ストレス発散にトラッシュバルを始めた結果

 高校生活になかなかなじめない僕は、帰り道に胃がキリキリと痛むのを感じていた。

 入学式からぼっち生活が始まってはや3カ月。早くも限界を覚え始めたころだった。

 ある日僕は、気を紛らわそうとして、あえて自宅マンションまでのルートを遠回りしていた。


 二車線分の幅がある道の右側に、不思議な看板をぶら下げたプレハブがあった。

「トラッシュバル会場」

 一体何をしているところなんだ。見たところ、入口はそこらのプレハブと変わらない。建物の両側は、敷地のそれぞれ端までスチールの仕切りがそびえている。


 しかし僕は「トラッシュバル」という聞き慣れない言葉が気になった。吸い寄せられるように、建物に入った。

 とにかく何かきっかけがほしいという潜在意識が、僕に働きかけたのかもしれない。「トラッシュバル」に触れれば、こんなぼっち生活ででも何かが変わるかもしれないと誰かが訴えているような気がしたんだ。


 僕は引き戸をノックする。

「すみません。トラッシュバルって何ですか?」

「中に入ってみればわかりますよ」

 どこにでもいるような青年の声は、不可思議な言葉を語りかけた。外開きのドアに一瞬驚きながらも、僕はメガネをかけ、紺色の半袖のポロシャツを着た青年の出迎えを受けた。


「ようこそ、トラッシュバル会場へ。まずは受付へどうぞ」

 紺色のポロシャツの青年は、奥へ手を差し向けつつ、僕を案内した。お言葉に甘えて靴を脱ぎ、長机にポツンと座った女性の方へ向かう。

「こちらにお名前をどうぞ」

 言われるがまま来客者リストに「中川亮介」と書いた。それが僕の名前だからだ。


「お客様は何かストレスがたまっているのですか?」

「はい、高校に入学してはや3カ月なんですけど、いつまでたってもぼっちで、なじめなくて、こんなはずじゃないと思っていたら、時々胃がキリキリするくらいで」

「分かりました。でも、この奥に入れば、ストレス発散し放題ですよ」


 彼女が差し向けた手の先は、プレハブの裏出口だった。扉の窓の向こうには、無造作にコンテナが一台横たわっている。

「そこのコンテナを過ぎたところから、戦場ですので」

 受付の女性が、不敵とも思える笑みを見せた。


 出口で黒いTシャツの中年男性が、僕に青い水鉄砲を差し出す。

「こちらをどうぞ」

 僕は言われるままに、水鉄砲を受け取った。

「それでは、遠慮なく撃っちゃってください。心の底から、頭を空っぽにして楽しめば大丈夫ですよ」

 中年男性が屈託のない笑みで僕を送り出す。


 外に出ると、建物と平行に横たわっていた青コンテナへ、水鉄砲を試し打ちしてみる。中からはオレンジジュースのような、甘い色合いの液体が飛び出してきた。何気なくかいでみると、生ゴミのような異臭が漂っていた。消費期限どれだけ過ぎているんだって感じだ。


 出口から中年男性が出てきて、拡声器で向こうに呼びかける。

「乱入者一名。乱入者一名。容赦なく撃っちゃって結構です!」

 すでに対戦を始めていたと思われる人たちの戦闘感情を煽っているようだった。僕は得体の知れないプレッシャーを感じながら、中年男性の微笑みによる圧力にも押され、早足で戦場に乗り出す。


 コンテナを過ぎると、少し離れて斜めを向く形で、黒い二台目があった。それを目の前にしていると、早速反対側で、泥やら紙パックやらが投げつけられるような衝撃音がする。地面に目を向けると、すでに食べつくされたリンゴやきれいにさばかれた焼き魚の骨、ペットボトルやらが散乱していた。

 間違いない。トラッシュバルとは、ゴミのぶつけ合いだ。


 意を決してコンテナから身を乗り出すと、向こうにいたドラム缶から、僕と同じ高校生ぐらいで、前髪が整った少年が飛び出してきた。彼はいきなり、半分に割れた生卵の殻を投げつけてきた。僕の腹にきれいにめり込む。腹が立った勢いで、その顔面を腐ったジュースで撃ち、ひるませた。


「うげえええええ、くっせえええええ!」

 少年はあまりの臭さに悶え、一瞬で戦闘を喪失した。

 いきなり相手を撃退したことで、僕はすっかり「俺TUEEEE!」な勇者みたいな気分になった。


「行くぞ~、他の相手はどこだ!」

 僕はコンテナとドラム缶が適所に散らばったフィールドで、日ごろの不満をぶつける相手を探し求めた。


 別方向のコンテナの陰から、黄色いTシャツの青年が飛び出し、両手に持ったパーティースプレーを同時に乱れ撃つ。僕は負けじとオレンジジュースを放つ。無我夢中で目の前の相手を潰すことに執心した僕は、パーティースプレーに汚れることもいとわず、相手を腐ったオレンジに染めていく。


「くっせ!」

 黄色いTシャツの青年がちょっと悶えた隙に、僕はそいつの耳の穴に腐ったジュースを打ち込んでやった。

「ふぎゃあああああっ、耳が聞こえなくなる!」

 青年が耳を押さえながら、脱兎のごとく退却していく。静かになったフィールドで僕は嬉しさのあまり、満を持して吠えた。


「我こそが、トラッシュバルの王様だ!皆、我の前にひれ伏すがいい!」

 僕が右拳を突き上げた、その瞬間だった。突如、その拳を、何か薄い物体が走った。その軌道に沿って切り傷が刻まれ、僕の全身を震わせた。

 僕はたまらず右手を押さえ、崩れ落ちる。拳には、確かに一筋の切り傷があり、皮膚が鋭く剥けて、血がにじんでいた。


「あなたは、たった10秒で王の座から陥落する」

 ダークな声で、紫色の長い髪をし、どこか眠そうな目をした女子が言い放つ。彼女の手には、三角型のハズレの福引券があった。これで僕の手を擦ったというのか。

「まだ終わらないよ」


 彼女はポケットから、一切れの新鮮なレモンを取り出した。僕の右手を思いっきりつかむと、一筋の切り傷に向かってレモンを絞った。傷に染み込んだ汁が、僕の全身を、魂の奥底を揺るがした。

「いたああああああああああい!」


「どう?この感触」

 彼女は不敵に微笑みながら、レモンを僕の右手の甲に密着させ、ゆっくりと傷口をなぞる。異次元の拷問に、僕の心は折れた。

「……参りましたああああああああああっ!」


「試合終了!」

 先ほどの中年男性の拡声器で、戦いの終わりが宣告された。僕は異様な苦しみから解放されるや否や、脱力してその場に倒れこんだ。


「勝者、金城みゆき!」

「やった」


 みゆきは静かに喜びながら、プレハブの建物へ戻っていく。

「負けた方には、このあと、フィールドの後始末をやってもらいます」

 間髪入れずに中年男性が非情な宣告をする。サッカーコートひとつぶんのフィールドを、敗者が自ら掃除するだと?


 結局、トラッシュバルもストレスがたまるばかりだ。

 ああ、この世に楽園はないのか。

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