第2話 森の中の館

 ルカーレ川の辺、川から水揚げされた夥しい数の丸木が整然と積み上げ並べられた広い河川敷を見下ろしながら土手を四頭立ての黒い馬車が行く。作業を終えて家路に就く職人達の脇を通り過ぎ、大きくカーブした土手を下りた馬車は、前方に踞るようにしてある森を目指して進んだ。屋根の低い石造りの家々の立ち並ぶ街中を過ぎ、木々が増え家が尽きた所で白木で出来た門柱が並ぶ門を潜る。深い森の中の一本道へと馬車は進む。暫く駈けたところで、広い馬車停めのある前庭の奥に、目指す館は座していた。白い漆喰に黒い木材が縁取る四階建ての印象的な建物。昼でもなお暗い鬱蒼とした針葉樹の森に踞るようにして、その大きな館はあった。

 居並ぶ使用人達に迎えられ、彼らは古めかしい館内へと案内された。木と漆喰で装飾された内装は、流石材木で財を成したリットー家に相応しく、橡色の防腐剤を塗られた柱はどれも太く頑丈そうで、石と煉瓦で出来ている塔の内装とも大きく違っていた。階段の手すり下に施された装飾の彫刻も、廊下に並ぶ柱と天井の間にも、草木を題材に施された装飾も贅の凝らされた豪華なものだった。

「どういうことだ?」

「……」

 宿泊用の部屋だと通された個室で、他に人が居ない事を幸いとライエンが伸び伸びと寝台に体を投げ出した。その様を横目に、ホルターが戸棚に荷物を仕舞い、部屋の調度を見渡した。

「何を考えてる?」

 仰向けだった体を横に捻り、手枕で自らの頭を支えながら唸っているライエンを見るともなしに一瞥をくれ、テーブルに置いてある水差しから水を注ぐ。

「誰が」

「あの執事だよ。先代の子どもを当主として座らせる、簡単な話じゃないか。それを、どうして態々話を難しくするんだ」

「さあね」

 木枠の窓の外は樅の木の枝が風に揉まれてざわざわと揺らめき、暗い室内に緑の影を落とす。背の高い針葉樹の森の中は陽の光が届きづらいのか、日没までにはもう少し間があるはずだが、室内は薄闇に満たされていた。ホルターはグラスを口に運びながら、湯冷ましの水を口に含んだ。無言の同僚には構わず、ライエンは考えを垂れ流すように喋り続ける。

「先代には他に子どもが居ないんだろ? だったら、その子が家を継ぐのに問題は無いはずだ。リットー家が相当でかいって事はこの館を見ればわかったよ。必然的に大金が動いてるのもさ。この部屋に案内されるまでに会った使用人の数も、半端じゃない。これを維持するのは並大抵の財力じゃ無いんだろうさ。けどな、言ってしまえば町人の商家じゃないか。いくら金持ちとはいえ、国じゃない。塔から長を呼んでまで大仰にする事は無いんじゃ無いか?」

 ライエンの考察を耳にしながら、ホルターが火の入れられていない暖炉の飾り棚から紙縒りを一本取り上げ、部屋の真ん中にあるガラス製の燈火から種火を取り、部屋の入り口と枕元、窓際へとランプに火を分けて灯していく。その優雅な所作はまるで手品でも見ているかのように幻想的で、丸い光が灯される度に、ホルターの白い額が黄昏時の部屋に浮かび上がり、磨かれた真鍮のような縁取りのある黄金色の髪が薄闇の中に照らし出された。

「何か、理由があるんだろう。……はず、というのは確定ではないからな」

 役目の終わった火種をテーブルの上の皿に置き、燃え尽きてしまう様を見届ける。その消え入る炎を入れ替わるように部屋のそこかしこで灯された明かりが大きくなり部屋全体が明るく照らし出された。

「何か不安要素が?」

 窓辺に寄り、窓の外の様子を確かめるホルターに、ライエンが問いかけた。

「あるんじゃないのか? だから、急いで塔に駆け込んだんだろう」

 塔の長にお出ましを依頼しておきながら、明らかに若輩である彼らの同行で手を打ったのには、慌てて足元を固めなければならない理由があったと考えるのが妥当だろう。

「盤石じゃないってことか。それはやはり正妻の子ではないから?」

「まあ、あるとすれば。そこだろうな」

「くだらない」

 天井を睨みながら、ライエンが馬鹿馬鹿しいと斬り捨てた。

「君がそう思っても、実際に家長を戴くのはその一族と使用人達さ。金と権力の積み上がった砂山を、掠め取ろうとする輩に一分の隙も与えたくないと思うのが、執事殿の立場だろう」

「そういう輩がいるのか?」

「居るから、あの執事殿は万全を期すために塔の力添えを欲したんじゃないか? 先々を考えない方々の存在というのが、それだろう。歴史物語にあるように、国にしろ家にしろ、御世継ぎ問題は難しい。国の存亡も家の盛衰も、どちらも等しく富の継承ほど難しいものはないのさ。能力を推し量るには歳月がかかる。誰の異議も寄せ付けない、ぐうの音もでない正当な理由の第一は、血縁だからな。その血の正当性というものは、我々部外者が思うより重要なんだろう」

 そう冷静に説明すれば、ライエンは何が気に食わないのか食い下がる。

「しかし、だったらば先代の子どもであるという事だけで充分なはずだ。それを、正妻の子として証明しろとは、どういう了見だろうな」

「止めろ。執事の思惑など知ったことか。我々は与えられた仕事をこなすだけ。君が何を疑問に思っていても構わない。だが、何でもかんでも私に訊くな。我々は同じ条件で、初めて招かれた客だ。真相など知る由もない。私は尋ねれば答えが出てくる、便利な箱ではないぞ」

「フフン。それがあながちそうとも言い切れないから訊いているんだけどな」

「?」

 怪訝そうに見返してくるホルターに、ライエンは額を隠す豊かな巻き髪の前髪を掻き上げもせずにニヤリと笑った。

「僕は感心してるんだよ。問えばどんな問いにでも必ず何らかの答えが返ってくる。それも、こちらが『ははぁ、なる程』と膝を打ちたくなるような答えがだ。普段、自分からは喋りもしないのに、よくもまあそれだけ溜め込んでいたなと思うような情報を織り交ぜてさ。日頃からの修練は伊達じゃ無いな、と」

「褒められている気がしない」

 テーブルの下に収まっていた椅子を出し、向きを寝具の方へ向け変えて腰掛けたホルターが、その切れ長の目を不服そうに細め、灰色の瞳を鋭くする。

「まあ気にするな。喝采を送られても嬉しくはないだろう? だが、知は役立ててこそ意味があるとは、長がよく口にする金言だ。今回もその実行と行こうじゃないか。それに、当事者だからといって、必ずしも物がよく見えているわけではない。いくら長年執事としてこの家に仕え、隅から隅まで知り尽くしていたとしても、今回の問題を自力で解決する力が無いのと同じに」

「あの執事が我々を招いた事にこそ意味があると?」

 ライエンは寝そべっていた体を起こし、寝台の上に胡座を掻く。

「俺はそこが重要なんじゃないかと思うね。外の力を引き入れたのには訳がある。俺達に何かして欲しい事があるんだろうさ」

 明かりを照らし返して鳶色の瞳が明るく光る。それは好奇心に彩られていて、聖職者にあるまじき俗っぽい期待に満ちていたが、それを咎めるのは今更である。

「ふん。正妻の子である証明、か」

 考え込むホルターに、ライエンは執事の申し入れが当初と違ってきていることが不審だと指摘する。

「権威の足り無さは、他の絶大なる権威で上書きするのが一番だからな。塔に依頼してきたのは家督相続の手続きのようなものだろう? そして女神の祝福は、何にも優る権威だ」

 ライエンは執事の腹の内を憶測し、腕を組むホルターが唸る。

「まあ、有り体に言えば」

 明日、一族の前で次代の当主はこの者であると女神の祝福を授けるのが二人の仕事であって、祝福される者の氏素性の詮索などは、彼らには関わりないはずだった。

「なら、なぜこの期に及んでもう一つ条件を増やしたんだ?」

「それはやはり擁立するその子どもに、何かしらの問題が」

「例えば?」

 促されて、ホルターが可能性に過ぎないと前置きして類推する。

「なんと言っても、年齢的な不十分さは拭えないだろうな。いくら執事が取り仕切るといっても、家督を相続すれば全てが自動的に進むわけじゃ無い。材木を扱うなら、周辺の王侯とも取引があるはずだ。海千山千の商人達とも渡り合って行かねばならない当主に、いくら利発だといっても九才の子どもでは荷が重い」

「他には?」

 まだあるだろうと、先を促されて、ホルターは不確かな情報を口にするのを躊躇いながら渋々続ける。

「……貴族では無いとはいえ、この地方が産する唯一と言っていい材木を取り扱い、尚且つこの地の殆どを占める程に広大な森を管理する家だけに、そこに住む者たちのまとめ役、有り体に言えば領主としての役割も担っているリットー家だ。住民達が納得する形での継承でなければ、不満というか、不安が常につきまとうのは必至で、この先の安泰は簡単には望めないだろうな」

「九才の子どもにはやはり重い責任だな」

「せめて十五才になっていればな」

 せめて成人間近であれば、後見人に苦慮することもなく自分の存在だけで継ぐことだけは誰にも口を挟まれずに済んだはずだ。

「分家筋とはいえ、すぐにも立派に働けそうな候補者を退けてまで執事殿はどうして彼に継がせたいんだろうな」

「それは……」

 ホルターが答えを口にする前に、入り口の扉を叩く音がして件の執事が現れた。

「お客様方、こちらへ。フレデリック様がお会いになられます」

「さて。仕事だな」

 意味深長に呟いて、ホルターに先んじてライエンが執事の促しに応じて部屋を後にした。

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