扉を叩く音がして初老の女が現れた。先程フレデリックに寄り添うようにして立っていたあの女人である。豊かとは言えない白髪交じりの髪を纏め、目は大きく落ち窪み、長年の苦労か背は年の割には丸いようだった。白い前掛けの下には床に揃びくほど長いスカートを履き、それが足に纏わり付いて僅かに足取りが覚束ない。
「お食事を、お持ちしました」
取っ手の付いた大きな盆を提げ持ち、部屋の中へと進んで中央にあるテーブルに置く。一見して老婆と思ったが、声を聞く限りは実際は見た目よりは若いのかも知れない。盆の取っ手を持つ手は節の目立つ働き者の手をしている。
「お話がおありだそうですが」
二人に向き直り、下げた両手を前替えの辺りで組み揃えた。
「そうなんだ。君はフレデリック殿の乳母だそうだね」
「はい。生まれた時からお世話をしてまいりました」
「ずっと?」
ホルターが訊いたことにも、彼女は力強く頷いた。
「はい、ずっとで御座います」
生まれた時から片時も離れていないと、女は請け合う。
「執事殿のお話では、庶子として生まれたフレデリック殿は実は嫡子だというのだが」
鋭い斬り込みで相手の出方を窺う。だが、女の深く皺の刻まれた相貌は崩れることが無く、様子を窺うホルターの言葉にも動揺は見られない。
「そうなると、どこかで生まれたばかりの子を取り替えたという事になるのだ」
生まれた時から側に居るという者が、いくら赤子だからといってすり替えられた事に気付かないはずはない。故に、執事の主張は有り得ないだろうというホルターに、乳母からは真逆の答えが返ってきた。
「はい。私がお連れしましたので」
拍子抜けするほど簡潔に、乳母は顔を上げて少し誇らしげに言った。
「今、何と?」
「ですから、私がお取り替えしたのです。私がお側に居るようにと、最初に言い出したのは執事のスルツでした。奥方様は大変気性の激しい方で、旦那様には他にもお子様がいらっしゃるのをご存じでした。同じ頃にお生まれになった事も。それで、私にお命じになったのです。赤子を取り替えてくるようにと。理由などわかりません。一度言い出したらお聞き入れにならないのです。理屈に適わないなど、奥方様には知ったことではないのです。それで、私が付き添ってフレデリック様をもう一人の奥方様の元へとお連れし、そのまま私はお二人の傍に残りました。スルツが密かに生活の援助はするというので、その条件で。もう一人の奥方様、フェデリカ様は可愛らしくお優しい方で、旦那様が惹かれるのも納得出来ました。質素ではありましたが、慎ましくとも穏やかに過ごすことが出来ました。ほんの数日前までは」
平穏な日々が破られた事への不満をそう述べると、乳母は他に質問はあるかと二人を交互に見比べた。
「スルツというのは?」
「当家の執事で御座います。お二人をお連れした」
今更の質問に女は怪訝な顔をしたが、ライエンは口笛でも吹きそうな顔でホルターの肘を小突いただけだった。
「迷いは無かったですか? つまり、子どもを取り替えることについて」
「いいえ。奥方様……、エルダ様は一度言ったらお引きにならない、ご気性の激しい方でした。言われたようにするしか、お二人ともが生き延びる方法がなかったのです。迷う暇など、ありませんでした。ですがむしろ良かったと思っています。お屋敷を離れて町外れの森の一軒家で暮らしていたために、今回の流行病からは免れたのですから」
「奥方様はこの町の人だったのですか?」
「いいえ。遠くの、大きな街からいらっしゃったのです。国は違いますが、王家の御親戚筋であるのがご自慢で」
「どんな感じの方でしたか? 性格とか、身なりとか」
「お世辞にも良い方とは言えませんでした。都会育ちなのを鼻に掛けて、町の人達を見下しておいででした。髪もお召し物も、流行りの物に身を包んでお過ごしで。都会から仕立屋をお呼びになり、髪も都会風に染めて高く結い上げていらっしゃいました。夜会など、この町では滅多に開かれませんでしたのに」
「それはそれは、散財なさったことでしょうな」
思いやり深く間髪を入れぬ相槌に、乳母は控え目ながら小さく頷いた。
「幸いにも、先々代の大旦那様がご商売を手広くなさったお陰でお屋敷は安泰でした。その上、ご自分が嫁いできたことで高貴な方々との繋がりが出来、商売が広がったのだと事ごとに仰いましたので。旦那様も、奥方様の我が侭には目を瞑っておいででした」
「ははぁ、成る程。お姫様を身内に戴くのも色々とご苦労がおありなんですね」
ライエンの茶化しにはっと我に返ったのか、女は皺に囲まれた口をはたと噤んだ。
「喋りすぎました。亡くなった方を悪く言うものではございませんのに。……もう下がっても宜しゅう御座いますでしょうか」
承諾が無くとも下がるつもりの乳母は、扉の取っ手に手をかけながら、自分を見下ろす背の高い二人の顔を交互に見遣った。
「良いですよ。では、最後に。フレデリック殿は生まれた頃は赤茶の髪でしたか?」
「いいえ。髪はお生まれになった時から枯れ草色です」
「どうも」
一見すれば優男とも言える表情の乏しい白い顔に、薄く笑みをのせたホルターの短い礼の切り上げで、乳母との面談はそんなふうにして終わった。
「執事殿には我々を歓待する気持ちはないらしい」
盆の上の夕餉を一瞥し、ライエンは皿に置かれた橙色の柑橘を手にとって、玩具のように放り上げる。その球体が過たず元の手中に収まるのを見届けながら、ホルターは夕餉の膳を並べる。
「それでも、塔の食事よりは随分豪華だ。主菜が羊肉の薄いスープじゃない」
硬いパン三きれと羊の香草焼きに付け合わせの野菜、鳥と玉ねぎのスープに果物。塔での質素な夕食と比べれば二品多い。しかも清貧を良しとする塔でならば、スープは塩漬け肉の薄い味と野菜くずだ。だが、ライエンは期待外れの不満をグズグズと言い立てた。
「こういう家なら、夕飯は一堂に会して晩餐会だろう。おあつらえ向きに客人もいるんだから」
淡々と、食卓の席に着けた感謝の祈りを捧げてパンを手にしたホルターが、御託を並べる同僚に冷静に対する。
「客人? 我々では歓待を受けるには到底及ばないと思うが」
塔の長や次席なら兎も角、若造二人に歓迎の席を用意するのは有り得ない。喩え彼らが塔から派遣されてきた者だとしても。だが、ライエンの関心は豪華な食事以外にもあるようだった。
「だって、見たいと思わないのか? 葬式前の、親戚同士の醜い骨肉の争いを」
「争うと決まってるわけじゃないだろう」
「決まってるんだよ、この町丸ごとを動かすような財力だぞ。一声で人の幸不幸が決まる、そんな権力、握りたいと思わない方がおかしい。或いは、湯水のように金を使ってみたい、そんな誘惑に翻弄される人間達を見てみたいじゃないか」
まるで目の前でつかみ合い殴り合う修羅場が展開されているかのように目を輝かす同僚に、ホルターは冷ややかに言い放つ。
「悪趣味だな」
「他人事だからそう言えるが、目の前にぶら下げられたら迷いが出る、それが人間の性だ」
「……まるで説法を聞いているようだな、エリ・ライエン」
「考察と言ってくれ」
「何でも良いが、明日の朝は早い。早く食べて寝た方が良いぞ」
ライエンは諦めきれぬ様子で、豪華な食堂で今正に繰り広げられているであろう骨肉の争いを想像しながら、ホルターの向かいの席に着いた。
「しかし、憐れなものだな」
食後の焼き菓子を真っ先につまみながら、ライエンは感慨深そうに呟いた。
「食事は並以上だが?」
「違う。フレデリックさ」
「?」
我々よりは豪勢な夕食を食べているだろうし、これからもそれがずっと続く資産家の家に生まれた子どもの、どこが憐れまれる境遇なのかわからずにホルターは相槌を打つのを躊躇った。
「大人達の思惑に振り回されて、日陰の身で育ってきたのに、本家が危うくなった途端に下にも置かない扱いだろ? そう簡単に切り替えられるものだろうか。あの年端もいかない子どもが」
「子どもってのは、案外しぶといものさ。馴染む力は大人よりも高いしな」
突き放した冷たい言い様に、ライエンが反論する。
「必死なだけだろう。生きていくためには、どんな状況でも慣れるしかない」
「嫌に同情的だな」
「我々だって、似たような境遇だっただろ」
塔に入って女神の僕として生きていくということは、それぞれ事情があるにしろ、皆肉親との縁が薄く、天涯孤独な身の上ということ。両親を亡くし、頼るべき大人も居ないフレデリックについ肩入れした見方をしてしまうのも、無理からぬ事だった。
「それでも、眠る家があるだけマシだろう」
「そうだけど、さ。今まで母親だと思っていた人が親じゃ無いと言われて、はいそうですかと切り替えられるものかな?」
「嫌も何も、選択肢は無い。今は執事殿に従うしか無いのさ。それに、彼らは別にフレデリックを粗略に、扱うことはないだろう。なんといっても、唯一の跡取りだからな」
「だが、ーー」
「憐れな子に同情するのも良いが、大変なのは我々だぞ」
「?」
「フレデリックの年齢からいけば、先代の父親は割と若くして亡くなった事になる」
「そうだな」
話の要点が見えず、ライエンはただ頷いて先を促す。
「つまり、先々代の葬儀から近く、人々の記憶に新しいという事になる。と、いうことは、アラもよく見えるということだ。この町の代表者ともなれば、大勢の参列が見込まれるだろう」
それを二人だけで切り回すのだ。それなりの道具なり衣装なりがあれば見栄えがするだろうが、ほぼ手ぶらでやって来た彼らの軽装ではそうした虚仮威しも期待できない。
「恐ろしいな」
荘厳な儀式を期待して集まる民衆の前に立つ自分達の姿を想像して、ライエンは身震いした。
藁のくつ 天音メグル @amanerice
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